あしたさぬき
このブログのタイトルを見てわかった方はきっと身近な人でしょう。
そう、あしたさぬきとは地域ブログのことです。
他の県でも地域ブログなるものが存在するところもあるそうでうが、香川県でもついに12月1日グランドオープンだそうです。
私の周りでも多くの方がもうすでに登録し、参加しております。
という私も参加しておりますが( ̄▽+ ̄*)
これからグランドオープンをしてどのぐらいの人が集まってくるのでしょうか?
ちょっと楽しみでもあります。
私も色々なところで顔を出しているとお会いしたことはなくても噂ではよく耳にする方々が一杯です。
しかもそんな方々のブログが一斉に集まっているのですから、探す手間が省けるし、様々な身近な情報が手に入るというものです。
すでに集まっている方はある共通意識を持ち始めている方も多いのではないでしょうか?
そう、人は共通の意識することができれば仲間意識を持ちますよね。
地域ブログとは地域の活性化も目的だとは思いますが、この共通の仲間を持つことだと思います。
この共通の仲間意識をネットというバーチャルの世界から、いかに現実に近づけ、現代のコミュニケーションをカタチ創っていくことができるのかが興味が湧くところですね。
とまぁ色々書いておりますが、結局はもう1個ブログを持つというだけの話。
はっきりいってこのブログでもサボり気味なのにもう1つ書けるのか?という疑問を持ちながら「まぁいっか。」と簡単な気持ちでの参加です。
このブログと同じ時も結構あるかもしれませんが、もう1つのブログも興味があれば覘いてみてください。
ココロ元気♪ 催眠療法
ちなみに
あしたさぬき
もうすでにかがわの元気な人がたくさん集まってますよ~。
コーチング
昨日はよくお邪魔しているセミナーに久々の参加。
そこはいつも色々な講師をお呼びして様々なセミナーを2時間ほど行なっております。
(私も一度講師をさせて頂きましたが)
さぼり気味で行けていなかったセミナー。
今回は私の仕事でも取り入れているコーチングです。
実際にコーチングのセミナーを受けたことはあるのですが、この講師の方は半年前に一度会いつい最近再び会った方です。
そして同じようなコミュニケーションのプロとしている方なので、話がよく通じます。
で実際にどんな話をされるのかを目の前で見ようとプレッシャーを与えに(笑)行ってきました。
内容はというと、私が行なっている内容とほぼ同じで、前半は交流分析で相手の自我状態を知りその自我状態にどういったコミュニケーションを取るのかといった所。
後半はNLPのテクニックでもある無意識の信頼関係をどう作るのかといったところでしょう。
やっぱりコミュニケーションというのは、学問の名前が違えど基本的には同じことを重要視しているのだな~とつづく感心させられました。
内容も入門編ぐらいの内容でとてもわかりやすかったと思います。
この講師の方と私と決定的に違うことは、やはり話を膨らませることがとてもうまいということです。
私はこの部分がどうしても苦手としているんですよね・・・。
様々なセミナーを受け、やはりこの部分が私に足りない所といつも思っているのですが、今回も反省すべき点として残りました。
久しぶりにお会いできた方もたくさんいたので、今回のセミナーは久々でしたがとても楽しい場になりました。
また本当にセミナー企画しようっと!
ひとめぼれ
皆さんも一度は経験があるのではないでしょうか?
ひとめぼれ
実際に私はよくひとめぼれをします。
そう、モノにも人にも・・・。
(実際には人の方が多い?)
