James Setouchi

2025.10.4

 

島崎藤村『新生』 (2025.10.4改稿しました)

 

 なんと文庫で売っていない。筑摩書房の現代日本文学大系(昭和43年)で読んだ。昔は島崎藤村の作品は当たり前に文庫本で書店に並んでいたのだが。

 

1 島崎藤村

 1871(明治5)年長野県木曽郡馬籠(まごめ)に生まれる。14才で東京に遊学(銀座の泰明小学校で北村透谷の後輩)、高輪台町教会で受洗、明治女学校の英語教師となるが、明治26年教え子との恋愛事件で学校を退く。教会も退会。関西旅行。『文学会』創刊に参加。明治29年東北学院の作文教師として仙台へ。明治30年帰京。詩集『若菜集』。日本近代詩を確立した画期的な詩集と言われている。明治32年信濃の小諸(こもろ)義塾の教師になる。秦フユと結婚。明治34年詩集『落梅集』。明治38年上京。明治39年小説『破戒』(自費出版)(日本の自然主義文学運動のスタートとなった)。明治41年『春』(青春時代を題材にした自伝的作品)を朝日新聞に連載開始。明治43年『家』(これも自伝的作品)連載開始。妻フユ死亡。明治44年『千曲川のスケッチ』発表。大正2年姪との不倫事件でフランスへ。大正5年ロンドン経由で帰国。大正2~6年『桜の実の熟する時』(明治半ばの青春時代を描く。『春』の姉妹編)連載。大正7~8年『新生』(姪との関係を題材に描く)連載。昭和3年加藤静子と結婚。昭和4年~5年『夜明け前』(父をモデルとし、日本の近代を問い直す)を発表。昭和18年『東方の門』執筆中に脳溢血で倒れて死去。(東京書籍の国語便覧、明治書院の『日本現代文学大事典』などをベースにして作成した。)

 

2 『新生』 

(執筆事情)

 藤村は姪との関係に苦しみフランスへ逃げ出す。3年後帰国しまた姪との関係が再燃する。この間に『桜の実の熟する時』を執筆したが第1次大戦(大正3~7年)もあって難渋し大正8年刊行。『新生は大正7~8年に連載し8年に刊行。姪との関係は本人同士と姪の父(藤村の兄)しか知らないことだったが、本作でいきなり世間に公表し衝撃を与えた。超問題作と言える。但し題材を自分の実人生に取りつつ、名前などは変えてあるし、事実を隠蔽・粉飾している部分も多いと私は感じた。事実と虚構の違いは先学が多く研究しているが私は詳しくない。本作はあくまでも虚構作品として読むべきだろうが、同時に作家・島崎藤村との関係も問われるはずのものだろう。

 なお筑摩の上記の全集には西丸四方という人の「島崎藤村の秘密」が載っていて、衝撃の内容だ。

 

(藤村の実際の家族)

正樹:藤村の父親。木曽馬籠の本陣の跡取り。国学運動に傾倒し最後は座敷牢で死ぬ。『夜明け前』の主人公のモデル。それ以外にも島崎家のある秘密があると言われる。

縫:藤村の母。ある秘密を有する。

園子:藤村の姉。父・正樹と似た傾向を持ち、精神疾患を患う。夫に梅毒をうつされたとも。

秀雄長兄。上京するが事業に失敗、台湾に行く。妻子あり。娘の名はいさ子。やがてこま子を引き取ることに。

広助次兄。朝鮮半島に行ったりした。妻は朝子(広助のいとこ)。娘が久子とこま子。他に二人の男子。久子は外交官と結婚、ロシアにもいた。こま子は藤村と関係を持ち一児をもうけるが人に養子に出す。こま子は藤村と別れ伯父・秀雄のいる台湾に行き、帰国ののち変遷を経て長谷川某と関係し子をもうけるが長谷川に捨てられ貧窮。

友弥三兄。実は島崎家の秘密により幼少期から問題児だった。最後はボロボロになる。

春樹四男。春樹は藤村の本名。妻・冬子との間に多くの子をもうけた。女子3人は次々と死んだ。冬子も死亡。姪のこま子と関係した。後妻は静子

 

