James Setouchi
2025.11.14
ドストエフスキー『白痴』 新潮文庫 木村浩・訳 上下二巻(昭和45年)
Фёдор Миха́йлович Достое́вский “ИДИОТ”
1 作者ドストエフスキー 1821~1881
19世紀ロシア文学を代表する世界的巨匠。父はモスクワの慈善病院の医師。1846年の処女作『貧しき人びと』が絶賛を受けるが、’48年、空想的社会主義に関係して逮捕され、シベリアに流刑。この時持病の癲癇が悪化した。出獄すると『死の家の記録』等で復帰。’61年の農奴解放前後の過渡的矛盾の只中にあって、鋭い直観で時代状況の本質を捉え、『地下室の手記』を皮切りに『罪と罰』『白痴』『悪霊』『未成年』『カラマーゾフの兄弟』等、「現代の預言書」とまで呼ばれた文学を創造した。 (新潮文庫の作者紹介から。)
2 ドストエフスキー年譜 (NHKブックス 亀山郁夫『ドストエフスキー父殺しの文学』の年表を参考にした。)
1821( 0歳)帝政ロシア時代の地主の家に次男として生まれる。
1834(13歳)モスクワのチェルマーク寄宿学校に学ぶ。
1837(16歳)母マリヤ、結核で死去。ペテルブルグの寄宿学校に学ぶ。
1838(17歳)中央工兵学校に入学。
1839(18歳)父ミハイルが農奴によって殺される。
1843(22歳)工兵学校を卒業、陸軍少尉となる。工兵局に就職。
1844(23歳)工兵局を退職。『貧しき人々』の執筆に専念。
1845(24歳)『貧しき人々』完成、べリンスキーの絶賛をうける。
1847(26歳)ペトラシェフスキーの会に接近。べリンスキーとは不和。
1848 (マルクス「共産党宣言」)
1849(28歳)ペトラシェフスキーの会のメンバーとともに逮捕。死刑宣告ののち恩赦でシベリア流刑。
1853~56 クリミア戦争
1854(33歳)刑期満了。シベリア守備大隊に配属。
1857(36歳)知人イサーエフの未亡人マリヤと結婚。
1859(38歳)ペテルブルグに帰還。
1860(39歳)『死の家の記録』の連載開始。
1861(40歳)農奴解放宣言。だが農奴は土地を離れ貧困化し大都市に流入した。
1864(43歳)『地下室の手記』。妻マリヤ、結核のため死去。
1866(45歳)『罪と罰』連載開始。
1867(46歳)速記者アンナと結婚。
1868(47歳)『白痴』連載 (明治維新)
1871(50歳)『悪霊』連載開始。
1875(54歳)『未成年』
1879(58歳)『カラマーゾフの兄弟』連載開始。
1881(60歳)1月死去。3月、皇帝アレクサンドル2世暗殺される。
1904~ 日露戦争
1917 ロシア革命
3 『白痴』極めて簡単なあらすじ(少しネタバレ)
ペテルブルグ。スイスから青年ムイシュキン公爵が帰ってくる。彼はエパンチン将軍家と交わり、そこの三女・美しいアグリーヤと結婚するかに見えたが、ムイシュキン公爵には同時にナスターシャという驚くべく美しい、しかし悲劇的な運命を抱える女性がつきまとっていた。ナスターシャのそばにいるロゴージンには悪い噂もつきまとう。ムイシュキン公爵は周囲から「白痴」と呼ばれるほど底なしに善良で美しい魂を持った人間だった。果たして彼らの運命は・・?
