1回目のタンザニア、そして2回目の迎える前にこれもまとめておこう

 

そしてまず、愛するお母さん、家族、そして心配してくれた方々に感謝する

 

謝るのはやめとく、どんな出来事も全肯定しているからだ、でもちょっとごめんなさい

 

 

マラリアで幻の中もう一度家にたどり着いた後は、少し熱も下がり体調はマシになった

 

寝とけば自然に治るだろう、そう思っていたが完全に治ることはなく

 

お見舞いに来てくれた、いつもお世話になっている人に病院に行った方がいいと勧めていただき、近くの小さな診療所に行った

 

一人でも歩くのは大変だ、クラクラしている

 

始めに脱水症状だと言われ点滴をした

 

ほとんどの確率でマラリアと診断され、次の日に山梨の大きい病院に行く事に

 

このご時世病院にもすぐに入れるわけではなく外で少し待った、3月の山梨はまだ寒い

 

やっと中に入れた

 

検査ベッドに寝かせられ、入れ替わり立ち替わりでたくさん人が来た、研修生たちのようだ

 

どれほど時間が経ったか、誰かが来てこう言った

 

「重度なマラリアで、この病院には薬や設備がない、なので東京の病院へ緊急搬送」だと

 

個人的には平気だと思っていた、とりあえずこの不調をどうにかして欲しかった

 

当初の予定ではヘリコプター搬送だったが、あいにくの雨で救急車になってしまった

 

ここまで来てくれた母とも一旦お別れ

 

「大丈夫」こんなもんでやられない、そう確信があった

 

 

移動の時間が一番辛かった

 

行く前に飲まされた薬は牛乳と一緒に服薬した方が良いと言われ、飲み慣れない牛乳を飲んだ

 

救急車の中では揺れないようにか体はベルトで固定され、少し頭が体より低くなっていて、お腹の牛乳も悪酔いしそうだ

 

それに加えピーポーピーポート2時間聴き続けてた、外の景色も良く見えず、ついに頭を少し起こしてもらった

 

サイレンをかき消すために音楽も聴いたが更にめちゃくちゃになるだけだ

 

やっとの思いで新宿までたどり着いた

 

どうせならヘリコプターで登場した方が話題にもなったのに、、、

 

今でも思う、きっとヘリはヘリでうるさいんだろうが、どうせなら新しい体験がしたいってもんだ

 

冗談はさておき緊急搬送された後は病院服に着替えさせられ、でかいベットに横たわった

 

またまた研修生に囲まれ、タコ足の線を体に繋ぎ、また点滴もした、一体どうなるんだ

 

 

結局、点滴治療ということで体をいじくりまわされるわけでは無いようなので

 

初めの数日くらいは緊急病棟の個室で毎日点滴

 

時折問診があった、耳が遠いい

 

動けない、熱は下がらずトイレに行きたくなったら頑張って起き上がるのみ

 

トイレにも線が繋がったまま、指にも酸素を計る機械をはめていた

 

寝てるばっかり、いい加減背中が痛くなって来ていた、何もしたくない

 

 

なん日経っただろうか、ずっと遠かった耳が戻り食欲も戻って来た

 

緊急病棟から普通病棟に移った

 

相部屋でタンの絡まってる老人などと一緒だ

 

知っている人に会いたい、そう思い毎日誰かしらに電話をして過ごした

 

時には一人同じ相手と8時間も電話した

 

久しぶりに大笑いした、仲間は良いもんだ

 

電話中も、持って来ていた刺し子をやりながらだったり友達に送ってもらった色鉛筆で絵も描いた

持ち込んだ刺し子キット

 

送ってもらった友達の手拭いにフリースタイル刺し子、柄は桜の花びらを模した幾何学にアフリカの地図

 

なんでも良いから物作りをしたい、アウトプットしたい!

 

日に日に活力というのか意欲が湧き上がり、何かしたくてたまらなかった

 

外には桜の木が色付き始めている

 

外の温度はあったかいのだろうか、どんな匂いがするのか、外に出たい

 

でもしばらくしたら退院できることはわかっているので落ち着いていた、急ぐ必要はない

 

窓の外は一面のビルのジャングル

 

タンザニアの生活とは打って変わってギャップが凄い

 

普通病棟に移ってから箸やスプーンが有料になる、お湯は無い自分で水をレンジでチンしてくれ

 

とのことだ

 

!?

 

あの窓から見えるはるか下の公園に行って、枝を削って箸にしてたき火すればいいじゃないか

 

しかし外にも出れないときた

 

便利ってなんだ?

 

疑問が湧いて出た

 

この日本を知って育って、ある意味良かったと思った

 

これがタンザニアの田舎で生まれ育ち、いきなりこの環境に入れられたら頭が狂ってしまうだろう

 

順調に回復して、早くシャバで活動をしたい

 

刺し子も終わらせてしまった頃にラップトップを送って貰った

 

その頃には食欲も出て来てよく食べた

 

病院食も機内食のような学校の給食のようなもんで、一体どこの野菜で肉なのか気になったが幸いにも母にFTWという特殊セラミックのアクセサリー型の添加物の刺激をなくしたり、レンジの電波を遠赤外線に帰るという優れたツールを送ってもらったので安心して頂けた

 

上記のようなことがもともと気になっていたのかと言うと、知識的にそれは気にかけていたものの、タンザニアでは毎日ほぼその日に獲れた物、冷蔵庫に入ってない物を食べていたので体感として違いに気付いてしまい、帰国後は単純に熱で食欲が無いのではなく冷蔵庫過敏症にもなってしまったのだ

 

だがもしFTWに効果がなかったとしても、上手いこと思い込めたおかげで調子も良くなり、やり残していたパソコンワークを順々に片付けていった

 

それ以外なにも出来ることがないからこそ集中が出来る

 

意図せずに缶詰状態になれたわけだ

 

オリジナルお香も託していた友達に頼んで仲いいお店に卸してもらったり

 

新しいプロジェクトを考えたり

 

YouTubeライブを試みたり

 

とにかくこの環境でも出来る事をした

 

同じ入院している患者さんとも関わり合い、本好きの素敵なおばさまとお話をした

 

彼女が23歳の頃の事や小さい頃、まだ中央道がない頃にお父さんの車で山梨に行った話など沢山いいお話を聞かせて頂いた

 

ヘモグロビンの値も増えていき、来週には退院とも聞いた

 

退院しても数日後に再び通院とのことだったので東京に滞在し続けようかと思っていた

 

しかしこの時は気付いていなかったが、なんと母を始め沢山の人々が自分のことを心配し祈り、色々目に見えない手も使って支えてくれていたのだった

 

母は「一度山梨に帰って来て欲しい」と言った

 

退院の日が来て、なんとなく真っ先に家族の元に戻った方がいいと感じ一緒に帰ることにした

 

母と幼馴染の大親友も来てくれて荷物を持ってくれた

 

二人の存在にとても安心した、そして外の空気をたっぷり吸った、ん~山梨で空気をたっぷり吸い直そう

 

少し用を済ませ、あずさに乗った、電車も楽なもんだ

 

でも途中で乗って来た客の柔軟剤が臭くてたまらなかった、次の通院は車で行こう

 

山梨はまだ雪が残っている、今年の冬は例年より寒かったらしい、地球って不思議だ

 

一年中ギラギラの太陽の国もあれば雪で真っ白になってしまう世界もあるんだと