一神教が多様性とか叫んでんじゃねーよ! | 聞こえちゃったら、ゴ・メ・ン

一神教が多様性とか叫んでんじゃねーよ!

横綱、4大関が負けるという

 

いや、さらに両関脇も負けと。

 

 

これはスゴイね。

 

見た感じ、横綱・大関

 

みんな動き悪かったですね。

 

 

ただし、破ったのが全て生きのいい若手。

 

 

あっ、大栄翔を除いて、か。

 

大の里、熱海富士、平戸海、豪ノ山ですよ。

 

関脇を破ったのは実力者高安と、くせ者飛猿。

 

 

これは初日の取り組みを決めた

 

審判部の技ありでしょう。

 

まぁ、番付通りって言えばそうなんだけどね。

 

 

 

豪ノ山の前に出る力はすごいけど

 

霧島は、どうも調子よくなさそうですよ。

 

 

大栄翔は先場所悔しい思いをしたんで

 

それを爆発させたんでしょうけど、

 

解説によれば、琴桜(琴ノ若ね)は

 

本来なら残せたはずって言ってた。

 

万全じゃないみたいね。

 

 

圧巻は平戸海

 

押し相撲の貴景勝を押し出した。

 

確実に力はつけてますけど

 

貴景勝、まだまだ治ってないですよ。

 

 

大の里は素晴らしい相撲をしたけど、

 

照ノ富士、相当悪いね。

 

序盤はこの元気のいい若いのが相手ですから

 

黒星が重なれば休むでしょう。

 

たぶん、そのくらい悪いと思う。

 

 

 

 

ちょうど一年前の記事です。

 

 

もう、あれから一年か。

 

子供たちに

 

「変態になる権利があるんだよ」

 

って教育の機会をつくろう。

 

という、

 

法案を自民党が党として決めた日。

 

 

岸田のこと

 

 エマニュエルの言うことに、何も考えず従う男。

 異次元の情けなさを持つ男。

 

って、言ってますね。

 

 

そりゃそうだろ

 

二年前からこう言ってるんだから

 

 

 

今日は多様性という言葉に絡みます。

 

 

先日ね、エホバの人とお話をしまして

 

確認しました。

 

 

一神教ってのは

 

一つの神様を信じるってことにとどまらず

 

他の神様を認めないというか

 

さらに言えば許さない。と、

 

そういうものですか?とね。

 

 

イエスですねぇ。

 

 

唯一神だから、他はないんだよね。

 

 

 

これねぇ、飯山あかりさんが

 

イスラム原理主義が危険で

 

イスラム教が危険なわけじゃないんだ。

 

みたいなこと言う人が居るけど、とんでもない。

 

 

イスラムの教えを忠実に守ろうとしたら

 

原理主義になるんだ。そっちが正しい。

 

(マレーシアとかインドネシアの

 

 一般を指すのかどうかは知らないけど)

 

穏健に見えるイスラム教徒は

 

教えを真剣に学んでないから

 

(学ぶ機会がないから)

 

原理主義になってないだけだ。

 

 

みたいなことを言ってたってツイートを見てね。

 

 

これ、飯山さんのツイートを見てませんので

 

ワードは japanese-ful 語になってますよ。

 

 

それどころか、趣旨すら違ってるかもしれないんで

 

飯山さんに何ら責任はないですからね。

 

 

ただ、ボクが、

 

どういう発想からたどり着いたかっていう

 

その経緯を伝えるために具体的に書いてるだけです。

 

 

で、イスラム教もキリスト教もユダヤ教も同根ですし、

 

同根であるからこそ同じ一神教なわけでね。

 

 

 

そういう考えだから戦争になるんだ。と、

 

そういう思いもあったんだけど、

 

この戦争と宗教ね。

 

 

ボクは、これも最近考えが変わったんです。

 

 

 

世の中の戦争は全てが宗教戦争。

 

みたいな空気がありますけど、

 

はたして本当の意味での

 

「宗教戦争」なんてものがあったのか?

