James Setouchi

2025.9.22(月)

 

NHKスペシャル「戦国サムライの城」第2集 R7.9.21(日)9時から放送

 

*再放送などで御覧下さい。家康たちは平和な世を作りたかったのだということがわかる。

 

 Nスペ「戦国サムライの城」前回の第1集が面白かったので第2集も見た。

 

(内容を簡単に紹介すると)

・戦国末期わずか15年ほどの間に築城ラッシュがあり、80もの城が建てられた。軍事要塞(ようさい)と思われていたが、最新研究の結果、平和をもたらすものだということが明らかになってきた。

 

・代表例は名古屋城。家康は安土城(信長)、大坂城(秀吉)よりも立派なものを作り権威を見せつけようとした、外様大名たちを競わせ忠誠心を試そうとした、彼らの財力を削(そ)ごうとした、という面があるが、

 

中井正清というカリスマ統領のもとに多くの大工が集まり、法隆寺以来の木造建築の到達点とも言える美しい天守を築いた。

 

・朝鮮出兵以降「矢穴技法」という新しい技法で巨石(3トンもの)を切り出した。

 

・石の積み方は大名によって違うが、大名同士が協力し合っている面も見られる。

 

・松江城が好例だが、城を中心に城下町を作り掘り割りを含め水運によって商業が発展する形になっている(それまでの山城=軍事要塞=ぐんじようさい)と違う。

 

・家康も大名たちも天下太平を願っていた。

 

世界の他の城(イギリスのビーストン城、ルーマニアのポエナリ城、スペインのセゴビア城など)と比べても、日本の城は、多くの人が住む都市の中心部とつながっているという特徴がある。そういう城下町が各地にできあがった。政治とは別に経済が発展する礎となった。江戸時代の城下町は明治以降現在まで県庁所在地になる・・つまりここ400年から500年の社会の基礎を築いたと言える。

 

(感想)

・石垣の積み方をコンピュータで解析(かいせき)して、大名同士が協力し合っていたところまで推測するとは、研究方法もすごいことになっている。昔の、(考古学は別として)文書史料で証拠があるないという研究方法から見れば、全く違う新しいやり方で、恐れ入った。歴史学研究にも工学部の技術が応用できるということか・・

 

・家康が平和な(戦乱のない)世の中を作ったことは事実。身分制もあれば富の独占もあれば飢饉(ききん)などもあったので徳川時代を全肯定することはできないが、少なくとも戦争だけはなかった。お蔭(かげ)で松尾芭蕉(『奥の細道』ほか)も弥次さん喜多さん(『膝栗毛(ひざくりげ)』)も安全に諸国を旅することができた。明治以降は貧富の差は却って拡大し対外戦争をしばしば行い結局国土は焦土(しょうど)となった。「江戸が悪で明治近代が善」というわけではない。

 

・それにしても現場で働いている人々というのはどのような人々なのだろうか? 流れ者もいたからうまく統率(とうそつ)しないといけなかった、などと番組では言っていたが・・私見だが、戦争がなくなり兵士が失業して建設業に流れ込んだとして、彼らもまた「戦乱はもう二度とイヤだ」という厭戦(えんせん)気分を共有していたから、協力し合えたのではないか? という気がする。秀吉の刀狩りあたりですでにそうなっていたのでは? あれは上から強制的に取り上げたと言うより、もう戦争はイヤだと思った多くの人が進んで刀剣を差し出したと聞いている。

 

巨大な城を作って自分の権威を見せつけるよりも、皆のために道路、水路、港、田畑、ため池などをメインで作った方がいいのでは? とはやはり思う。行基(ぎょうき)菩薩、弘法大師空海、市聖(いちのひじり)・空也(くうや)上人らはそうしたと言われている(伝説かもしれないが)。

 

私の近隣にもお城ではないが小型の石垣が沢山あり、斜面や棚田を支えている。そこに道もあるし人も住んでいる。これらは、いつ誰が作ったのだろうか? 地震や豪雨で壊れないのだろうか? 壊れたとき(または壊れないように)メンテナンスするのは、一体誰なのだろうか? 

