この空間は存在の真理
第四

 

意識

 

空間が空虚に見えるのは、私たちがそう考えているからです。空間は宇宙全体を抱えており、すべてがとても美しく働いています。経典にも、「神が創造したかったとき、神性以外の原材料はなかった」と書かれています。私が話している神性は、神性を何らかの個性として想像しないでください。せいぜい、存在の最高意識であるこの空間がすべてに浸透している様子を可視化してみてください。

 

ですから、神性は自分自身の中で創造したのです。あなたの心が創造したいとき、心に利用できる原材料は他にありません。心は他の何にも触れることができないので、自分自身の中に創造し、多くの登場人物が登場します。静かのままにしてこれらが後退して静寂を達成した日、あなたは一つの心だけが残り、それはもはや心ではなく、単に意識であることがわかります。なぜ私たちがこの意識について話すのかというと、存在の意識、「私は存在する」という意識が常にそこに存在しているからです。そして、「私」が消え、ただ意識が残ります。それがあなたの実践方法であり、最終的に達成しなければならないことです。

 


なぜこれが推奨されるのでしょうか。それは、真理、存在の真理だからです。それが真理であると、なにもできません。だれもがそれを変えることはできません。「私は真実は好きではない、変えたい」- そんなことは起こりません。それが真理です。あなたはそれを体験し、そしてその真理を他の何かに変えることができるかどうかを見てください。その一体感が気に入らない場合は、空間を切り刻むことができるかどうかを見てください。それは一つです。それが真理であり、この真理はあなたに最高の平安を与えます。なぜなら、それがその本質だからです。なぜそれが至高平和なのですか?それは他の何も必要とせず、それがあなた自身だからです。あなたが何かを必要としている限り、不安になり、恐怖や不満を感じ、考え込むことになりやすいのです。しかしあなたが何も必要としないとき…私の師匠がよく言っていたように、「人は欲望を持つことで貧しくなる。満足していれば、天皇のようだ。それが私たちが学ぶべきことのすべてだ」と。

 

 

”それ”

だから、これが真理であり、そしてこういうふうに実践して達成するのです。そして、師匠はこれについてこう言いました。「あなたは自分のことを体験します。それが本当に素晴らしいことです。」そのため、古代の聖者たちは、それを単に「それ」と呼びました。彼ら皆集まって座って、その静寂の中で起こること、その意識とは何か、その自覚とは何かについて話し合いました。彼らは、「それだ、それだ」と言いました。彼らはこのように話し、名前を付けませんでした。なぜなら、名前を付けようとすると、それはただの想像だからです。彼らはそれをわかっていました。だからこそ、彼らは「それ」について話し続けました。「それはこのようなものだ、それはとても素晴らしい、それは至高平和だ、そしてそれは本当の自己だ」と。それは単に一つです。なぜなら、それは真理であり、二つになることはできないからです。そのようにも見えるのです。それだけがそれ自身を体験することができます。まるであなたが空間とは何かを知りたいのであれば、空間にならなければならないのと同じです。それ以外に、空間とは何かを知ることができるものは何もありません。それはとても広大で無限だからです。たとえ空間を測定したいと思っても、空間にならなければなりません。他の何者かであることで、空間を測定することはできません。そしてこの空間は、それ自身の最高の意識です。それは単に空虚な場所ではありません。

 


誰かが想像し、その人が「ここは空虚な場所だ、ここは空虚な場所だ」と言い続け、誰もがそれを信じるようになり、それが習慣になりました。そのように世の中で物事が想像されるのです。誰かが自分は天才だと主張し、「これだ」と言います。彼はそれに名前を付け、他の人たちはそれを受け入れます。「これはマイクです」というと、みんなもそれをマイクと呼ぶようになります。そして、誰か来て、「なぜこれをマイクと呼ぶのですか?あなたは想像しています。これはマイクではありません。神です。究極の真理です。」と言います。そうすると、多数派の人は、その人をからかいます。このように、世界各地で真理を体験した偉大な人々が現れて、その真理について語ると彼らは狂人の扱いをされてきました。なぜなら、他の人たちは皆この世に狂っていたからです。まれに、ラマクシュナ・パラマハンサ、ラマナ・マハルシ、アディ・シャンカラ、シヴァバラヨーギのように、究極の真理に狂った者はごくわずかでした。そして、この真理は、体験したときにのみ信じることができます。それは個人的な体験であり、証明することはできません。それはあなた自身です。あなたは自分を見なければなりません。そのために、私たちは瞑想を教え、ヒントを与え、人々が実践できるように助けます。そして、あなたの心が平和になったとき、つまり、あなたが平和にならなければならないとき、あなたは平和を得ます。あなたの心が静まったとき、あなたは平和を得ます。あなたが落ち着いているときには平和を得ます。自覚的にも無意識的にも、その平和はあなたが探しているものであり、そしてそれは至福すら超えたものです。平和は完全に落ち着いたものです。長老たちはこう言っています。「心がすべての渇望、つまりすべての想像を捨てると、自然に真我に吸収されていく」と。心が想像することをやめる時、自然に進んでいくのです。他の物体を持って押す必要はありません。それはただ単に進んでいき、満足してそこに留まります。満足も、誰にとっても難解なものです。あなたが満足していれば、誰もあなたを脅かすことはできません。あなたはもう完全に安定しています。

 

(完)

 

これは以下の動画の抜粋です。(17.30から最後まで)
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