James Setoushi

2025.8.12掲示

読書会資料 9月20日(土)実施予定

 

ティム・オブライエン『本当の戦争の話をしよう』村上春樹訳  文春文庫

        Tim O’brien〝The Things They Carried〟

                           〝How to Tell a True War Story〟

 

1 ティム・オブライエン(1946~ )

 ミネソタ州生まれ。マカレスタ大学卒業後ハーヴァード大で政治学を学ぶが徴兵でベトナム戦争に歩兵として従軍。復員後政治記者を経て作家に。ヴェトナム体験に基づく作品が多い。著書『ぼくが戦場で死んだら』『カチアートを追跡して』『本当の戦争の話をしよう』『世界のすべての七月』『失踪』『ニュークリア・エイジ』など。(集英社世界文学辞典の解説から)

 

2 『本当の戦争の話をしよう』

 ヴェトナム戦争をめぐる短編集。村上春樹の「訳者あとがき」によれば、これらの大半は『エクスクァイア』などアメリカの雑誌に掲載(けいさい)されたが、単行本化にあたって、各短編の方向性を調整し、統一することを目的として、大幅加筆している。彼は「この本を、一貫したテーマとトーンとを持つひとつの総合体として設定し」た。各作品に登場する人物は共通している。語り手は作家ティム・オブライエン自身として設定された。つまり、これら短篇を個々に読むことも出来るが、集合体・一冊本として読むことが目指されている、ということだろう。

 ヴェトナム戦争:世界史用語集によれば1965~73。インドシナからフランスが撤退(てったい)した後、南ベトナム解放戦線と南ベトナム政府軍の戦いにアメリカが介入(かいにゅう)した。1965年の北爆以降アメリカは介入の規模を拡大。北ベトナムと南ベトナム解放戦線は、ソ連や中国の支援を受け、内戦は泥沼化。戦火はラオス、カンボジアまで拡大。1973年パリ協定でアメリカは撤退。1975年南ベトナムの首都サイゴンが陥落(かんらく)、1976年北ベトナムによる南北統一が成し遂(と)げられた。アメリカは最盛期には53万人の兵を派遣(はけん)、最新兵器を用いて大規模な地上戦、空爆(くうばく)を繰返したが、財政赤字の拡大、内外の反戦運動に苦しめられた。(山川の世界史資料集から)あるサイトによると、ベトナム人300万人が死亡、米軍の死者も6万人と言われる。日本の沖縄の米軍基地からも爆撃機が大量に飛び立った。

 若きティム・オブライエンは、アメリカ軍兵士としてベトナムに行っていた。本作では語り手「私」の名前はティム・オブライエンということになっている。実作者と同じ名前の「私」を作品に登場させたのだ。本作に登場するエピソードは、どこまでが史的事実でどこからが虚構(想像力の産物)かは分からない。が、戦場はこうだったろう、そこで受けた痛みはこうだったろう、というリアリティーに満ちている。

 

(登場人物)(ある程度ネタバレ)

:ティム・オブライエンという名前。ミネソタ州出身。幼い頃リンダという恋人がいた。1960年代に若者で、マカレスター・カレッジを最優等で卒業、ハーヴァード大学の大学院の特待生(とくたいせい)となるが、1968年6月17日に徴兵(ちょうへい)通知を受け取る。この戦争は間違っていると思い、良心にもとづきカナダに逃亡することを正しい選択と考えるが、体面を気にし、良心に従い正しいことをすることを恥ずかしいと感じ、勇気を奮い起こすことができず、結局兵士としてベトナムに渡り、仲間と共に悲惨な戦場を体験。ベトナム人の若者を手榴弾(しゅりゅうだん)で殺害してしまう。帰国後も戦場のつらい記憶を忘れることができない。戦争に行った自分は卑怯者だと考えている。作家となり戦場について書き続ける。1980年代の末か、幼い娘とともにベトナムの戦場を再訪。1990年の今は43歳。

 

ボビー・ジョーゲンソン:衛生兵。前線に着任直後ティムの手当をするが、それが不手際(ふてぎわ)だったのでティムの傷が悪化。ティムはボビーを憎み復讐(ふくしゅう)を試みる。が、・・

アザール:ティムがボビーに復讐しようとしたとき手伝った男。ティムはアザールを好きではない。アザールはテッド・ラヴェンダーのかわいがっていた仔犬をふざけて地雷で爆殺したことがある。