4 『白痴』主な登場人物(かなりネタバレ)
(ムイシュキン公爵とその過去に関係する人びと)
レフ・ニコラエヴィッチ・ムイシュキン公爵:27才くらい。髪はブロンド。公爵家の血を引く最後の一人。両親を早く亡くし、金持ちのニコライ・アンドレエヴィッチ・パヴリーシチェフに育てられた。てんかんの病を持ち、スイスで療養していたが、ペテルブルクに帰ってきた。伯母の巨大な遺産を相続する。全く善良で美しい魂を持った青年貴族。「完全に美しい人間」を描きたかったと作家自身は言っている。周囲からは「白痴」とみなされている。
ニコライ・アンドレエヴィッチ・パヴリーシチェフ:故人。金持ち。幼いムイシュキン公爵を引き取って育てた。
シュネイデル先生:ムイシュキン公爵の子ども時代の世話役。
ニキーシチナ姉妹:パヴリーシチェフの親類。ズラトヴェールホヴォ村で幼いムイシュキン公爵を育てる。マルファは厳しく、ナタリヤはやさしかった。実はプチーツィンの従妹。
(エパンチン将軍家)
リザヴェータ・プロコフィエヴナ:エパンチン将軍の夫人。ムイシュキン公爵家につらなる一人。善人だが思い込みが激しい。
イワン・ヒョードロヴィチ・エパンチン将軍:エパンチン家の主人。一時ナスターシャの誘惑に負ける。
アレクサンドラ:エパンチン家の長女。25才。
アデライーダ:エパンチン家の次女。絵を描く。
アグラーヤ:エパンチン家の三女。大変美しい。ムイシュキン公爵と恋に落ちた?
ペロコンスカヤの《おばあさん》:リザヴェータ夫人の保護者。モスクワにいる上流夫人。アグラーヤの名付け親。
(ナスターシャ周辺の人びと)
ナスターシャ・フィリッポヴナ:フィリップ・アレクサンドロヴィチ・バラシュコフという退役士官の娘。父が亡くなり、トーツキイに養育される。トーツキイの妾になったとの噂も。絶世の美女となってペテルブルグに現われ、多くの男を振り回す。ムイシュキン公爵とロゴージンとの間で苦悩する。悲劇的な運命を背負っている。ムイシュキン公爵に惹かれつつも結局逃げ出してしまうのは、自分は汚れた女で公爵にふさわしくないと思っているからだろう。(だが本当は汚れてはいない、と心から分かれば、彼女も安心して生きていけるはずなのだが? 公爵の美しさがナスターシャを卑下させたのだとしたら? ナスターシャにとってはロゴージンの居場所が気楽にいられる場所だったのでは? など様々に考えさせてくれる)
トーツキイ:上流階級の紳士。ナスターシャを養育した。自分はエパンチン家の長女アレクサンドリアと結婚したいので、ナスターシャに多額の持参金をつけてイヴォルギン退役将軍家の長男ガヴリーラと結婚させたいと考えている。55才で金持ち。
イワン・ペトローヴィチ・プチーツィン:金貸し。ナスターシャの近付きの一人だったがワルワーラと結婚する。
フェルディシチェンコ:若い官吏。ナスターシャの取り巻きの一人。
パルフョン・セミョーヌウィチ・ロゴージン:髪は黒い。27才。ナスターシャの恋人。ムイシュキンがペテルブルクに帰還して最初に知り合った青年。二人はなぜか接近し、十字架を交換するまでになる。ロゴージンにとってもムイシュキン公爵は心惹かれる人格だったのだ。が、二人はナスターシャをめぐり難しい立場になる。ムイシュキン公爵がキリスト的な存在であるのに対し、ロゴージンは反キリスト(悪魔)の役割を負っていると言えるかも知れない。その家は陰気な感じがし、ハンス・ホルバインの絵画の模写「たったいま十字架から降ろされた救世主」の像(第2編の4)(JS注1)が掲げてある。その父は商人で、ロシア正教の非改宗派とスコペエツ派(禁欲主義的な一派)(JS注2)に近しかった(第2編の3)。最後は・・
ケルレル:退役中尉。ロゴージンの取り巻きの一人。拳闘をする。当初ムイシュキン公爵を敵だと見ていたが、のち公爵に惚れ込む。
アンチープ・ブルドフスキー:パヴリーシチェフ(ムイシュキン公爵の育ての親)の忘れ形見? ロゴージンの取り巻きの一人。ムイシュキン公爵を敵だと見ていたが、のち公爵に惚れ込む。
