ALWAYS~三丁目の夕日’64~ | ジャンママのフレブル日記

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フレブルのボブは2016年8/3午後10:50に桃太郎は2018年9/2に2020年12/19に音姫が天国に旅立ってしまいました。今は飼育放棄のシーズーの亜矢音と鎌倉で海と山との自然に囲まれて暮らすジャンママ。そして、間質性肺炎 膠原病・リウマチ・皮膚筋炎・シェーグレン闘病記!

ジャンママです。


ジャンママ、昨日、レイトショーで、


「ALWAYS~三丁目の夕日’64」 


観てきました!!!!!




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すっごくよかった~~~。もう、いろんなところで涙がぼろぼろでちゃって、


ガーゼマスクが涙止めに役に立ちました。


本当に、続編から5年という歳月が経ち、三丁目の住人たちは少しだけど変わっていて


でも、ぜんぜん変わらないところもあって、「安心できる場所」でした。


もともとある三丁目の夕日とは、一作目から原作にはないものがありましたが、それが


違和感がない映画に仕上がっていて、本当にびっくりしたのを思えています。


私の知るが限りでは、一作だけ、三丁目の夕日が現代にはどうなっているのかを書いてる


物語がありました。


そこには、茶川先生と、淳之介君と、そして鈴木オートがどうなったのかを書いてある物語で


少しその原作が垣間見れるところがあったのが印象的です。


今回の1964年といえば、私はまだ産まれておらず、東京オリンピックを知らないのですが


そのときにどれだけ日本が急成長していたのかは、この映画でもよくわかると思います。


アイビーが流行、その20年後ぐらいの私の高校生ぐらいのときにも同じようにアイビーが


またはやり、「VAN」がはやったのを覚えています。


またちょっとはやってる気がしますね!時代は繰り返されるものですね。


東京タワーから、スカイツリーに移り変わった今、本当に日本は変わりました。


ご近所付き合いもあまりなくなり、隣に住んでいる人さえ知らない時代です。


困ってる人に手を差し伸べるより、見てみぬ振りをする人もたくさんいます。


震災があり、これはまさに戦後同然のように、何もかもを失った人もいます。


しかし、政府は復興をするために戦後のようにがんばったりしない・・・。


何か前向きにもっともっと元気になれるような国の動きは本当にない・・・。


そんな日本人は冷たい人間たちだったのでしょうか??


昭和30年代の日本は、そんな、元気がなかったでしょうか?違いますよね。


鈴木オートの鈴木社長が言います・・・


「戦後ここら辺は焼け野原だったんだ・・・」


でも、30年にはみんなが活気あふれる商店街を作り上げ、そして、マイカー時代が


やってくる。家庭にはTVが普及し、少しだけど贅沢ができるようになる。


それはみんなががんばった結果です。


がんばっていない人はいないと思いたいが、がんばってる方向が違う日本・・・。


電気料金をドンドン上げ、節電節電といいながら電気を作る方法をまた原子力に戻そうと


してる電力会社。


消費税を上げ、国民の消費することを圧迫する政策。


放射能で汚染されてると県民さえ差別するアホな人間・・・。



この映画は、私にとって宝物なのです。


本当のやさしさや、本当の苦しみを、そして、どれだけ人間の温かい心を感じられるか・・・


そんなことをもう一度感じられる映画です。


きっと、みなさんも、「日本っていいな・・・」って思うと思います。


ぜひ、一作目からちゃんと観てほしい映画です。


今回のこの’64で、もしかしたら最後??と思われますが、ファンとしては、淳之介君のその後や


茶川先生の復活劇、そして鈴木オートがはたして「でっかいビルヂング」になるのか?


六ちゃんの結婚生活や、いろんなことがまだまだ観ていたい・・・。


あと、5年や、10年後の1974年ぐらいを舞台に、また続編をお願いしたいものです。


私が生まれてるころを、もう一度、まだ観たいです。


楽しみにしています。


そして、この作品を作ってくださった、すべての方に感謝します。


また、BUMP OF CHICKENのみなさん、素敵な楽曲をありがとうございます!


ありがとうございます。


私も、こういう映画に少しだけでも参加できたことがうれしかったです。


一生の記念です。ありがとう!



「ALWAYS~三丁目の夕日」



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*この中の数点はエキストラでの出演でいただいたプレミアものです!うふ!!(笑)