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ドジャース・大谷 1回目トミー・ジョン手術からの“風物詩”

トラッキング練習

 

 日本ハム時代の13年12月から大谷を本格取材し、TBS系情報番組「ひるおび」、「ゴゴスマ」に随時出演する本紙MLB担当・柳原直之記者(38)の連載コラム「ヤナギタイムズ」。

今回はドジャース・大谷の「トラッキング」をレポート。

 

 大谷にとって「トラッキング」は欠かせない練習の一つだ。

本格的に取り入れたのは18年10月に受けた最初の右肘じん帯再建手術(通称トミー・ジョン手術)後のリハビリの時だと記憶している。

 

 11月下旬~1月下旬は、米国から日本国内にリハビリ拠点を移した。

日本で「トラッキング」を重点的に行った。

当時サポートしていた水原一平通訳は「ピッチングマシンに僕がボールを入れて、翔平が打席に立ってそのボールを目で追う練習。

球速は90マイル(約145キロ)くらい。

そういうのを何千球も見て、一度も振れなかった」と語り、大谷のじくじたる思いを感じ取っていた。

 

 その後、ライブBPを含めた「トラッキング」はキャンプ序盤の風物詩になった。

大谷にとっては、基本中の基本のイメージトレーニング。

右肘の手術の影響で振りたくても振れなかった当時を思い出すこともあるだろう。

スイングせずにボールを目で追う真剣なまなざしは青いユニホームでも変わらない。

<記事引用>