ダリヤ・アレクセーエヴナ:トーツキイの古くからの友人で、ナスターシャの知人。40才ばかりの元気のいい奥さん。
(イヴォルギン退役将軍家)
イヴォルギン退役将軍:引退した老人。善人だが酒や賭け事に耽り、過去の栄光を虚実をまじえて吹聴する(虚言癖がある)困った人物。ナポレオンのモスクワ侵攻時にまだ子どもだった自分が皇帝ナポレオンに近侍して歴史を変えたことがあるなどの発言は、酒と老いのもたらす妄想であろうが、それを語る老退役将軍の老残の姿は、帝政ロシアの栄光がすでに過去に去りつつあることを印象づける。
ニーナ・アレクサンドロヴナ:イヴォルギン将軍の夫人。
ガヴリーラ・アルダリオノヴィチ(ガーニャ):イヴォルギン将軍の息子。持参金の多いナスターシャと結婚させられるはずだったがアグラーヤにも惹かれている。28才。
ワルワーラ:ガヴリーラの妹。エパンチン家の娘たちの幼なじみだった。23才。兄のためにエパンチン将軍家に近づく。プチーツィンと結婚する。
コーリャ:ワルワーラの弟。13才。ムイシュキン公爵と仲良くなる。
(レーベジェフ家)
ルキヤン・チモフェービチ・レーベジェフ:役人。上流階級の噂を聞きつけてはうまく立ち回ろうとする男。妻はつい最近亡くなった。黙示録の講義をする。(JS注3)
ヴェーラ:レーベジェフの娘。20才。ムイシュキン公爵と親しくなる。
ターニャ:ヴェーラの妹。13才。
リュボーフィ:ターニャの弟。1才。
ウラジミール・ドクトレンコ:レーベジェフの妹アニーシャの子。反抗的な15才。
(その他の人びと)
イポリート・チェレンコフ:コーリャの親友。結核で死の床にある。西洋の辞書的な知識を振り回し毒舌を吐く少年。父はいない。母マルファ・ポリーソヴナは大尉夫人。弟や妹がいる。
Щ(シチャー)公爵:エパンチン公爵家に出入りする貴族。35才。アデライーダと近しい。
エヴゲーニイ・パーヴロヴィチ・R(ラドムスキー):エパンチン将軍家に出入りする一人。28才。侍従武官で美男子。名門の生まれ。学も財産もある。アグラーヤの夫候補の一人。だが、伯父のカピトン・アレクセイチ・ラドムスキーが公金費消で自死し、立場が悪くなる。
5 『白痴』 コメント(私見)
結構面白い。昔読んで、今回再読。悲劇ではある。
念のためお断りするが、今は「白痴」という言葉は差別的なので使わない。本作では「イディオット」という言葉を題名としており、本文中でも主人公は「白痴」だということになっている。なお「イディオット」とは、「ばか、まぬけ、白痴」の意味で、原語はギリシア語で「官職に就けない人」という意味だそうだ。本文を読むと、主人公のムイシュキン公爵は周囲から「白痴」と言われているが、なかなかどうして、「一見ばかかと思わせるほど善良で純粋な魂を持った人物」であり、彼を「白痴」呼ばわりしている周囲の(当時のロシアのペテルブルグの)人びとこそ、愚か者ではなかったか、と作家は問いたげである。(訳者の木村浩が新潮文庫「あとがき」で問いかけている。)(太宰治の『人間失格』の主人公こそ純粋な魂を持ち「人間合格」であ
ったかも知れないのを連想する。)
物語は、
(1)ナスターシャをめぐる男性の対立(ロゴージンとムイシュキン公爵)、ムイシュキン公爵をめぐる女性の対立(アグラーヤとナスターシャ)、アグラーヤをめぐる男性の対立(ムイシュキン公爵とガヴリーラなど)など、若い男女の錯綜した関係を中心として進む。プライド、財産、愛情、家柄などが絡み合う。
同時に、
(2)ロシアの上流家庭(エパンチン将軍家やイヴォルギン退役将軍家)、中流家庭(役人レーベジェフの家)、彼らから身分が低いと蔑まれているが実力をつけてきた階層(商人のロゴージンたち)らの交錯と混乱が描かれる。
さらに、
(3)西欧からきた無神論・科学主義とロシアの精神(キリスト教信仰を含む)との関係も問われる(ドストエフスキー作品では常に問われる)。
このうち(3)についてのみ触れてみる。
