James Setouchi

2025.8.20掲示

 読書会資料 オー・ヘンリー『最後の一葉』ほか  2026.1.24実施予定

 

 各種文庫などにある。

 

1 オー・ヘンリー(O・ヘンリー)について 新潮文庫(一)の「O・ヘンリの障碍と作品」(大久保康雄)、集英社世界文学事典の井上謙治氏の解説などによれば、

 1862年~1910年。本名ウィリアム・シドニー・ポーター。東部ノースカロライナ州の小さな町に医師の子として生まれる。父方の祖父は冒険と放浪を好んだ。祖母は実直な働き者。母方の祖父はオランダ系の新聞記者で南部にあって奴隷廃止論者。母方の祖母はイギリスの王党派の名門シャーリイ家のロバート・シャーリー(1600年頃サファビー朝イランのアッバース1世とイギリスを結んだ冒険家)の直系子孫。父親は町の開業医だが奇人変人で発明を好み家産を傾けた。母親は画才と文才があったが息子が3才の時病死。息子は父の妹に育てられた。彼女は文学好きだった。ウイリアム少年は奇想天外な話を皆に聞かせるのが得意だった。家が貧しく十五歳で薬局の店員になる。さらに南部テキサス州の牧場や土地管理会社、銀行などで働く。勉強は独学だった。結婚し娘も生まれたが妻は病弱となった。文筆生活に憧れ週刊誌『ローリング・ストーン』を創刊。経営に失敗し、銀行から横領罪で告訴され、中米のホンジュラスに逃げたが、妻の危篤の知らせで帰国、自首して刑に服し、(妻は病没、)模範囚として3年で出所。服役中に書き始めた短編が注目され、出所後は1902年にニューヨークに出て作家活動に専念。処女作『キャベツと王様』(1904年)以降、多くの短編を出した。流行作家となる。同郷の女性と再婚するがあまり幸福ではなく、飲酒に溺れる。妻子を南部ナッシュヴィルの妻の実家に預けNYでひっそりと暮らす。1910年死去。代表作『賢者の贈り物』『最後の一葉』など。短編小説の名手であり、短編作家に大きな影響を与えた。

 大久保康雄の描き取るその生涯は、オー・ヘンリーの短編小説以上に想定外の転変に満ちている。

 

2 『最後の一葉』(1905年、作者43歳頃の作)

(1)舞台:ニューヨーク、ワシントン・スクウェアの西側にある裏通り。とある三階建ての煉瓦造りの家。そのエリアは若く貧しい画家たちの集まる場所だった。グリニッジ・ヴィレッジは、「芸術家の天国」「ボヘミアニズムの首都」と呼ばれた。なおNYは当時人口400万。資本主義が盛んになり、無名の市民が多数集まる町だった。(アメリカは南北戦争から半世紀。まだ世界最大の強国ではない。)

 

(2)時代設定:不明だが、作品が1905年発表なのでその頃と考えてもよいだろう。季節は11月。寒く、肺炎になる人が多い。

 

3 登場人物の深掘り

(1)スウとジョンジー

スウ(スウデイ);売れない貧しい画家(若い女性)。メイン州(アメリカ北東部)出身。スウは商業雑誌の挿絵を描いて日銭を稼いでいる。その絵はアイダホ(アメリカ北西部)のカウボーイの絵だ。またベアマンさんをモデルに、年をとった世捨て人の鉱夫の絵を描いている。

 

ジョンジー(ジョアンナ);売れない貧しい画家(若い女性)。スウと同室。カリフォルニア(アメリカ西南部)出身。ジョンジーはナポリ湾を描きたいと思っている。

 

 スウとジョンジーはアメリカ大陸の両端の出身で、二人は芸術やファッションに好みが一致して、NYで共同のアトリエを持って共同生活をしている

 

 スウとジョンジーは食堂「デルモニコ」で出会った。デルモニコはNYのロウアー・マンハッタンにあるステーキの店。二人はチコリ・サラダを食べ、ビショップ・スリーヴ型のドレスを好む。チコリはレタスなどと同じキク科の野菜。ハーブ系。ビショップ・スリーヴは、上腕が細く肘から下が広がった長袖。司教(ビショップ)の袖に似る。

