James Setouchi

2026.1.10

 

大江健三郎『ピンチランナー調書』 1976(昭和51)年新潮社(新潮現代文学55(昭和53年)で読んだ)

 

1 大江健三郎 1935(昭和10)~2023(令和5)ノーベル文学賞作家。

 愛媛県喜多郡大瀬村(現内子町)に生まれる。内子高校から松山東高校に転校、伊丹十三と出会う。東大仏文科で渡辺一夫に学ぶ。在学中『死者の奢り』で東大五月祭賞。23歳で『飼育』で芥川賞。『個人的な体験』『ヒロシマ・ノート』(ルポ)『万延元年のフット・ボール』『沖縄ノート』(ルポ)『ピンチランナー調書』『「雨の木」を聴く女たち』『新しい人よ眼ざめよ』『静かな生活』『燃え上がる緑の木』『あいまいな日本の私』(講演集)『宙返り』『取り替え子』『憂い顔の童子』『水死』『晩年様式集』など。1994(平成6)年ノーベル文学賞受賞。反核・護憲運動でも知られる。

 

2 『ピンチランナー調書』1976年出版

 1976年はベトナム戦争が前年に終わりベトナム社会主義国が統一宣言をした年だ。周恩来(1月)と毛沢東(9月)が相次いで亡くなった。韓国では金大中の民主救国宣言(三・一宣言)(3月)があった。日本ではロッキード事件(2月)が政界を揺るがした(5月以降)。オーケンは1976年3月からメキシコの大学に招かれ、そこで『ピンチランナー調書』を書いた。8月~10月『新潮』に連載、10月に単行本として刊行した。オーケンは41歳だ。

 

(あらすじ)(ほぼネタバレ)

 「僕」(作家)は障がいのある息子・光の通う特殊学級で、光の同級生・とその父親である「森・父」と出会う。森・父は、森および森・父の行動を「僕」が「幻の書き手(ゴースト・ライター)」として書きとめることを要望する。森・父は、実は原発事故の被曝者だった。10年前、核燃料の運搬中、謎の過激派ブリキマンたちに襲われ被曝したのだ。その年森・父は療養中に渓流で釣りをしていてヤマメ軍団の噂を聞く。・・現在、森・父は麻生野桜麻(オウノサクラオ)という、映画監督志望で反核運動のリーダー(女性)と不倫している。森・父と森・母の壮絶な夫婦げんかの後、なぜか森・父(38歳)は二十年若返って18歳の若者に、息子の森(8歳)は二十年成長して28歳の壮年に「転換」していた。森・父と森は、自身の「転換」に、宇宙的な意志に課せられた使命を感ずる。四国の反・原発運動のリーダー「義人」や、若者たちの対立をなくそうと努力する「志願仲裁人」と出会い、過激な革命党派その対立党派の抗争に巻き込まれながら、核関係の利権の黒幕である「大物A氏」=「親方(パトロン)」との対決に臨む。かくして・・・

 

(簡単なコメント)

 父が20歳若返って18歳になり、息子が20歳成長して28歳になり、宇宙的な意志を受けて使命感に燃えて権力者と対決するとは、例によってオーケンの妄想であり荒唐無稽なホラ話だと言ってしまえば言えるのだが、なかなか面白くはあった。脳に重い障がいのある子と共に生きるとはどういうことか、核が東京を壊滅させるかも知れない、科学技術の進展は果たして宇宙的な意志の現われなのか、そこで自分は何を為すべきか、過激な党派の対立・抗争をどう解決するか、核で巨大利権を握る黒幕がいて暗躍している、などなどの諸問題が問われる。『万延元年のフットボール』(1967年)より後で『同時代ゲーム』(1979年)よりも前の作品。

 

 当時は東西冷戦の最中で、核戦争の恐怖がリアルにあった(今=2026年=もある)。原発については石油危機(1973年)もあって政府は推進の方向だった。2011年のフクシマ原発事故による壊滅的打撃はまだ予見されていなかったが、ヒロシマ・ナガサキ(1945年)、第五福竜丸事件(1954年)以外にも、世界中で原発や核兵器に関する事故があったのを、知っている人は知っていた。スリーマイル島原発事故(1979年)、チェルノブイリ原発事故(1986年)、東海村JCO臨界事故(1991年)、フクシマ原発事故(2011年)よりも先に、オーケンは原発技術者の被曝を小説化していた。オーケンの鋭い感受性がそれを可能にしたのだろう。

