James Setouchi

2025.8.23

 

池上彰『世界を動かす巨人たち<宗教家編>』集英社新書 2025年7月22日

 

*<政治家編><経済人編>に続く第三弾。

*教皇フランシスコ、キリル総主教、ハメネイ師、アクンザダ師、フランクリン・グラハム、ダライ・ラマ14世の6人を取り上げる。

*さすが池上さんで、わかりやすい。詳しくは難しい議論もあろうが、まずは入口としては悪くない。

*時代は変化しつつあるので、ここに書いてあることは言わば途中経過だ。例えば、白人プロテスタントは人口が減少し、ラテン系のカトリックは減らず、イスラム教徒はどんどん増える可能性もある。25年後、50年後の世界はどうなっているだろうか?

 

1 教皇フランシスコ

 ローマ・カトリックの教皇。

 カトリック教徒は世界で14億6千万人(2023年)。

 フランシスコは1936年アルゼンチン生まれ。ブエノスアイレス大学で化学を学んだ、化学技術者。環境問題にも詳しい。1958年イエズス会の修道院に入り、1969年に司祭(神父)となる。1973年からアルゼンチンの修練院の修練長や神学院の院長などを務める。2001年枢機卿となり、2013年6月に第266代教皇に選出された。アッシジの聖フランチェスコ同様清貧をモットーとする人だ。

 バチカン市国は中国(中華人民共和国)と国交がない。教皇フランシスコは中国訪問の意向を示したりしている。2023年には教皇庁のウクライナ平和特使であるズッピ枢機卿が中国を訪問。

 カトリックの41%を中南米のカトリック信徒が占めている。

 教皇フランシスコは、ローマ教皇庁内部の改革も進めている。

 世界は変化し、司祭の妻帯が必要だとの意見もある。同性愛や同性婚をどう考えるかの問題もある。ローマ教皇庁は2023年トランスジェンダーの人の洗礼を受け入れると発表、一方で2024年性別は神が決めたものであり自分で変更すべきものではないとした。

 教皇フランシスコはロシア正教会のキリル総主教と2016年にキューバで会談、2022年にはオンラインで会談し停戦の道を探るとした。対してウクライナでは教皇フランシスコの発言を疑問視する見方もある。

 あとがきによれば、教皇フランシスコはバンス副大統領に対してトランプ政権の移民政策をやんわりと批判。教皇フランシスコは2025年4月亡くなった。後継はレオ14世。

 

 

2 キリル総主教

 ロシア正教会の総主教。

1946年サンクトペテルブルク生まれ。プーチンと同郷。神学校に通っている頃にKGBの工作員になったと報道がある(75頁)。1971年ロシア正教会の代表としてジュネーヴの「世界教会協議会」に派遣される。キリルは「解放の神学」(中南米で伸張)に冠する情報を収集しそれを後押しする活動をしていたようだ(78頁)。

 ソ連時代はロシア正教会への弾圧があったが、ソ連崩壊後ゴルバチョフのもとでロシア正教会は表舞台に戻ってくる。総主教アレクシー2世は他宗教の抑圧を図る(85頁)。1997年エリツィンは信仰の自由、宗教団体に関して、法律を改正し、「伝統宗教」以外は不利な状態になった。

 アレクシー2世没後キリルは2009年に総主教になる。それまで、正教会がワイン、煙草、石油の輸出入の権利を獲得、キリルはモスクワ総主教庁舎における対交渉関係の責任者をしていた。莫大な収益で教会を再建するのに手腕を振るっていた。

総主教就任式でキリルは「ルースキー・ミール」(ロシアの世界)を口にした。周辺国ではロシアの侵攻を受けるのではないかと疑念が広がった。

 キリルはキューバの仲介で教皇フランシスコと2016年に会談した。

 キリルの総資産は家族のものも合わせると数十億ドルとも言われている(91頁)。

 2022年のロシアのウクライナ侵攻後キリルはプーチンに賛意を示し続けている。

 ウクライナのキリスト教は、主に三つに分かれる(92頁)。(略)

(・・JS:ここは珍しく池上さんの説明が読み取りにくい。代わりに、在ウクライナ日本大使館の説明からまとめると、

モスクワ聖庁の権威を認めるウクライナ正教会・・多いが、困難な立場にある

キエフ聖庁の権威を認めるウクライナ正教会・・多い

ウクライナ独自の正教会

ローマ・カトリック・・・50万人

東方典礼を受け継ぎつつもローマの首位権を認めるギリシア・カトリック・・ウクライナ西部を中心に400万人)