 

(参考)「19世紀末期の帝国主義の時代には,多方面に渡り技術の著しい発達がみられ,それは機械工業の発展に重要な役割をもたらした。そのことによって既製服が普及し服装上の身分や職業などによる区別をなくしながら民主化の傾向をみせていった。/この頃には衣服の構成技術も進歩し型紙製図法の研究も発達して衣服の流行においても変動が大きい時期であって,スーツ形式のものが現われ,あらゆる階層に普及し,上衣の袖は肘の上方部分を多(ママ)きくしたものが多く,その頃流行したテイラード・スーツにもレッグ・オブ・マトン・スリーブが取り入れられた。/20世紀の初めには一時期ぴったりとした袖型になり,全体のシルエットもスリムであったが,その後袖は以前と形態は異なるが大きいものになり,上腕部分を脹らませたもの,またその逆で肘から下部分を脹らませたものもあり,衣服のディティールの中でも袖のデザインが多様化した。それらにはベル・スリーブ( Bell sleeve )(釣鐘状の袖),短いパフ・スリーブなども見られた。外套も前世紀まではショール,マント形式のものであったが袖付コートが普及し,そのデザインの変化もやはり袖に見られた。」(北村悦子・大信田静子「女子に関する衣服の研究Ⅱ―女子服にみられる袖の一考察-」『北海道女子短期大学研究紀要』1989年)・・これは直接の証拠にはならないが、スウとジョンジーは、大衆化した大量生産のしかしおしゃれで流行の先端の衣装を着る、稼いだ金でレストランでハーブ野菜を食する、当時ごく平凡なNYの若い女性、という印象でよいかと思う。

 

 スウは商業雑誌に挿絵を描いて収入を得る。ジョンジーは美しいナポリ湾を描きたいと思っている。スウの方が実際的、ジョンジーの方が理想主義的?

 

 東部と西部の女性二人が出会うことの意味は?(地域主義を脱して一つのアメリカになりつつある?)東部のスウが西部のカウボーイの絵を描く意味は?(東部には西部開拓時代への憧れがある?)西部のジョンジーがナポリ湾に憧れる意味は?(西進したフロンティアは太平洋に達し、改めてヨーロッパの再発見?)

 

 老画家に命を貰った若い二人は(特に病気だった方は)その後どう生きただろうか。命を大切に生きただろうか。他者の愛に触れて。自らも与える愛に覚醒するだろう。

 絵描きになる夢よりも大事なことに気付いたら、絵描きになることを止めてしまうかも。教会のボランティアになるとか?

 スウの最後の科白は真相の開示。そのつもりではなくとも、老画家に命を貰ったと言われたジョンジーにはプレッシャーになるのか。うがった見方にすぎるか?

 

(注目!)ルカ8―1~3「その後、イエスは町や村を巡って神の国を説き、福音を宣べ伝えられた。十二人もお供をした。また、悪霊や病気を治してもらった女たち、すなわち、七つの悪霊を追い出してもらったマグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの執事クーザの妻ヨハンナ、スザンナ、そのほか多くの女たちも一緒であった。彼女たちは、自分の財産をもって彼らに仕えていた。」とある。ジョンジーは本名ジョアンナと明記してある。ジョアンナはヘロデの執事クーザの妻。スウがスザンナだとすると、二人ともイエスに癒された女性。どこにでもいる平凡なアメリカ女性だが神の救済にあずかる。

 ベールマンはベアマンだとすると熊男、熊のように大胆な男。モーゼ像に見るような髭、半獣神のような顔とあり、荘重な宗教指導者もしくは異教の神のような顔貌。どこにでもいる移民だが物語ではどこかで神の救済を実現する。もしかしたらドイツ系ユダヤ人?