本当にこんなに簡単に好きになっていいのかな?って思えるぐらいです。(;^_^A
初対面でお会いしたとき、話し方や雰囲気、そしてさりげない心遣いなど見るところは人それぞれ違うとは思いますが、ちょっとでも良いと思えると男性でも女性でも好きになります。
この好きは人間として尊敬できるといった意味なのですが・・・。
本当にこの性格はある意味欠点であるかもしれません。
(逆に長所でもあるとは思いますが)
一度好きなれば感情の慣性の法則のようなものが働き、もっと好きになることに意識がいきます。
つまりもっとその人の良い所を探そうと無意識に行動しているのです。
ですので、「一度好きになればもっと好きになっていく~」という催眠を自分でかけているのでしょう(^^)
とまぁ全然関係ない話をしていたのですが、今回私がひとめぼれをしたのは、椅子です。
仕事用に椅子を使っていたのが、安物を買っていたせいか、最近ギシギシという音が気になってしょうがありませんでした。
でちょっと前から椅子買おうかな~って考えてはいたのですが、考えるだけが数ヶ月・・・。
しかしついこの前出会いました。
理想に近い椅子に≧(´▽`)≦
お店でその椅子に座ると仕事をしている時の自分が頭の中に浮かびます。
そしてどんどん妄想の世界へ・・・。
い・いけない。
と現実の世界に戻りつつ、即決!
値段もお手頃で気に入った品を久々に買った気がします。
で今は「もっとその椅子が好きになっていく~」という催眠をかけ続けております。
いじめの定義
昨日、インターネットでニュースを見ていると、いじめの定義が広がり、いじめ認知が6倍増とのこと・・・。
以前のいじめの定義とは 同一集団内の相互作用過程において優位に立つ一方が、意識的に、あるいは集合的に、他方に対して精神的、身体的苦痛をあたえること。
逃げられない閉じた集団の中で、対抗力のない弱者に対して、正当な理由なく繰り返される私的制裁。
とありました。
それが今では「子どもが一定の人間関係のある者から、心理的・物理的攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」「いじめか否かの判断は、いじめられた子どもの立場に立って行うよう徹底させる」となっているそうです。
その定義を広げることは確かに、いじめの小さな芽の時から摘むことなのでしょう。
私的に言えば、いじめはそんな小さなものまで意識しても摘みとることができないと考えます。
だって誰にでも精神的な苦痛を感じることはありますよね。
しかもこれは子どもの世界の話だけではなく、当たり前のように大人の世界でも多くの方が悩まれていることでしょう。
現代社会の中で確かに様々ないじめが存在するでしょう。
しかし精神的な苦痛を感じ、その出来事を乗り越えることができることによる成長も私はあると考えております。
温室育ちの囲いの中で、害虫もいなければ、雑草もない。
水も栄養もすべて誰かがくれる。
そんな囲いが突然無くなれば、その時その芽はちゃんと成長できるのでしょうか?
すべてのことが本当に自分の思い通りにできる世の中になっていればその考え方もありでしょう。
しかし自分の思い通りにできないこの世の中で突然囲いを無くしてしまった芽は本当に実りのある収穫ができるのかを考え世の中を再生して欲しいものです。
いじめの問題・・・。
これはこの世に存在している以上、避けていくことはできないことなのではないかと思います。
植物であろうが、動物であろうが、すべては生存競争の中で生きているのだと思います。
そう自然という仲間でもあり、敵でもある友と一緒に・・・。
生存競争とは本能よりももっと奥深く持ち続けているものではないかと思います。
その深く持ち続けていることに人は理想や理性により抑えようとし続けているのではないでしょうか。
ちなみにこの考えは勿論いじめをやってもいいとは言っておりません。
わざわざいじめの定義を広げることよりも、もっとその個人(当事者)の気持ちにそれぞれがなり、その中での教育をもう一度考ええなおしてはみてはいかがかと思います。
子どもよりももっとえげつないいじめのある大人の世界、子どもよりも賢い分やっかいだと思います。
しかもそこには、上下関係(力や権威)を脱することができない世の中に、そしてそんな大人に子どもに対してどんな教育ができるのでしょう?