 

 また、前年(1975年)に極左グループの抗争で死者が多数出た(集英社『大江健三郎・再発見』2001年)こともオーケンの念頭にあり、対立する党派が暴力的に争わず若者が死ぬことがないようにとオーケンは願ったに違いない。

 

 だが、脳に障がいのある息子と共生する父親の心情に多くのページを割く。オーケン自身の祈りの詰まった作品ではある。

 

 文体は読みやすい。暴力と性の露骨な描写がかなりあるので、純真な十代にはお勧めしにくい。だが、バイオレンスやセックスへと読者を誘うのではなく、読んでいて暴力と性がいやになるような書き方ではある。

 

(登場人物)(ほぼネタバレ)

「僕」:ライター。息子の光を特殊学級に通わせる。「森・父」から「幻の書き手(ゴースト・ライター)」になるよう要請される。

:「僕」の息子。脳に重い障がいがある。

森・父:「森」の父親。38歳。原発の核技術者で、10年前に事故で被曝した。障がいのある息子・「森」を愛している。自分の行動を記録してくれるよう「僕」に要請。なぜか20年若返って18歳の肉体になるという「転換」を経験し、宇宙的意志によって課せられた使命を感じて、原発利権の黒幕である「大物A氏」と対決しに行く。

:「森・父」の息子。8歳。光の同級生。脳に重い障がいがある。なぜか20歳成長して28歳の逞しい壮年になり、「森・父」と共に活躍する。

森・母:「森・父」の妻。「森」の母。夫の不倫に激怒し壮絶な夫婦げんかのあと、もと彼と家出する。今は弟と行動を共にし「森・父」の行動を監視している。

麻生野桜麻(オウノサクラオ):TVタレントで、映画監督志望の女性。女子校時代から反・原発運動の活動家。「森・父」と不倫した。革命党派(A)に近い。

親方(パトロン)(大物・A氏):「森・父」が世界の原発関係の報道を要約して報告すれば親切に報酬をくれていた人物。実は原発利権の黒幕であって、二つの相対立する革命党派に資金を出し原爆を作らせ、それによって何かをしようと企んでいるようだ。

ヤマメ軍団:過激派。群馬のヤマメ釣りの渓流に沿って訓練(「大長征」)をしていたのでこの名がある。その後十年、なりを潜め、壊滅したと見られていたが・・

ブリキマン:過激派たち。十年前、ブリキで作った鎧に身を固め、運搬中の核燃料を奪いにきた。その際に核技術者「森・父」は被曝。

義一:四国の原発反対運動のリーダー。実は数学者で阪大教授。革命党派(B)に追われて死亡。

志願仲裁人:対立する党派の人びとをともに「少年十字軍」と呼び、抗争をやめるよう呼びかける。

革命党派(A):北区王子あたりに本拠がある。リーダーと、若者たちがいる。革命党派(B)と対立している。なお、オーケンは本作では(A)(B)という言い方はしていないが、ここでは便宜上(A)(B)と呼ぶ。(A)は(B)を「反革命ゴロツキ集団」と呼ぶ。

革命党派(B):(A)と対立している。お茶の水近くの大学で集会を開く。リーダーと、若者たちがいる。ヤマメ軍団もこのグループのようだ。そこに行った「森・父」に暴行を加える。「義人」はそこで死亡。

作用子:革命党派(B)の女子学生。28歳の「森」とともに「大物A氏」を襲撃する。

警察官たち:「森・母」の密告を受け「森・父」たちを監視する。

親方(パトロン)=大物A氏:戦時中は大陸で工作をしていた。「森・父」に原発関係の情報を翻訳させ報酬を支払っていた。実は原発利権の黒幕で、対立する党派に資金を与え原子爆弾を作らせ、大きな何事かを企てているらしい。実はヒロシマの被爆者だった。