 このように、宗教的なイメージの物語でもある。

 

 ベアマンに命を与えられたと気付いたジョンジーは、新しい生き方(与える愛)において、ナポリ湾ではなく窓の葉っぱのような傑作を目指すことになるのか? スウはどうか? ジョアンナもスザンナもイエスに癒された存在だとすれば、癒された二人はどうなるのか? 今までは病だった。NYの資本主義・商業主義的な虚飾の文化・文明に取り込まれて暮らしていた。あるいは、画家として金銭や名声を得る、傑作を描くという野心(欲望)があった。(日本なら「立身出世」と言う。太田豊太郎を見よ。)それを「病」とすれば、それらの囚われから解放される、ということになるのか? そこまで言うと取り過ぎか?

 

 「ナポリ湾を描きたい」はどうか。医者は否定し、「恋人でも…」と言う。しかし若い女性二人は恋人のことなど念頭にない。・・ナポリは古代ギリシア人が建設、歴史のある町。風光明媚。「ナポリを見て死ね」とも言われる。ジョンジーはフロンティアが西進し太平洋に達したところで、改めてヨーロッパを再発見しているのか? スウは商業雑誌の流行小説の挿絵を描いて日銭を稼ぐ。ジョンジーはナポリ湾の風景画を描きたい。一世一代の絵画を描きたいということか。スウは現実的、ジョンジーは理想主義的・浪漫主義的。両者とも「いま、ここ」ではない世界への憧憬があるが、現実的に収入を得る面と、あくまでも理想とロマンを追求する面とは、芸術家の二面を示している。ジョンジーは回復するとナポリ湾を書きたいと創作への意欲も復活する。だが、ベアマンの愛を知ったあとは、どうなるだろうか? 風景画を描くだけの人間で収まらないかも。

 

(2)ベールマン(ベアマン)さん

 売れない貧しい画家(男性)。六十過ぎ。スウとジョンジーの住む建物の地下室に住んでいる。二人の女性の守護番犬を自任。「今度こそ傑作を描くぞ」が口癖だがキャンバスは25年間白いまま。モデルをして日銭を稼ぐ。訛り(「Vass」や「mit」)からドイツ系移民かと思われる。顔貌(モーゼのような髭)からドイツ系ユダヤ人の可能性も?

 

 老画家は命を投げ出して若い人を救った。キリスト教精神がある。「一粒の麦もし死なずば・・」と聖書ヨハネ伝12-24でキリストは言う。「友のためにいのちを投げ出すこと、これより大きな愛はありません」(ヨハネ伝15-13)とも。

老画家は生涯をかけた傑作を書いた。それは美術展で入選するものではなかったが、実際に人を救った。芸術の傑作とは展覧会やコンクールで入賞するものではなく、このように実際に人間に生きる希望を与えるものではないか。

 

 老画家はもはや高齢で自分が長く生きられないしもしかしたら展覧会で入賞する日は来ないと悟っていたので、若い人のために命をかけてもいいと思えたのでは。ドイツ系移民で、それまでにどのような苦労があったかが忍ばれる。

若い人と窓の画だけは残った。このように、人間の命をこえて残るものがある。それが一枚の葉っぱの画であっても。アートはライフ(ベアマンの)より長く、ライフ(ジョアンナの)に力を与える

 

 見知らぬ誰かのために命を投げ出すことまでは普通はできない。しかしごく平凡な人もまれにそのような奇跡を起こすことがある。そこをオー・ヘンリーは書いた。オー・ヘンリーの世界はNY(当時人口400万)の小市民の日常的な世界だが、そこにそれなりの奇跡が起きる

 

 ベアマンはタフな人か、不器用な人か。無償の愛の人か。彼はなぜドイツ系(もしかしたらドイツ系ユダヤ人?)でなければならないのか?(ロシア系やアジア系などでなく。)・・19世紀前半にはアイルランド系、ドイツ系移民が多かった。19世紀後半にはイタリア系と東欧ユダヤ人移民が多かった。移民はイースト川の東のブルックリンに住んだ。「ドイツ移民は1870年代にはニューヨークの人口の1/3を占めるまで増加します。彼らはアメリカに溶け込むのが割と早く、ニューヨークから西へ移住していった者も多くいました。後のシカゴやシンシナティーなど中西部の発展にはドイツ移民が大きく関わっています。現在でもルーツ別に見ると、ドイツ人がアメリカでは最も多い民族です(ついでイギリス人、中南米人、アイルランド人、黒人、イタリア人)。」(「あっとニューヨーク」という旅行会社のサイトから。)ドイツ系だとすると稀少な人というわけではない。但しモーゼのような顔貌。ユダヤ系? 聖なる存在?