若いイポリートは病で死ぬことに脅え「弁明」なる長い長い手記を人びとの前で朗読する。イポリートは「個人的な善行」と「組織だった《社会的慈善》は対立するものではない、とする。人は自分の善行を他人に与え、この世に残すことが出来る。ロゴージンの家で見たホルバインの絵を見て、キリストは自然に勝てなかったと感じた。キリストをも打ち砕く「巨大で暗愚で傲慢で無意味に永久につづく力の観念」をこの絵は表現している。(第3編の6)自分の自由意思でできる仕事は死ぬ以外にはなさそうだ。(第3編の7)これがイポリートの「弁明」の内容だ。
こうしてイポリートはピストル自殺を試みるが、失敗する。しかも彼は周囲の援助によって病がやや回復しまだしばらく延命する(のちには病死するが)。イポリートはまだ若く、考えがまとまっていないところがあるが、無神論であり、キリスト教を否定し、個人の善行と社会組織の変革を肯定する立場だ。かつ自分の自由を求め、自由意思で出来ることは自死以外にないと結論づける。数年後の作品『悪霊』のキリーロフの思想の生煮えのような思念がここには表明されている。それは西欧との接触後の混乱の中でロシアの大地から遊離した妄想的思念だ、と作家は言うだろうが、そのような妄想的思念に作家自身も(当然)何度も取り憑かれたに違いない。
ムイシュキン公爵は、作品の前半では穏やかで礼儀正しい。相手が悪意を持って臨んできても、本当は相手は善良な人物だ、と信じ抜くことで、相手の信頼を勝ち得ていく。人びとは次々とムイシュキン公爵のファンになっていく。だが、後半、アグラーヤとの婚約が成立しそうになり社交界デビューをするまさにその場で、公爵は突然別の姿を見せる。きっかけは育ての親パヴリーシチェフに対する政府高官殿とプチーツィンの批判的な会話だった。(公爵はアグラーヤとの関係で異常な心理状態にあったのかもしれず、過度の興奮で疲労し病が進行していたのかも知れないが。)公爵は会話の中で長い長い演説をしてしまい、社交界から落伍者のレッテルを貼られることになる。公爵は言う、
・パヴリーシチェフは真のキリスト教徒だった。カトリック(特にジェスイット派)に屈服するはずがない。(JS注4)
・ローマ・カトリックは、非キリスト教的な信仰だ。無神論よりももっと悪いくらいだ。歪められたキリストを説いている。
・ローマ・カトリックは、全世界的な国家権力がなければこの地上に教会を確立することが出来ないと叫ぶ。
・ローマ・カトリックは、西ローマ帝国の継続に過ぎない。法王は、地上の玉座を掌握して、剣を取った。
・ロシアと違いヨーロッパでは、大衆そのものの大部分が、信仰を失い始めている。
・社会主義も、カトリックの産物だ。無神論と同様、絶望から生まれたものだ。暴力による自由を訴えている。
・わがロシアのキリストを彼らに突きつけ輝かせるべきだ。
・ロシアではカトリックになればジェスイットになる。無神論者になれば暴力(剣)を持って立ち上がる。それは精神的な渇き、祖国への憧憬から生まれる。『自分の足下に地盤を持たぬ者は、神をも持たぬ』と非改革派の商人の言うとおりだ。
・ロシアの人間に、ロシアの《世界》を、地中に潜む黄金を、財宝を、与えてやってほしい。
・ロシアの思想と、ロシアの神と、キリストによってのみ成しとげられるかもしれぬ全人類の復興と復活を未来において啓示してやってほしい。(剣と暴力によってではなく。)
このようなムイシュキン公爵はまくし立て、パーティの参加者たちに呆れられる。語り手によれば、上流階級の社交界のパーティーでは偽善的な会話をするのが当たり前であって、公爵のような振る舞いをしてはならないのだが、公爵は初めてだったので、「やらかして」しまったのだ。さらに中国製の高価な壺を割ってしまうというおまけまでついて。
社交界に「不適切な」公爵の振る舞いはさておき、その弁論の内容はどうであろうか。