扮装した人びと:大物A氏の故郷の人びとで、五十人ばかり。大物A氏の病気直しのために奇妙な扮装をして病院に集まり、祈願のため山車を燃やそうとする。

大頭の男:大物A氏の腹心。多くの石油タンカーを所有する。戦後成金で政財界の黒幕。

 

(さらなるコメント)

 様々な要素が詰め込まれた作品だが、⑴脳に障がいのある子との共生、再生への祈り、⑵原発・原爆の恐怖、⑶革命党派の抗争への嘆きと和解への願い、⑷その他、について少しコメントする。

 

 ⑴脳に障がいのある子との共生だが、序盤で障がいのある子どもたちを「われわれの子供ら」と呼び、そうではない子どもたちを「われわれの子供らとはちがう子供ら」と呼んでいる。前者は障がいのある子供たちの親たちに心情的に連帯していると示す言葉であり、後者は障害もなく元気でスポーツをしている子どもたちを健常者と呼び当たり前視している世間の「常識」への異議申し立ての表明であるだろう。「僕」も光の世話をするが「森・父」も「森」の世話をする。尿漏れシートの描写などはきわめて具体的だ。ケアする日々とは、このように具体的な作業をする日々なのだ。(村上春樹『ノルウェーの森』でもガールフレンドのが父親の介護でオムツを替える表現が出てくる。)やがて「宇宙的な意志」によって(!?)「森・父」と「森」は「転換」を行い、年齢が入れ替わり、「森」は寡黙ながら自分の判断で勇気ある(「森・父」の期待以上の)行動へと進んでいく。今まで親が懸命に世話をしてきた子どもが親の予想を超えて行動し始めるのは、親にとって驚きであり喜びでもあり恐れでもあろうが、「森」は「颯爽」(382頁)とそれをやってのける。作家・オーケンは自分の息子が颯爽と自分を越えていくことへの祈りをここで書き込んだのだろう。

 

 ⑵大物A氏は原発利権の黒幕だった。彼は相対立する二つの党派に資金を与え原爆を製造させている。何のために? それは、革命党派に東京で原爆テロを起こさせ、都民を人質に取り、その過程で自分が権力を掌握するためではないか? その過程で天皇ファミリーをも利用するのではないか? と「森・父」たちは考える。この陰謀を阻止しなければならない。それは宇宙的意志によって自分たちに課せられた使命であるにちがいない。こう「森・父」は考える。(本当にそれが使命か? という疑問も書き込んであるが、ここでは省略する。)・・だが、ラスト近く、大物A氏もまたヒロシマの被爆者だった、今や末期癌で死にかかっていることが明らかになる。(ここでオーケンは核は支配階層の人をも汚染する、と示しているのだろう。)大物A氏は5億の資金を「森・父」に提供し、革命党派に核兵器を作らせよ、それを機に官憲によって彼らを壊滅させる、というプランを示す。「森・父」は思わずそのプランに乗ろうとする。だが28歳の「森」はそれをとどめ、大物A氏を襲撃し、5億円を奪い、自ら火(大物A氏の支援者たちが病院構内で、大物A氏の病気治しの祈りのために、また「一千万規模の一般人を守るために」(364頁)も、山車を燃やしていた)の中に飛び込む。5億円は燃え、恐らく「森」も死亡。これがラストだ。大物A氏が死の床で語ったことを信じるならば、彼のもくろみは、革命党派の壊滅のためだった。「森」はそれを阻止したのだから、原発利権の黒幕にして政財界の支配者の陰謀を打ち砕いた、ということになるのだろう。作成途中の核兵器はどうなるのか? の疑問が残る。「国家が核兵器を握って国民を弾圧するなら、民衆の側が核兵器を握って抵抗するのもアリなのではないか?」という議論が途中で出てくるが、結末でどうするかは書いていない。「超大国が核兵器で他を脅迫するのなら、弱小国が核兵器を持って抵抗するのもアリなのではないか?」という議論(最近=今は2026年だが=よく聞く)と同般で、非常に危険な事態を招来することになるのは容易に予測できる。「作っても運べず管理できない」との議論も書いている。だからそこに置くしかなく、結局一千万都民を危険にさらすだけだ。(長谷川和彦監督、沢田研二主演の映画『太陽を盗んだ男』(1979年)も高校の物理教師が原爆を製造し都民を人質に取る話だったが、党派の対立や政財界の黒幕の暗躍などは描いていなかった。)