(本作における主要な登場人物)

父親:捨吉の父。第一巻の113以下に父についてページを割いている。『夜明け前』の青山半蔵につながると言える。

母親:捨吉の母。本作ではあまり出てこない。秘密がある故に書きにくかったのか。

姉:第一巻23には「十年も消息の絶えた夫を待つて居る」とある。

民助長兄。事業に失敗。妻子あり。娘を愛子と言う。台湾に移住。

義雄次兄。輝子と節子の父親。妻は嘉代。長く名古屋にいた。根岸に住む。輝子は外交官と結婚しロシアに。節子は捨吉と関係し一児(親夫)をもうけるが人に養子に出す。捨吉と別れ伯父・民助のいる台湾に旅立つ。節子のその後については本作には出てこない。本作は節子の旅立ちまでを扱う。

捨吉:主人公。妻・園子との間に多くの子をなす。女子3人は次々と死んだ。園子も死亡。姪の節子と関係。後妻の名は本作には出てこない

岡、小竹、牧野:捨吉のパリ時代の友人。芸術家(画家)の卵たち。

語り手:三人称客観小説だから、限りなく作家自身に近いと思われる語り手。もちろん、論理的には、捨吉とも作家自身とも違う。但し捨吉の知らない事情を多く知っている印象はない。

 

(まず、姪との肉体関係・結婚について)

 平安時代は『源氏物語』などを見ると叔父と姪の結婚は当たり前である。光源氏は兄・朱雀帝の娘・女三宮と正式の結婚をする。明治以降の民法で禁止された。立前はそうだが内縁関係は事実上黙認された例もあったとwikiに書いてある。西洋でも、ハプスブルク家などでは結婚が行われた例が多い、とwikiにある。明治の民法では禁止していた。その帝国の法体制が誤っている、という明確な主張が本作にあるわけではない。捨吉と節子の関係は、見方によれば、光源氏も行ったことであり人類普遍の立場から言えば結婚しても問題がないとも言えるが、当時の法で言えば結婚は出来ないし、法重視の倫理の立場から見れば大問題だ、ということになる。まして名門島崎家であり大作家・島崎藤村の名前を重んじる立場からは問題だ、ということになる。後者が節子の父・義雄の立場。

 なお遺伝子の近い同士で結婚すると子に疾患や障がいが現われやすいというのは一般的な常識。

 

(あらすじ)

 岸本捨吉は有名な作家だ。女児3人と妻・園子を次々と失っていた。そこに兄・義雄の娘、輝子と節子が同居する。輝子は外交官と結婚して去るが、節子が捨吉の家に同居して、捨吉の幼い子ども二人の世話をする。そのうち、捨吉と節子は肉体関係を持ち、園子は妊娠する。捨吉は苦しみ、後始末を兄・義雄に押しつけ、フランスに逃亡してしまう。子(親夫)は他家に養子に出した。

 捨吉はパリでフランス人や日本人留学生(画家の卵)たちと交流するが、第1次世界大戦が始まり、南部のリモージュに避難。その田舎町で捨吉は何かを感じ、そろそろ帰国の時かと思い始める。

 帰国してみると、節子はやつれ果てていた。兄・義雄は家の名誉を守るため、この秘密を誰にも言うなと言う。知っているのは当人同士と義雄のみ。捨吉に再婚を勧め、節子をも嫁にやろうとする。言うことを聞かない節子を義雄は激しく罵る。捨吉は節子を見ていられず秘密裏に関係を再開。捨吉の保護で節子は次第に元気を取り戻す。

 やがて捨吉はこの秘密を家族と世間に告白し懺悔することが必要だと思い始める。節子も納得し、捨吉は義雄に内緒でいきなり告白・懺悔小説を公表する。義雄は激怒、世間も心配・批判する声が多かった。しかし捨吉は節子との相思相愛を信じ、節子も同じ気持ちだった。であるがゆえに節子は、父・義雄の抑圧から解放されるためにも、台湾にいる伯父の民助のところへ旅立ち新しい人生を始める。捨吉も新しい人生を生き始める。

 

(感想)(同じ所を堂々巡りする文章になってしまった。)