 

3 ハメネイ師

 イラン(シーア派)の最高指導者。

 1939年イラン生まれ。神学校でイスラム教を学び、イラクやイランでシーア派神学を修めた。父もイスラム法学者、母もイスラム法学者の娘。

 歴史の復習。第2次大戦後イランはイギリスから独立。モサッデク政権は石油を国有化しようとして英米の策動で政権が崩壊。パフラヴィー国王が帰国して親米的な独裁体制を作る。豊かになる反面貧富の差が広がった。1979年ホメイニ革命。学生たちのアメリカ大使館占拠事件も起きた。

 ハネメイ師は故郷で神学校の教師をしていたが反国王の政治活動で何度も逮捕・投獄・幽閉される。ホメイニ革命で革命評議会のメンバーとなる。

 ホメイニ師の「イスラム法学者による統治論」がイランの最高指導者の存在を規定している。最高指導者を任命するのは専門家会議。専門家会議の選挙に立候補する資格を審査するのは護憲評議会(イスラム法学者6人、一般法学者6人)。大統領選挙の候補者を審査するのも護憲評議会。

 ハネメイ師は1981年第3代大統領になる。1989年第2代最高指導者に。

 軍隊とは別に革命防衛隊があり、その中のコッズ部隊(イランの対外工作を担う)のソレイマニ司令官は2020年アメリカ軍によって殺害された(トランプの指示)(121頁)。

コッズ部隊は、ハマス(ガザ)、ヒズボラ(レバノン)、フーシ派(イエメン)などを支援してきた。イラクのシーア派武装組織カタイブ・ヒズボラと米軍が対立したが、事態がエスカレートしないように互いに抑制的に動いているとも見える。

 アメリカのジョージ・ブッシュ大統領(子ブッシュ)がイラン、イラク他を「悪の枢軸」と呼んだ。イランは今や自ら「抵抗の枢軸」を名乗っている。

 核開発についてはどうなるのか。なおイランがもし核開発に成功したら、パキスタン(スンナ派)からサウジアラビア(スンナ派)に核兵器を提供する(開発資金はサウジアラビアが提供)という密約がある、と言われている。(125頁)

 イラン国内ではヒジャブ着用をめぐり道徳警察が若い女性を殴り死亡させた疑惑が広がり、反政府デモが起きた。弾圧で500人以上の市民が死亡したとも。(127頁)

 

(参考になるかもしれない?)

エマミ・シュン・サラミ『イラン人は面白すぎる!』光文社新書2012・・イランにも普通の人が住んでいることがわかる。

高橋和夫『イランVSトランプ』ワニブックスPLUS新書2019

宮田律『イラン』光文社新書2007

桜井啓子『シーア派』中公新書2006

 

 

4 アクンザダ師

 イスラム主義勢力タリバンの最高指導者。

 アフガニスタン・イスラム首長国(と2021年から自称)の歴史も概説してある。それによると、

 インドをイギリスが植民地化した。ロシアが南下してイランに影響力を持った。イランがアフガニスタンに攻め込む。イギリスはアフガニスタンに軍を駐留させ、2度のアフガン戦争を経てイギリスが保護国化した。(シャーロック・ホームズの友人ワトスンは軍医として従軍していた。)

ロシア革命の間隙を縫ってアフガニスタンは攻め込み独立を回復。アマーヌッラー・ハーンが国王。彼はヨーロッパ的な服装の導入等を試みたがイスラム教の宗教指導者たちと対立、1929年退位、亡命。

1945年以降パキスタンに住むパシュトゥーン人の独立はかなわなかった。パキスタン独立をアフガニスタンは承認せず。

1973年ムハンマド・ダーウード・ハーンがクーデターでアフガニスタン共和国樹立。しかし彼がサウジアラビアなどに接近したので、1978年にソビエトに近い人びとがクーデターを起こす。ソビエト型の社会主義政策はイスラム教徒に受け入れられず、反政府デモが多発。

1979年ソビエトがアフガニスタンへ軍事侵攻。対してイスラム教徒たちは「ムジャヒディン」としてアメリカの支援をパキスタン経由で受けて戦った。(なお、「ジハード」とはイスラムの教えを守る「努力」という意味。(146頁)・・(JS)自爆テロばかり連想するのは誤り。)