 

 ⑶革命党派の抗争とそれへの嘆き、和解への祈り。「志願仲裁人」なる人物が出てくる。革命党派の人びとはもともとは同じような志を持ち「現代版の少年十字軍のようにも徒手空拳、か弱い身で、世界の核状況に対抗しようとする若者たち」(252頁)だ。「そのかれらが相互につぶしあいをすることの、なんという酷たらしい人間的損失であることか? 自分はかれらを仲裁することを志願している」(252頁)と彼は言う。本作中では革命党派(A)(B)は官憲やスパイや対立党派を警戒し場合によっては暴力に及ぶ。「森・父」も(B)によって捕虜にされひどい暴力を受ける。「義人」は混乱の中で死亡。さらなる暴力が「森・父」と「森」を襲おうとするその時、ヤマメ軍団の数人が(あの伝説のヤマメ軍団が!)出現し、「森・父」と「森」たちを救出する。ヤマメ軍団のおじさんたちの出現は格好良かった。逃亡の過程では革命党派(B)の作用子とヤマメ軍団と革命党派(A)に近い麻生野桜麻(オウノサクラオ)とが同じ車に乗る。「志願仲裁人」は、険悪な雰囲気になりかかる度に、知恵を働かせて危機を回避する。「志願仲裁人」は対立する同士を和解させ平和に導く、新約聖書エフェソス書4-25~の「新しい人」、またアッシジのフランシスコの「平和の祈り」と言われるもののイメージを何らか負っているだろう。作家・オーケン自身は若者たちが対立抗争で死んでいくことに心を痛め、これを作中に書き込んだに違いない。執筆の前年(1975年)にも革命党派の対立抗争で多くの若者がなくなった事件があった。オーケンは(作品では暴力描写を採用するが)暴力(国家レベルでも個人レベルでも)が嫌いなのだ。

 

 ⑷その他。

・実は性的描写が結構あるのだが、私のブログの読者には十代の清純な若者も結構いるので、ここでは書かない。これだけ性的描写をしてノーベル賞? と素朴な問いを投げかけたくなる。初期の『性的人間』はじめ性を扱った作品は多い。意図的に採用していると思うが、エロチックな満足を読者に与えようと書いているとは思えない。むしろ「なんじゃこりゃ?」というようなものだ。異性愛の常識をゆるがすために同性愛を描くなど、世間の「常識」の抑圧に対して異議申し立てをし、十全な人間的解放はどこにあるのか?(結局、性にあるとは限らない。『個人的な体験』では火見子と別れ子どもと生きる道を選ぶことからもわかる)を問いかけるために採用しているのではないか? と言うだけにここではとどめておこう。

 

・スペインのパロマレス米軍機墜落事故(1966年)にも言及があった。これについては逢坂剛『燃える地の果てに』が小説化している。面白い。逢坂剛(1943~)は東京出身、開成→中央大(法)。

池澤夏樹『アトミックス・ボックス』も国産核爆弾をめぐる話。池澤(1945~)は理系で物理学に詳しい。北海道生まれ、都立富士高校→埼玉大(物理)(中退)。

東野圭吾『天空の蜂』は原発をヘリで襲うテロの話。東野(1958~)は大阪生まれ、府立阪南高校→大阪府立大(工)出身。

NHK「東海村臨界事故」取材班『朽ちていった命―被曝治療83日間の記録―』(新潮文庫で読める)は大変痛ましい。原発の技術者の被曝を記録している。

益川敏英『科学者は戦争で何をしたか』はぜひお読み下さい。益川先生(ノーベル物理学賞)は1940年生まれ。名古屋生まれ、市立向陽高校→名古屋大(理)。

 

「ピンチランナー」とは? レギュラーではないが、ピンチをチャンスに変えるために臨時に出場するランナーだ。出た以上は使命を果たすために機を窺って猛然と走る。本作では核による危機で特別に「ピンチランナー」に選ばれたのは「森・父」と「森」であり、彼らに万一があったらそれを継承してその精神を語り継ぐのは作家である「僕」というわけなのだろう。