James Setouchi
2025.12.13
大江健三郎『治療塔』『治療塔惑星』大江健三郎全小説10 講談社2019年
(岩波『へるめす』に1989~91に連載したもの。単行本は『治療塔』1990年、『治療塔惑星』1991年)
1 大江健三郎 1935(昭和10)~2023(令和5)ノーベル文学賞作家。
愛媛県喜多郡大瀬村(現内子町)に生まれる。内子高校から松山東高校に転校、伊丹十三と出会う。東大仏文科で渡辺一夫に学ぶ。在学中『死者の奢り』で東大五月祭賞。23歳で『飼育』で芥川賞。『個人的な体験』『ヒロシマ・ノート』(ルポ)『万延元年のフット・ボール』『沖縄ノート』(ルポ)『新しい人よ眼ざめよ』『静かな生活』『燃え上がる緑の木』『あいまいな日本の私』(講演集)『取り替え子』『憂い顔の童子』『水死』『晩年様式集』など。1994(平成6)年ノーベル文学賞受賞。反核・護憲運動でも知られる。
2 『治療塔』1990年出版
(あらすじ)(ネタバレ)
近未来SF小説。語り手は「私」という女性で、リッちゃん。時代設定は、ヒカリさんという音楽家が約80才になっているので、大江光(1963年生まれ)がモデルと考えると2043年ころ。(作家が本作を書いた1990年から見て50年後くらいに想定したのだろうが、2025年の現在から見ると、あと18年後にこれほどの宇宙旅行が出来るとは思えないので、もっと先の時代と考えた方がいいだろう。)
地球は核戦争で汚染され、人類はスターシップ計画のもと選ばれた100万人が宇宙へと「大出発」を行い(十年前)、太陽系の外側にある「新しい地球」に移住しようとした。そこには「治療塔」という謎の人工物があり「治療塔」に入った人間は癒され若がえる。しかし、「新しい地球」の環境はあまりにも過酷で、メンバーは「古い地球」に帰還し人類存続のために効率を重視した中央集権的政策を打ち出そうとする。(一部は「新しい地球」に残留した。「叛乱軍」と呼ばれた。)
他方、「大出発」に選ばれなかった大多数の「残留者」たちは、餓死や暴動など悲惨な混乱期を辛うじて生き延び、いまは進歩と技術革新を否定しローテクで分散型の社会を再建しようとしていた。「K.Sシステム」と言う。
宇宙から帰還したスターシップ公団の「帰還者」と「大出発」で取り残された「残留者」のネットワークは対立、公団のエリートで宇宙飛行士たる朔ちゃん(残留者の「私」の従兄弟で恋人)は難しい立場に立つことになり、「残留者」の農場に身を隠す。
「新しい地球」の「治療塔」で若返りを経験した朔ちゃんの身体は不思議な微光を発している。朔ちゃんと「私」の子は、「誰よりも新しい人」を生むのだ、と「私」が考える。
(登場人物)
私(語り手):リッちゃん。女性。スイスの寄宿学校に学んだが、大変な思いをして日本に帰国、祖母と猫と暮らす。「再建運動」のローテクの工場で働く。朔ちゃんと恋に落ちその子を身ごもる。
祖母:「私」の祖母、繁と隆の母。高齢で病を患う。
マルス船長:祖母の家にいる猫。
繁伯父さん:「私」の伯父。残留組。「大出発」後の混乱期を経た再建運動において「K.Sシステム」を開発した功労者。癌で死亡。
隆伯父さん:「私」の伯父。日本スターシップ公社のリーダー。エリート。知的人類の存続と地球環境の改良に使命感を持つ。
朔ちゃん:隆の子。「私」の年長の従兄弟。「大出発」の宇宙飛行士。「新しい地球」の「治療塔」で若返り、身体から微光を発する。「私」と恋に落ち、「残留組」のネットワークに匿われる。
塙の小父さん:隆伯父さんの友人だが立場は違う。スターシップ計画に反対し「大出発」に際して破壊活動を行い、自らも大火傷を負った。「帰還組」から逃れ地下に潜伏。
下河辺さん:隣の工場の工場長。「私」たちに好意的。
李さん:朝鮮半島出身の宇宙飛行士。朔ちゃんの同僚。地球の病人を「新しい地球」に連れて行き「治療塔」で癒そうと企てる。
高さん:政治家。改造人間との噂を立てられ殺害される。
幸子さん:隣の工場の人。水俣病を煩っている。
井村さん、上野さん:スターシップ公社の人間。
