歴史薫る宝来町・青柳町・谷地頭町を街歩き | 函館・青柳町暮らし

函館・青柳町暮らし

2010年4月、函館暮らしを始めました。
風景、食、イベント、街のあれこれ……、
愛する函館の日常や
季節の移ろいなどをお伝えします。

気持ちよく晴れた夏日、

中尾さんの「函館ぶら探訪」に参加しました。

私の生活エリアにドンピシャな

宝来町・青柳町・谷地頭町の街歩き。

まさに、歴史が薫るのを実感できました。

 

江戸時代後期、ロシアと深い関わりのあった函館。

キーマンの高田屋嘉兵衛の銅像の近くに、

日露友好の碑がありますが、

「ゴロヴニン事件」で絆を深めた嘉兵衛と

ゴロヴニンとリコルドの子孫が、186年ぶりに

ここで再会を果たして建立したものだそう。

ちなみに、事件でゴロヴニンが収容されてた牢屋が

右に見える一色医院のあたりなんですって。

なんだかドラマチックです。

 

このグリーンベルトには碑がいくつかありますが、

これは、昭和の名作詞家・高橋掬太郎の歌碑。

古賀メロディ「酒は涙かため息か」の

歌詞が刻まれています。

左手の長い白壁は料亭「冨茂登」ですが、

店名は高橋掬太郎の命名だそうです。

 

茶房とアンティーク小物の「ひし伊」。

明治末期に石川啄木の妻も利用した質店でした。

黒漆喰の壁が風情のあるたたずまいですが、

右が鉄筋コンクリート造り、中が土蔵造り、

左が石造りというからびっくり。

明治から昭和にかけての3度の大火でも

焼失の難を免れたという、奇跡の建物です。

 

函館公園にもいろいろな碑があります。

これは「箱館通宝銭座の碑」。

この辺で江戸末期、通貨が鋳造されていたそう。

そのほか、瀬戸座、紙座、ビール醸造所など、

いわゆる殖産のトライアルの場であったけれど、

どれも「成功」とまでは至りませんでした。

 

途中も歴史の跡を訪ねつつ、函館八幡宮まで移動。

大正期に建てられた風格のある建物です。

お参りするところが本殿かと思っていましたが、

こちらは拝殿。本殿は左手の続きにありました。

 

ところで、7月末にもあった「花手水」、

さらに彩りを増している感じです。

 

そして、ついにここまで歩いてきました。

碧血碑へ続く階段。あじさいがいっぱい。

 

戊辰戦争で亡くなった旧幕府軍兵士の墓。

状況は違いますが、

夏草や兵どもが夢の跡、の句が浮かんできました。

改めて地元の歴史に触れた街歩きでした。

 

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