 

・名古屋城の建設費は分担する大名の持ち出しだった。有吉佐和子『紀ノ川』では、地元の有力農家が人びとを率いて紀ノ川の堤防を補修するところが出てくる。島崎藤村『夜明け前』には、地元の有力な旅籠(はたご)が、周囲の人々を率いて中山道を整備するところが出てくる(お上から多少は出ている)。彼らは、日頃から富を集めていて、その財力があったのだろうか。では、現代でも、田舎の石垣の補修や道路の補修は、大企業や富裕層が私財を投じてやれ、と「お上」が命令したら、大企業と富裕層はやるだろうか?(やらないだろう。) ・・他方、何でも地元住民が私財を投じてやれ、と言ってもその力はないので、みんなが逃げ出すだけだ。(現に逃げ出している。)石破さんと森山さんは地盤が田舎なのでそのつらさが分かっていたはずだったのだが・・(高市さんも地盤が奈良なのでわかっておられると期待したいが・・)

 

・戦国期までは我々は愚かな内戦を続けていた。徳川で平和になったが、幕末維新でまた内戦と対外戦争を繰返した。愚かなことだった。それでも1945年以降私たちは戦争をやめた。これが賢明な選択というものだ。

 世界中で戦争をやめるはずだ。朝鮮戦争もベトナム戦争もカンボジアやユーゴの内戦もやめた。ルワンダ内戦もやめた。キューバ危機も回避した。東西ドイツは平和裡に統一した。フランスとドイツも和解した。冷戦は終わった。どこかで(ほら、あそこやあそこですが・・)まだやっているが、直ちにやめるべきだ。

 突然だが、八神純子という歌手の「ミスター・ブルー(Mr.ブルー)~私の地球~」という歌が突然飛び込んできた。1979年の歌だそうだ。歌詞の2番で「ふるさとを聞かれたら迷わず地球と答える」「争いという文字が辞書から消え去るその日まで」と八神純子は歌う。1979年の段階でこの歌詞は、戦争・紛争・テロのたぐいがなくなることを祈願し予見している。(またこの歌は地球環境問題・生態系の歌でもある。「すべての命がここに生まれここに生きてる」(1番)「かけがえのない海と大地を愛してゆきたい」(2番)と歌っている。)歌詞の言うとおりだ。戦争などしている場合ではないのだ。

 この歌(特に2番)に英訳・各国語訳をつけて(または英訳・各国語訳で歌って)世界中に広めたらいいのではないか? (参考までに、パウロは、私の国籍は天にある、と言った。キリスト教徒なら誰でも知っていて連想する。)この歌は戦争をやめさせる力がある、世界に広がると私は思うのだが・・八神先生、(他の方でもいいが、)あと一踏ん張りお願いできませんか? 東京外大と大阪外大の方、どうですか?

 

2025.9.26付言 

 映画『沈黙の艦隊』(実写版)(第1作)を見た。TVで二夜連続放送だった。原作マンガは見ていない。

・(ネタバレ)最高級の原潜が独立国家「やまと」を名乗り日本と友好条約を結び、「やまと」と自衛隊が国連の指揮下に入る。という話。

・どう考えてもおかしいのは、原潜も時々は浮上して水や食糧を補給しメンテナンスもしなければならないのに、そこがあいまいになっている。ミサイルや魚雷も使っているが、使った分は補充しないといけないどこかから買うなら、対価が必要だが。独立国家「やまと」が売るのは軍事力しかないので、結果的に「傭兵(ようへい)=金で雇われて戦う兵」のような存在になってしまうのでは? そこは平和国家・日本と友好条約を結んで解決するということなのだろうか?

・日本は事実上アメリカに支配されている、そこから独立するためには独自の軍事力が要る、という安直な主張に流れてしまわないか? 日本は食糧もエネルギーも各種資源も他国依存だ。「軍事力を持ちさすれば」と言うのは甘すぎる議論(現実を見ていない空論)だ。

・映画ではアメリカは「やまと」をテロリストと見て殲滅(せんめつ)しようとするが、日本は独立国家として承認し友好条約を結ぶ。これを、パレスチナをテロ集団と見做(みな)して殲滅すべき(例のあの人はそう考えているのだろうか・・)か、いや、ペレスチナを独立国家として承認すべきか、という問いと連動して捉えることもできる。視聴者の何割がこの問題と連動して捉えただろうか?