 1989年、ソビエトがアフガニスタンから撤退。内戦が起きる。パキスタンは自国に有利に働く勢力の影響力を高めようと、親パキスタンのパシュトゥーン人勢力にてこいれ。

 パキスタン北部のデオバンド派のマドラサ(イスラム神学校)の学生たち(学生をタリブと呼び、その複数形がタリバン)(多くはパシュトゥーン人)の中からタリバン勢力が育つ。タリバンの初代最高指導者はムッラー・ムハンマド・オマル(ウマル)師。1994年に自警団を組織した。1996年カブールを制圧。北部同盟(タジク人、ウズベク人、ハザラ人ら)と対立。

 2001年オサマ・ビンラディン(タリバンではない。アルカイダの指導者)がアメリカ同時多発テロを行い、タリバンに保護を求めた。タリバンはパシュトゥーン人の掟に従い、オサマ・ビンラディンを守った。アメリカを中心とした連合軍がアフガニスタンを空爆。2011年、ビンラディン殺害さる。オマル氏も病院で死去。暫定政権樹立。

 タリバン二代目のアクタル・マンスール師は2016年アメリカ軍の無人機攻撃で殺害さる。三代目はアクンザダ師

 アクンザダ師匠は年齢不詳。イスラム法学者でもある。裁判官だったことも。タリバンは行政を運営した経験がなく、イスラム教の教えを強く打ち出し、規範とする社会体制維持のための政治に終始した(156頁)。

 2020年アメリカのトランプ大統領(1回目)はアメリカ軍の撤退を決めた。バイデン大統領はそれを実行した。アフガニスタン・イスラム共和国はたちまち崩壊。

 タリバンは国内の統治しか考えていないが、IS-K(イスラム国ホラサン州)という強硬派がテロを散発的に起こしている。タリバンは中国との関係を深めている。「おわりに」によれば、日本財団が2025年2月にタリバンの幹部を日本に招き、外務省高官と会談。

・・(JS)本章では、アクンザダ氏(あまり人前に出ない)がどういう経歴で何をしようとしているかはあまり書いてなかった。アフガニスタンの歴史の復習が多い。中村哲は、アフガニスタンのタリバンについて、さほど危険なグループではない、テロリストとレッテル貼りするのは誤りだ、と言っている。

 

(関連図書)・・是非お読みください。

中村哲『アフガニスタンの診療所から』ちくま文庫

中村哲『天、共に在り アフガニスタン30年の戦い』NHK出版

 

5 フランクリン・グラハム

 キリスト教福音派の伝道師。

 1952年生まれ。トランプを支持し続けている。

 福音派は全米の人口3億4千万人の4分の1(8500万人)を占める。

フランクリン・グラハムの父、ビリー・グラハムも有名な福音伝道師。ビリーは南部バプテスト連盟(アメリカ最大のプロテスタント会派)の牧師。ラジオ、テレビで伝道するほか、世界各地を伝道旅行した。メガチャーチという、毎週末に2千名以上の礼拝者が集まる教会を利用した。

 アメリカの政教分離は、キリスト教の教えが前提でありつつ、そのうちの特定宗派の政治への介入を禁じている、というものだ。

 1960年代から1970年代の価値観の揺らぎで危機感を覚えた人たちが、福音派を中心にレーガン大統領を支持した。政治の側も宗教票を利用した。

 フランクリン・グラハムは、2023年イスラエルを訪問しネタニエフと会談。クリスチャン・シオニズムは中東問題に影響を及ぼしている。

 福音派は、同性婚やLGBTQの存在を否定する。

 トランプ支持は、「反知性主義」のためもある。

 アメリカの調査では、7割の人が同性婚を支持している(190頁)。

 序章によれば、キリスト教徒は25億人いるが、先進国は出生率が低く、キリスト教信徒の数が減っている。中南米のカトリックは多いまま。イスラム教徒は21億人いるが、人口がどんどん増えている。(28頁)

 

 最後に、序章から:自分こそが正しいという意識が対立・争いを生む。・・・JS:多様な宗教が社会にあって共存するのはよいと私は思う。自分のセクトだけが正しいと主張しても、細かい教義をめぐりまた対立が生まれる。独善の陥り互いを否定しあっても悲劇しか生まれない。

 

・・JS:福音派とは何だろうか? 近年騒がれている福音派は、1960年代、70年代の価値観の多様化に対する反動で、危機感を持ってキリスト教新教の福音主義に戻ろうとする人たちの運動を指しているようだ。

