ヤクザ映画が嫌だった里見浩太朗、流れ着いたテレビ時代劇で
当たり役…小学生に追い越されても今は感謝
時代劇スターとして、江戸の街を舞台に縦横無尽の活躍を見せた里見浩太朗。
3月からは、CS放送・ホームドラマチャンネルの新番組「里見浩太朗の大江戸美食倶楽部」で、往時の名残を求めて東京都内各地に赴き、グルメに舌鼓を打つ。
映画からテレビへと舞台を変えながら、時代劇一筋で歩んできた60余年。
新番組の取材にかこつけて水を向けると、「勝手に誰かが道を作ってくれたんですよ。でも、ぜいたくな生き方かもしれないね」と半生を語りはじめた。(文化部 大木隆士)
■ 「スチールいただきます」で気持ちはデビュー当時に
スターは何より見た目にこだわる。
写真撮影では、カメラマンの求めるままにレンズを見つめ、ポーズを決める。
「「スチールいただきます」と言われると、デビューの頃と同じ気持ちになっちゃう。
これが役者、芸能人なのかと思う瞬間ですね」と苦笑する。
「カメラに向ける表情は20代前半の頃とまるで違うかもしれないが、気持ちは同じ。
「顔は全然違うよ」と自分に言い聞かせているけどね」。
いやいや、87歳となっても十分若々しい。
歌手を志望し、故郷の静岡・富士宮から上京。
おじの仕事を手伝ううち、知人が歌の先生を紹介してくれた。
ところがその知人の娘が里見を東映ニューフェイスに応募してしまった。
「しゃれよ、しゃれ」と言われ、「絶対に受かるわけがない」と受験すると、あれよあれよという間にカメラの前に立たされていた。
それで1956年、東映ニューフェイスの3期生として、芸能界入りし、萬屋錦之介、大川橋蔵といった、きら星のごとく活躍する先輩たちの後を追い、多くの時代劇映画に出演した。
東映時代には、歌舞伎界から招かれたスターが主役を張り、偉大な父親を持つ2世俳優が脚光を浴びるのを目の当たりにしてきた。
その他大勢の役を余儀なくされることもあり、「やっかみがなかったわけではない」と正直に明かすが、それでも「推してくれる人が必ずいる」との信念が常にあったという。
「撮影現場の苦労はあったけれど、それ以外のことは何もない。ぼくにとっては、みんないい人だった」
■ 「どんな役でもやるのと違うのか」と怒られても…
盛況だった時代劇映画が、昭和40年代には影をひそめ、東映は任侠(にんきょう)映画に路線を移した。
里見も短髪で角刈り、入れ墨姿でヤクザ映画に何本か出演したが、「自分は合わないと思った、ヤクザは。格好良さもすごさも感じなかった」。
不満は募り、ゴルフ仲間でもあった「日本侠客(きょうかく)伝」などを手がけた俊藤浩滋(しゅんどうこうじ)プロデューサーに思いをぶちまけると、「おまえ、役者だろ。役者ならどんな役でもやるのと違うのか」と殴られんばかりに怒られた。
けれど、「(ヤクザ映画の)自分を見るのが嫌なんです。つらいんです」と譲らなかった。
ヤクザ映画を拒否し、テレビ時代劇の道を選ばざるを得なくなったが、幸運にも「水戸黄門」の助さんや黄門様、「長七郎江戸日記」の松平長七郎など、数々の当たり役でお茶の間の人気者となった。
85年には12月30、31日、日本テレビ系で2夜連続放送された「忠臣蔵」で、主役の大石内蔵助役に挑んだ。
■ 飲んだら「うまい水」それが大石内蔵助
今から320年ほど前、元禄年間の江戸を舞台に、亡き主君・浅野内匠頭のために、浪士たちが吉良上野介のあだ討ちを果たす、あまりにも有名な物語。
東映にニューフェイスとして入ってから30年近く、まもなく50歳という時に巡ってきた大役だった。
「時代劇役者をやっていて大石は夢の役。あれほどやりたい役はない。そのとき、本当に里見浩太朗が生まれたんです」
と感慨深げに振り返る。
大石は誰がやってもそれなりにさまになる。
けれど、演技が悪ければファンをがっかりさせもする。
その難しさを水にたとえた。
「水って味も何もない。でも飲んだら「うまい水だな」とならなければならない。それが大石内蔵助なんです」
本作は計5時間の大作で、四十七士と彼らを見守る者たちの心情を細やかに描いて好評を博した。
自身の代表作の一つともなり、その後、日テレが年末時代劇として放送した「白虎隊」「田原坂」などでも活躍した。