・「国連の指揮下」と言うが、国連が必ずしもうまくいっていないことは周知のことだ。また国連軍(PKFなど)が戦争当事者になる、感染症を現地に持ち込むなどの問題も既に指摘されている。それでも現時点では国連(ユニセフやWHOやWFPなど)を有効に活用することは相当程度有効だから、某氏のように国連なんか要らないと言ってしまうことは乱暴すぎる議論ではあるのだが。当面軍を持ってうんぬんではなく経済やヒト・モノ・カネの平和交流が世界平和のために(自国の安全のためにも)きわめて有効だ(さらに軍産複合体を監視し禁止し解体することが有効だ)と私は思うのだが・・?

・大沢たかおが無表情・絶叫調でない低い声で演技していたのはよかった。玉木宏が沈みそうなときだけ大沢は苦しそうな顔をした。

 

(参考になるかも知れない事例)

・ルワンダでフツ族とツチ族の対立は悲惨な虐殺(ぎゃくさつ)を生んだが、その後国内融和(ゆうわ)につとめた。

・南アフリカでアパルトヘイトをやめた。白人も黒人も共に生きる世界を作っている。

・アメリカではユダヤ人は差別されていた時期が長かったが、今やそうではない。

・ドイツはかつてユダヤ人を虐殺したが、今やそうではない。むしろ人権を大事にする国家だ。

・日本はアメリカと戦争をしたが今は全く平和国家になり、親米的な人も大変多くいる。それどころか圧倒的大多数は親米的だ。

・日本と韓国も今や仲がよい。まずは、国民同士が仲がよい人が多い。政府同士も友好的になってきた。(高市さん、こわしてはいけませんよ。)

・フランスとドイツは歴史的に争ってきた時間が長かったが、今や協調し合い共に生きている。

・イギリスとアメリカも実は戦争をして、アメリカがイギリスから独立した。然し今は英米は非常に仲がよい。

・東ドイツと西ドイツは戦争をしないでひとつの国になった。

*イスラエルとパレスチナ(ガザ、ヨルダン川西岸)もできるはず。

*ロシアとウクライナもできるはず。

*プーチンとネタニエフは世界史の教科書に載(の)るような汚名(おめい)を残したが、今すぐ戦争をやめれば「賢明な判断だった」とまだしも言ってもらえるかも。ロシア国民やイスラエル国民の生活のためにも戦争をやめるべきだ。もちろんウクライナやガザの普通の人のためにも。

 

以下は長くなったのでテーマ「ブログ」にも重複再掲しました。さらに加筆しています。そちらもご高覧いただければ幸いです。(R7.10.12)

*2025.10.4付記 高市さんと高市さんを応援した方へ

 念のため先に申し上げると、私は「支持政党なし」のいわゆる「無党派層」ですが、日本国民で有権者です。一応申し上げておくと、私は先祖代々の日本人です。(それで他国の人を貶(おとし)める気ももちろんありません。皆で仲良くやっていきたいというのが私の願いです。)

 高市さんが自民党総裁になりました。正直、心配で不安です。(ごめんなさい、私は林さんがよかった。官房長官や大臣を何度もされた実力者です。)

 もともと自民党内部の見苦しい派閥争いで石破さんを引きずり降ろした上での総裁選でした。私は昔の派閥争いを思い出してうんざりしていました。高市さんはタカ派と言われていますが、以下のことに気をつけないと、自民党は次の選挙で大敗します。(参政党や保守党の支持者の方もお読み下さい。)

 

①     憲法を変えてはいけません。折角先人たちが平和日本を築いて80年が経ったのに、それを壊してはいけません。戦後戦争をしていないのは日本、北欧諸国、ブータンなど。値打ちのある国です。そういう国を増やしていきましょう。憲法に軍を明記したら徴兵制になる危険性が増します。戦争に行って殺し合いに参加させられるのは、あなたとあなたの家族です。無責任に戦争を煽ってはいけません。戦争になるとミサイルやドローン攻撃機が東京や大阪に飛んできます。

 日本は食糧もエネルギーもありません。世界の人びとと仲良くするしか生き延びる道はありません。これ以上軍備にかけるカネはありませんこれがリアルです。上下水道や耕作放棄地や空家や河川(かせん)や山林や道路や電気・電線や鉄道や病院や学校や福祉施設や保育所などなど、種々のインフラに課題が山積みで、その対策に大変なコストがかかります。コメも高く、石油も高く、多くの人が暮らしに困っています。その解決が先です。

