令和7年7月12日、結婚式しました。
入籍は令和6年1月12日でしたので、ちょうど1年半後。マオリも生まれ、仕事も始め結婚式をするタイミングに恵まれていませんでしたが、ご縁あってベルクラシック甲府さんで挙げる事になりました。当初はこんなちゃんとしたところでやれるだろうか、やって楽しめるだろうか、そんな事も考えていましたが結果として、やって良かったと、むしろ期待を何倍も超えて大満足でした。
結婚式をする人が減っている昨今、まだ式をしていない人は是非どんな形であれ、式を挙げて欲しいなと思いました。では少し振り返りのエピソードを綴ります。
今回この式場を使って驚いたことは、まずチャペルのサウンドの臨場感。挙式直前のリハーサルで入場や歩き方、順序の確認で生演奏で音が流れた時「うわっこの音で入場は凄い!」と思いました。ちなみに曲は「ジュピター」真っ直ぐ前方を見つめながら背筋を伸ばして歩くのは快感でした。
多分いつもは神父さんの格好をしている外人さんが、今回は人前式(無宗教の式)だったので、ただ片言で喋る外国人だったのが謎だと思った人もいたでしょうが、それはそれで面白かったかなと。
チャペルの鐘と共に赤い絨毯の敷かれた階段を降りる時、来てくれた仲間が花びらとお米のシャワーをしてくれて、その時初めてちゃんと来てくれた仲間の顔を見て、とっても幸せな氣持ちになりました。
ブーケトスに加え新郎も何かしらトス出来るとのことで、最近作っているハンドメイドのふんどしを投げました、使ってくれると嬉しいな〜
チャペルは割とすぐ終わってしまうので、もう一度やりたいくらいでした。
さてその後は会食のみというプランだったはずが、なんやかんやで披露宴ぽくなり、友人スピーチ、ケーキセレモニー、などを経て充実した時間となりました。
披露宴の会場も豪華で、こんな綺麗でちゃんとしたところでいいんですかと思いましたが、これは社会的にも自分の立場(というのか人間レベル)が上がった証拠だったんですかね、料理も期待していませんでしたがとても美味しく、時間の都合全て食べられませんでしたが、たいてい新郎新婦は食べられないと聞いてはいたので来場者の皆さんが喜んでくれたようで結果オーライでした。
友人スピーチには小学校時代の先生にもお話ししてもらい、サムと名付けてくれた友だちにも出てもらいました。久しぶりに会う友だちも多く来てくれたのが本当に嬉しかった。みんなの結婚式には行くよ、誘ってね。
と、まあ一部始終を語らせてもらいましたが、これは式場の方々によってできた事で、個人的に今回エネルギーを注いだことは「手作り」
今回招待状に「服装は自由、みんなが一番華やかに見える格好で来てね」と書き、自分も手作りの衣装で行きますと意気込んだものの、その時点では何を作るかは未定でした。
しかも式場では、持ち込み衣装に10万円かかると言われ、タキシードも試着したものの、やっぱりここまで来て一生に一度の結婚式で自分らしい衣装じゃなくてどうする!という氣持ちになり、どこから10万出るのか知らんけど持ち込みにしました。(手作りと伝えたのが効いたのか結局10万は請求されなかった、よかったー)
それで式の2週間前の7月1日、和装で行きたいと思っていたので、はた織りで袴(はかま)を織る決意をした。それが手作り第一弾。
母の家に20メートルほどの綺麗な、経糸(たていと)が既にあり、次の日実家に帰っていた梨帆ちゃんとマオリを迎えに関西に行き、そのついでに大阪のさをり織りの本店に閉店ギリギリに行って緯糸(よこいと)を買い込んだ。
糸は家に送ってもらって自分も家に戻ったのは4日の金曜日の夜。で5日の夜から織り始め、毎日朝と夜に少しずつ織る。
さて袴を作るのに余裕を持って7,8メートルは織る必要があるね。でも毎日仕事も家事も用事もある。そして他の手作りも。
手作りの第二弾は「引き出物」これはまず何を入れるかで悩みに悩んだ。式場が用意してくれる既成のも、カタログ。
でもオリジナルがいいなって氣持ちで、先ずはオリジナルグッズを考案。約60個の引き出物、本当に一から手作るのは難しいけどデザインならって、色々試作。
でもアイディアが進みすぎちゃって引き出物向きじゃないかも?って思ったり、そんなこんなで時間も過ぎていく。とりあえず俺のマッチとお香を入れておこう(笑)
そして自分が挽いてる蕎麦粉が使われている蕎麦の乾麺が卸先から販売されていて、それも詰めることに。これなら買うだけで済むけど色々特別なエピソード詰まってるってもの。やっぱり自分の何においても納得のポイントっていうのは、なるべく自分にゆかりのある物、事を選ぶ事にあるんだなってつくづく感じる。
さらに知り合いが以前取り扱っていた商品を詰める小さい箱を沢山持っていて、それを譲っていただける事になり引き出物の箱をゲット。あと中に敷く紙も。