黒い服の男たち:スターシップ公社に抵抗するグループの人びと。
昇:コック見習。
グラスさん:北軽井沢の農場のリーダー。妻は和子さん。子がピーター・太郎とルーシー・静子。
夢の師匠:老婦人。北軽井沢の農場の創立メンバー。予言者「夢見る人」の妻。
ヒカリさん:北軽井沢にいる音楽家。80才くらい。妹がそばにいる。
(コメント)
一応近未来SF。われらがオーケンはSFを書いてみようと思ったのだろう。が安部公房に「きみ、あれはSFではないんじゃないの?」と言われたという話が伝わっている(『大江健三郎・再発見』212頁。集英社、2001年)。他のSFのような宇宙レベルの大活劇を期待すると、裏切られる。だが、執筆当時の1990年頃の全世界的問題意識(特に核戦争の恐怖、エリートと非エリートの分断、環境汚染、科学技術への不信などなど)に立脚して、2040年頃にはこういう事態になっているかもしれない、と予見(想像)して書いたものと言える。核戦争を経て地球は悲惨な状況になった、それでも人間は生き延びようとする、ではいかにして? という問題意識で書かれている。エリートと非エリートの分断は、オーウェル『1984』やあさのあつこ『No.6』を連想させる。またイエーツの詩を援用している。
「大出発」後の残留者たちは、科学技術の進歩と中央集権的管理社会を否定し、ローテク(「器用仕事」)の分散型社会に戻ろうとする。例えば北軽井沢の農場。そこにはリアルな手触りの幸福感があった。
「大出発」を行い「古い地球」に帰還したエリートたちは、謎の「治療塔」(人間ではない別の知的生命体が作ったものに違いない)のお蔭で若返っている。それを不自然なことだと疑問を持った少数の人びとは「治療塔」で若返ることを拒み「叛乱軍」となり、「古い地球」に帰還せず「新しい地球」に残存してコロニーで生活している。
スターシップ公社の計画に従って「古い地球」に帰還したエリートたちは、再び効率重視の科学技術を用いて地球の支配者であろうとする。「残留者」との雑婚を禁じ純血種を守ろうとする。「神的な存在が人類という知的存在を生き延びさせようとしているのかもしれない、それを継承するのは自分たちの使命だ」と隆(スターシップ社のリーダー)は言う。その際大多数の「残留者」たちは劣等の階層とみなされロボットのように使い捨てられて終わるのか? 隆の子・朔ちゃんは疑問を持つ。「肉体改造を受けた人間は、地球の困難のなかで傷ついてもきた人びとのために、奉仕すべきだと思います」と朔ちゃんは言う。
朝鮮半島出身の李さんは、病人を乗せてロケットを「新しい地球」に運び「治療塔」で病気を治そうと企てる。
3 『治療塔惑星』1991年出版
(あらすじ)(ネタバレ)
『治療塔』の続き。「私」が一連の出来事を振り返り「あなた」(謎の知的生命体? あるいは読者)に向けて手紙を書く。「私」の子タイくんが大人になってからの回想だとラストでわかる。
朔ちゃんはスターシップ公社の計画で土星の衛星・タイタンに行き、「新しい地球」と「古い地球」の通信の中継をすることになった。「治療塔」の情報を何とかして入手するためだ。父親の隆は日本スターシップ公社の総裁だ。「帰還者」と「残留者」の和解が政策的に進められたのだ。朔ちゃんと「私」は広島の原爆ドームを見に行った。「ここはもしかしたら地球上に最初に建造された『治療塔』だったのかも知れないね・・」と朔ちゃんは言う(1)。朔ちゃんと「私」の子はタイくんと言う。「帰還者」と「残留者」の間にできた子だ。知能は高い。情緒に不安はあったが猫(マルス船長)の死に涙を流したので情緒面の心配はなかった。「新しい地球」から連れて帰った「宇宙ミドリ蟹」は廃棄物を食べてきれいにしてくれる謎の生物だ。祖母は認知症かと思ったが庭の草木の仕事をすることで認知症が治っている。(JS注意:認知症的な症状は治る。認知症は進行を止めることができるだけだと今日の常識では言う)。祖母は「私らはやはりこの地球に生きておるのであって、苦しい失望をするかと思えば、桜の花ざかりにも出会うわけですもの。いのちなりけり、ですよ、なんとかがんばりましょうな!」と言う。