 ベアマンは同じ民族だからなどの理由は全くなく、出自の全く違う相手に対し友愛を示す。これが新しいアメリカの大都市・NYのクリスチアニティと言うべきか。フォークナーの描く南部の閉鎖的な教会人種とは違う。ユダヤ民族至上主義などとも違う。アメリカの都市住民の、開かれたクリスティアニティ、友愛を作家は提示して見せたか

 

 つい女性に目が行くが、ベアマンさんの変容を描いた作品とも読める。彼はキャンバスに傑作を書くつもりだったが、それは承認欲求・自己顕示欲だ。最後にジョンジーのために窓に蔦の葉を描くときは、有名になりたいという執念などではなく、ひたすら無償の与える愛情で書いている。『山月記』の李徴も同じか。キャンバスに傑作を描くつもりだった。ラストではキャンバスは出てこない。

 

 ベアマンの言葉のたどたどしさは移民ゆえか、お酒(ジン)のせいか。

 

 絵描きでも何の仕事でも、一番大切なことは人を助ける(人のためになる)ことであって、他の人を押しのけて仕事をしてもいい仕事はできない。

 すると、老画家は今までは利己的だったからいい仕事ができなかった、しかし今回は誰かのための仕事だから傑作になったのかもしれない。

 

 ベアマンさんが残したものは何か。生き方か、傑作の画か、ジョンジーの命か。

 

(3)医者;往診に来る。ジョンジーが助からないと診断するが・・西洋近代医学の常識に生きている人。それを越えた奇跡を見て驚く。医者は地位・学識のある人のようだが、女性二人のこと(ナポリを見たいなど)は理解しない。(「若い女性は恋人でも・・」と言うのは、ステレオタイプの捉え方。)

 

 

(4)コメント:

『最後の一葉』は有名な短編で、小中学生でも読める。大人になって読み返してみると、この作品は非常に感動的で尊いことを書いている作品だと改めてわかる。

 ここは大都会ニューヨークだ。ベールマンさんはなぜこのようなことをしたのだろうか? また、真実を知ったジョンジーは、これからどう生きるのだろうか? 

 オー・ヘンリーはこの短編を1905年に発表した。1905年と言えば日本は日露戦争をしている時だ。日露が奉天会戦や日本海海戦を行い、日本は総力戦で大変だった。ロシアは帝政末期。アメリカのルーズベルト大統領の調停でポーツマス条約を結んでいる同じ時期に、ニューヨークの裏町で貧しい画家志望の女性たちこんな暮らしをしていたのだ。

 

(5)オー・ヘンリー『最後の一葉』その他の視点  

1 短くてつまらない。人間の掘り下げが不足。『罪と罰』などの方が深い。作家自身の生涯の方が転変に満ちている。他方、短くて読みやすい。短い中にも鮮やかに人間が描けている。短篇の名手だ。注釈を丁寧につけたとき何が分かるか?