じゃあ箱に合わせた中身を揃えよう。箱は薄くて正方形の箱。お香とマッチを入れ、蕎麦を入れ、後何か長方形のうすっぺたい物。
ん〜迷っていると梨帆ちゃん壁にかかった物を見て閃いた。これお守りだよね?さすが元巫女、これは知り合いが作っている精麻のお守りで、以前車を貸している間に事故除けとして車の借主がもらってつけていたもので、サイズ的にも引き出物的にもいいかもと(締め切り的にも必死だった)連絡をとり、在庫は60個あるとのことで一応バリエーションの現物確認とお守りの説明を聞きに出かけたのは3日前。
箱に入れてみると、とてもいいフィット感。来てくれたみんなに身を守るものっていうのもいいかなと、一応やサイズも渡す人を想像して箱詰めしたのが2日前。いや〜60個一気に箱詰めはえらかった。ちなみに箱を入れる袋は決まっていない。
いよいよ前々日の夜。明日までに布を織りきらないと、縮絨(織った布を洗って縮めて干す)の工程もあるので結局徹夜ではた織り。幸い緯糸はほぼ黒。たまに色を入れるくらいで後は同じ、だんだん眠くもなって、目を瞑っても織れる。たまに椅子で寝て6mほど織り、朝6時10mを織ったところで切り上げ縮絨して2時間ほど寝る。
起きたら実家に行き、仕立ての計画。今回も母の助けを借りて、袴の1/5サイズのサンプルも作ってもらい、布の裁断もしてもらいました。また部分もやってもらって。ってほぼやってもらってるじゃんと、振り返れば思いますが結果よければ全てよし。腰のベルト部分や横とか、まあ〆の部分はやったよ。ここ要だしね。
羽織は以前他の行事の衣装に織った布を使い、それはハサミを入れずはぎ合わせて使っていたので一度解き、持っていた羽織を元に袖部分から生地を裁断して縫った。
さてその間、当日に配る焼き菓子を焼き始めた。4月のイベントから時折作っている金時豆のスコーン。梨帆ちゃんが引き出物用の紙袋も手に入れてきいくれて、一度甲府まで引き出物を届けに行く。ひとつずつタスクが片付き安心感も増していく。後は衣装だ。
戻った後、袴作りの続き。やっと俺の番。どこまで袴に近づけるか、今回準備で何においても大事にしたのは「引くこと」
ここまでしなくてもいいんじゃないか、誰も自分が期待していることなんて想像していない。むしろ凝りすぎるよりも、自分にとっても心が和らぐ選択をする方がかえって他の人にもスッと入っていくんじゃないか、それを学ぶ機会でもあった。だから見えていないところでボツアイディアも沢山?あった。
なんだかんだで夜になり、梨帆ちゃんとマオリには先に寝床に入ってもらい制作。そろそろ眠いし氣力もなくなってきた。諦めることも大事、でも完成しなかった自分を想像した時、これは今まで生きてきた成果が出てないと思った。
もう頭もあんまり回らないけど、やることさえ決まればできる。決まってないことを形作るのが一番難しい。とりあえず袴が履けるには腰の紐が必要、そして袴といえば、ひだ。ひだを作って前後の腰紐を縫い(これはいつも作ってるふんどしの成果)ひだがうまく出るように裏からも縫う。
これでなんとか完成。見た目も良い(はず)。履き物もちょうどドイツ在住の姉の相手の(だから義理のお兄さん)の雪駄と足袋があって、それを借りてやっと安心して寝れる。
結婚式当日。いつも通り5時に起きてハートを9個縫う。ハートっていうのは、これもはた織りで以前おった布にフェルトの裏地を縫い付け、それをハートの形に縫って切り取り(縫わないとほつれる)それを式に来た人に受付で配り、梨帆ちゃんの描いた大きなハートの絵に貼り付けてもらうというキャストとゲストの共同制作。(ちなみに絵のキャンバスフレームも生まれて初めて作って張り付けた割には上手くいった)
そのハート前日に知り合いに手伝いに来てもらって11個制作済み。当日の朝9個制作。合計20個。来場者60名。なんとか始まる前にあと40個。ここまできて止めるわけにもいかず、ミシンを2台持って式場へ。
まずは新婦のネイルと衣装の準備に9時現地到着、新郎は11時に着れば12時の親族紹介に間に合う。制限時間は約2時間。
控室でミシンをセットし母キャンティとタカタカ縫い始める。新婦姉と新郎父も手伝う。間に誰かしらマオリの相手をする。
いよいよ11時。ハートは60個できた。もうこれで何も悔いは無い。いざ出来立てホヤホヤの衣装をお召に行く。
後は何も考えていない、直前にスタッフから教わったことをして指揮に挑む。そんな感じで当日を迎えた僕にはすでに十分な達成感があり、それに加えて式場の用意してくれたこと全てが良く、来てくれた人たちも喜んでくれたようで、もう人生で一番納得のいく日だった。これが今まで培ってきた事の結果なのかな、自分の想像を超えていてとてもとても幸せ。
そしてついには迎えた27歳の誕生日(19日)いよいよ俺の人生の新しいステージの幕開けの予感!