信念のない建前だけでは、相手にしっかり見抜かれてしまいますよ。
と色々と考えてしまうニュースでした。
昭和の時代Ⅱ
前回の続きです。
昭和の時代と比べて減ったものは何でしょうか。
私が減ったな~と感じるのは、やはり自然と近所付き合い。
自然がどんどん減っていくのは本当に寂しく思えます。
実際に私が過ごした時代でもかなり自然が減っていたのだとは思いますが・・・。
しかしまだまだアスファルトに覆われた道ばかりではありませんでした。
ドブ川の横には畦道のような狭い道があり、その狭い道を自転車で走り回るのですから、ドブ川に落ち泣いて家に帰ったこともあります。
しかしそのドブ川も今やコンクリートに固められ、生物が存在するでしょうが入って何か探したいと思う気持ちはなくなります。
(大人だから?)
減ったと感じるのは近所付き合いと書きましたが、人と人の交流のことです。
某映画の中でも、カラーテレビが家に来たときには近所の人が集まったというシーンがありましたが、今では考えられません。
それだけ気兼ねをせずに付き合いが出来ていたのでしょう。
そんな時代を知らなくても昭和の時代の懐かしさを感じるのは何故でしょうか。
本当はそんな時代の憧れもあるのではないでしょうか。
時代は先へと進み、便利になり、欲しい物は手に入る時代。
しかしその裏には、理性はついていってもまだまだ心や身体はうまく付いていっていないように思えます。
そんな自分の中でのこだわりが、きっと映画を観ることで、バーチャル体験できる映画に集まっている人が多いのでしょう。
私はこの時代でこそ、昭和の時代で感じた心をもっと感じることができる世の中に変化していけばと感じております。
そのためには、自分が何ができるのかを考えていくことが大切なのでしょうね。
昭和の時代Ⅰ
最近映画の宣伝効果なのかちょっとした昭和ブームのようですね。
何でそこまで昭和の時代に感心が向くのでしょう。
ちょっとだけ私なりに考えてみました。
これが合っている、間違っているなど色々な意見があるとは思いますが、これはあくまでも私の主観です。
まず昭和の時代、私が生まれたのは後半部分であり、映画の舞台の時代は正直知りません。
しかしその後半部分からも比べて、今の時代とは違うことが多々ありますよね。
例えば、電化製品や創る技術の進化。
これは目まぐるしい変化があるのではないでしょうか。
きっと私は、20年後(10年後?)ぐらいにはバカにされるぐらいついていけていないと思います。
時代に合っているスピードの変化なのかどうかはわかりませんが、興味がもてない人は必ず置いてけぼりになります。
そんな時に思うこと。
あの時代は良かったな~。
ですよね。
だって前の時代は自分が何とかついていけたんですから。
取り残された感覚というのでしょうか?
ちょっと寂しさを感じるかもしれません。
モノが満足に揃わない時代、まだまだ自分たちで工夫をしながら自分の生きるための生活、そして道具を使いやすくする工夫など、考えればいくらでもアイディアを出すことができました。
しかし、今は便利なものは何でも揃い、また何でも手に入り易い時代になりました。
そんな時代になったときに、便利なものを創りだそうという人が減るのは当たり前ですよね。
そう、自分の力で生み出そうとすることはしようしないのではないかと思います。
ごく一部の人を除いては・・・。
どの時代でも新しいことを生み出す内容は変わってもきっと生み出そうとすることはあるはずです。
しかし今の現状に満足がいくことにより、自分の変化をしようとしない指示待ちタイプが増えるのではないかと思います。
そうなると自分の信念があったにもかかわらず、ついつい人の顔色を伺い反応を見るようになってしまうのです。
それがいけないこととは思いませんが、せっかくの自分の人生ですので、すべてのことで人と同じすることはないのではないでしょうか?
昭和の時代から比べると、モノが十分過ぎるほど足りることにより、自分から生み出す時代ではなくなったことがまずは面白くなくなった原因の一つではないでしょうか?
もっと簡潔に文章が書けたらいいのですが、長くなりそうなのでまた次回へと続きます・・・。
久々?
最近交流会というものにあまり参加してなく、久しぶりに一昨日参加してきました。
交流会と言っても単なるお食事会ですが・・・。
普段の私の生活ではほとんど交流を持てなさそうな方何人もいました。
とは言いながら、名刺交換をしてその後はほとんど話せない方もいましたが・・・。
いや、勿体無い!
