James Setouchi

2025.9.21(日)

 

読書会記録 ティム・オブライエン『本当の戦争の話をしよう』 村上春樹訳

実施日9月20日(土) 担当:I

テキストは文春文庫

 

(出た話)わかりやすくするために会話の順番は多少入れ替えてある。

 

・「『兵士たちの荷物』の19頁でマーサの左ひざがよく出てくるが、なぜか?」「おや、わからないな」「映画『俺たちに明日はない』(当時のニュー・シネマ)を一緒に見に行き、マーサの左隣にクロスは座った。だからマーサの左膝が当たって気になったのでは?」「バレーボールの写真で地面に水平とは?」「それは、ボールを拾うときに左手を伸ばし左膝に体重をかけ右足が伸びた、こういうポーズでは?(ポーズ)」「なるほど」「バレーボールはアメリカのYMCAが働く女子のために考案した。当時比較的新しいスポーツだったかも(JS補足:後で調べると1895年考案とある。1968年には女子大などにも普及していたということだろう)」「日本でも紡績工場で働く女子がレクリエーションで行っていたが、やがてその中から1964年の東洋の魔女が出現した。しごいたのは鬼の大松という監督で、インパール帰り。今ならパワハラ、セクハラの連続だが、当時は部員に慕われていたそうだ。でも最後の目標はお嫁さんになること。今ならジェンダー的にどうかと言われる(新雅文『「東洋の魔女」論』)」「あのときのマーサとは別に、大人になった後年のマーサも書いている。マーサは女宣教師になり、看護師になり、世界の現場で貢献している。独身だ。マーサにはマーサの長い年月の積み重ねがあったことを示唆している」「この話はクロス中尉が戦場での苛烈な経験を経て軍人に変容する話でもある」

・「23頁の小石の色(オレンジと紫)の含意は?」「これはわからない」「きれいな色が鮮やかに記憶に残っているだけかも」

 

・「『』の55頁でクロスが『書かないでくれ』と言った『あのこと』とは何か?」「それは私も分からなかった」「何だろう」「もしかしたら、クロスが野営地を誤ったせいで兵士たちが死んだこと? ティムは『書かない』と約束したがそれはウソで、しっかり書いているのか。あるいは、自分のせいでカイオワが死んだことを、わざと固有名詞を変えて語ったのか? 考えてみたが分からない」「語り手は実在のオブライエンではなくフィクショナルなティム。登場人物たちには、全編に繰返し出てくる人と、少ししか出てこない人がいる」

 

・「『兵士たちの荷物』から『スピン』までは多くの人があまりにもあっけなく死ぬので驚いた。クロス中尉は戦場でマーサのことを考えているとは。しかしあとでは兵士が死んだことを自分の責任だと自覚している」「戦場の死はあまりにもあっけない、まだ若い兵士たちはふざけていたりすると突然地雷や砲撃で死ぬ、これは戦場だ、ということでは? そのトラウマはいまだ癒えていない」

 

・「『』と『友人』はわかりにくかった」「二人は対立を経て親友になったということだろう」「111頁の『大きな荷物』とは何か?」「親友を安楽死させてあげなくちゃならない、という責任のことだろう。『兵士たちの荷物』の一つとも言える」「軍隊では争いや泥棒が起きる。大岡昇平は靴を盗まれる話を書いている。食糧や必需品がないと仲間から盗むのだ。これが軍隊で戦争だ。はじめから戦争をしないようにすべきだし、食糧初め物資を豊かにしておきたい」「人間は争い合う存在か、それとも共に生きる存在か? メソポタミア文明からでも権力や戦争の歴史は数千年しかない。対してホモ・サピエンスとして助け合って生きてきた年月は数十万年単位で存在する。ヒトの中には争いではなく共に生きる遺伝子の方が強いのでは」

 

・「『本当の戦争の話をしよう』の115頁でボブ・カイリー(ラット)の妹に手紙を書くが、そんな話は『本当』ではない、という思いがあるのでは。『ペリュリュー 楽園のゲルニカ』でも、戦場の悲惨な実際とは違うウソの手紙を上官の命令で書かされて葛藤する話がある」「ペリュリュー島は激戦地。その手紙は、現実とは違う殉国美談に粉飾するよう命令されて、書く人が葛藤する、ということか。対して、オブライエンの本作は、現実があまりにもつらくてどう語っていいか分からない、どう語ってもそのつらいところに届かない、しかし分かって欲しいので語り続けようとする、となっていて、ペリュリュー島の場合とは違うかも」「整合的に語り得ない現実を整合でない言葉のままで提示しているのか。整合的に語り得ない現実を語るために、あえて意図的に作為的に構成して見せているのか。少なくとも安易な殉国美談にしたててはいない

