テレビ塔 | KACHOのブログ

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 名古屋の続きで、今日はテレビ塔です。

 正式には、中部電力MIRAI TOWERなのですが、長いのでテレビ塔としてブログを書きます。

 日本初のテレビ塔で1954年に開業していますから、69年になります。

 テレビ塔の設計者が、さっぽろテレビ塔や東京タワーの設計をしているので、これらの塔は兄弟なのですね。

 テレビ塔のパンフレット

 テレビ塔・・・上のアンテナ部分が切れてしまいました。

 地上180mですから、かなり高いです。

 久屋大通公園内に設置されています。

 テレビ塔の入り口

 写真中央が受付

 入場料は1300円とちょっと高く感じましたが、東京タワーの半値以下です。

 エレベーターはなかなか洒落ています。

 三階まで行ってから、エレベーターを乗り換えて、地上90mの展望台へ行きます。

 展望台から名古屋市内の眺め

 写真の右端に宿泊したホテルがあります。

 名古屋城は、写真ではわかりにくいのですが、写真の左端にあります。

 久屋大通公園の全景

 1.7kmもあるそうです。

 展望台の上の地上100mにスカイバルコニーがあります。

 ここはフェンスだけなので、暑かったですえーん

 観光地によくある恋人の鍵がありました。恋人の聖地だそうです

 「仲良くやってよドキドキ」という感じです。

 

 三階には、昭和レトロな展示がありました。

 昭和生まれとしては懐かしいですチュー

 ポスト

 自転車と看板

 オロナミンCの看板は、大村昆と黄金バット

 黄金バットは紙芝居でやっていたと思いますが、私は見ていないので悪人かと思っていました汗うさぎ

 この当時の看板は、お金がかかっていますね。

 蚊取り線香やボンカレーの看板があちこちにありました。

 一般家庭の様子

 ちゃぶ台は必須で、嘱託にもなるし勉強机にもなって、寝る時は脚をたたんで部屋の隅に置いていました。

 皆が貧乏というか、つつましい生活をしていましたが、楽しかったです照れ

 当時電話があったのは珍しいです。電話が無い家では、電話がある家に頼んで「呼び出し」というのをやっていました。電話番号に・・・・・・(呼鈴木)とか書いていたのが可笑しいです。鈴木さんの家に電話して私を呼び出してくださいという意味ですから。

 赤い箱は富山の置き薬だと思います。

 私の家の場合は、家具は全て叔父の手作りでした。

 というのも、叔父が大工養成所へ行くのに、私の家から通っていて、叔父が造った家具を置いていったからなのです。

 洗濯機は洗濯物を絞るのに、左のレバーを手回しでローラーを回していました。

 これはまだ新しい方で、古いのは丸形でした。

 冷蔵庫に鍵が着いているのが懐かしい。何故冷蔵庫に鍵を付けていたのでしょうかはてなマーク

 レコードプレーヤーや電話機

 扇風機やポット

 これはオモチャですけど、私はオモチャをほとんど買ってもらえなかったというか、遊びは家の外でしたから、オモチャは必要なくて、ツリーハウスとかの秘密基地を造って遊んでいましたので、何をして遊ぶのか全くわかりません。

 オモチャといえば、ブリキか木製でしたから、プラスチック製のオモチャというのは、昭和レトロとはちょっと違う気がしますもやもや

 

 以前名古屋へ行った時には改修中で、テレビ塔が見られなかったのでスが゛、今回見られて良かったです。

 夜は名古屋の夜景が綺麗だそうですから、夜も行ってみたいです。