James Setouchi

2025.8.30(土)

 

読書会報告 ヘミングウェイ『武器よさらば』   担当:N

 

1       ヘミングウエイ  略歴 1899~1961 略

 

2        第1次世界大戦について(歴史の復習) 略

(参考1)ロシアのショーロホフの『静かなるドン』はドン・コサックの騎兵が主人公だが、大砲や機関銃も出現。それに赤兵との関係も絡み事態は紛糾。

(参考2)レマルク『西部戦線異状なし』は塹壕戦の悲惨がリアル。

(参考3)日本は山東半島の青島(チンタオ)のドイツを攻めた。捕虜を徳島の小松島の収容所に入れたが客人として扱った。そこからベートーベン第9が日本に伝わった。なお、バウムクーヘンは小松島ではなく広島の似島収容所だそうだ。

(参考4)海軍の水野広徳は、日露戦争では水雷艇長だった。戦記『此一戦』がヒットした。その後第1次大戦の欧州を視察して、「近代戦には勝者も敗者もない」と痛感、反戦軍人となった。日米戦争直前に『打開か破滅か 興亡の此一戦』を書き、もし日米が戦えば、海軍力・国力の戦いになり、日本は敗れ、将兵が太平洋の島に取り残されて餓死し、丸裸になった日本列島をアメリカの航空機が襲い、東京は焼け野原になる、と予言した。・・参考までに、Nスペで、戦前に若手が集められて日米開戦のシミュレーションをしたら「必敗」の予想になった、しかし軍部は戦争に走ってしまった、とやっていた。この番組は必見。

(参考5)平和・反戦・非戦の思想は、江戸までに東洋平和の思想(仏教も老子も)があり、明治以降・戦前も北村透谷、内村鑑三、水野広徳、新興仏教青年会、牧口常三郎、明石順三、矢内原忠雄などなどがある。「昭和20年までは軍国主義、20年以降はアメリカに押しつけられた平和主義」という単純な図式ではなく、明治以降も平和主義があり軍国主義があり、その両者の綱引き・せめぎ合いがあった。その中から戦後の平和主義は出てきている、と言う方が正確だ。

 

3        「失われた世代(ロスト・ジェネレーション)」について

 ガートルード・スタインが若手作家達を「自堕落な世代だ」と言ったのがはじまりだが、第1次大戦で受けた心の傷から逃げるために酒を飲み享楽的な生活をした。ヨーロッパ世界が築き上げてきた道徳や価値観が失われたから「失われた世代」、また神の見守りから見失われたから「失われた世代」など、多様な意味づけが為されている。フィッツジェラルド、ドス・パソスもその一人。

 

4 『武器よさらば』について 頁は新潮文庫(高見訳) 出た意見(後で追加されたものを含む)

・412頁 「戦場から逃げてきた罪悪感があるのか?」「戦争や軍隊自体がよくないものだから、逃げた方が正しいと言いたい」「日本でも徴兵忌避した例は、明石順三グループ他、少数だが存在する」「栗原康『サボる哲学』には、ブラック・ワークから逃げ出す方が賢明、かつて工場や外洋船の底辺の労働者・水夫は最低の労働環境で使い捨てられていた、海賊になる方がましだった、などが書かれている」「今の学校が歪んでいれば、そこから逃げ出す方が正しい、ということもある」「学校を中退しても胸を張って生きていける社会にするべきだ」「その点、湯浅誠は偉かった」「東大法学部を出て大蔵省に入らなければ落ちこぼれ、といった狭い了見では、人を幸せにすることは出来ない。日本のリーダーとしては不足。せめて福祉施設でボランティアとか日曜学校の先生でもしてくれればよかったのに」「神や仏のとてつもない大きさから見れば、地位も学歴も年収も、大した差ではない」「孫悟空のハナシがそうですな」

 

・「第1次大戦でも、兵士達は戦闘の長期化の中で、皇帝の勝手な欲望に振り回されるのはもういやだ、と感じて、ドイツでもロシアでも革命をした」「国民自体が熱狂して戦争をする場合がある。だがそこには軍産複合体、あるいは軍産官政学報の複合体がある。そこを見抜き、それを成立させないことが大事だ。情報は公開。兵士は一列平等では決してない。指導者の気に入る者と気に入らない者が分けられる。気に入らない者は前線に送られ殺される」