アマゾンの密林に「地球酸素1/4供給機関」なるグループ(リーダーは日系人アナトリオ・キクチ)が水爆を持って立てこもり、南北問題の解決を迫った。国連・スターシップ公社の連合軍との間でアマゾン世界大戦が起きた。キリスト教の終末を待望する狂信的グループも出現したがこれはFBIが抑え込んだ。
朔ちゃんはサターシプ公社の方針でさらに太陽系外の「新しい地球」を再び訪れる。「新しい地球」では、地球に帰還しなかった「叛乱軍」たちがドームの下でコロニーを作って生活している。そこのリーダーはエリ・サンバルというパレスチナ人だ。彼らは「治療塔」で若返りをすることを拒んだ人々だ。後発の李さんもこれに合流していた。彼らはスターシップ公社の、「治療塔」のデータを地球に送る企画に協力する。しかし地球から後発で「新しい地球」に行った人々が、「治療塔」を占有し、コロニーの外で「アウトサイダー」としてゲリラ的に生活している。コロニーと「アウトサイダー」は武力で対立、そこでも核爆発が使われる。
「治療塔」を作った謎の知的生命体は、人類には手の届かない「向こう側」にいるようだ。だが彼らのメッセージを「宇宙共通感覚」で受け止めて地球に送ることはできるだろう。そのための媒体となるべく朔ちゃん自身が木星の衛星タイタンに戻って身体を提供する。地球では朔ちゃんの子・タイくんをはじめ30人の「宇宙少年十字軍」の子どもたちが、メッセージの受け止め手として身体を改造する。
スターシップ公社のこの計画に反対する過激派が爆弾を投げつけ、塙の小父さんと隆伯父さんは死亡。
子供たちが繭カプセルに入れられて身体を改造している姿を見て、「私」は種々に思い惑い、祈る。「どうかこのように厖大な距離をへだてて呼びかわしあっている夫と子供のために、そしてそれに立ち会っている私のために宇宙的な恩寵(グレイス)をおあたえください・・・」もしこの願いがかなえられたなら、私は「感謝の祈り(グレイス)」をいくつもの手紙に書いて送るつもりだ、「それをお読みくださるなら、たとえ私たちの世界が遠からず滅びるものであるにしても、自分らがこのように力をつくしえたことで、その世界のしかも暮れ方に生きる定めをむなしいものとはみなさなかったとおわかりになることでしょう・・・」と「宇宙精神そのものとしてのあなた」に「私」は祈りをささげる。今この「私」が書いている物語こそが、その手紙なのだ。
必要な情報を送り出したあと、衛星タイタンからの通信は突然途絶えた。通信施設そのものが衛星タイタンから消滅した様子なのだ。・・それから歳月が経ち、タイくんたちは大人になった。あのとき宇宙的な種子がこの惑星に撒かれるのに「私」は母親として立ち合った。その発芽と伸長の時にも立ち会っていたい。「しかもいまその時が迫っていることを、私は遥かな以前から知っていたと感じてもいる・・」
(登場人物)
私(語り手):リッちゃん。女性。祖母と猫と暮らす。朔ちゃんと結婚しその子タイくんを育てる。
祖母:「私」の祖母、繁と隆の母。高齢で病を患う。
マルス船長:祖母の家にいる猫。
繁伯父さん:「私」の伯父。残留組。「大出発」後の混乱期を経た再建運動において「K.Sシステム」を開発した功労者。癌で死亡。
隆伯父さん:「私」の伯父。日本スターシップ公社のリーダー。エリート。知的人類の存続と地球環境の改良に使命感を持つ。
朔ちゃん:隆の子。「私」の年長の従兄弟。「大出発」の宇宙飛行士。「新しい地球」の「治療塔」で若返り、身体から微光を発する。「私」と結婚、タイくんの父となる。スターシップ公社の新しい計画に採用されタイタン、さらに「新しい地球」へ。
タイくん:「私」と朔ちゃんの子。不思議な存在。
塙小父さん:隆伯父さんの友人だが立場は違う。地下に潜伏していたが今は隆伯父さんに協力。
下河辺さん:隣の工場の工場長。「私」たちに好意的。
李さん:朝鮮半島出身の宇宙飛行士。朔ちゃんの同僚。地球の病人を「新しい地球」に連れて行き「治療塔」で厭そうと企てる。
