今宵ご紹介する映画は『いちご白書』
さすがにわたしも
公開当時の熱狂は知らなくて
その後の
『いちご白書をもう一度』を
経由して辿り着いた映画でした
で、この曲のヒットを
受けてのことでしょうね
中学の時に、今作が
地上波放送されたんですよ
その日は日曜日で
地区の廃品回収があったんですが
どうしても映画を観たかったわたしは
ダラける男子に発破をかけて
放送時間ギリギリにうちに帰ったことを
今でも覚えています
こういうことばかり覚えているなんて
何とも不思議ではありますが
お話にまいりましょう
時は1960年代、舞台はアメリカ
学生運動の波がうねりとなって
社会を覆う勢いだった頃
とある大学(コロンビア大学が舞台の模様)にて
子供達の遊び場を潰し
予備将校訓練隊のビル建設に反対する学生たちの
ストライキが起きておりました
ノンポリ男子大学生サイモンは
(ブルース・ディヴィソン)は
彼女に近づくため
手っ取り早く学生集会に参加して
仲良くはなりますが
集会へも参加したくらいですから
学生たちが何故、怒っているのかなんて
サイモンは深くは考えていなかったんですね
たまたま否定派の学生と
やりあったことによって
運動の意義と向かい合い
彼女とは関係なく、その場に留まります
で、彼女もまた
彼の元へ戻ってくるんですけど
熱を帯びてくる学生たちの抗議に
当局は武力行使を実施
輪になった学生たちが
手拍子とともに
プラスティック・オノ・バンドの
『平和を我等に』をリフレインする中
突入の合図を待つ警官隊
『鎮圧』の名の下、降り注ぐ催涙ガス
容赦なく振り下ろされる棍棒の嵐に
倒れる愛しき彼女と
怒れる彼、サイモンの
ダイブ・ストップモーションです
このシーンやはり、胸が熱くなりますね
何せわたしは『3年B組金八先生』の
~卒業式前の暴力~で
さめざめと泣いた女ですから
やはり無防備な若者が
打たれるなんて、理不尽ですよね
なのに何故
SEALDsには共感出来んのか??
今作はアメリカンニューシネマに
カテゴライズされまして
警官隊がまっ先に
黒人学生をターゲットにする様や
女子学生にさえ、容赦ない鉄槌と
権力者の横暴はまさしくそれですね
そんなことで、キム・ダービーちゃま
堪らんかったでしょうなぁ
ボンドガールとか、
ラクウェル・ウェルチ←(当時ね)には
後ずさりする我らが日本男児も
キムちゃまなら、いくでしょ??
だって兄さんたちさ
『隣のあの娘』には弱いやんか?
あたいは知っとるで
キムちゃまは
この後は第一線てわけではなかったけれど
逆に言えばこの一本で
永遠におなりあそばしたとも言えるわけで
お相手のブルース・ディヴィソン
はじめはノンケ、ノンポリ、ノビタ君でしたのに
何処にでもいる普通な彼が
怒りによって、顔つきが変わっていく様は
当時中学生のわたしも、かっこいいと思った
青年は
うまくいくとは限らないのも、また事実で
『卒業』の
その後は知りたくないけれど
『いちご白書』の
その後は垣間見たい気がする
あっ、それが『いちご白書をもう一度』へと
繋がるのか……
実はその甘酸っぱさが
嫌いではないジェーンですが
何か文句がおありでしょうか 笑 笑
バフィ・セント・メリーの
震えるビブラート全開の
『サークル・ゲーム』です