・読んでいる当初は、捨吉(藤村も)が大変悪い奴だと感じた。姪に手を出し、妊娠するとすべてを捨ててフランスに逃げ出し、後始末を兄・義雄(節子の父)に押しつける。3年後に帰国し節子との関係が再燃。さらにぬけぬけと自分も再婚し節子にも結婚させようとするとは。

 だが、ずっと読んでいると、捨吉(藤村も)なりの自己主張があり、悪いのは時代のシステムであり古い倫理観にこだわる父・義雄の方ではないかと思えてきた。節子には捨吉がそばにいることが必要だったのであり、フランスへ逃げたのはよくなかったが、帰国後関係が再燃したのは仕方がない選択だったのだと。

 だが、さらに読んでいって、また反転した。これはあくまでも捨吉(藤村も)の自己弁護であって、節子のサイドから見れば本当はどうかわからない。義雄から見ればなおさらだ。捨吉はともかく藤村は巧みに事実を粉飾しまた隠蔽して書いているのではないか? 懺悔の書、告白の書という触れ込みだが、怪しいのではないか? 安易に藤村の(謎の語り手の)語りに乗せられてはいけないぞ、そう感じるようになった。

 一例を挙げる。

 西丸四方「島崎藤村の秘密」の「かたりべのおうな」の語り(ゆかりのある老女たちの語りを集めたものという体裁を取っている。「考証的には決して厳密なものではない」と断っている)によれば、長兄の秀雄が、ヒステリーのようになっていたこま子を台湾へ連れて行って、それでこま子は元気になった、とある。さらに、台湾で元気になったこま子は1年半後東京に戻るがまたヒステリーになった、と付記してある。

 対して『新生』の藤村の筆では、節子と捨吉は相思相愛で、それぞれの新しい人生へと踏み出すべく、節子は台湾へと生き生きと旅立つ、それは父・義雄の残酷な抑圧から離れられるからでもある、と描かれている。

 どちらが正しいのだろうか。私見だが、節子と捨吉が相思相愛で、自分の人生を生き始めるために台湾へと旅立つ、というのは、あまりにも安易なストーリーではないだろうか。捨吉の行為を正当化するために父・義雄も悪役にされ、都合の悪い事実は隠蔽されてしまっているのではなかろうか。

 前記「かたりべのおうな」によれば、こま子はその後京都で学生相手の寮のおばさんをしたりしたが、長谷川某という共産主義者(当時非合法)と関係を持ち自分も「赤化」して当局に睨まれた、私生児を生むが男に捨てられ、貧窮し、藤村に無心に来たこともあったという。戦後は妻籠(父祖の地)や江古田などに住んだと言う。この、こま子の「その後」の記述がどこまで正確か知らないが、もしこの通りだとしたら、藤村が最初に彼女と関係を持ち傷つけたことが、彼女のトラウマになっていたのではないか? と想像するに難くない。

 藤村自身は『新生』で、家の名誉・体裁にこだわる兄・義雄を悪者に仕立て、それらを越えた新しい自由な生き方を提示しようとしたのかもしれない。封建的な(明治近代になってもなお色濃く残る)家やそれにまつわる様々な桎梏に異議申し立てをし、そこから自由になり自我を主張することは、藤村において若い頃からずっとある営みではある。但し作中の節子の苦しみ、養子に出された二人の子(親夫)のその後の人生の苦しみに思いを致すことは、不十分であるように私には感じられた。それをあまり語らず、節子の世話はした、彼女の成長を見届けた、などと記し、『新生』と題して新しい生命の力の発露であるかのように語ってしまうとは、「無責任だ」「いい気なものだ」と言いたくなる。捨吉の欺瞞を謎の語り手が暴き批判するという構造になっているわけでもない。謎の語り手は捨吉の自己弁護につきあう。その中で藤村の行為が正当化されている、という印象を持った。(「すべては神の御心」(『夜明け前』)と言うとき、そこに責任や人為の観念が抜け落ちがちになることは、丸山真男を引用しなくとも、誰でも分かることだろう。「なりゆき」に任せる思想は、政治の場面だけでなく、こんな場面にも現われている、と言うべきか。)