 言うまでもなく、核を持ち基地を持てばそこが危険になります。工作員とドローンが狙(ねら)ってきます。核と軍隊があれば安全だと言うのならご自宅にその基地を置かれるつもりがおありですか? そこが攻撃対象になりますよ。怖ろしいことです。戦後80年間平和でやってきた先人の努力を、壊してはいけません。いや、秀吉のときの刀狩り、明治の廃刀令(はいとうれい)、戦後の武装解除も、すべて、日本人自身が「もう戦争はイヤだ」「殺しあいは金輪際(こんりんざい)イヤだ」との強い思いから選び取り参加してきたはずでは? 

 国内に山積する問題(内憂)を、外国勢力が脅威だという問題(外患)にすりかえてはいけません。有権者(国民)は騙されてはいけません。今の憲法の保障する国民の人権や福祉を大事にし一つ一つ実現することをまずやって下さい。

 

②     靖国(やすくに)は恣意的(しいてき)に一部の人(やや丁寧に言えば、長州を中心とした一部の人が味方と認定した一部の人。御所(ごしょ)に大砲を撃ち込んだ久坂玄瑞(くさかげんずい)を含む。朝敵(朝廷の敵。天皇の敵)とみなした西郷隆盛や江藤新平や会津の人を排除する。日本を焼け野原にした責任者の典型とも言えるA級戦犯の軍人たちは祭られている)しか祭らないおかしな神社です。大日本帝国が戦争遂行(すいこう)のため(国民を兵士として死なせるため)に拡充してきた神社です。靖国神社は江戸時代まで存在していません。靖国神社は日本人の長い長い伝統には存在しません。縄文(じょうもん)人も弥生(やよい)人も古墳(こふん)時代の仁徳(にんとく)天皇も聖徳太子(しょうとくたいし)も中大兄(なかのおおえの)皇子も持統(じとう)天皇も光源氏(ひかるげんじ)も一遍(いっぺん)上人も北条泰時(やすとき)も後醍醐(ごだいご)天皇も足利義満(よしみつ)も豊臣秀吉も徳川家康も、靖国神社を拝んだことは一切ありません。靖国神社はもともと幕末維新の大村益次郎(ますじろう)が作ったのです。

 敵味方の区別なく鎮魂慰霊する日本人の精神の伝統(敢えてそう言いましょう)、戦争がイヤで刀狩りや廃刀令や戦後の武装解除に進んで応じてきた日本人の平和を愛する精神の伝統について、もう一度学び直してほしいと思います。ヒロシマで「安らかに眠って下さい、過ちは二度と繰り返しませんから」と祈り、オキナワの平和の礎(いしじ)でアメリカ人も日本人もない、戦争で死んだ人は全員悼(いた)む、二度と戦争はしない、と祈るのが、まっとうな祈りです。これが戦後80年の平和を支えてきたのです。(戦前は1868年の明治維新からわずか77年、1945年に大日本帝国は焼け野原になって亡びました。国民が多く死に、家を焼かれ、都市も破壊されました。世界からの信頼も失いました。指導者がミスリードし、国民も間違えたのです。)

 かつ靖国は民間の神社であって、政教分離の原則からも首相が公式参拝すべきではありません。(真言宗の首相が高野山に公式参拝したり、カトリックの首相がカトリック教会に公式参拝したり、神道禊教の首相が神道禊教の神社に公式参拝したりなどしたら、おかしいでしょう?)

 

③     これは長年の課題であって、高市さんだけの問題ではありませんが、一部の人が利権を握り多くの人を踏みにじるのはやめてほしいです。一部の弱い人貧しい人困っている人を多数で踏みにじるのもやめてほしいです。「同じ日本人」なのによく平気でそんなことが出来ますね・・・? それに、あなたの会社は、お客あっての会社です。日本人全体が貧しくなれば、あなたの会社ももうからなくなります。今国籍がなくても現にこの列島に住んでいる人についても同様です。一緒に暮らし働く仲間でしょう? 思えば縄文(じょうもん)人、弥生(やよい)人、古墳(こふん)人と、アジア全体から(東や南の海からも)様々な人が集まってきて今の日本人になったのですから・・・私たちは長所を生かしあい助け合って生きるしか道がないのですよ・・戦前は国内に貧富の差、貧困があり、分断があって、暴力に頼って国内でもテロが続発し対外的にも戦争を繰り返した挙げ句、帝国は滅亡しました。あれを繰り返してはいけません。