 

2 生命の希望をかける対象物はなぜ蔦の葉なのか。アメリカ東部のアイビーには独特の意味合いがあるのか。・・友情、永遠の愛、結婚、不滅などの含意がある。ディオニッソスが妖精キッソスをアイビーに生まれ変わらせたとか。(HanaPrimeというところのサイトから。)アイヴィー・リーグのアイヴィーではあるが・・葡萄の蔓ならキリスト教。

 

3 芸術について。高2でやる中島敦『山月記』の李徴の詩には何か「欠けるところ」があった。それも同じで、有名になりたい・自分が成功したいと思っているうちはいい芸術にならないのではないか? 芸術家として有名になるとかならないとかいうことよりも、この老画家はもっと価値ある生き方を成し遂げたのだ。そもそも傑作とは何か。絵画コンクールで入賞すれば傑作なのか。一般大衆に人気が出れば傑作なのか。では『ワンピース』『鬼滅の刃』などの少年漫画こそ傑作なのか。この小説では、明らかに人を一人救った。コンクールで入賞する作品よりも却って真の傑作だと作者は言いたげだ。文化系サークルのコンクールでは、なぜあれが金賞なのか? などそれぞれに苦い記憶がある。でも数字で決まらないからこそ人間臭くて面白いとも言えるのか。独裁者(審査員の好み)の気に入る作品をよしとするのはどうか。(開高健『裸の王様』は面白い。)

 芸術とは何か、コンクールとは何か。漱石は「芸術は自己の表現だ」と言った。そうであるものを国家が優劣をつけるのはおかしい、と言っている(『文展と芸術』)。芥川龍之介『地獄変』ではどうか。では、その原話である『絵仏師良秀』はどうか。孔子は「音楽は人格を成長させ完成させるものだ」と言っている。岡本太郎は「芸術は爆発だ」と言い「芸術は呪術だ」とも言った。書道の正統は王羲之などを正確に書写することだが、篠田桃紅はそこから逸脱した。書道パフォーマンスも本来の書道からそれたものいなっている。東洋絵画は様式を伝承する。西洋絵画は写生もあるが自己の内面の表現を重視する。芸術とは個性の・内面の表現だ。金持ちのパトロンに要求されて単なる装飾をしているうちは芸術とは呼べない。それは装飾屋でしかない。などなど。

 大和ミュージアム館長の戸高一成氏が言っていた。「技術の最たる者は数学で、答えが一つしか出ない。技術教育重視だと答えが一つということに馴れてしまい、他の人は自分とは違う考え方を持つと言うことがわからなくなる。対して、美術は、同じモデルでも100人が書くと100通りの正解がある。同じ絵を描くと真似をしたのではないかと叱られる。美術教育を重視すると、人によって考え方が違うのが当たり前になる。考え方が違う同士で折り合いが必要なら話し合って折り合えばいい。自分だけが正しく他の人の考え方は間違っているという姿勢が戦争を生む」(大意。NHKアカデメイアで。)

 

4 オー・ヘンリーの作品全般について。NYが舞台のものが多い。主人公は都市の小市民が多い。短編の主人公たちは、どの人も英雄豪傑ではなく、どこにでもいる凡人だ。その凡人があやまちもすればいいこともする。しかし決定的に残虐なことはしない。結構いい話が多い。オー・ヘンリーは苦労してきた。そこで少しでも希望の見えるいい話を書いて世間の人に提供しようとしたのではないか。所詮売文業? しかし、深刻で悲劇的な話だけが大切なのではない。少しホッとする「いい話」も大切だ。他の作品では皮肉なことに不幸に陥る話もある。富豪、田舎出身の成金や泥棒、浮浪者、刑事、探偵も出てくる。商業主義・資本主義の進展に伴い田舎からNYに出てきた男女のしがない働き手が多い。アイロンかけもいればショップガールもいる。貧富の差が前提となっている。が、ヒューマンで、キリスト教の慈愛や家族愛に満ちた感動的な話(『水車のある教会』)も多い。全体としてアメリカの市民でキリスト教徒にとって共感しやすい話になっている。本作もそういう一つではある。キリスト教圏の人にとっては子どもでも読める話になっている。日本でも子どもでも読めるが、キリスト教の知識があった方がしっかり読める。

 

5 日本中世の物語なら観音様や閻魔様が出てくるところだが、それを言わずに書いているところが現代のキリスト教文学なのか? 『賢者の贈り物』は道徳のテキストに載っていた。あれは皮肉な話なのか、無償の愛の話なのか。自分の最も大切なものを相手に与える話ではないか。その意味で本当の賢者だ。東方の博士(MAGI)が賢者の原語だ。(『賢者の贈り物』コメント参照)