しかし、話をさせて頂いた方とは、本当に良い話&お言葉をもらいちょっと浮かれ気分です(=⌒▽⌒=)
以前某企業の研修時にメンタルへルスケアとして役員の方が勢ぞろいの中、1時間だけセミナーをさせていただいたのですが、それがとても良かったとのこと。
そのセミナー終了時にもそのお言葉を頂いたのですが、その時はお世辞半分で聞いておりました。
しかし、もうかなり経っているにも関わらず、そういったお言葉を頂いたのは本当に嬉しいことです。
またその方は催眠技術も学んでいられるとか。
仕事されているイメージとは全然違った面を見ることができ、とても楽しかったです。
他にも色々と私の戯言に付き合っていただいた方々にはこの場でお礼を申しあげます。
と他にも全然関係ない話なのですが、私の「HPやブログを見てやる気がでます」といったありがたいお言葉を頂き、さらに有頂天。
しかし、それと同時反省。
きっと最近は忙しいという理由を勝手につけ、自分のしたいことやすると決めたことをズルズルと先延ばしにいていることが身に覚えがあり・・・。
本当に自分が納得いけることをもっとやっていきたいと考えております。
もう今年も残り少なくなりましたが、せめて今年終わるまでに、自分の中で決めたことをひとつやり遂げようと密かに誓う今日この頃でした。
ちなみに私はお世辞でも褒められるとすぐに有頂天になってしまうお調子者です(^-^)/
音の本
ついこの前まで知らなかったのですが、今やオーディオブックというものがあるんですね。
インターネットはするけど、本当にちょっとしたことを調べる程度しかしない私・・・。
音楽もダウンロードしてとかちっちゃいヤツとか携帯に入れて聞くことも全くなし・・・。
しかしこのブログで度々(?)登場する前田大輔氏から教えていただき、そういう世界があるのを始めて知りました。
前田大輔氏著書で「いつのまにか心を操縦する技術」という本があるのですが、その本がオーディオブックになっているそうです。
実際私はその『本』を持っているのですが、改めてオーディオブックで聞いてみました。
いや~まるまる一冊朗読してくれるなんて何て親切なのでしょう。
オーディオブックを聞きながら、実際に本を手にして見てみると、一字一句変えずにそのまま読んでくれています。
(無駄なことをしております。)
私の場合、本はあまり何回も読み直しません。
ただ本を読むときに自分にとって必要な所に線を引いており、その部分だけを読み直すことはよくありますが・・・。
そんな意味では今回の本をもう一度読み直す(聞きなおす?)良い機会だったのでしょう。
改めて、「いつのまにか心を操縦する技術」という本の読みやすさ、そして深い所までを上手く紹介している部分などはお勧めの一冊です。
こういった音の本であれば、本を読むことに対して抵抗がある方には、入り易い世界なのでしょう。
「~をしながら」本を読むことができるなんて忙しい方にはピッタリかもしれません。
実際私も「~しながら」聞いてた部分もありました。
しかしその逆に活字中毒の人は物足りなさを感じる人もいるかもしれません。また普通に一冊読むよりも、すべて朗読ですから時間が余計にかかるかもしれません。
普通に読むのか、それとも音で読むのかは、その人のスタイルになってくるのでしょう。
ただ今回の音の本を知り、頭の中は関係ない妄想で一杯になりました。
例えば、今まで本を読みたくても読めなかった方(例えば目が見えない方)にとっては画期的なものになるのではないでしょうか?