私の乏しい知見では、上記のカトリック批判は、むしろ、ロシア正教(ビザンチン帝国以来皇帝権力と一体化)に対する批判ではないのだろうか? 詳しくないので、詳しい方にご教示を賜りたい。西ヨーロッパでは、皇帝とローマ法王は別の権力・権威であって、一方が他方を凌駕したこともあれば、力関係が逆転したこともある。もちろん癒着したこともあるが、教会は地上の権力を相対化する役割を担っていたのが原則のはずだ。東ローマ帝国(ビザンチン帝国)ではどうか。皇帝教皇主義(カエサロパピズム)とかつては言われたが、最近はその表現は不適切だとしてあまりなされず、皇帝と教会は「ビザンチン・ハーモニー」という関係にあった、と表現する方が妥当である、とされる。(「世界史の窓」というサイトに書いてある。高橋保行『ギリシア正教』(講談社学術文庫、1980年)から引いている。ビザンチン・ハーモニーについては同書87頁から後。それはハーモニーであって政教分離という考え方は生じない、皇帝に対し国の両親として真向から対立する総主教はビザンチン帝国の流れの中で何人も見られる、と高橋氏は記す(同書88~90頁)。高橋氏は日本ハリストス正教会の司祭。)その後のキエフの教会や作家の同時代の19世紀のロシア正教や今(2025年)のロシア正教会はどうか。今のロシア正教会はプーチンのウクライナ侵攻を批判できていない。今だけの特殊事情だろうか。知らない。ドストエフスキーの時代には、ロシア正教は帝政ツアーの体制下の人びととともにあった。ヨーロッパの知識を入れ(近代化、西欧化)つつも、旧来の体制にしがみついて上流階級の人々は生きていた。それに対して、ロシア土着の真のキリスト教信仰に戻るべきだ、ヨーロッパ的な剣と暴力(西欧的な近代国家の軍事技術など)によるべきではない、その道のみがロシアを、ひいては世界を救う、とムイシュキン公爵は主張しているように見える。(2025年のプーチン氏との違いは、プーチン氏は軍事技術で侵攻してしまった点にある。今のロシア正教の教会はプーチン氏を批判できていない。)公爵の主張は、体制内上流貴族たちにとっては、ラディカルに過ぎる思想であって、受け入れられない、公爵は錯乱した、ということになるのであろう。ムイシュキン公爵の主張を正しいとするならば、それをまとに受け入れることの出来ない体制派の上流階級のロシア人たちの欺瞞を、語り手(作家)は批判している、つまり本作品は帝政ロシアの社会に対する批判の書だ、ということになろう。政治的批判であって西欧的改革を主張するのではない。ロシアの昨今の精神のあり方への批判であって、ロシア的な(もしかしたらニコンの改革以前の)敬虔なキリスト教信仰への立ち返りを主張している。
では、現代日本においては、どうか。明治以降の西洋化・近代化を否定して、江戸までにあった素朴な庶民・平民の神仏への信仰心を含む「伝統的な」精神と生活のあり方に戻れ、ということになるのであろうか? (西洋化・近代化の中で成立した明治の国家神道に帰れ、ではないはず。)夏目漱石『坊っちゃん』の清の世界、中勘助『銀の匙』の伯母さんが主人公を溺愛して連れて行ってくれたこんにゃく閻魔などの息づく世界、ラフカディオ・ハーンが愛した日本の幽霊たちや熊本のお地蔵様の世界は、西洋化・近代化する帝国日本によって無残にも踏みにじられる。その、帝国日本以前の日本の民衆の生活に息づいていた価値観や生活感覚、情愛の世界に立ち戻ろう、ということになるのだろうか? これは別の機会の課題としたい。
JS注1 ホルバインの絵:スイスにある。作中ではムイシュキン公爵もスイスで見たことがあることになっている。細長い絵で、死んだキリストが横たわっている。非常に陰惨で暗い印象の絵だ。「人によってはあの絵のために信仰を失うかも知れない」とムイシュキン公爵は言う。ホルバインがなぜそのような絵を描いたかは知らない。私見だが、キリスト(神の子、あるいは神自ら)が人類の味わいうる最も惨めで孤独な死を死に、しかしその中から復活し栄光を得るところに、キリスト教信仰の大切な秘密があるのでは?