 芥川が『新生』の主人公を「老獪な偽善者」と呼んだのは有名だ。捨吉は節子に経済的援助を行った。捨吉は苦しみフランスへ逃げ出した。捨吉は帰国後節子のために関係を復活した。捨吉はすべてを懺悔するために告白小説を書いた。捨吉は節子の旅立ちを心から祝福する。これらはすべて節子のためでもあった。「泣いたり笑ったりしたことも沈まって行って、愛のまことだけが残る時も来るだらう。斯う岸本は考へて、自分の小さな知慧や力で奈何(どう)することもできないやうな『生命(いのち)』の趨くままに一切を委ねようとした。」(第Ⅱ巻140。最終節)・・・これらの書き方をうさんくさいと感じる人は私だけではあるまい。節子のサイドから曇りなく描けば、どのような物語になったのであろうか? また「生命の趨くままに一切を委ね」云々は思考停止と努力放棄の姿勢であることは言うまでもない。「愛のまこと」? ここには明治浪曼派・恋愛至上主義者の名残が見える。実人生に相渉ることなく想世界に「愛のまこと」は絶対的な何者かとして残る、ということだろうか。だが、本当に? それは観念の世界においてのみ存在し、実人生の中には存在しないのではないか? そこに真のアガペーがあるのだろうか? 『桜の実の・・』『春』では勝子と別れることがアガペーだと解釈する余地があった(勝子と肉体関係を持っていないからだ)が、『新生』では別れることが果たしてアガペーなのだろうか? 藤村は(捨吉は)いつも問題を放り出して旅立つ。ここでは節子が旅立つ。それでいいのだろうか?

 

 では、どうすればよかったのか? 

①     はじめから姪に手を出さなければよかったのだ。 

②     その後の対応もまずい。事態の収拾を兄に押しつけ自分はすべてを捨てて外国に逃げたのはよくない。節子は「今度こそ置いてきぼりにしちやいやですよ」(第二巻43)と言っている。この科白が真実だとして(藤村あるいは謎の語り手の粉飾の可能性もある)、節子の放っておかれた苦しみがもっと描かれるべきだった。 

③     フランスで、自分は帰国する、自分は許された、と感じているのも解せない。どうして帰国へと反転できたのか? 「そろそろほとぼりがさめた」程度だとしたら? 

④     帰国後によりを戻したのもおかしい。節子が関係の復活を求めた、と本作では言いたげだが、藤村の現実においてはどうだろうか? 

⑤     節子が捨吉との関係を求めたとしても、そこから先の対応の仕方もこれでいいのだろうか? 当時内縁の関係を持つ例が多かったと言うが・・・? 節子も結婚し捨吉も再婚する方向で一家は解決策を探っている。それが当時の常識的解決だったのか? 無責任に言うと、節子にとって本当に捨吉が必要なら、内縁の関係を続け子(親夫)も育てる、という道はなかったのか? 

⑥     まして告白小説を書いて公表したのもわからない。兄・義雄は誰にも言うな、と命じ、実際義雄は秘密を守り通していた。だが捨吉が小説で暴露してしまうのだ。捨吉は、自分はともかく、公表すれば節子が傷つくはずではないか? 節子も公表を納得している、と書いているが、どうして納得できるのか、書き込みが甘い。節子は捨吉新宗教の無批判な信者になってしまったかのようだ。それとも節子は時代の常識を遥かに超えた極めて強い新しい女性だと言うのだろうか? そうではない証拠に、内面の苦しみが節子の手の異変となって表れている。節子は当たり前の普通の女性だ。藤村はそれとわかるように書き込んでいるのか? 