カイオワ:先住民出身の敬虔(けいけん)なキリスト教徒。いつも聖書を持っている。ベトナムの泥沼で砲撃に遭い沈降して死亡

ノーマン・バウカー:ウイスコンシン出身。自分のせいでカイオワは死んだ、カイオワを救えなかった、と苦しむ。帰国後も苦しみ続け、ティムに苦しみを打ち明けるが、1978年に自死

ジミー・クロス中尉:中尉で小隊長。アメリカの女性・マーサの写真をいつも持ちマーサのことばかり想像するうち、戦場で注意力を失い、カイヨワを死なせることになってしまったことを自責(じせき)している。やがて想像力や愛を否定し規律を重んずる隊長に変容する。(「兵士たちの荷物」)

カート・レモン:ラット・カイリーと親友。歯医者が怖い。ハローウイーンで幽霊のお面をつけてベトナム人の村に「トリック・オア・トリート」をやりに行った。のちラットと遊んでいるとき敵の残した罠(わな)にかかり爆死

ラット・カイリー(ボブ・カイリー):衛生兵。カート・レモンと遊んでいるときカートが爆死した。情緒が不安定になり現地の仔牛(こうし)を残酷な方法で殺害。負傷して日本へ。

ヘンリー・ドビンズ:大男で機関銃手。良い男。優秀な兵隊。GFのパンティーストッキングをお守りとして首に巻き付けている。「牧師になりたいな」などと言う。

テッド・ラヴェンダー:恐怖からトランキライザーを常時服用。重い荷物を背負い、不意に敵に撃たれて死亡

ミッチェル・サンダーズ:通信兵。何度も出てくる。

ベトナム人の若い男:ベトナム人兵士。「私」が遭遇(そうぐう)し手榴弾で殺害。

ベトナム人の少女:村か焼かれ家族が殺された焼け跡で踊っていた14歳くらいの少女。

ベトナム人の二人の僧侶:廃墟(はいきょ)となったパゴダに住んでいた。そこに作戦基地を設けた米兵たち、特にヘンリー・ボビンズと仲良くなる。親切な人びと。

ベトナム人の老人:死んでいた。米兵たちはふざけ半分で友人であるかのように扱う。

ママさん:ベトナム人の女性。クロス中尉たちにそこはキャンプする場所ではない、と教えてくれる。

マーク・フォッシー:ラット・カイリーの戦友。ラットの話によれば、アメリカから彼女(メアリー・アン)を連れてくるが・・

メアリー・アン:ラットの話に出てくる、マークの彼女。アメリカの17歳の普通の女子だった。だが、メアリー・アンはベトナムで変容し、グリーンベレーたちと行動を共にし、冷酷な人間になった。最後は行方不明になった。ベトナムのジャングルに今も潜(ひそ)んでいるという噂(うわさ)もある。

 

エルロイ・バーダール:カナダ国境のレイニー河のほとりに住む81歳の老人。「私」が兵役を逃(のが)れ逃亡しようかと迷っているとき、何も言わず見守ってくれる。

リンダ:「私」ティムの幼なじみ。「私」と愛し合うが、脳腫瘍(のうしゅよう)で死ぬ。幼い「私」は衝撃を受ける。だが、リンダは「私」の中で生きている。ほかの戦友たちも・・

 

二人の少年、モーターボートの男、四人の作業員、短いズボンの男、ハンバーガー屋の娘、サリー、:1970年代のウィスコンシンの湖のそばにいた人びと。そこはノーマン・バウカーの故郷だが、彼らは戦争について関心がなくそれぞれの日常を生きている。ノーマン・バウカーは疎外(そがい)感を味わう。

キャスリーン:「私」の娘。1980年代末か、作家で43才の「私」とともに戦場を訪れる。

ベトナム人農夫:二十年を経てベトナムを訪れた「私」と娘を、何も言わず厳しい顔でじっと見つめている。

 

(コメント)(完全ネタバレ)