 

④     ウソのニュースを流すのもそれを誤魔化すのもやめて欲しいです。新聞報道によれば、「外国人を逮捕しても通訳が間に合わず不起訴にせざるを得ないと聞きます」と高市さんは発言しました。新聞が警察庁に問い合わせたら、通訳を確保できないという理由で「起訴すべき事案を不起訴にした事例は、聞いたことがない」との回答でした。高市氏の事務所に問い合わせたところ、「そういう話が出回るくらい国民に不安が広がっているという意味だ」と答えたとか。これは最初の発言についての言い逃れの誤魔化しに見えます。事実でないことを発言し外国人に対する敵対感情をあおり、誤りを指摘されると謝罪せず誤魔化して言い逃れする、というのは、いけません。(内憂(ないゆう)を外患(がいかん)にすり替えるのは不可!)A政権のときあそこやそこでウソが蔓延(まんえん=よくないものがひろがること)して、真面目な官僚が自死に追い込まれたこともありましたよね!? (ウラ金もT一教会もその現れでしょう。自民党はウラ金やT一教会から離れクリーンな政党に生まれ変わろうとしていたはずですが!?)かつては政治家秘書がよく亡くなりました。怖ろしいことです。ああいうことはやってはいけません。誠実正直である(特に、自己の欲望や偏狭な信念に忠実であるのではなく、真理や他者に対して誠実正直である)とはどういうことか、今一度考えてほしいものです。孔子は「政は正なり」と言いました。為政者がまず自らを正せ、と権力者に迫った言葉です。

 また高市さんは、あやしい人は何でも逮捕してしまえと煽っているようにも見えます。日本を全体主義の不寛容な国家・社会にしてはいけません。怖ろしいことです。戦前は何でもかんでも非国民だスパイだと人を逮捕・監禁する社会でした。幸徳秋水(こうとくしゅうすい)は冤罪(えんざい=無実の罪)で死刑になり、小林多喜二(こばやしたきじ)は警察に暴行され殺されました。牧口常三郎も獄中で死去しました。今どこかの全体主義国家でそれをやっていますよね。おや、今の日本もSNSでやっていますか? 怖ろしいことです。くわばらくわばら。日本は全体主義国家ではなく自由な国のはずですよね? 思想・信条・言論・信教も自由。移動の自由、居住の自由、職業選択の自由などなど。真理の火と自由の火を絶やしてはいけません。

 

 いかがですか?

 

⑤     高市さんは「働いて働いて・・・」と言われたが過労死した家族を抱える人びとにとっては納得できない言葉です。私もオーバーワークの人生でしたが今はよくなかったと思っています。首相が(高市さんはまだ首相ではありませんが)「働いて働いて・・」と言うと、各大臣・副大臣も猛烈に働くことになります。二宮尊徳は2時間睡眠で頑張ったとされています。本当に2時間睡眠を継続したら身心に不調が生じ政策判断に狂いが生じます。やめてください。大臣や副大臣が猛烈に働くのは(実際石破さんや林さんは猛烈に働いていた)エリートだし俸給も多いのだから仕方がないかも知れませんが、大臣・副大臣が猛烈に働くということは、必然的に、彼らに言われて情報を集めて提供する官僚たちが猛烈に働くことになるということです。官僚が全国にデータ提供を求めると、全国の県庁や市役所の人も多忙化します。公務員だから当然だと言えば言えますが、今現在公務員はすでに多忙でパンクしかけだ、と私は感じています。たとえば災害の時に誰が駆り出されていますか? しかも給料は仕事量の割に高くありません。全国の官僚・公務員の人たちは、高市さんの発言に、「え~、これ以上まだ働けと言うのか?」と感じたのではないでしょうか? 某大学名誉教授(労働法)も「古い日本の価値観を引きずったような発言で、非常に残念だ」「海外ではトランプ大統領でさえ休暇を取っている。時代に逆行した振る舞いにならないよう、政治家として正しいメッセージを発信するべきだ」と指摘しておられます。この点「ライフワークバランスが」と直ちに指摘した石破さんはやはり偉かったと思います。みなさん、おわかりですか?