⑦ それでも、事ここに至ってしまった。いかにして彼らは救われるのか? 本作ではすでに新生は成った、と主張しているが、そう簡単ではなかろう。私見では宗教によるしかない。阿弥陀如来の絶対他力により救われる。あるいは、キリスト教の神も、すべてを超越して救済するであろう。イエスは言う「人には出来ないことも、神には出来る」(ルカ18-27)。)

 

 様々な心配があるにもかかわらず藤村があえて「告白小説」の開陳に踏み切ったのは、内面の告白・懺悔が人間にとって新生の第一歩だとみなす当時の時代思潮のためもあろう。①そもそも藤村はキリスト教系の学校に若い頃から関係し、そこで神の前の罪人という観念に触れているはずだ。これは新教旧教問わずある思想だ。②かつフランスはカトリックの国で「告白」を重視する。ルソー『告白』(18世紀後半)はその延長上にある。藤村はフランスで「告白」文化に触れたかも知れない。③文芸思潮においては、田山花袋の「告白」「懺悔」小説『蒲団』は明治40~41年の発表で藤村は当然これを意識している。④宗教界においては、暁烏敏(あけがらすはや)がカリスマ的威力で人気を獲得しつつ他方女性関係で世間からたたかれたのは大正4年だとwikiにある。暁烏敏は自らを「罪悪深重煩悩熾盛(ざいあくじんじゅうぼんのうしじょう)の衆生(しゅじょう)」の一人と捉えた(『歎異抄講話』)。『新生』で捨吉が節子に数珠を買い与え、節子は宗教界に入る志向を示すという記述があるが、節子の「宗教界」とは、キリスト教か仏教(たとえば他力浄土門系)か作中では明確でない。藤村の中で、キリスト教か仏教(他力浄土門)が意識されていた可能性はありうる。(あるいは当時の信仰宗教かも知れないが。)

 

 人間社会の体制が作る法の前では犯罪でなくとも神の前では罪人。人は神の前に懺悔告白し許しを乞わなければならない。捨吉(藤村も)の場合国家の民法に違反している。国法には反しているが神の前では悪くない、と言いたいのだろうか。彼は神に対してでなく世間に対して公表してしまった。世間(人間社会)に対しては保身のため虚飾や隠蔽もあり得る。但し神の前では虚飾や隠蔽はありえない。作家・島崎藤村は、神の前にすべてが知られていると自覚し、世間に対し懺悔告白する体を取り、その実世間的な保身を兼ねた虚飾や隠蔽を含んだ「告白」「懺悔」小説を書いて見せた、結果として中途半端な作品になった、というところなのだろうか? (それでも、読み応えはある。考えるべきところも多い。実人生と作品の異同を含めて、ここまで考えさせてくれる「問題作」を提出しただけでも、日本近代に残る大作家と言うべきか。)

 

 いや、そうではなく、『新生』には書いていないが、こま子に入金しその父親である義雄から金を無心される関係をこの際断ち切るために、あえて「告白」「懺悔」小説の公開に踏み切ったのだとしたら? 本作では節子の父・義雄は節子を人間でないかのように激しく非難する。本作を見る限り義雄は悪人だ。義雄を悪人に仕立てて縁を切るための本作公開だとしたら?

 

 もう少し思想的な考察をするならば、義雄は、封建的な(前近代的な)思想(女性は結婚すべきだ、など)、家の名前・体裁・世間体にこだわる思想(この秘密を誰にも言うな、黙っていれば分からない、とする)の体現者である。義雄を悪く書くことで、封建的な・家の名前にこだわる思想はよろしくない、弊害がある、早くそこから解放されるべきだ、一人一人の感情、愛情、自己主張をもっと尊重する世の中になってほしい、と主張したいのであろうか。

 

 わかりやすく図示すると(実在の人物とは別に、本作中では)

義雄:封建的・前近代的な価値観の持ち主で、家の名誉・体裁を重視。秘密を守れという。節子を結婚させようとする。結婚しないのは人間ではないとまで避難する。

捨吉:最初は苦悩したが、反封建的・近代的な価値観の持ち主で、家の名誉や体裁を踏みにじってでも自我の内面を暴露しようとする。節子と相思相愛だが(であるがゆえに)信じ合って離れて生きることを是とする。節子も賛同している、自分の導きでそこまで節子を育てたと自負している。死にかかっていた捨吉だが、生きんとする力を肯定した。

 