 

6 オー・ヘンリーはニューヨークで活躍した。『最後の一葉』は1905年。

ニューヨークに関係の深い作家と言えば・・

①ハーマン・メルヴィル NY生まれ。『白鯨』(1851年)。

②ウォルター・ホイットマン NY州のロングアイランドで生まれブルックリンなどで働いた。アメリカ最初の民主主義詩人などと言われる。詩集『草の葉』(1855年)。

③オー・ヘンリー 1902年からNYに住む。『最後の一葉』(1905年)。

④スコット・フィッツジェラルド 『華麗なるギャツビー』(1925年)は傑作。ギャツビーと同様、フィッツジェラルドはNYで派手なパーティーをして遊んだと言われる。

⑤ヘンリー・ミラー NY生まれ。パリでボヘミアン的な生活を送る。『北回帰線』(1934年)。

⑥J.D.サリンジャー NY生まれ。『ライ麦畑でつかまえて』(1951年)。主人公のホールデン君は大人の世界のいんちきが嫌いだ。

⑦トルーマン・カポーティ 『ティファニーで朝食を』(1958年)で有名。ティファニーはニューヨーク五番街にある宝石店。

⑧ジョン・アップダイク NY生まれ。『ニューヨーカー誌』のライターをしていた。『同じ一つのドア』(1959年)『走れウサギ』(1960年)など。

⑨村上春樹 『海辺のカフカ』(2002年)の英訳『Kafka on the Shore』は『ニューヨーク・タイムス』で2005年にベスト10に選ばれた。

 

 他のアメリカ文学の作家と言えば、例えば

ポー『アシャー家の崩壊』(1839年)

ホーソーン『緋文字』(1850年)

メルヴィル『白鯨』(1851年)

マーク・トゥエイン『ハックルベリー・フィンの冒険』(1885年)

フィッツジェラルド『華麗なるギャツビー』(1925年)

ヘミングウェイ『日はまた昇る』(1926年)

フォークナー『響きと怒り』(1929年)

マーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』(1936年)

ノーマン・メイラー『裸者と死者』(1948年)

サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(1951年)

カポーティ『ティファニーで朝食を』(1958年)

ティム・オブライエン『本当の戦争の話をしよう』(ベトナム戦争後)などなど。

 

 イギリスでは、シェイクスピア、スコット、ブロンテ姉妹、ディケンズ、ヴァージニア・ウルフ、イシグロなど。もっと広げるとジーン・リースがいる。『サルガッソーの広い海』は現代を予言した作品と言えるかも。南米のガルシア・マルケスやバルガス・リョサやボルヘス、メキシコのフェンテスなども面白い。これらを読んで国際理解・異文化理解を深めることもできる。

 

参考1

『賢者の贈り物』1906年

1      登場人物

デラ:NY(恐らく)の若い女性。夫を愛している。お金があまりなく、夫にあげるクリスマスプレゼントが買えないので悩む。膝の下まである美しい髪を売って、そのお金で夫にあげる時計の鎖を買うが・・

ジェームズ・デリンガム・ヤング:デラの夫。22歳。妻を愛している。お金があまりなく、妻にあげるクリスマスプレゼントが買えないので悩む。父祖伝来の自慢の金時計を売って、そのお金で妻にあげる美しい櫛を買うが・・

マダム・ソフロニイ:かつら類一色を売る店の主人。デラの髪を20ドルで買う。仕事は事務的に行った。

 

2      当時の物価:正確には分からないが

 家具付きの古いアパートの家賃が週8ドル=月32ドルが、6万4千円なら、1ドルは2千円。

 ジェームズの週給が30ドルだったが20ドルに下がって貧乏だ、とある。1ドル2千円なら週給20ドル=月給80ドル=16万円。彼は年収192万円で、デラは専業主婦なので二人の世帯収入は192万円。今(2025年)の日本のサラリーマン世帯としては収入の高い方とは言えない、という世帯だろう。