 それに高市さんが「働いて働いて・・」と言うとき、何のために何をもって「働く」と考えておられるのでしょうか? 

 GDPを稼ぎ出す働き方だけだとしたら、視野が狭いと言わざるを得ません。そもそも人間をGDPや国策のための手段にしてはいけません。人間はそれ自体尊厳ある存在であって、それ自体が目的であるべきで、何か他のもの(GDPや国家など)の手段にしてはならないのです。(最悪の例が特攻です。国民を戦争に勝つための手段として使い捨てました。)この視点は人権・福祉の基本です。カント哲学の入門書を復習なさって下さい。

  「好きで働いているのだからいいじゃないか、これは天職だし」という人もいていいと思いますが、しかし、「私は長時間好きで働いてきた」と豪語するあなたに申し上げますが、あなたには世話をするべき老親と病弱な配偶者と弟と小さい子がいます。あなたが好きな仕事に好きなように打ち込んでいる間、その人たちは放って置かれます。あなたは、ケアすべき家族をほったらかして自分の好きな自己実現や金儲けにうつつを抜かしている、エゴイストなのです! そうじゃありませんか?   

 ケアすべき相手との共生は、「ライフワークバランス」というときの「ライフ」に入るのでしょうか、それとも「ワーク」に入るのでしょうか。賃収入0円だから「ワーク」ではないとすると、「ライフ」ですかね。・・この視点を忘れてはいけません。

 それで言うと、現代社会においては、所得0円(報酬0円)で働いている人が沢山います。早い話が家庭内の高齢者(しかも認知症だったり骨が折れていたり)や障がい者の世話は(子育ても)タダで(無報酬で)やっていますよね? 町内会(祭りだけじゃないよ)の世話、民生委員(高齢者が沢山いてお世話が大変。ボランティアです)、PTA役員(大変なのでなり手がいないほどです)、放置竹林や耕作放棄地や空家周辺のケア、山間部の土手や田畑の水路の補修や神社の清掃などなど、地域の住民がタダで(無報酬で)やっています。高市さんは(玉木さんも)(吉村さんや前原さんも)そこまでいつも視野に入っていますか? 

 更に言えば、お坊さんがひたすら坐禅する、広大な寺院の敷地を隅々まで掃除する(作務(さむ)=修行だとされる)、詩人(宮沢賢治のような)や絵描き(ゴッホのような)や音楽家(教会で奉仕しているオルガニストなど)が商業ベースでなくいい作品を創作しても所得は低く世間的にも報われないまま、学者(研究者)が安直で簡単な論文を量産するのではなくコツコツと数十年の努力を経て人類の知的遺産と呼べるような大作をものす(丸山真男『「である」ことと「する」こと』参照)、親鸞聖人が関東から京都への長い長い旅を経てついに『教行信証』を書き上げる、キリストがつねに人びとを癒しつつそれは金銭(対価・成功報酬)を目指したものでは全くなかった、お釈迦様がただひたすら5年間の猛烈な苦行に打ち込み耐え続けた、などなどの場合を想定していますか? 

 ぜひお考え頂きたいものです。

 

 いかがですか?(この項R7.10.6追記)

 

⑥     その後の報道を見ていると、自民党の党役職は、麻生派優遇、総裁選での論功行賞重視で、「第2次麻生内閣」と揶揄(やゆ)されているとか。(厳密にはまだ党要職人事であって内閣人事ではない。高市さんは党総裁であっても日本国総理大臣ではない。)麻生さんは、石破さんが総裁になったときあからさまに不機嫌な顔をしてしばらくひっこんでいました。今回は満顔の笑顔ですね。政治家というのは、国民のために尽力すべきなのに、自分のプライドやメンツや敵愾心(てきがいしん)を優先して動いているとしたら、つまらないことです。(R7.10.7追記)

 

⑦  教育勅語についても一言。

(1)儒学の概念を多用しており、神道・国学の「漢意(からごころ)批判」(=中国人の、不自然な、わざわざことさらに人為的に道徳をあげつらう態度を、人間社会の本然に反したものとして批判する)の立場から見れば、「漢意」そのものだ。「日本の伝統」とは言えない

(2)西洋近代の国家主義を真似(まね)て中央集権的な大日本帝国を作る過程で政治的意図で慌てて作ったものであって、「日本の伝統」とは言えない。紀貫之や藤原定家や本居宣長が聞いたら驚くだろう。