 常識的に言えば、藤村には、自分とこま子の「新生」を祈る気持ちは当然あっただろう。作品では安易な書き方になってしまっているだけで、本当は作品の表現以上に切実な思いがあったのかも知れない。読み取りから言えば、時代思潮も新しくなって欲しい、人間の自由が高らかに語れる社会であって欲しい、男女が好きな同士で一緒にいてなぜ悪い、今の社会制度や常識がまだ追いついていないだけだ、しかし今は離れて暮らすのがベストな選択だ、と藤村は言いたかったのかもしれない。作品として成功しているかどうかは別として。

 

 藤村の生きんとする力の肯定は、各作品にしばしば現われる。『春』にも「ああ、自分のようなものでも、どうかして生きたい。」という有名な言葉がある。理屈・論理・倫理ではなく、まずは生きんとする(盲目的とも言える)生命の力の肯定。これを仏教的に「無明」などと呼ぶのかドイツの某哲学者のように「盲目的な意志」と呼ぶべきか心理学や自然科学で「欲動」「生存本能」などと呼ぶべきかは知らない。神道・国学的な何か(「漢意=からごころ」を排する)である可能性もある。だが、北村透谷が「内部生命」を考えたことを想起したい。藤村もまた、西洋近代に触れて恋愛至上主義的な思潮に染まり、人間の内部に存在しかつ人類の精神史を越えて存在する大いなる生命のようなものの活動を、考えていたかもしれない。藤村は本作のラストで「『生命(いのち)』の趨くままに一切を委ねよう」と書いている。

 

 私たち人間は従来の倫理(道徳や宗教の)や科学法則では説明しきれないものを持っていることは確かだ。それに何とか言葉を与えようと努力してきたが十分に説明しきることはできないできた。是非善悪は分からないがとにもかくにも生きたい、生きよう、まずは生きている現実がある、ということはある。捨吉もギリギリの所で生きんとする力を肯定した。そればかりか、国家の法律や世間体を越えた「愛のまこと」、離れていても男女が「信」じ合えることを肯定した。己れの営みを肯定した。

 ちょっと待て。同じ態度で節子や親夫(節子と捨吉との子。養子にやった)にも臨んでいるだろうか? そう問うと、やはり疑問が湧いてくる。捨吉の言い分は分かった、しかしそれはやはり鉄面皮な自己弁護であるのではないか? 謎の語り手は捨吉をかばい、すなわち藤村は粉飾や隠蔽を巧みに織り交ぜて自己弁護をしているのではないか? という疑問が、拭えない。

 

 私はそんなふうに感じてしまった。

 

・現実の三兄の友弥だが、家庭内の秘密により幼少時から問題児だったと言う。婚外子だろうが不倫の子であろうが子どものせいではないのであって、誰でも大事に育てられ人間として幸せにいきられる社会であるべきだが、なぜ差別してひがませるのか? ではどうすればよいのか? 出生の環境とは無関係に誰でも幸せに生きられるシステムにしておけばいい。フランスや北欧が進んでいる。ことは人権の問題だ。作品では友弥にあたる人物はあまり描かれず、登場しても『春』ではむしろ芸術を理解する好人物として描かれていたのが印象的だ。生産活動を行わず帝国の建設に無縁な、しかし芸術を解する人物。そのキャラクターを徹底して掘り下げ帝国の価値観を相対化してみせれば面白いのだが、藤村はそこまでしているわけでもない。この描き方は、藤村の兄への愛情か、それとも家族として隠したいことだったのか。

 

捨吉は何の金でフランスに行けたのか? どうやらすでに作家として有名になっており、原稿料を稼げていたようだ。かつ、高輪の家に転居する際、家財や本を売却している。家賃も郊外故安くなったのだろう。

・藤村は高名な作家で生活も十分出来、言わば「勝ち組」作家だが、実は足元にこれだけのトラブル(悲劇)を抱えてもいた。

・自由恋愛が絶対善でもない。非常に痛ましい結果になることもある。本作を読めばよく分かる。社会制度が追いついていないと見るべきか、それとも・・?

・作中の親夫(二人の子)にあたる子はどうなったか? 一説によると、養家で大事にされ、賢い子で、すくすく育っていたが、関東大震災以来音信が絶えたとも。その子の目から見た日本近代文学、また明治大正(大日本帝国)の社会とは、一体何だったのだろうか?

