James Setouchi

2025.9.17

 

9月の視角

 

9月2日 1945年、東京湾のミズーリ号上で降伏文書に調印。外務大臣・重光葵(まもる)、参謀総長・梅津美治郎(うめずよしじろう)らが出席。これが正式な日本の降伏の日。国民の多くは8月15日の玉音放送で終戦と思っているが。→「8月の視角」で8月15日の項、また「終戦記念日について」を御覧下さい。

 重ねて言うが、戦場でまた銃後で苦しんで亡くなった方々を悼む気持ちは私は人後に落ちないと思っているが、言い方として「特攻など戦争で死なれた方々のお蔭で今の平和がある」という言い方は誤りだ。そう言うと「また(特攻で)死んでくれ」ということになってしまう。「戦争を終わらせ苦難に耐えて生き延びて平和な日本を築いた方々のお蔭で今日の平和がある」と言うべきだ。吉田茂も矢内原忠雄も南原繁も戦時中は冷や飯組だったが戦後頑張って今の平和な日本の基礎を築いた。ヒロシマやナガサキやオキナワで生き延びて語り部になってくれている人もいる。今も平和建設の努力は続いている。

 

9月9日 重陽(ちょうよう)の節句。陰陽で言えば偶数を陰、奇数を陽とし、奇数はめでたい。それが重なる1月1日や3月3日などはめでたい日。奇数の中でも大きい9が重なる9月9日は極めてめでたい日となる。菊酒を飲み無病長寿と一族の繁栄を祈る。

盛唐の詩人王維は『九月九日、山東の兄弟を憶ふ』で次のようにうたった。

 

 独在異郷為異客  独り異郷に在って異客と為り

 毎逢佳節倍思親  佳節に逢ふ毎(ごと)に倍して親を思ふ

 遥知兄弟登高所  遥かに知る兄弟の高き所に登り

 遍挿茱萸少一人  遍く茱萸を挿せど一人を少(か)くを

 

 作者自身(17才)は異郷にあるが、重陽の節句で一族は高いところに登りお祝いをしている。

 

 杜甫(56才)にも「登高」という絶唱がある。

 

風急に天高くして 猿嘯哀し  渚清く沙白くして 鳥飛び廻る

無邊の落木 蕭蕭として下り  不盡の長江 滾滾として來る

萬里悲秋 常に客と作り    百年多病 獨り臺に登る

艱難苦だ恨む 繁霜の鬢    潦倒新たに停む 濁酒の杯

 

 日本でも宮廷行事になり、また各地で菊節句として祝ったりしてきた。或るサイトによれば、明治以降新暦になって季節感を失い廃れたかに見えるが、形を変えて(長崎くんちや菊花展など)各地で行事が行われている。

 

9月15日頃(第3月曜日)敬老の日

 もとは9月15日に決まっていたが、第3月曜に変更し、土日月の3連休をつくるようにした。戦後高齢者を大事にする意味で「としよりの日」を各地で始め「老人の日」に発展したが、昭和41年から国民の祝日「敬老の日」となった。

 孔子・儒学の教えでは、高齢者が大事にされるべきは当然だ。現代でも、その日だけ敬老するふりをしてもダメで、日頃から敬老精神を持って生活すべきだ、と言えば言える。現代は、若くて元気な人が偉くて、高齢者で働けない人や認知症の人はお荷物だ(医療費がかさばるなど)、高齢者も自己責任で(ケガをしてもいいから)働け、と言いたげな風潮があって、大変ケシカラン。年を取っていても病弱でも貧しくても人間として尊重されるべきは当然だ。他方、金持ちで威張っている高齢者もいて、金も経験も人脈もない若者が圧迫されている現実もあり、これもケシカランことだ。高齢者だけ敬われればよいのではない、万人が敬われるべきだ。中江藤樹は「敬愛」の精神で相互に接することを説いた。金を持っている人、税金を納めている人が偉いのではない。働けない人、働かない人(それぞれ深い深い事情がある)のことも大事に出来る社会がいい社会だ。この目配りが出来る政治家がいい政治家だ。

 なお、福祉関係の本はいろいろ読んでみよう。たとえば、大熊由紀子『寝たきり老人のいる国いない国』(北欧の話)と大熊一夫『ルポ老人病棟』(日本の話)は、1980年代~90年ころに出た本だが、社会に衝撃を与え、日本の福祉政策を変えた。

 

月見と中秋の名月

 中秋は旧暦8月、新暦9月だから9月15日ころのはずだが、暦の具合で日が随分動き、10月上旬になったりする。8月15夜や9月13夜に月見をしたりする。

 昔は電灯・ネオンサインがなかったので月や星の明りは大切だったろう。満月は今以上に非常に明るいものだったろう。それは神であり月光菩薩であり勢至菩薩の化身であったりする。

 

9月18日 柳条湖事件。1931年。

 いわゆる満州事変、ひいては日中戦争・太平洋戦争を含む15年戦争(~1945年)の始まり。戦争はダメ、と重ねて言っておこう。

 

9月19日 へちま忌(子規の命日)

 明治35年(1902年)正岡子規は亡くなった。この日をへちま忌と言う。子規は慶応3年(1897年)10月14日生まれで、享年35。辞世の句が「糸瓜咲て痰のつまりし佛かな」「痰一斗糸瓜の水も間に合はず」「をとゝひのへちまの水も取らざりき」であったことにちなむ。子規庵の庭にはへちまが植えてあった。病の子規はへちま水(蔓から採るのだそうだ)で痰を除いたと言う。