 

 

このことは、

 

上記のブログを書いた時期に

 

勉強会に来てくれた人も

 

エホバの人も「そうですね」と。

 

 

利害で争いになって

 

自陣をまとめるために宗教を使った。と

 

そういう考え方の方が

 

あってるかもしれませんね。

 

 

こういう答えでした。

 

 

 

一神教の人からすると

 

相手の神は認められないから

 

宗教で戦争になったって言われたら

 

(プロパガンダされたら)

 

そうか。となるかもしれないけど、

 

日本人のボクからすると

 

ホントに、それだけで戦争になるかなぁー

 

 

言い争いにはなっても

 

戦争にはならないでしょ。

 

お互い平和を求めてるんだし。

 

 

みたいなね。

 

 

で、最近は

 

平和もまやかしワードだ。と、

 

 

 

 それでさぁ、気づいちゃったんだよね。

 人類は

 平和な社会を求めるより

 健全な社会を目指すべきだよ。

 

 

話が、ずいぶん横道というか

 

どっか行っちゃった感があるんだけど、

 

「平和」と「宗教戦争」というワードは忘れてください。

 

 

一神教に戻ります。

 

 

 

良くねぇこういう批判の仕方がなされます。

 

 

「多様性を叫ぶ人ほど相手の多様性を認めない」的な。

 

 

 

結局ねぇ、多様性を叫ぶ人たちは

 

一神教の頭の人達でしょ。

 

 

たぶん多様性なんて叫んでるヤツラは

 

神様はないですから

 

共産主義ですからね。

 

マルクス主義。

 

 

だから、一神教徒ではなく

 

そっち系の発想に染脳された

 

一神教的な頭の人。と、

 

そういう意味ね。

 

 

要するに多様性にあこがれてるわけですよ。

 

 

でも、多神教のボクらからしたら

 

いろんな神様が居るわけで

 

すべてが神様ってのが日本だからね。

 

 

まぁ、言ってみれば

 

多様性の権化みたいな人種ですから。

 

 

相手の滑稽なほどの矛盾に気づかないわですよ。

 

 

だって、なんでも認めちゃうから

 

相手のデタラメも自信満々に言われると

 

「ごもっとも」ってなっちゃうわけでしょ?

 

 

多様性の権化みたいな人種で

 

芯というか、背骨というか、

 

道理をきちんと教えられてないから

 

DNAにはには刻み込まれてても

 

身についてないんだよねぇー

 

 

身についてないから

 

なんでも認めちゃって

 

あっちにフラフラこっちにフラフラ

 

 

とりあえずね、

 

魔術から解放される呪文をお伝えしましょう。

 

 

一神教が多様性とか叫んでんじゃねーよ!

 

 

言ってごらん。

 

「一神教が多様性とか叫んでんじゃねーよ」

 

 

腑に落ちるまで

 

唱え続けてください。

 

 

 

 

このことがどれだけ滑稽かってことですよね。

 

 

ボクは二十歳のころこんな言葉を書いてた。

 

この写真は今年のものですけどね。

 

 

これ、「健全」って話と非常にダブるわけですけど、

 

絶体神とか、絶対真理とか

 

ダメなのよ、動かないものを決めちゃうと。

 

 

 

ボクが二十歳のときに出した結論はこれです。

 

 

なんかねぇ、

 

伊藤貫さんの話なんか聞いてると

 

ギリシャ哲学とかって言うでしょ。

 

なんか、有名な人いますよねぇ

 

ボクはそれ習ってないから

 

もしかすると違うかもしれないんだけど

 

キリスト教より前でしょ。

 

 

なんかねぇ、こっちの方がレベルが高かった。と、

 

そういう印象を受けるんだよなぁ。

 

 

哲学って、昔は学問全体を指した。と、

 

そんなことも聞いたことがあるんですよ。

 

 

そうするとね、

 

真理を追究することが哲学で

 

真理すなわち物の道理ですから

 

その追求する分野が分かれて各学問になった。と、

 

ボクは、そういうイメージ。

 

 

でね、哲学は昔の方がレベルが高い。

 

というのがボクの捉え方で

 

文明が発達して

 

いろいろ複雑になりますから

 

なかなかたどり着かないんですよ。

 

 

ところが、ボクみたいに

 

何にも勉強してなくて

 

逆に言うと

 

何のとらわれもなく

 

ただひたすら見つめてると

 

二十歳そこそこでたどり着いちゃう。

 

 

たどり着いても

 

経験も知識もないですから

 

それを人に分かるように説明するとなると

 

これが出来ない。

 

 

根本的に、結論として

 

「決めちまうとおかしくなる」ですから、

 

どうでもいいにたどり着いて

 

その、どうでもいいもどうでもいいって

 

要するに、たどり着いたところに

 

固執しちゃいけないってことですから、

 

 

たとえば、ボクが発した言葉の

 

何かに固執するような

 

そういう伝わり方が

 

危険だと思ってるわけですから、

 

これ、けっこう大変ですよ。

 

 

 

ジツは、ボクの伝えたい

 

「心学」っていうのは、

 

こういう生い立ちのものですからねぇ。

 

 

どう伝えたらいいのか。

 

とりあえず、これでも読んで。