(3)天皇中心の勅語であって、民主社会(国民主権)の教育方針に背いている。

(4)日本の国会において日本人自身が排除・失効を決定したものである。

(5)立派な文言を国民に押しつけた割合には、政治家・財閥はじめ明治~昭和のはじめのリーダーたちは自分たちだけで利権を独占し勝手なことをしていた。真に「常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ」を実行していたリーダーたちがどれほどいたのか? 坂口安吾が「嘘をつけ!嘘をつけ!」と叫んだのは当然だ。今の政治家たちで「憲法を重んじ国法に遵(したが)って」いる人がどれだけいるのか? そういう立派な政治家は本当はいるよ。でもアベさんは憲法(と戦後長年やってきた解釈)を踏みにじった。高市さんはアベ派でしたっけ?

(6)「忠」の意味は? 孔子においては本来「真心を尽くす」というヨコ関係のものだ。教育勅語が「忠孝」と併称するとき、「忠」は主君(ここでは天皇陛下)に忠義を尽す、という意味の、タテ関係の意味ではないか? 孔子が見たら「おかしい、私はそんなことは教えていない」という類いのものだろう。本来の儒学から見てもおかしいのだ。教育勅語を書いた元田永孚(ながざね)は水戸学だ。水戸学(特に後期)が儒学の正統を歪めたのだ。日本の伝統などではない。朱子学が既に儒学の正統から逸脱している、という立場も有力なのだ。(孔子が朱子学を見たら「私は窮理居敬(きゅうりきょけい)など教えていない」と言う。漢代の儒学から見ても朱子学は「何、それ?」というものだ。唐代でもまだまだ。南宋の新思想であって、朱子生誕の1130年からまだ900年も経っていない。(今は2025年。)つい最近の思潮なのだ。伊藤仁斎の古義学を見よ。朱子学は仏教・老荘思想の影響下にある、と言っている。)高市さんはそれをご存じないか、わざとウソを言っているか、どちらかだ。

 子どもの頃から教育勅語をしこまれてきたそうで、このような指摘を受けると、長年の認識を変えないといけなくなるので、今は辛いかもしれませんが、学問的に正しいことは正しいと受け入れる謙虚さを持たないといけません。教育勅語にも「学ヲ修メ」とありますよね。真理に対して謙虚に学ぶことがまずは一番大事です。多分この方面の勉強が足りないのでしょう。それとも、少しは知っていてあえてウソを言っているのでしょうか? 政治的意図でもってごり押しするのはアベさんだけでやめてほしいものですね。(10.10追記)

 

⑧     2025.10.10夕方付記。

 そうこうしていると、公明党が自公連立政権から離脱する、というニュースが飛び込んできた。中継で公明党の斉藤鉄夫代表と西田実仁幹事長の記者会見を今さっき見た。

 公明党は26年間続いた自公連立政権から離脱する、理由は自民党の高市新総裁と協議して「政治と金」の問題に明快な回答が得られなかったからだ、ということだった。

(私は「支持政党なし」の「無党派層」の一人で日本国民の有権者の一人だが、)

 「政治と金」の問題では、恐らく公明党と共産党がもっともクリーンだろう。(もしかしたられいわ新選組も? 企業から貰っている感じがしない。)

 お話しの中で、連立政権では公明党員が自民党候補を応援しないといけないわけだが、自分の公明党ではなく自民党が起こした「政治と金」の問題で公明党の人が一生懸命説明して「自民党に入れて下さい」と言うのに、地方の人たちが「疲れてしまった」と言っておられた。そうだろうなと思う。今まで公明党の人は一生懸命自民党の人を応援してきて、公明党は報われているのかな? とよそながら心配してきたところだ。公明が離脱すれば、今まで公明党の献身的な努力で辛うじて当選してきた自民党、は次の選挙では厳しいだろう。

 思えば公明党が自民党と連立を組む中で、平和や福祉など、自民党の中のいい部分を引き出し、自民党が一般の国民をお留守にして暴走することがないように歯止めになってきた、という面もあるだろう。