JS注2 スコペエツ派:スコプツィ。去勢派。去勢派は厳密には古儀式派(スタロオブリャドツィ)ではない、とwikiは書いている。古儀式派に対する正教会側からの呼称は分離派(ラスコーリニキ)であって、正教会の体制側からは去勢派も分離派の一派とみなされるのかもしれない。去勢派は鞭身(べんしん)派を批判してそこから分かれた。異端(カルト)視されることも多い。中澤敦夫「マゾッホ論文『ロシア正教系の異端宗派』(1889)をめぐって」(立命館言語文化研究37巻1号)が参考になるかも知れない。ドストエフスキー作品にはロシア正教の異端がしばしば登場する。例えば、『カラマーゾフの兄弟』のスメルジャコフは去勢派の可能性がある(亀山郁夫の本に書いてあった)。なお、分離派=ラスコーリニキから『罪と罰』の主人公の名前が取られていることは有名である。ロシア正教の本体はニコンの上からの改革(1600年代。ドストエフスキーより200年前)以来西洋化して堕落した、とみなせば、当然、異端派(分離派やその他の異端派)にロシアの民衆の正しい信仰が生き残っているかもしれない、となるはず。では、本作ではロゴージンにこそ正しい信仰があるか? と言うと、そうは感じられない。ロゴージンは帝政ロシアの体制派およびムイシュキン公爵の敵対者ではある。あるいは、体制派の敵対者であるロゴージンの反対の存在であるムイシュキン公爵にこそ、体制派でもないロゴージン的でもない、本来のキリスト者のイメージを作家は投げかけようとしたのかもしれない。しかもその公爵が受け入れられないとすると、彼を排除する帝政ロシアの社交界とは一体何なのか? と問わねばならぬことになる。(以下の表は整理用のまとめ)
*帝政ロシアの体制的ロシア正教・・ニコン以来堕落
*ニコンの改革を拒否したグループ(分離派および諸セクト)は民衆の中に
古儀式派 鞭身派 去勢派(スコプツィ) 逃亡派
JS注3 黙示録:レーベジェフは新約聖書ヨハネ黙示録の講義をする。黙示録8章11節のいんちん星(にがよもぎ=チェルノブイリ。第三の天使がラッパを吹くとこの星が天から落ち水が汚染され多くの人が死ぬ。)について、ヨーロッパ一円に広がる鉄道網だ、とレーベジェフは解釈する(第2編の11)。レーベジェフはヨーロッパから来る近代の科学技術・文明の普及が終末をもたらすと考えているのだろうか。或いは逆にそれが最終的な救済につながると? イポリートが引用する「そののち時を延ばすべからず」(第3編の5)は恐らく黙示録10章の6「もはや時が延ばされることはない」(「もはや時がない」「この後、時は延ぶることなし」などの訳がある)のことだろうが、これも終末の恐るべき状況を描写する箇所の一つだ。黙示録は全22章あるので引用箇所はまだ半ばだが、イポリートは自分の死期が近いことを意識してこれを言ったのだろう。
なお黙示録は「啓示」「アポカリプス」とも言う。紀元後90年代の成立か。当時はローマによる迫害が厳しかった。信者を励ますためパトモス島かエフェソスで書かれたと言われる。受け取り人はエフェソスはじめ七つの教会。七は全ての、の含意だとすると、世界の全教会が対象と解釈できる。終末と審判と黙示録ばかり強調して聖書を読むのはどうかとは私は思うがドストエフスキーは作中で巧みに使っている。