 参考:MUFJのサイトによると、令和5年分の日本のサラリーマンの平均収入は460万円、20代前半男性では279万円。もっとも、同じ20代前半の若者でも、ITエリートとそうではないエッセンシャルワーカーで非正規の人とでは年収に天と地ほどの差がある。また内閣府の資料で2012年・2017年の年間労働所得を見ると、契約・嘱託・派遣なども含めて勤労者の中で3割の人が年間所得(これは収入ではない。収入から税金などを引いたもの)199万円以下だ。ジェームズもその層に入るということか。

 デラの髪の毛が20ドル=4万円で売れたとして、そのくらいなのだろうか?

 時計の鎖が21ドル=4万2千円。

 ジムはまだ22歳なので、これから収入が増えるかも知れない。(年功賃金制ではないはずだが。)

 

3      注釈をつけてみる

・デラという名前:わからなかった。デリラならペリシテ人でサムソンを誘惑しその髪(サムソンの力の源泉だった)を切った女性。デラという名は結構あるとか。旧約ではサムソンが髪を切る、本作ではデラが髪を切る。符合しているのか?

・ジェームズ:ジェイコブ、ヤコブからくる。ヤコブはアブラハムの孫、またキリストの十二弟子にも二人のヤコブがいて、一人はゼベダイの子(ヨハネの弟)、もう一人はアルファイの子。他にイエスの弟(従兄弟かも)もいる。ジェームズはユダヤ・キリスト教系の名前ではある。

・デリンガム・ヤング:含意はわからなかった。ブリガム・ヤング(末日聖徒キリスト教会=モルモン教のリーダー)を連想させるつもりかと仮説を立ててみたが、わからなかった。なおモルモン教ではクリスマスをある形で祝う。厳密な教義は知らない。

・シバの女王:旧約に出てくる女王。ソロモン王に大量の贈り物を与えた。シバ、シャバ、サバは不明だがアフリカまたは南アラビアにあったとも。

・ソロモン王:旧約に出てくるイスラエルの王。紀元前1000年頃で、イスラエル王国の最盛期と言われる。ユダヤ人は信じているが、考古学的には誇張ではないかという説がある。

・マダム・ソフロニー:ソフロニーは「優雅な美貌を思わせる言葉」と注にあるが、その名にふさわしくない人品骨柄だ、とある。実は1800年頃にブルガリアの民族運動をした聖職者でソフロニーという人(男性)があるが、関係があるかは不明。

・コニー・アイランド:NYの南にあるリゾート、アミューズメントパーク。遊園地や水族館がある。本作の時代に具体的に何があったかは知らないが、新しい遊園地として庶民の行ける場所だったに違いない。

・コーラス・ガール:主役をもり立てるために大勢で歌い踊る女性たち。髪を切ったデラが「コーラス・ガールみたいだ」は、派手で俗物だという意味か?

・東方の三博士が持ってきた価値のある贈り物:上記。

・正しい答えは、その贈り物の中にはなかった:ここは、とりあえず、相手に贈り物をしても、すれ違いのため、すでに無意味なものとなっていた、という程の意味か? もっと深い意味があるか?(下を参照。)

・チョップ:厚切り肉のことか?

・飼い葉桶の中のみどりご:幼子イエスのこと。

・ブロードウエー:NYの目抜き通り。20世紀初年頃にはタイムズ・スクエアあたりは劇場街となりエンタメ産業が盛んとなった。

 

・この二人こそ最も賢い人たちであった、彼らこそ「賢者」なのだ:本作末尾のキーワード。どういう意味だろうか? 自分の大切なものを犠牲にし、相手にとって大切であろうものを贈る、その行為が、結果が行き違いになったとしても、「賢者」の振る舞いだったというのか? いや、さらに深く考えて、美しい髪の毛や父祖伝来の時計を自慢にしている間はダメで、それらを失ってはじめて見えてくる世界がある、相手への与える愛の世界がそれだ、ということだろうか? 実際二人は宝物を失ったことでケンカしたりしない。かばいあい、共に生きる未来を語っているデラは「あたしの髪は、とても早くのびるのよ、ジム」と言いジムは「(この時計鎖を)しばらく、そっとしまっておくことにしよう。(いつか取り出して使う日は、もうすぐ、きっと来る。)」と言う。二人は共に生きる幸福な未来を語り合っている。これこそが真の最高の贈り物なのかもしれない。(クリスマスの贈り物=金で買える物質=なんか要らない、愛があれば、という世界に次は行くかも。)