点字で書かれている本というのはきっと限りがあるでしょうしね。
他には朗読する人を様々なバリエーションにして、子どもがおじいちゃんおばあちゃんに聞かせてあげているようなタイプやその逆、親から子どもでもいいかもしれません。
こういった今までにはない発想がもっとたくさんできるといいですね。
最後になりますが、今回のオーディオブックの場所です。
オーディオ・ブックのポータルサイト
「FeBe!」
http://
デトックスフットバス
少し前には岩盤浴がすごく流行り、最近ではデトックスフットバスというのがあるそうです。
私はあまり知らなかったのですが、結構話題になっていうそうです。
写真はカタログ掲載していたのを拝借したのですが、こんなにお湯の色が茶色に変化するのかちょっと半信半疑でした。
で実際にチャレンジ(‐^▽^‐)
ものの数分で茶色に濁り始め、その後どのぐらい変化していくのかと思い、5分おきに写真を撮っていたのですが、とてもお見せできるものではありませんでした。
はっきりいって茶色のレベルではありません・・・。
何でこんなに?と思えるぐらいの色と変なモノが浮いている状態。
ありえません・・・。
で気になりネットで調べたのですが、変化したお湯の色によってどこが悪いとか書いているところもあるそうですが、特に変化した色には根拠はないようです。
また足をつけていないお湯でも水道水の不純物等で色が変化するそうです。
メカニズムとしては、
「お湯と塩を入れ、健康体の周波数と同じ超微弱電流を流して、体の周波数を健康な状態に調整します。血液やリンパの流れがスムーズになり、蓄積されていたカラダの汚れが短時間で足裏からドロドロと排出されるのです。透明だったお湯が汚水に変色!でも体はスッキリ爽快!目と体でデトックス効果を実感できます。」
だそうです。
確かにお湯がかなり変色すので驚きはしますが、実際にはやはり自分が体験してみてどう感じるかでしょうね。
しかも、ある程度定期的にする方が効果的だそうです。
で今回このような体験&説明を書いたかと言えば、実はそのデトックスフットバスを中古ではありますが購入しました(;^_^A
製品↓
http://taisya.net/product/detail/twin001.html
次回にでも追ってこれからの利用についてなど書いていこうと思いますが、取り急ぎ報告まで(誰に?(笑))
謝罪とは何か?
昨日マスメディアを賑わせている一家の謝罪会見がありましたよね。
謝罪の方法というのは形があるわけではないので、あの会見でどう捉えるかは受け取る側の価値観次第だと思うのですが、どうなんでしょうね。
謝罪会見といっても全然謝罪していない会見をよく見受けます。
(彼らのことだけではなく、政治家の謝罪会見とか・・・企業の謝罪会見とか・・・)
本当に申し訳ないと思う気持ちがあって出てくるのか、それとも周りを少しでも納得させるために嫌々出てくるのか・・・。
自分で決めた訳ではないのであれば(周囲から促されて?)どうしても自分の無意識レベルが表に出てしまうのではないかと私は思います。
つまり、いくら「すみません。」「申し訳ありません。」と言葉を並べ立てた所で「どうせ言葉だけだろ?」と感じてしまうのです。
実際に会見後皆さんの状況がどう変わっているのかは知りませんが、形だけの謝罪をするのは見ていても気分がいいものではありません。
どうせ謝罪するのであれば、もっと責任をどう取っていくのか?や相手の人にどういった誠意を伝えるか?などを考えてから出てきて欲しかったと私は思います。
今回の試合は残念ながら生では見逃してしまいましたが、試合前の記者会見を見ていて興味は持ってました。
あれだけのことを言える自分に対しての自信を持つことはやはりそこまで積み上げてきた努力があってのことでしょう。
ある意味そこまでの自信を持てるというのは羨ましいですね。
(試合が終わった後、ボクシングとは全く関係ない歌を歌う所といい・・・。)
そんなところがやはり人気の一つなんでしょうね。
私もボクシングにそんなに興味はありませんが、あの兄弟の試合をつい「見たい!」と思ってしまいます。
世間は話題性がある人に興味を示します。
ただ上手くいっている時にはまるで神様のように崇めていますが、それだけでは物足りず密かに足元をすくってやろうと企んでいる人も多いようです。
有名になるのもいいですが、周りからの力に押し潰されてしまわない力を持っておく必要があるのでしょう。
今回の件は色々と考えさせられる内容でした。