 自分のことを「仏かな」と言うのは、悟った人という意味ではなく死者というほどの意味か。自分の死後の姿を相対化して見ているのが俳句的態度だと中学校頃に教わった記憶があるが・・? 「痰一斗」は誇張表現でそのおかしみも俳句的。「一昨日のへちまの水も取らなかった」とは、死を予期しての諦念の表明だろうかと誰かが言っていた。私にはよく分からない。

 子規の句よりも歌の方が私は面白い。「くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる」「瓶(かめ)にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり」「久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも」「柿の実のあまきもありぬ柿の実の渋きもありぬ渋きぞうまき」「世の人は四國猿とぞ笑ふなる四國の猿の子猿そわれは」「足たたば北インヂヤのヒマラヤのエヴェレストなる雪くはましを」などなど、いわゆる写生の歌、命がけの絶唱、ユーモラスな歌などがある。一応付け加えておこう。「國のため命をすてしわが友におくれてあらんわれならなくに」「國のため死にする我を日の本のやまとの人よあはれとは見よ」などのナショナルな情熱を歌った歌もある。それをどう相対化できるか? が勝負所だったのだが。

 

9月23日 秋分の日

 昼と夜の長さが同じ日。太陽は真東から昇り、真西に沈む。その前後の一週間を「お彼岸」と言う。「暑さ寒さも彼岸まで」と言い、夏が暑くても秋の彼岸には涼しくなる。お彼岸は春と秋の2回あり、此岸(しがん)と彼岸(ひがん)が繋がり、死者と交流が出来るので、墓参りに行く。太陽崇拝にも淵源の一つがありそうだ。

 仏教では「彼岸」とは輪廻(りんね)を越えた涅槃(ねはん)の境地の意味だ(つまり先祖供養の意味は本来ない)が、日本では(日本のみ)「彼岸会(ひがんえ)」で寺参り・墓参りをする。聖徳太子の頃から始まったとも言われるが、平安初期から朝廷で行われ、江戸期に年中行事となった。(岩波仏教辞典から)

 太陽が真西に沈むと、その西の彼方には、西方極楽浄土があるとは、実感としてわかることだ。(比叡山西側斜面や西向きの海岸に住んでいれば、そう感じるだろう。)

 仏教・先祖崇拝(それは儒教?)・太陽崇拝などが渾然一体となって「彼岸」はある。

 なお曼珠沙華(まんじゅしゃげ)(ヒガンバナ)の赤色はいかにも彼岸の時期にふさわしい。墓に行くと付近に曼珠沙華が咲いていたりする。

 木下利玄の「曼珠沙華 一むら燃えて 秋陽つよし そこ過ぎてゐる しづかなる径(みち)」を思い出す。それは単なる叙景歌か、それともあかあかと輝く曼珠沙華の傍らの道は極楽浄土(仏の国)に通ずるという宗教的な感覚の歌か。

 8月のお盆で墓参りに行き、9月下旬の秋の彼岸で墓参りに行く。墓参りにばかり行っている印象だ。都会の人は8月9月と2か月連続で帰省して墓参りに行くなんてことはもはやしていないのだろうか? 誰かさんの好きな「日本人の伝統」はどこへ? また、働く人(働いて所得があって納税している人?)を応援すると言っている政治家がいるが、墓地・山林・用水路・石垣の維持を含めタダで働いている(というより出費ばかりの)人を応援してくれるのかな?

 

高校野球秋の大会

 実は高校野球は春と夏だけではなく秋もやっている。授業のない終末に(一週間ごとに)試合をし、勝ち上がると神宮球場で全国大会がある。秋の大会の活躍が春の選抜の選考の有力な資料になる。進学校の場合投手のスタミナを考えると秋に勝ち上がり春も出る、というのが一つのチャンスだ。なお春の選抜に出ていないチームも地方では春の県大会をやっている。つまり、冬以外は年中大会をやっているのが現実だ。・・・やりすぎではないか? いつ勉強をするのか? いつ世界文学を読むのか? 聖書や論語は読んだのか? その前に、宿題は出来るのか? 受験など消し飛んでいくだろう。月曜に授業中に眠くて仕方がないのでは? 教員も、月から金は授業をし土日は大会に行くので、休みはゼロだ。しかも、自分のチームが負けてもまだ他のチームのために駐車場係ほかのお世話をしないといけない。妻や子の顔、まして老親の顔などすっかり忘れそうだ。(それで「人間教育」をうたっているとは。矛盾だ。)昭和のモーレツサラリーマンのスタイルだ。結局人間性は後回しで、勝つためにやっているからそうなるのだ。それを勝利至上主義と呼ぶ。よくない。せめて論語と聖書くらい読まれてはいかがですか?・・また、「若い者がやれ」と言われて日本史や国語の教師が野球部の監督や部長をしているが、教材研究(授業の準備)は大丈夫なのだろうか? 新課程で授業準備や生徒の学習に対する日常の評価はますます大変な作業になっているが・・・? 

 「甲子園について私も一言」の項もご参照下さい。高校野球で手放しで無責任に騒ぐことはもはや出来ない。(他の種目も同じ。)

 神宮球場とは何か? 明治神宮は明治天皇がご祭神なので明治帝崩御(ほうぎょ=おかくれになること。天皇陛下が没することの最高敬語)のあとの大正時代に作った。神宮外苑も。青山練兵場跡(江戸期は家康の家来の青山氏の土地)に陸上競技場野球場などを作る。大日本帝国建設の一環と言える。日本一の桃太郎大会(1940年)も。心身を鍛えて結局はお国のために死ねとか? けっこう怖いね。