 

・「前半は戦場、後半は戦場ではないのに妻と子が死ぬ。生きるための努力をするが、死からは逃れられない、という話をしているのか」「408頁に「この世は善良な人を殺してしまう」などとある。戦争のない場所にも戦争が追いかけてくる、という作品では」「戦場からの逃避行がなければ妻子は死んでいない」「もっと普遍的に問うているかも。邪悪なこの世はキリストを殺した。日本の学校教育でも競争し人を突き飛ばす人間を育てていはしないか? 教育基本法にはそうしろとは一切書いていないのに。新自由主義、市場経済、軍国主義の中で価値観が歪んでいるのだ」

 

・「妻は大事にするが、子のことは仕方がないと言っているのは、どうか」「家族の捉え方が日本はタテ(父子)、アメリカはヨコ(夫婦)という分析がある。」「534頁に「あの子は・・可哀想なチビ。いっそぼくが代わりに・・」などとあり、子どもへの愛惜はある」「流産などは実は案外多い」「作家自身の被生育歴はどうか。作家自身、あとでは子どもが死んだりしている」「戦争だけではなく、自分がキャスと肉体関係を持ってしまったために死なせてしまった、という自責もある。自己の暴力性への後悔・自責だ」「戦争で生死の挟間にいるからキャスの肉体を思わず求めたのか」

 

・「最後は神に祈っている。自力を失ってはじめて神に目が開ける。そう考えれば、絶望の書ではなく、ここから希望へと反転するのかも」「いや、これは全く絶望の書で、語り手はこのあと自死するのでは。この語りは遺書では」「これはおもしろい。解釈がすっかり分かれた」

 

・「すべて終わった後で語り手は語り始めていることに注意」「すべて終わったあとで語り手は語り始める、という方法論を、作家はそこまで自覚的に用いているか?」「なぜ語り直そうとするのか?」「とんでもない日々だったが、その中に、戦争はダメだ、戦争を否定する神父ほかもいた、あの悲劇を避ける道は無かったのか、と、語り直す中で探っている、とは読めないか?」(『こころ』は大正になって若い「私」があらためて「先生」の人生を辿り直し語り直すことで新しく生きようとする。『坊っちゃん』の「おれ」は、いつの時代について、時点で時点で語っているのか?)

 

・「前半は戦争、後半は恋愛。前半は共同幻想の桎梏の話、後半はそこから離脱して男女が自由に結合しようとして破綻する話。男女の結合は、結婚という(国家の下請けの)制度に縛られず自由なものを目指したが、うまくいかない。」「共同幻想と対幻想は逆立する、と吉本隆明は言った。吉本は三島と同世代で皇国少年。敗戦ですべてひっくり返り、どうしたのか? 三島は右翼のポーズを取ったが、吉本は、国家は共同の幻想にすぎず人間にとってナチュラルなものではないと言った。その際柳田を援用した。吉本の主張は一世を風靡した」

 

・「イタリアの戦争だが、正規のイタリア人ではなくアメリカ人。これが、自由な立場。祖国のための戦争だと何かと物語化されるが、そうではないアメリカ人に設定することで、戦争や死の無意味さを引き出しやすい仕掛けになっている

 

・「これは反戦小説なのか?」「明確に反戦の旗を振ってはいない。作家はマッチョ志向で暴力が好きなのかとも読める。だが、痛ましい妻や子の死、落伍する兵、逃亡兵を捕まえる、味方に撃たれる、平和主義の神父の卓見などなど、戦争の理不尽さつらさが至る所に書かれている。反戦小説として読める。但し軍産複合体への言及など、社会構造の分析などは甘い

 

・「現代はお手軽なわかりやすい物語を求める時代だ。そうではない現実、事実そのものを見て、自分の頭で考える訓練が出来ていない人が増えているのでは」「バラバラのデータだけではだめで、そこに物語を見出すのが人間だ、人間には情緒が不可欠だ、という言い方もあるが?」「オータニサン物語はわかりやすい。しかしそこにイッペイさんという要素は消去されている。本当はイッペイさんとは何かも、花巻東高とは何かも、高校野球とは何か、学校教育と部活動とは、プロ予備軍でいいのか、などなども、様々な構造の中で分析し語られるべきだ、それらは捨象され、簡単でわかりやすい物語に回収されてしまう。それはよくない。反転していつか大衆がオータニさんをたたく日が来るかも知れない」「宮崎駿の初期のものは安易な物語を提供し、大衆の考える力を奪っていた、と高畑勲が批判していた」