エリ・サンバル:パレスチナ出身。もと教師。「新しい地球」の「叛乱軍」のリーダー。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教を再統合した宗教を確立。「治療塔」については拒否。
オールト大尉:スターシップ公社が「新しい地球」に送り込んだ軍人。アメリカ人。兵器の専門家。
マクファーソン伍長:オールト大尉の部下。
ピーター:「コロニー」サイドからレーザー銃を奪って「アウトサイダー」側に寝返った少年。実はサンバルの子だとあとでわかる。
昇君:食品管理責任者。
反・スターシップ公社運動のネットワークの人々:市民運動のデモを行う。
ヒューマニタリアニズムの活動家たち:子どもを科学実験の危険にさらすなと主張する過激派。
(コメント)
父子関係がいくつか出てくる。隆と朔ちゃん、朔ちゃんとタイくん、サンバルとピーター。
母子関係も出てくる。祖母と繁、隆。「私」とタイくん。
われらがオーケンの妄想の話で、付き合う必要がない、と言ってしまえば言える。読みにくい。一文が長い。連体修飾部が多い。もっと簡単に書ける。今の若い人には読みにくいだろう。『鬼滅の刃』の方が売れる。私自身は、『芽むしり仔撃ち』『個人的な体験』『万延元年のフット・ボール』などでは読み進むのに困難は感じなかった。が本作は読むのに困難を感じた。私が衰えたのか、オーケンの悪文度が高まったのか、あえてこのような文体を採用しているのか? だが、内容は盛りだくさんだ。核戦争後の近未来SFだ。宇宙にある「新しい地球」でも貴重な「治療塔」の奪い合いで核兵器が使用される。地上でも水爆を奪ってテロを行う、南北対立や東西対立がある。(東西冷戦や南アフリカの黒人差別が残っている世界になっている。この点現在(2025年)の実情と少し違う。)廃棄物の問題。ハイテクかローテクか。党派対立の問題。エリートと非エリートの分断。人類の手の届かない「向こう側」に神のような知的生命体は存在するのか? そのメッセージを読み取るにはどうすればよいのか? 「宇宙共通感覚」のようなものを用いるのか? だが、そのためには高度な科学技術を駆使して、朔ちゃんやタイくんが犠牲になるしかないのか? ラスト近くのタイくんの描写は惨たらしい。人類の存続のために選ばれた30人がこのような目にあうことはよいことなのか? それとも単なる手術のようなもので、心配はないのか?
フィリピン人の母親が言った、「ワタシラ世界、地球ノ人類、関係ナイ!」(16)
また、「私」も思わず言う、「『治療塔』は、人間にとって本当に必要なものなんでしょうか?」(16)
この問いは重要だと私は考える。今目の前の具体的な夫や子供と生きている家族・人間を引き裂いてまで、抽象的で実態の定かではない「地球の人類の救済」などを優先すべきなのだろうか? (わかりやすい例に直すと、国家や民族の「悠久の大義」などという抽象的なもののために目の前の夫や子供を特攻隊として出すべきなのだろうか? それはおかしい。)神のような知的生命体の意志が存在するかどうかはわからないが、知的人類が人類として生き延びるために必要な処置をしようとして、例えば①「残留者」たちを劣等の階層として蔑視する、あるいは②一部のエリートが家族を破壊され夫や子を奪われる。①『治療塔』ではエリート「帰還者」が威張って落ちこぼれ「残留者」を支配する構造だが、②『治療塔惑星』では反対にエリートの朔ちゃんと「少年十字軍」が奉仕のために(『治療塔』で朔ちゃんが言ったように)あえて自己犠牲を行う。①②は逆転したかたちになっている。オーケンは実験的に反対の構図にして、読者に問いかけたのだろうか? だが①②いずれにせよ、選ばれた誰かがいて、人類なる種を存続させるべく努力し、その過程で誰かが犠牲になることに変わりはない。選ばれたエリートに特別な使命があり、誰かが犠牲(人身御供=ひとみごくう=と言ってもいい)になる、という発想だ。それでいいのだろうか? 考えさせられる。