付言だが、黙示文学と言えば旧約のダニエル書、新約のヨハネ黙示録が代表で、ほかにいくつかの外典・偽典がある。預言文学と黙示文学はどう違うか? いずれも、神の意志を伝える、示された言葉だが、預言文学が現実の状況に対する神の審判を告げるのに対し、黙示文学は迫害下で苦しむ人びとに希望を与え救いを明示する。人間的正義を地上に打ち立てることに絶望し、超越的絶対なる神の力にだけ唯一の希望がかけられる。(日基教団『聖書事典』1961年、806頁ほか)ドストエフスキーは周知の如く非常に追い詰められた人生を生きてきたので、黙示文学に共感する気持ちもあったのかもしれない。
日本にも終末論的ユートピア思想はある。詳細は省略する。
JS注4 ローマ・カトリックとジェスイット派:ドストエフスキーがローマ・カトリックとジェスイット派(イエズス会)を嫌っていたことは、他の作品の書きぶりからも想像できる。だが、ローマ・カトリックとジェスイット会を正確に彼が理解していたかどうかは、あやしい。少なくともローマ・カトリック=ジェスイット会ではない(ジェスイット会は一つの修道会派にすぎない)し、ローマ・カトリックは権力をむしろ相対化・批判する時代が長かっただろう。但し例えば今のアメリカが強大な軍事力を持ちつつキリスト教の名においてそれを行使するなら、ムイシュキン公爵のこの批判はあたっている、ということになってしまう。ロシアやイスラエルの軍事力行使も同じ。
日本では上智大と栄光学園(横浜)、六甲学院、広島学院、泰星学園(福岡)がイエズス会だ。これらについてそんなに嫌うこともあるまいと私は思うが・・ドストエフスキーは官憲の目を気にしてローマとジェスイット会を悪玉に仕立てているのかも知れない。ジェスイット会(イエズス会)は宗教改革に対抗する時代にバスク出身のイグナチオ・ロヨラが作りフランシスコ・ザビエルは日本にもやってきた。世界への布教、あたかも軍隊のような規律で有名だ。ローマ・カトリックには、それ以外にも、ドミニコ会やフランシスコ会、マリア会、カタリナ会などなど多数の修道会がある。ローマ・カトリック=ジェスイット会(イエズス会)、ではない。ドストエフスキーがどうしてそう思い込んだのかは知らない。
なお作品の読解としては、ここでローマ・カトリックとジェスイット会を同一視しているのは、ムイシュキン公爵であって、作家その人ではない。だが、この作家の他の作品にも、似た発想が見られる。『カラマーゾフの兄弟』にも同様の視点が出てくる。イワンの「大審問官」がそうだし、ゾシマ長老の造型についても議論がある。作家自身の問題意識であり、もしかしたら体制的ロシア正教への婉曲な批判(風刺)であるのかもしれない、と私は考えてみた。ざっくりまとめると、
*ヨーロッパから来た無神論、社会主義に対しては批判する。(ポーズだけかもしれないが・・)
*ローマ・カトリック、ジェスイット会についても批判する。
*体制化したロシア正教に対しても(婉曲に)批判する。体制派貴族たちの没落を予感している。
*体制化しなかった分離派やそのほか種々のセクト、ロシアの民衆に息づく信仰に対しては関心を(もしかしたら共感を)もつ。
・・・どうだろうか?
(ロシア文学)プーシキン、ツルゲーネフ、ゴーゴリ、ドストエフスキー、トルストイ、チェーホフ、ゴーリキー、ソルジェニーツィンら多数の作家がいる。日本でも二葉亭四迷、芥川龍之介、小林秀雄、椎名麟三、埴谷雄高、加賀乙彦、大江健三郎、平野啓一郎、金原ひとみ、などなど多くの人がロシア文学から学んでいる。