 

・「病院の看護師達がキャスのことを他人事のように言う。そういう問題意識も入っている」

 

・「480頁に「アメリカに行けば」・・とキャスが言う。イタリアの法と対比」「イタリアを経てアメリカに戻ってインタビューされ、「戦争はよかった」と言っていることがある」「この作家に於けるアメリカとは何か? は難しいかも。『老人と海』にはアメリカ文明批判が入っている、と都甲幸治は言っている。またアメリカ人読者に読まれやすい記述をわざと入れているのかも」

 

・「キャスは母として子を思うのと、妻・恋人としてヘンリーを思うのと、その二つの間で揺らいでいる。妊娠して「お腹が大きくて嫌われないか」と言ってみたり。メンヘラ女性のようだ」「お酒飲めないなど「わたしは旧式な奥さんなのよ」との発言がある(234頁)」「479頁には「ミラノで娼婦みたいな気持ちになった」「7分後には消えたけど」「わたし、いい奥さんでしょう?」とある」「同じ頁に「形式は気にしないで」と言いつつ、次の頁では「アメリカの法律の下で結婚」ともある」「作家がパリ時代に交際したダフという女性は、男性的だった。対してキャスは、男に対してケアする理想的な女性として造形されている」「戦場で逃亡する二人の若い女性はなぜ出てくるのか」「戦時性暴力にさらされる弱い立場の女性として書き込んでいる」「多くの軍隊が女性に暴力を振るった、ここにも慰安所が出てくる、従軍慰安婦を連れて歩いた日本軍はまだマシだった、と右ネジのかかった人で言う人がいるが、どうなのか?」「看護師、慰安所の女、娼婦みたい、など、戦争の男達をケアする女性性のようなものを書いている」「それは問題だと批判意識を持って書いているのか、それとも、それが理想の女性だと書いているのか?」「気付いてみれば、ヘンリーもリナルディもそもそもケアする側の人間。一般的な性別役割分業からの逸脱を書いているのかも?」「作家自身はジェンダーに揺らぎを持っていた。幼い頃は女の子として育てられ、4番目の妻とも男女を取り替えた関係を持っていたと言う。ヘミングウエイ作品の現代的な意義はジェンダー問題からも照らし出すことが出来る。これは都甲幸治が言っている」

 

・「『老人と海』では老人はカジキと対等にわたりあう。自然へのリスペクト、自然との共生がある。ヘミングウェイ作品の提供する今日的課題だと都甲幸治は言う」

 

・「終わりの方で食べ物の描写が延々と続く。子どもが持てないことの伏線か」「ここの時間の流れをゆっくりだと示すためかも」

 

・「主人公はなぜ戦争に参加しているのか? わからなかった。これは何のメッセージがこめてある作品なのか? と思ったとき、よくわからない、ではそもそも彼は何のために戦争に参加しているのか? 書いていないと気付いた」「たまたまイタリアにいたから、イタリア語が出来たから、と38頁にある」「祖国のため戦う、といった重い動機ではなく、キャスとの関係も最初はゲーム感覚で付き合い始める」「すると、何か重い動機があって始めたことではなく、まだ若くて、たまたま戦争に参加し、たまたまキャスと関係を持ったら、それがどんどんリアルに重い事態に発展していった、それが彼にとって言わば重い実人生の始まりだった、そこで国家の暴力性や自己自身の暴力性を知ってしまった、それをあらためて回顧して語り直して、生き直そうとしている、と読めるかも知れない」

 

