闇に葬られたジョン・マクマリー駐中国大使の報告書 | 誇りが育つ日本の歴史

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自虐史観を押し付けられ、日本の建国の歴史が書かれている神話を、教わらない事が、その主な原因です。
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闇に葬られたジョン・マクマリー駐中国大使の報告書

 

 

 

 

昭和6年(1931年)9月、満州事変が発生し、日本軍(関東軍)は満州全土を占領し、翌年の昭和7年に満州国が建国されました。

 

昭和10年(1935年)11月、米国国務省極東部長スタンレーホーンベックに対し、ジョン・アントワープ・マクマリー駐中国大使は、次のような報告書を提出しました。

 

「日本の徹底的敗北は、極東にも世界にも何の恩恵にはならないであろう。

それは単に、一連の新しい緊張を生むだけであり、ロシア帝国の後継者たるソ連が、日本に変わって極東支配のための敵対者として現れることを即すに過ぎないであろう。

こんな戦争でアメリカが勝ったとしても、その成果は恐らくソ連が独占してしまうことになる。」と。

 

マクマレーは、日本の脅威よりもソ連の脅威を警戒していました。
日本に対して経済制裁を行なって日本に圧力をかけ、その後、日本と戦争をして勝利したとしても、米国の国益にとってマイナスとなるだけであると、日米開戦の6年前である昭和10年の時点で主張していました。

 

スタンレーホーンベックは、このジョン・マクマリーからの報告書を破棄してしまいました。

 

彼のアシスタントとして働いていた人で、アルジャー・ヒスという人物がいます。このアルジャー・ヒスはコミンテルンのスパイでした。

アルジャー・ヒスにとって、このジョン・マクマリー駐中国大使の報告書は都合が悪い内容でした。

 

なぜなら、アルジャー・ヒスのコミンテルンから与えられた役割は、日米開戦を実現することでした。

 

そのために、まず米国の政府高官達に信頼されるように活動していたのです。

そして、のちにルーズベルト民主党代表の側近にまで上りつめます。

 

アルジャー・ヒスにとって、何としても日米で戦争を起こさせなくてはなりませんでしたので、スタンレーホーンベックに対し、ジョン・マクマリー駐中国大使の報告書を握り潰すように、スパイとして誘導したのでしょう。

 

ジョン・マクマリー駐中国大使が、昭和10年に懸念していた通り、昭和20年に米国が日本に勝利したのち、中国に共産党国家が樹立。また、朝鮮半島の北半分も共産主義国家となりました。

 

もし、このジョン・マクマリー駐中国大使の報告書が、ルーズベルト大統領に届いていたら、どうなっていたでしょうか?

 

しかし、すでに米国民主党内には、アルジャー・ヒスを筆頭に、コミンテルンスパイ達が活発に活動していたのです。