・「カート・レモンの死ぬところも強烈だ」「若い兵士がふざけていて、地雷(ブービー・トラップ)を踏み、一瞬で爆死する(118頁、120頁)」「最近はカワイイ人形の形の地雷もあるとか」「あそこでもここでも地雷ばかりで危ないと聞く」

 

・「『レイニー河で』の78頁の分裂症とは」「昔分裂病と言ったものは今は統合失調症と呼ぶ。医療が進歩したので適切な投薬とケアで十分対応できる。目が悪ければ眼鏡をかけ前の方に坐ればいいのと同じ。偏見や差別のないように留意したい」

・「『レイニー河で』では、兵役逃れのハードルが日本より低いということか。日本ではすぐ応召しているような感じがあるが」「よく知らない。兵力が足りなければあわてて集めただろうが、それにしても召集令状を貰ったらすぐ旅立て、ではなく、いつまでにこい、ではないか?」「彼はすごい知的エリート。なぜ豚肉工場で働いているのか?」「戦場で血と死体を見る事になる伏線かもしれないが、召集で、いつまでに来い、の空いた時間に豚肉工場で短期アルバイトをしているのだろう」「カナダ国境のエルロイ爺さんがすごい。彼は言わないが知的でいろんなことをわかっている男。他にも兵役拒否を助けているはず」「爺さんの『食いつかないな』は魚が、の意味だが、ティムが逃亡にくいつかないな、の含意があるだろう」「ティムは結局逃亡しない。なぜ?」「世間体のためだ。世間体のために兵役に行くのが卑怯者で、世間体を恐れず兵役を拒否するのが良心と勇気だ、とティムは考えている。兵隊に行くのが勇気ではない」「世界には良心的兵役拒否というシステムがある国がある。ウクライナにそれがないのはおかしい、と指摘した学者がいた」「日本でも少数だが兵役を拒否した人がいる。日本人は明治以前も仏教・老荘思想で平和の理想を持っているほか、明治以降も北村透谷の日本平和会、内村鑑三の非戦論、水野広徳の反戦など、平和思想はいつもあった。戦後にGHQが平和主義を押しつけた、と言うのは、一面的な言い方でしかない。わざとウソを言っているか、ものを知らないかのどちらかだ」

 

・「『ソン・チャポンの恋人』は強烈だ」「同感だ」「バレーボールをするふつうの若い女の子がベトナムに来て恐るべきグリーン・ベレーに変容し、果てはベトナムのジャングルと同化する。大変怖ろしい」「そもそもガールフレンドを軍隊に連れてきてもいいものなのか?」「わからない」「戦争、軍隊の持つ恐ろしさを描き混んだと言える」

 

・「『教会』の話が好きだ」「どこが好きか」「ベトナム人僧侶が出てくる。ヘンリー・ドビンズがベトナム人僧侶に対して親切に礼儀正しく接する。異文化で言葉も通じないけど、人は親切に礼儀正しく接することが出来る、という可能性を示している」「202頁の手を洗う動作とは、拝む動作の真似だろう。相手の真似をするときに馬鹿にした真似の仕方もあるが、ここではそうではない」「ドビンズは牧師になりたいと言うが、その理由が、家や車がタダだとか、親切に礼儀正しく振る舞うとか、飾らないところがいい。狂信的信仰からではなく」「自分は頭が切れないから人に(教義を)説明できず、本物の牧師にはなれない、と言っている」「彼は多分いいやつだ」「親切や礼儀正しさの根本にあるもの(人間性?)は、宗教や世界観の違いを超えて万人に共通しているのだろうか。道徳の根底に宗教がある、と言っている人がいたが、そうではなく?」「敬と愛は違うとしよう。敬があれば愛は要らないのでは(サムライは敬意を持って相手を切る)? 愛していれば殺さないし相手を尊重し生かすのでは? どうだろうか?」「愛には与える愛があり、アガパオーという動詞で捉えるとわかりやすい。意志的に持続的に愛の行為を続ける。ただ好きというのではない。戦国期には『キリストの御大切』と訳し気仙語訳聖書では『大事(デージ)にする』と訳した」「明治以前に愛を言ったのは中江藤樹、伊藤仁斎、西郷南洲。西郷『敬天愛人』は横井小楠を通じてキリスト教の概念が入ったかも」「漱石『こころ』の先生は、アガパオーによって身をひき、新しい世代に新しい生き方を期待したと読める。乃木の死とは意味が違う」