・「作家の伝記は面白い。父より母の方が収入が多かったという。そのことと、限りなく優しいキャスの造形は、関係があるかも」「作家は再婚を繰返し妻が4人いる。それ以外に浮気もしたという。作家はマッチョなイメージで売られたが本当はジェンダーが揺らいでいた、と都甲幸治は言う」「恋愛から結婚の一夫一婦制は、ロマンチック・イデオロギーという考え方で為されている。従来なら身分などが結婚の根拠だったが、近代のロマンチック・イデオロギーでは、愛だけが根拠だ。それが現代の社会構造の中で、働く男とケアする女という性別役割分業につながっているかもしれない。戦争という暴力で男達が傷つく、これを看護婦や優しい恋人がケアする、という作品の男女の関係は、これと何かつながっているかも知れない」「『べらぼう』を見ていると、江戸時代は生活のために離婚や再婚や妾になるのはあたりまえだった。今もそちらに戻っているのかも。いや、明治から昭和までも、一夫一婦制度の下で、金持ちや政治家は妾を複数持っていた現実がある」

 

・「『伊勢物語』107段に「身をしる雨」というのがありますね。」

 

・「戦争は再現できない。文学小説でなら語れる。そこにも文学小説の存在意義がある、と誰かが言っていた」

 

・「人間は戦う存在だと生物学で聞いたことがある」・・本当か? 更科功『絶滅の人類史』(NHK出版新書、2018年)には、ヒトはキバもツメもなく無力だったからこそ力を合わせ助け合って何とか生きのびてこられた、(コンラート・ローレンツの「血塗られた歴史」という見方は誤り、)という知見が語られている(247頁)。是非読み下さい。

 

・「487頁でキャスはヘンリーに疑念のようなものを述べるが489頁でキャスとヘンリーの一体化(「似たもの同士」)をキャスは言う。せめて外観は同一でありたいとの憧れを持った? ヘンリーは「一心同体だよ」と安心させる。本当はどう思っているのか? わかりあっていないのでは?」

 

・「231頁の、臆病者と勇敢な者の話(「臆病者は千回死ぬ、勇者は一度のみ」(シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』のカエサルの言葉))も気になった」「後で調べると、臆病者は死を恐れ何度でも死の苦しみを味わうが、勇者は死を恐れないから本当に死ぬときしか恐れない」の意味?」「だが、キャスは「その人は臆病者だったのね。勇敢な人は二千回は死ぬはずよ」と言う。・・そこから二人は、自分は平凡だ、いや、二人とも勇敢だ、私たちのような人間はめったにいない、という会話に続く。私見だが、もしかしたら、世界が戦争をしているときに、あえて戦場から離脱する、平凡人だけど偉大な勇気を持った人間だ我々は、とつながるのでは?」

 

・「戦後世代の戦争責任とは?」「戦争について、知識だけでなく、関わった人たちの苦しみ、嘆き、虚しさなどの感情も含めて、おいかけ、語り継ぐ必要がある」「戦争を経験していない世代が、体験のクオリア(感覚の質)のないところで過度に物語化し潤色して語る棄権に気付くべきだ」「特攻やひめゆりについて殉国の美談にしてしまうのがそれだ。「戦場で死なれたあなた方のお蔭で今の平和がある」と安易に言うべきではない。その言い方は、「だから平和のために今のお前達も死ね」という言い方に直結する。「祭ってあげるから死ね」ということだ。そうではなく、戦争を終わらせ、平和な社会を忍耐強く再建した方々のお蔭で今の平和があるのでは?」(・・その意味では、今も日々平和建設の努力は続いていると言える)「過去の戦争について知る。今世界で起きている戦争について知り、どうやったら止められるか考える。将来の戦争を防止する。どうやったら防止できるかを考える。これが戦後世代の戦争責任だ

 

・「特攻も志願ではない。志願させられたのだ。教育体制も含めて捉え返す必要がある。鴻上尚史『不死身の特攻兵』は必読。NHKスペで神風1号の関行男をやっていた。あれも必見。関は本当は選ばれて嬉しくなかった。母や妻もそうだ。別の家族だが、特攻で兄が死んだ妹が、周囲が祝ってくれるたびに厭な思いをして家で泣いていた、と証言している。本人の志願だ、というのは虚構だ」

 

・「一人で読んでいるのと違い、読書会をすると、自分では気付かなかった視点に多く気付き、読みがグッと深まる。大変面白い読書会だった。どうもありがとうございました」

 

*都甲幸治『集中講義 ヘミングウェイ』(別冊NHK100分de名著)(2025年9月30日発行の日付になっている)は有益だった。

 

*次はティム・オブライエン『本当の戦争の話をしよう』文春文庫(村上春樹訳):ベトナム戦争の話である。9月20日(土)