 ざっくり復習すると、

 ユダヤ教の律法主義に対して、イエスは福音を説いた。パウロはそう信じた。だからカトリックやギリシア正教ももともとは福音主義だと言えば言える。

 ローマ・カトリックやギリシア正教が教会の権威を重んじ教会の保持する聖伝を重視するのに対して、ルターやカルヴァン以降のプロテスタント(新教)は、聖書のみによる信仰を唱えた。ロマ書に「ただ信仰によってのみ義とされる」とある。だからこれらプロテスタント(新教)はすべて福音主義だとも言える。

 これらに対して、西洋近代科学の洗礼が加えられ、聖書の文献批判も細緻になってくると、「聖書に書いてあるから」正しい、とは言えないという考え方が広まってくる。無神論者も大勢出てくる。科学的探究や聖書の文献批判を踏まえたプロテスタント(新教)の思想も、当然ある。対して原理主義的な(聖書を無謬=むびゅう=あやまりがない=と信じる)思想は絶えず出てきた。

 特に1960年代、70年代には、社会と価値観が大きく変動した。特に性(ジェンダーや中絶)については論点が先鋭化した。これに危機感を覚えた人びとが、改めて原理主義的に聖書を信奉し、政治の保守派と結びついてきた、それが今日取り沙汰されている「福音派」だ、と言える(上の本によれば)。

 なお、仏教やキリスト教やイスラム教などのいずれにも「原理主義」「根本主義」「ファンダメンタリズム」はありうる。

 

(参考になるかもしれない図書)

藤原聖子『現代アメリカ宗教地図』平凡社新書・・有益

ハロラン芙美子『アメリカ精神の源』中公新書・・著者はカトリック。

 

6 ダライ・ラマ14世

 チベット仏教は大乗仏教。

 ダライ・ラマ14世は1935年チベット東北部の村に生まれた。

 1578年、チベット仏教ゲルク派のソナム・ギャッツオがモンゴルの皇帝アルダン・ハーンから「ダライ・ラマ」の称号を贈られ、ダライ・ラマ3世となった。ダライ・ラマは現代に至るまで「転生」を続けている。ダライ・ラマは観音菩薩の化身だ。

 ダライ・ラマ13世が1933年に亡くなったとき、ポタラ宮の僧侶たちが、14世を探し、1940年に当時5才の少年を見つけ出した。これが14世。

 そもそも吐蕃(とばん)初代の王ソンツェン・ガンポは7世紀にチベットを統一した。チベット固有の信仰(ボン教)と大乗仏教が結びつきチベット仏教が生まれる。17世紀にはダライ・ラマ5世が、チベットの王とカルマ・カギュ派に代わり、宗教だけでなく政治的世俗的な権力を摑んでいく。1660年ラサのポタラ宮へ。

 ダライ・ラマ13世はイギリスや清との関係で苦しみ1910年ラサから脱出。辛亥革命に乗じて1912年にはチベットは独立宣言。1913~14年の中華民国・イギリス・チベットの会議でインドとチベットの国境が決められたが、中華民国はそれを認めず。

 1949年以降中国の人民解放軍がチベットに侵攻東チベットを占拠(「解放」)。

ダライ・ラマ14世は、15才で親政を開始。国際社会に働きかける。

 1951年、チベット政府代表と中華人民共和国の間でチベットの領土を中国に編入することを定めた。(17か条協議。ただし使節団にはその権限はなかったのだが。)

 ダライ・ラマ14世は毛沢東とも会った。1959年衝突を回避するためラサを脱出。中国が攻撃を開始し(チベット動乱)4千人が逮捕、多くの人が処刑。

 14世は17か条協議の破棄を宣言、チベット亡命政府を樹立。中国の支配で多くの人が処刑、寺院も破壊、10万人の難民がインド、ネパール、ブータンへ流出。1965年中国がチベット自治区を成立させる。

 ダライ・ラマに次ぐ高位の僧であるパンチェン・ラマ(阿弥陀仏の化身)が、転生した新しいダライ・ラマを探す。中国共産党はこの仕組みの盲点を突き、パンチェン・ラマ10世を傀儡にしようとするが、逆に批判され、投獄。その死後6才の男児がパンチェン・ラマ11世として承認されたが、すぐに行方不明となる。中国が拉致した。

 ダライ・ラマ14世は、2011年に政治から引退を表明。亡命チベット代表者議会が選出した首相のトブサン・センゲが政治的リーダーになった。2021年から2代目のペンバ・ツェリン。

