「病は気から」

 

ほとんどの人が聞いたことのある言葉だ

 

実は入院中にある方が差し入れをしてくれた

 

「何が食べたい?」

 

そう言ってくれたので

 

「インドカレー」と返した

 

病院食は基本日本の味付けだ、一度タンドリーチキンというメニューがあったが和風だ

 

一番好きな免疫アップ法はスパイス

 

だから「シャバに出たら一番にエスニック料理を食いに行くぜ~」と思っていた

 

しかし差し入れで入院中に食べれるという!

 

届いたのは、ほうれん草ナンと2種のカレー、喜んで頂いた

 

 

とカレーがメインの話ではない

 

その時に、ある本も差し入れてくれたのだ

 

それが「病気が教えてくれる、病気の治し方」

 

T・デトレフゼン、R・ダルーケ著、シドラ房子 訳 柏書房 の本だ

 

ここでは病気、例えば感染症、アレルギー、頭痛や疾患といったものの背景には何があるのかが載っている

 

*引用はヨーロッパ人のイメージや聞きなれない日本語も学術的や翻訳によって登場するが落ち着いて読めばなんとなくわかるはず

 

まず病は気からの説明だ

 

「前略 文字や数字が、背後にある観念を表す形であるように、目に見えるもの、具体的なもの、機能的なものは、観念のあらわれであり、見えないものを仲介するはたらきをしている。中略 芸術を例にとるとはっきりする。たとえば、絵の価値は、画布や絵の具の質にあるのではない。物質は、芸術家の心のなかにあるイメージを仲介し、実現しているにすぎないのである。画布や絵の具は、見えないものを見せてくれる、いわば形而上の内容の物質的表現である。」

 

と、これは全然難しい説明じゃないが形而上(ケイジジョウ)っていう単語はここで初めて知ったので、説明しておくと、「目には見えない領域」

 

上の芸術家の例えはインスピレーションが何処から降ってくるのかということで形而上からと言える、五感を振り絞っても認知しにくいが絶対あるものだ(第六感以降は認知可能)

 

もっと簡単に言うと神も形而上の概念だ

 

だから身体という目に見えるところで症状が出たなら、形而上に原因があるというわけだ

 

その説明に「健康も病気も、人の心身状態をあらわす概念であり、体の部分や器官を指すものではない。つまり体は意識からの情報を受け取って表出するだけなので、病気とか健康とか言うことはできない。体が主体として行為をすることがないのは、死体を考えればわかることだ。生きた人間の体は、非物質的なもの――意識(魂)と命(精神)のはたらきによって機能する。意識の出す情報は、体にあらわされて可視化されるのである。」

 

症状だけでなく、体が何もしなくても呼吸し血液が循環するのもだ

 

無意識の世界と形而上は同じものだと思う

 

人のパーツを持って来てフランケンシュタインみたいなものを作るのは可能だが、果たしてそこに人為的に命を吹き込めるかどうかは、不可能だ

 

この本がいう「健康」とは、意識によって体の機能がちゃんと正常に動き続けること、寝てる間も呼吸は続き、髪の毛は伸びてご飯を食べれば消化されるということ

 

体全体で機能の調和が、バランスが、とれるというのが健康

 

逆に正常に機能しないことを「病気」という

 

乱れは意識から来る、体はそれを表現しているだけ

 

「悲劇が上演される場合、悲惨なのは舞台ではなく、劇である」という例えがすごくわかりやすい

 

さてさて、この本から抜粋したいことは沢山だが入院中には、この前書きすらも読まず退院してからやっと「感染症」の部分だけを読んだ

 

次のブログではその「感染症」の章に入っていく