 

(補足)

年下(一世代下)の恋人に夢中になる小説で有名なものをいくつか。

田山花袋『蒲団(ふとん)』:作家が女弟子に片想いをする。ラストは私には「何じゃこりゃ~」というものだった。みなさん、これが文学史で最重要作品と言われるものの一つです。

谷崎潤一郎『痴人の愛』:年の若いナオミは同年代の男と遊んで・・

ドストエフスキー『罪と罰』:スヴィドリガイロフは年下のドゥーニャに夢中になって・・

ウェブスター『あしながおじさん』:女性目線。奨学金をくれる素敵な男性は・・?

フォークナー『孫むすめ』:サトペン大佐は孫の年代の女子に子を産ませて・・恋愛感情があるようには見えないが・・

曽野綾子『幸福という名の不幸』:女性目線。父親の年代の社長に恋心を抱いているが・・いろんな男性が出てくるので、男性を見る目が肥えるかも。

黒川博行『後妻業』:未読。TVドラマで見た。孤独な高齢男性が若い女(実は財産目当て)に騙される話。エンタメだが、現代日本の重要なポイントを突いていると感じた。これからは「後夫業」が出てくるのか? くわばらくわばら。寂しいときはイヌやネコを飼う方がいいかも。

紫式部『源氏物語』:父子くらい年の違う男女関係が出てくる。紫式部自身、父親のような年齢の夫と結婚した。なお、光源氏と紫式部は10才くらいしか違わない。

*「年の差婚」「年下彼女」などで検索すると大量に出てきて驚いた。これらの中で100年読み継がれる作品がいくつあるだろうか。『新生』は100年以上読まれてきた。

 

相思相愛だが・・というパターンからいくつか。

作者未詳『落窪物語』:落窪姫は継母にいじめられるが恋人に助けられる。

近松門左衛門『曽根崎心中』:お初と徳兵衛は心中してしまう。お勧めしません。

伊藤左千夫『野菊の墓』:非常に美しい小説。だが彼女は親の決めた相手と結婚してしまう。漱石が絶賛。

夏目漱石『それから』:人妻の三千代は代助と恋に落ちて・・

夏目漱石『門』:駆け落ち後の二人の生活。

片山恭一『世界の中心で、愛を叫ぶ』:彼女が死んでしまう・・

シェイクスピア『ロミオとジュリエット』:かなわない恋。

シャーロット・ブロンテ『ジェイン・エア』:・・・・!

スタンダール『パルムの僧院』:・・・!

モンゴメリ『赤毛のアン』シリーズ:実はアンとギルバートの相思相愛物語でもある。

*相思相愛ものも検索すると山ほど出てくる。病気や戦争で引き裂かれる話も多い。相思相愛から結婚していつまでも幸せに暮らしましたとさ、のケースは、『一寸法師』『シンデレラ』など昔話にある。

 

(2025年10月7日付記)

 中学高校の倫理で学習すると思うが、人間をどうとらえるか? 人間は他者との関係において生きている、と捉えることができる。家族・親族との関係、地域住民との関係、友人や先生との関係、江戸時代なら主君や臣下との関係、さらには会社との関係、社会全般との関係(マスコミやネット空間も含む)、国家との関係、宗教団体など自分が属する団体との関係、国際社会との関係、さらには今は亡き先祖やまだ見ぬ未来世代(子孫を含む)との関係、自然・生態系・地球環境との関係、宇宙との関係、神仏や天との関係などなど。自分自身との関係も忘れてはならない。質的にも、政治や経済だけでなく精神的な面も含め多様な関係の網がある。そういう多様で多層的な諸関係の中に自分は生きている。男女の関係だけが絶対であったり特筆すべきものであったりするのではない。恋愛に夢中の時は男女の関係だけしか見えないこともあろう(各種のラブソングや恋愛ドラマはその気分を盛り上げる)が、人間は男女の関係だけに生きているのでは決してない。多様な関係の中に自分はいる、と捉え返してみることは有効である。この観点から考えてみるとき、透谷・藤村ら明治浪曼派は、男女の恋愛を特筆する傾向があった。

 

 

(まだ途中)