 チベットは政教一致だったが、14世は、現状を考え、政治の要職から引退した。中国共産党が認めたパンチェン・ラマが政治的に介入することを防ぐためだろう。14世は当初チベットの独立を要求していたが、1987年、中国の中での「高度な自治」を要求する姿勢に転じた。「非暴力」の姿勢も相まって、1989年14世はノーベル平和賞を受賞する。1989年には天安門事件があり(民主化を求めた学生たちを人民解放軍が武力で鎮圧した事件。・・JS:中国ではこの情報は統制されている。世界ではリアルタイムで報道された。だから世界中の人が知っている。中国人だけが知らない。そう言えば昔の大日本帝国で東海地方にあった壊滅的な地震が日本人には知らされず、しかしアメリカは知っていた、ということがあった。国民を欺くとは、怖ろしいことだ。「民、信なくんば、立たず。」と孔子も言っているぞ。)

 14世のノーベル平和賞受賞を機に中国のチベットへの態度はより頑なになっていく。なおパンチェン・ラマ10世もこの年に死亡。その転生者を押さえれば、次のダライ・ラマはこちらで決められる、中国当局はそんな考えを持ったと想像できる。(212頁)

 ダライ・ラマ14世は、難しい局面に立たされている。あとがきによれば、2025年3月、14世は、自身の後継者は中国以外の「自由世界」で誕生すると明言した。(229頁)

 14世は、ダライ・ラマという役職を守ることと、チベット固有の文化や仏教を保護することとを、分けて考えるべきだとも言っている。チベットとチベット人が持つ固有の文化が失われることのないように、14世は考えているのだろう。

 14世は、恨みを持っての自殺は許されないが、他者の苦境に対する抗議のために自身の身を焼くことは認められる、と言った。14世の中心には、常に誰かに対して何ができるのかという思いがある。14世は、資本主義がもたらす格差についても危機意識を持っている。

 中国共産党はマルクスの「宗教はアヘンである」の教義に従い、宗教を排除した。(ソ連なども同様。)法輪功(気功)やイスラム教(ウイグル)をも弾圧し、イスラム教徒たちは処刑・収監・強制労働の憂き目にあっている。

 創価学会と中国共産党は、中国の国内で布教しないという密約を結んでいると言われている。(221頁)

 社会が不安定化する際や生活環境の大きな変化が生じたとき、宗教に心の拠り所を求める人は増加する。ソ連崩壊後や日本の戦後もそうだった。(220頁)

・・JS:その通りで、宗教ないしはその代替物が人類から消え去ることはないだろう。もちろんカルト宗教は危険だが、他方宗教が人を救い生かすことはある。「宗教はアヘンだ」と断定して破壊し尽くしていいものかどうか。賛同しかねる。

 宗教をすべて非科学的・不合理として否定しても、科学主義・合理主義という別の形而上学(言わば宗教)が出現し、人びとに無理を強いた例を私たちは世界史上いくらでも知っている。スターリニズムがそうだったし、ナチズムのリーダー達もその一つだと言える。(私はナチズムに詳しくないのだが、既成宗教を国民動員のために利用したが、敬虔な信仰心はなく、数字ばかり信じていた、と聞いている。無神論者の悪いタイプの典型に見える。おや、今でもあちこちに・・?

 神仏や死後の世界の存在について、近代の実証的科学は肯定も出来ないが否定も出来ない、それは科学の領域ではなく信仰の領域だ、というのが最も妥当な言い方だろう。

 長年人びとがやってきたことは、その中に何かの叡智がふんだんに織り込まれている場合が多く、机上で考えた数字の計算だけでそう簡単に否定し去ることはできないものなのだ。

 もちろん積年の因習や弊害で改革していくべきものは一つ一つ改革していけばよい。ただ全体を破壊しさえすればいいのではない。少しでもよくなるように改良案、改善案、代替案を出していくべきだろう。終末論的ユートピア思想を社会政策(政治や経済など)に持ち込むべきではない。また権力・暴力を用いて破壊するのはよくない。話し合いで納得しながら進んでいくべきだろう。(幕末維新の廃仏毀釈は、文化破壊だった。)

 

(ブラックな近未来小説。ディストピアを描いた。)

オルダス・ハックスレー『素晴らしい新世界』

ジョージ・オーウェル『1984』・・・非常に怖くなります。