 NHKの日曜討論(2025年5月25日)の年金改革の会で、他党は言わない中で公明党(里見隆司氏)だけが「今回は働く方がテーマだったが、障がいや病気で仕事が出来ない方のこともしっかり考える必要がある。3号被保険者についても、やはり最後まで働けない、所得がないという方々の制度は、何らかの形で残す必要が出てくる。そうした論点はしっかり認識する必要がある。また、制度改正とともに運用が非常に重要だ。最近、障がい年金について不支給決定が一昨年から昨年にかけて倍以上、3万人を越えている。どう適正化するか、運用面をしっかり取り組んでいく必要がある」と言われた。このことは強く印象に残っている。全くその通りなのだ。色んな理由で働けない人や、無報酬(タダ)で働いている人(家庭内や地域内で)へのいたわりの思いがそこにはあった。公明党が付いていれば自民党の良質の部分を引き出してくれるし悪い方(極右全体主義の方向)への暴走を止めてくれるという印象もあった。 

 公明党は自公連立でできたこともあったが、できないこと、我慢してきたことも沢山あった、とのことだった。もう我慢の限界だ、ということだろうか? 記者の質問に(西田幹事長だったと思うが)答えて、「これからは立党の精神に立ち返って改革中道の政党としてやる」という一幕もあった。

 「政治の空白をこれ以上長引かせるべきではなく、補正予算の成立など国民のために早くしないといけない」とも斉藤さんは言った。その通りだ。国民の生活を放り出して派閥争いをしている人たちは猛省すべきだ。 

 拝見しながら(念のために言うが私は公明党員でも創価学会員でもないが)、斉藤さんの穏やかなお顔と落ち着いた話しぶりに、大変尊敬と親愛の気持ちを抱いた。記者からの各方面からの質問にも、誠実に傾聴し落ち着いて丁寧にかつ的確に答えておられた。恐らく大変頭のいい方なのだろうが、それを振り回すのでもなく大変謙虚にしておられる。何だか感動してしまった。こういう父親や祖父や先生がいればいいと思った。斉藤さんが首相になってくれればいいと思った。野党のみなさんと自民党の心ある皆さん、斉藤さんに首相になっていただくというのはどうですか? 大臣などスタッフは皆で支えればいい。斉藤さんは国土交通大臣経験者で鉄道にも強い。全国で課題山積である国土交通(特に地方は大変)関係にも力を発揮してくれるだろう。広島が出身・選挙区だから核や平和についても当然しっかりしたお考えを持っておられるはず。信頼できるのではないか? これは私は公明党から頼まれて書いているのではない、記者会見を見ていて素朴にそういう感想を持ったのを、(私は素人ですが)あくまでも私見として書いてみただけです。みなさんはどうお考えになりますか?

 

⑨ 同じ日(2025.10.10)石破首相が「戦後80年所感」を発表した。日経新聞のサイト10.10の夕方18:09に全文載っているので御一読下さい。近代日本の歴史を振り返り、石橋湛山(たんざん)、吉野作造、清沢洌(きよし)、斎藤隆夫といった優れた先達(せんだつ)にも言及しながら、戦前のように軍が暴走しないためには、政府、議会、実力組織(自衛隊のことだろう)、メディアすべてがしっかりとし、戦争を起こさないようにしないといけない、若い世代も含め国民一人ひとりが先の大戦や平和のありようについて能動的に考え将来に生かすことで、平和国家の礎が一層強化される、などと言っておられた。さすがである。石破さんは(官僚が助力したかどうかは知らないが)やはり勉強してしっかりとしたお考えをお持ちである。とりあえずみなさん、全文を入手してお読みになって下さい。朝日には要旨が載っていた。

 「抑止論を否定する立場には立ち得ません」と言っておられる。「理想を言えば世界中から核兵器はもちろんすべての武器が無くなるのがよい」と私なら言うが、そこまでは言っておられなかった。しかしそれでもなお現状から出発して日本は平和国家・民主主義国家で行くんだ、二度とあんな惨禍(さんか)は繰り返さない、と国民と世界に呼びかけられた、と私は感じた。敬意を表します。(10.11朝付記)

 

⑩ 戦後80年間直接的な戦争をしていない国は、北欧の国々、日本、スイス、ブータン。他にも永世中立国がある。いろんな形で平和主義を国是としている国がある。そういう国を増やしていくことはできる。(10.12朝付記)

 

(とりあえずここまで。まだ途中です。)