しかし、テレビ時代劇自体が徐々に下火となり、民放地上波の連続ものとしては最後の牙城(がじょう)だった「水戸黄門」も2011年末に終了してしまう。
■ 現代劇にも進出「天の上から操ってくれている」
今なお先輩たちから受け継いだ時代劇役者としての技術を若手に引き継ぐ責務も感じているが、「「教えてやるよ」ではなく、指導を「させていただきたい」。そんな気持ちです」。
時々、映画やテレビの時代劇を見ては腑(ふ)に落ちない思いにも駆られる。
「刀を抜いて構える、斬り合うまではいいんですよ」。
けれど走るとなると、ちょっと違う。
日本刀は重いはずなのに、棒のように軽く振って走ってしまう。
「本物の刀だと忘れてしまうんでしょうね。たしかに軽いから仕方ない」
「水戸黄門」の終了で「これで卒業かな」と思っていたら、ドラマ「リーガル・ハイ」(フジテレビ)の話が舞い込んだ。
事務員の服部さん役が好評で、若い世代にもファンが広がった。
「天の上からぼくをね、いい人が操ってくれているんじゃないかなぁ。誰か分からないけど、この上の人にいつも感謝していますよ」。
気さくで温厚な語り口には「大御所」感はみじんもない。
聞いているこちらを盛り上げようとサービス精神にあふれていた。
■ 「走ってしまえば何も見えない」焦らずゆっくり
座右の銘は「ゆっくりと一歩」。
ゆっくり歩くから、見えてくるものがあるとの意味らしい。
「走ってしまえば何も見えない。ゆっくり歩いていると山も見えるし、川も見えるし、道路に100円玉が落っこちているのも見えるでしょ。
(こちらを)見てくれる人もいるし、話しかけてくれる人もいる。
人間は焦ることはない」
実際、年齢的にも速く歩けなくなった。
妻から「歩くように」と言われ、近所の薬局に向かったところ、「もうつらい。何がつらいって、速く歩けないんですよ。
後ろから小学生とか、若い女性がタタタッと追い越していく。
それが悔しくて。だけど、歩幅を一生懸命広げて歩いても、小学生にもかなわない」。
あとから来たのに追い越され……まさに水戸黄門の主題歌「あゝ人生に涙あり」そのものだ。
「あの涙は悲しみとか苦しみの涙ではない。喜びの涙なんです。
いろいろなことを乗り越え、その結果に自分も周囲の人もうれし涙を流す。それがいい人生だという歌。人生の応援歌なんです」。
老境に至ってなお、自分の道を踏みしめる日々だ。
■ 吉良邸を初訪問、“江戸グルメ”も堪能
今回の「大江戸美食倶楽部」は、里見が東京の名所・旧跡をめぐる“街ブラ”番組。
3月17日午後7時半からの初回は、両国で「忠臣蔵」の吉良邸跡を、4月放送の第2回は神田で神田明神などをめぐる。
街歩きの後には、江戸時代に創業された老舗店で、しし鍋やそばなど“江戸グルメ”も堪能。最後に歌手志望だった里見が、ギターを伴奏に思い出の曲を披露するというおまけつきだ。
大石が四十七士を率いて吉良邸に討ち入りするのは、ドラマのクライマックスだったが、実際に現場を訪れたのは意外にも今回が初めてらしい。
敷地内には、吉良の首を洗った井戸が残されており、「吉良様の像も飾ってあったので「私はあなたを殺しました」と謝ってきました」
と笑いを誘った。
4月の放送では、時代劇ではおなじみの神田明神や、江戸の剣豪・千葉周作が開いた道場「玄武館」の跡地を訪ねるが、実はこれも初めて。
「東映の撮影所にある神田明神には何回も行っているんだけど……」と頭をかいた。
NHK大河ドラマ「龍馬伝」では、周作の弟・定吉を演じた。
坂本龍馬ら武士たちが腕を競った道場も今はなく、石碑だけがその名残となっている。
「歴史に残っている場所は、なんらかの形で残しておきたいとつくづく思いました」。
今回の出演を機に江戸文化、そして時代劇への思いを改めて強くしたようだ。
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ホームドラマチャンネルでは同番組の放送に合わせ、3月5日から日テレ「長七郎江戸日記」(火曜午後5時)を放送。
里見が出演した日テレ「忠臣蔵」は、前編を同17日午後8時から、後編を同24日同7時45分からそれぞれ放送する。
<記事引用>