 

・クリスマス:キリストが生まれた日。その前夜がクリスマス・イブで、パーティをし、贈り物をする。それは聖書にある、東方の三博士が黄金・乳香・没薬(もつやく)を捧げた故事によるとされる。黄金は王の持つもの。乳香(フランキンセンス)は神殿の礼拝に使うもの。没薬(ミルラ)はミイラを巻く布に塗る防腐剤。つまりキリストは王であり神であり死んで人びとを救う方であるとの意味があると言われる。(服部州恵という人のサイトから。)

 だが、聖書にはその日が12月25日だとは書いていない。地中海にあったミトラ教やサトゥルナリアの12月の祭を教会が取り入れたのだと研究者は言う。贈り物も同様。だからピューリタンのクロムウェルは、クリスマスを盛大に祝うことを禁じた。教会では長年祝ってきた。ディケンズ『クリスマス・キャロル』はクリスマスで人を愛してパーティーをすることを肯定した。アメリカではデパートのクリスマス商戦で盛ん。日本でも。

 デパートで高価な商品を買い、仲間うちだけで会食をすれば、キリストの真意にかなうのであろうか? (キリストは排除された人びとと共に会食をした。)クリスマス行事をきっかけに聖書に触れ神の真意に触れるに至るので、神は微笑まれるかもしれないのだが・・? 作者がクリスマスをめぐるこれらの議論を知っていたかどうか不明。

 

4      うがった見方

 デラは「あたしの髪の毛は、きっと神様が数えてくだすったと思うわ」と言う。これはマタイ伝10-30~31「あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。 だから、恐れるな・・」から来ている。デラは甘い声になって「あたしのあなたに対する愛情は誰にも勘定できないことよ」と言う。デラは髪を切るのは辛かった。ここではまだデラは自己犠牲を語っている。(目に見えるモノに換算できない愛に聖書を通じてデラは言及してはいる。)その後デラが「あたしの髪は、とても早くのびるのよ、ジム」と言えるのは、ジムの愛(こえも金時計を売るという自己犠牲)を知ったからかもしれない。とすると相互応酬的に愛情の交換が高まっている。もし相手の自己犠牲がなかったら?

 二人は愛し合う若い夫婦だからこれでいいが、前提となる関係がないところで贈り物をしたらどうなるだろうか?

 それでもキリスト(神自身)は一方的に自らを差し出した。無償で。それゆえ人類は値なしに許される。

 宮沢賢治は「自分を勘定に入れずに」と言った。ギブ&テイク(ウィンウィン)ではない。一方的に献身する。

 『葉隠』も見返りを求めない。無償の献身の美学がある。(本当は譜代には譜代としてのリターンがある。)

 宋道臣は「半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを」と言った。無理がないように、ということのようだ。どう考えるか?

 コリント人への手紙Ⅰ13:3「たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。」とある。スウとジョンジーの贈り物は愛ゆえであった。大富豪なら21ドルくらいのプレゼントはすぐ買えるだろう。スウとジョンジーは貧しい中で懸命にそれを買った。相手への愛情ゆえだ。だが、よくよく押し詰めて考えてみれば、モノがなくても愛があればいい、となるはずだ。大富豪が21億ドルを寄付しても、もしそれが会社の売名行為や節税のためで、愛がなければ、何にもならない。もし自己犠牲で体を渡しても、それが愛の行為ではなく、自己顕示欲や宗教団体のPRのためだったとしたら、何にもならない、とコリントⅠは教える。どう考えるか?