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2019年6月に

結節性リンパ球優位型

ホジキンリンパ腫ステージⅣを発症。

 

2度の抗がん剤治療で寛解に至らず、

2020年10月に1度目の余命宣告

 

2022年2月には

2度目の余命宣告で「余命半年」

を告げられました。

 

病気のことや、

1人娘の風花に向けたメッセージを

綴っています。

 

最初のブログはこちら↓


宣告を受けた時のこと↓





1つ前の記事は↓から




脱毛が終わった頃に猫が亡くなりました。





2017年の夏に突如として家の前に居着いた猫。


まだ幼いのに夫婦連れのタヌキからテリトリーを奪った武闘派の男の子。


妙に娘に懐いたので家族として迎え入れました。




娘さんは「ミント」と名付けました。


「犬派、猫派」でいうと自分は犬派だとおもっていましたが、初めて一緒に暮らした猫はモフモフして柔らかくてなんとも可愛かったです。





なんとも大胆な寝相で先住犬も驚きの表情。


武闘派と思いきや家の中では穏やかで、何をされても「シャー」と威嚇することはありませんでした。





前年の暮に家族3人とワンコと猫さんで島根から東京へ引っ越しをしていました。


引っ越して3日後にワンコが老衰で旅立ち、8ヶ月後に猫さんまで虹の橋を渡ってしまいました。


「命を減らしに来たようなものだな」


ついつい考えてしまいます。





死因は喧嘩による傷。


この頃住んでいた家の窓はダブルロックが掛からず、元野良で自由を愛する彼はたまに脱走していました。


自分が入院した日にも彼は脱走していました。


相方さんと娘さんでだいぶ探したようですが見つからず、退院して5日過ぎた頃に傷だらけになって帰ってきました。

暑い時期に負った傷口からは膿が滲み出ています。


急いで動物病院に連れて行き抗生物質の注射を打ってもらいました。


『勇敢な猫ですね。逃げて受けた傷が1つもない。』


お医者さんは言ってくれましたが、気休めにもなりません。

臆病でいい。ちょこちょこっと戦ってサッと逃げていたらこんなに傷を負わなかったのにと考えてしまいます。





普段は人と寝たがらない彼でしたが、逝く3日程前からは一緒の布団で寝たがりました。


不安だったのでしょう。


最後の日は朝からずっと自分のお腹に引っ付いて寝ていました。


夜、シャワーを浴びようと娘の膝に座らせると不意に


「あっ、ミンちゃんが死んじゃった」


最期は娘の膝の上がよかったのかな。


死後、驚く程大量の黒い水が口から出てきました。


何頭も動物の死に目に立会いましたが初めての経験です。


苦しかったんだね。


我慢せずに出しておけばよかったのに。


彼が逝った後、近所の野良猫でボスとして君臨していた猫の姿を見なくなりました。

壮絶な相打ちだったのでしょう。


そこまでして戦わなくても、


どうしてもそう考えてしまいます。


『もう一度、猫と暮らしたいな』


たまに呟くと


『猫じゃなくてミンちゃんと暮らしたいんでしょ』


と、相方さんに突っ込まれます。


そう。その通り。