帰国後海外の美大に入るためにそういう専門の予備校を見つけ、池袋という都心のビル校舎に通った。

 

実家の自分の部屋も好きにいじっていて、ベッドも自作した。というのも少し狭い納戸という物置に近い部屋だったので、クローゼットに半分からだを入れたベッドを作って寝ていた。

 

夜はクローゼットの服を横に寄せて空間を開け、大好きな服と同じ空間で寝ていた。

 

そしてしばらくしてから、僕は祖父母が住んでいた家を片付けながら住み始めた。

 

実家から車で30分ほどの距離で免許もあったので車で通い、片付けと制作と週末は実家に帰ったりプチ一人暮らしを経験した。バイトもちょろっと週に2日か3日ほど早朝の仕事もしたが短期間だった。食材は実家で分けてもらい自炊して、元々家事はできた方だがここで家事のスキルを身につけた。

 

今思えば居抜き物件の祖父母の家の片付けも大分進み、古い壁紙を全て剥がし、大きい家具は解体して捨て、売れそうなものをオークションサイトで売り(それが収入源)自分の空間を作り上げ、友だちを呼んだり結構お氣楽な楽しい生活をしていた。

 

二階建て一軒家は遊びがいがあった。広いと掃除も大変だけど、今思うと働きに行っていないので時間はあったし、何より家に篭るのが好きなことにも氣付いた。

 

僕は7月生まれの蟹座。聞くところによると蟹座は家や自分のテリトリーや空間(殻の中)が好きだし、そこに閉じこもる習性がある。また家庭的らしい。まさにそのような氣がする。

 

だからもちろん外に遊びに行く事もあるけど、あんまりお店に行ったりする事もなく、家に友だちを呼ぶ方が(自分が出向くより人に来てもらう)多かった。

 

スケートボードは頻繁に外に出て昼夜と滑っていた。

 

そして梅雨がやってきた。

 

僕はいつものように片付けと家具の解体をしていた。棚や引き出しの壊し方がよくわかってきた。そして急に虚しさを感じた。

 

というのは、どの家具も作りが簡素だったんだ。一見ちゃんとした木に見えても合板や薄っぺらい板でできていて、それはおじいちゃんたちが集めたものがたまたまそうだったのかもしれないが、そんなものに溢れている空間に驚いた。

 

そしてさらに驚愕な事実が家だった。元々この祖父母の家は建設会社が家の下に産業廃棄物を埋めてから建てていたため、年々下に埋まっているものが朽ちて、家が少し傾いてきていた。

 

傾きがあるのは以前から知っていた。一階のリビングは家の半分から庭にかけて鉛筆が転がるほどだった。しかし傾きはあるところで止まっているようにも感じていたが、壁には少し亀裂もあり、ふと家の素材を見てみると、家具と同様、安い建築材料だったのだ。

 

その頃(昭和)といえばその頃らしいやり方なのかもしれないが、外国人労働者(その人たちを批判しているのではないが)でも組み立てるだけでできる、大工の魂もへったくりもない家が何千万という値段で、かつ30年(しか)が寿命という事実。そしてそんなものが日本中に溢れているのかと思うと寂しい氣持ちにもなった。

 

でも一旦落ち着いて考えた。まず根本的にこの家を買ったのはおじいちゃんだし、買ってもいない僕がどうこう意見を言うのは違うと。そして僕はきっと何千万円を出したり、ローンを組んでそういった家を建てることはしないし出来ないだろうと思った。

 

しかしもしこの梅雨の時期に家が半分でも倒壊し、いらないものを含め大事なものまで濡らして失ってしまっては元もこうもないと思い、本格的な物の整理整頓を始めた。

 

ここからが本当の生活を求める流れができたようにも感じる。

 

家もスッキリして空間作りもいい感じになった頃にHouse Partyと称してお家のお披露目や僕の作品の展示をしたり、友だちがDJをしたりする会も催した。

 

ついでにご近所さんも呼んだ。若者が頻繁に出入りしている家を、どう思っているか知りたかったし、仲良くもしたかったので。