本作ではサンバルの提唱した世界宗教的な思想が紹介されている。「大出発」の後「残留者」たちの中で力を持った、キリスト教もイスラム教も仏教も含まれた、「素直な祈りからなる宗教」と書いている。それは「新しい地球」のサンバル司令官の思想とも通じるものだった。地球の「残留者」と「新しい地球」の「叛乱軍」に受け入れられた思想だ。(11)(225~226頁)彼らは今のところ誰も「治療塔」を経験していない。
隆や朔ちゃんも含め「治療塔」を経験者のエリートも含めると、どうなるのだろうか? 人類の手の届く「むこう側」に存在する知的存在からのメッセージを「宇宙共通感覚」で受け取るために、高度な科学医術を使って、朔ちゃんとタイくんはじめ「宇宙少年十字軍」の子ども30人が身体の改造をする。それはスターシップ公社の方針だ。(15)(260頁)
イエスもモハメッド(ムハンマド)も釈迦も朔ちゃんやタイくんと同じような存在で、宇宙意志のようなものをキャッチする存在だった、とTVの「世界宗教」の番組は教える。
「向こう側の宇宙とこちら側とを媒介してくれる『あの人』が、いまこそ私たちに必要なのだ」と「私」(リッちゃん)は思う。(16)(270頁)これは、「治療塔」を経験していない人々の「世界宗教」と、「治療塔」を経験したエリートたちとの科学的な考え方と、その二つを接合した結論で、「私」が現実の中でいやおうなく出さざるを得なかった結論だということだろう。だが「私」は思い惑う。
「私」(リッちゃん)は、夫と子どもが共に危機に陥るのではないか、と危惧を持つ。しかしそれでも、本当に「向こう側」の宇宙の知恵と技術をさずかり「こちら側」の限界を超える日が来るならば、かれらは地球人類のために「治療塔」を作りうるかもしれない、と自分に言い聞かせるように結論する。(16)(270~272頁)
そこで、上記(あらすじ)で紹介した「祈り」が出てくる。繰り返そう。「どうかこのように厖大な距離をへだてて呼びかわしあっている夫と子供のために、そしてそれに立ち会っている私のために宇宙的な恩寵(グレイス)をおあたえください・・・」もしこの願いがかなえられたなら、私は「感謝の祈り(グレイス)」をいくつもの手紙に書いて送るつもりだ、「それをお読みくださるなら、たとえ私たちの世界が遠からず滅びるものであるにしても、自分らがこのように力をつくしえたことで、その世界のしかも暮れ方に生きる定めをむなしいものとはみなさなかったとおわかりになることでしょう・・・」と「宇宙精神そのものとしてのあなた」に「私」は祈りをささげる。
オーケンは渡辺一夫の弟子として無神論を標榜(ひょうぼう)しているが、一時期(『燃え上がる緑の木』のころ。つまりノーベル賞のころ)クリスチャンになろうと言っていた時期がある。その後どういう心境の変化があったかは知らない。『宙返り』(未読)で再逆転するのだろうか。オーケンにおける神信仰の問題は簡単ではなさそう。「新しい人」というキーワードは新約聖書『エフェソスの信徒への手紙』と関係があることは有名だ。本作のオーケンは神信仰の一歩手前まで行っているかもしれない。科学で説明しうる限り説明しようとしてもなお説明しきれないその向こうに、何かがある。それを本作では宇宙人のような存在なのか、宇宙意志とも言うべき何かなのか、あるいは文字通り神なのかは、結論付けていない。だが、「私」の切ない祈りに答えるのが神だとすれば(市場で売られている雀の羽の一本まで数えあげているのが神)、壮大な宇宙意志のようなものによって個々人が犠牲になるのは、神の意志ではないように私には思えるのだが・・だが、神の意志はまことに人知を超えていて、こうだと簡単に言えることではない。
『治療塔』『治療塔惑星』二作合わせて全集版で250頁。それほどの長編ではない。だが、考えるべきコンテンツのたくさんある作品だった。核戦争後のほぼ終末状況にある地球と宇宙を描き、核に汚染されてもそこで終わりではなく否応なく苦しい日常が続く、その中で「私」は神に祈らざるを得ない。そこで救済が必ずある、と言えば黙示文学になるが、本作では救済を確約しない。祈りがあるばかりだ。救済の確約なき終末黙示文学、祈りの文学と言うべきか。
とりあえずここまで。