 

・「『私が殺した男』以下の、ティムがベトナム人の若者を殺す話も強烈だ」「目に星形の穴とは?」「爆風で体内の空気が外に飛び出すときに眼球が飛び出したのでは? 爆発のときは口を開け眼球と耳を押さえろと昔は言った。体を直撃した爆風の圧力を口から逃がすのだ」「怖ろしい」「この若者は数学が好きな若者で、などと相手のことを想像している、兵士と書いていない」「カイオワは、戦争だから仕方がない、と慰めるが、ティムの心はそれでは晴れない。慰めにならないと言うことはある」「思わず殺してしまった相手のことをティムは考え続ける」「ベトナムの若者は兵士なのか? 兵士と民間人の区別が付かないこともあったかも」「彼は戦場で絶望していたから逃げなかったのでは?」「そうとは書いていない。突然のことで対応できず動作が止まったのかも」「大岡昇平はミンドロ島で米兵と遭遇し、撃たなかった。撃たなかったのはなぜか? を考え続ける。ティムはベトナムで若者を殺した。そのことを考え続ける」「大岡昇平『俘虜記』には『歎異抄』の言葉を掲げている。自分が善だ悪だではなく、自分の道徳的意志を超えた所で行為はなされる。前世からの業(ごう)の積み上げによって?」

 

・「『フィールド・トリップ』ではティムの娘とベトナムの農民がティムたち米兵を相対化する。他にもベトナム人の男性や女性が少し出てくる。306頁でベトナムの農夫が怒っているように見える、と娘は言う。ティムの罪悪感が微妙に娘に伝わって娘がそう感じたのかも知れないが、実際に農夫は怒っていたのでは?」「ベトナム人との間に壁を感じている」「父は自責を感じている。『終わったこと』と言うのは娘を安心させるために言っているだけで、彼の中で終わってなどいない」

 

・「『死者の生命』のリンダの記述も強烈だ。リンダはティムが出会った死者の最初の一人。カイヨワやライリーなどがこれに続く。だが、ティムは彼や彼女のことを忘れない。思い出し、語ることで彼らを鎮魂慰霊している? 自分もトラウマをいやすことに。それは自己満足? しかし彼らを悼み語り続けるしかない」「リンダをいじめから守る勇気があれば、ベトナムに来なかったのに、とつながっているのかも」「なるほど」「リンダの死体がはれているのはなぜ?」「わからない」「それでも美しい姿のリンダを思い出している」「そういうものかも」

 

・「戦後世代の戦争責任とは?」「過去の戦争(事実と原因)を知る、現在の戦争を知る、未来に戦争を起こさないようにする」

 

・今回話題に出なかったが、『勇敢であること』のノーマン・バウカーも重要だと思う。カイオワを助けられなかったトラウマを引きずって帰国後も苦しみ、ついに自死する。ウィスコンシン州の故郷の町の人々は理解してくれない。その苦しみをティムは引き受け書き続けることで辛うじて生き延びているのか? 

 

・核戦争の恐怖に苦しむ男を描く『ニュークリア・エイジ』も面白い。

 

・日本は戦後平和で豊かな社会を築いた。戦争の危険を何とか回避し貧困も解決してきた。最近はまた心配だ。平和と豊かさを皆が(世界の皆も)享受できるようでありたい。あそこでもここでもすぐ戦争をやめるべきだ。小麦でも油でも何でも物価が高くて仕方がない。

 

 

次は10月18日(土)フォークナー短篇集から『孫娘』(担当Y)。『アブサロム、アブサロム!』も読んでおくといいかも。

 3月末にドストエフスキー『罪と罰』をやるとして、4月からは? フランス文学のラインナップ、あるいは世界各地の文学、あるいはアメリカの超大作『白鯨』『風と共に去りぬ』(ホーソーン『緋文字』もあるぞ)、あるいは日本近代文学(漱石『三四郎』からやりますか?)、あるいは日本古典も?

 読書会の回数をもっと増やすべきか? たとえば、2週間に1回、世界文学と日本文学を交代でやるとか?