1 「本当の戦争の話」は一般法則はない、抽象論(ちゅうしょうろん)や解析(かいせき)で簡単に片付けられはしない、話のポイントさえ存在しない、「本当の戦争の話」は「はらわたの直観(ちょっかん)にずしりと来る」、「本当の戦争の話を語りたければ、ずっと繰り返しその話をしているしかない」などなどと語る時、「本当の戦争」は、あまりにも重くリアルな現実であるので、安易な説明や分析や一般化では捕らえられないものだ、それは一体何だったのか、何だったのか、と問い続け考え続け語り続けるほかないものだ、という認識が語られている。安易な説明や法則化・教訓化を拒(こば)む姿勢がはっきりしている。かつ生々しい戦場の感触を忘れられない、という現実がある。さらには、忘れはしないぞ、忘れることは人間として間違っている、という思いもあるかも知れない。一方で戦場の苦しみを見ず単純な英雄豪傑譚(えいゆうごうけつたん)、ヒーロー話に還元(かんげん)してしまう人たちもいることを思えば、ティム・オブライエンの姿勢がそれらとは異なることは明白だ。読書会で「安直な物語化を許さない重い現実というものがあるのではないか」という議論が出たが、これなどはまさにそれだろう。

 殺してしまった相手にも、殺されなかったもう一つの別の人生があったかも知れない、という想像力、人間に対する思いやり、共感力(「私が殺した男」)は大切だ。だが、戦場は人間を変えてしまう。(「兵士たちの荷物」では小隊長が変容する。「ソン・チャポンの恋人」ではメアリー・アンが変容する。)戦場は(軍隊は)人間的な自由な想像力、共感の力を奪う。それでも人間的な心を失わなかった者はPTSDに苦しみ続ける。(「勇敢であること」「覚え書」のノーマン・バウカーは戦後に自死。)

 ティム・オブライエンが狂わずにすんだのはなぜか? 「本当の戦争の話」を書き続けることによって、かもしれない。すでに幼い日、恋人のリンダを脳腫瘍(のうしゅよう)で失い、幼いティムは傷ついた。が、リンダはティムの心の中で生きている。リンダを描き続けることで、幼いティムの心をも救済する。戦場で死んだ人びと(戦友だけではない。自分が殺したベトナムの若者も)を描き続けることでティムは自分の心を救済しているのかもしれない。

 なお、三牧史奈氏は「「本当の戦争の話」の狙いとは、おそらく、アメリカ軍事史上最も不名誉なヴェトナム戦争のトラウマの記憶が忘却の彼方へと消え去ってしまうことを防ぎ止めることなのである。」としており、得心した。(「煉獄としての戦場とアメリカ的自我の苦悩―『僕が戦場で死んだら』、『カチアートを追跡して』、『本当の戦争の話をしよう』におけるティム・オブライエンのヴェトナム戦争従軍についての弁明」(博士論文要旨。熊本県立大学大学院文学研究科博士後期課程 英語英米文学専攻 三牧史奈。2020年9月)

 

2 戦争に行くことが勇気ではなく、戦争に行かない選択をすることが勇気だ、としている(「レイニー河で」)点は注目できる。だが、正しいことをする「勇気」がなく、「体面」のために結局戦争に行き、悲惨な体験をするのだが。

 

3 短篇「待ち伏せ」では「私」は通りかかったベトナム兵の若者を「条件反射的に」手榴弾で殺害してしまう。その死体は厳然(げんぜん)とした事実として眼前(がんぜん)にある。だが「私」は、その若者を殺さなかった未来を夢想する。「私が殺した男」では、その若い男には恋人がいたかも知れない、大学で学ぶ未来があったかもしれない、などと想像する。(これは「私」自身の自画像の投影でもあるだろう。)大岡昇平『俘虜記(ふりょき)』の冒頭「捉(つか)まるまで」では、ミンドロ島で米兵と遭遇し撃てたのに撃たなかった自分がいることにこだわって考察している。「捉まるまで」にはエピグラフに『歎異抄』の「わがこころのよくて殺さぬにはあらず」が掲(かか)げられている。オブライエンと大岡を比較するとどうなるだろうか。「待ち伏せ」でも「わがこころの悪(あ)しくて殺すにはあらず」となるのか? 殺すも殺さぬも「業縁(ごうえん)」によると? 

 オブライエンの「人を殺してしまった」という苦しみを、①「業縁」で説明し他力の念仏で解決(?)するか、あるいは他の宗教信仰で? ②心理学・精神医学で説明し解決(?)するか、③文学(物語)で語り解決(?)するか? ④社会構造の分析と改革によって解決するか、あるいは? (誰かが言っていたが、戦争は科学の実験と違い再現できないからこそ、文学小説で語る意義がある。なるほど。同時に、語ることが語り手にとっても聞き手にとっても癒し=人間的回復=になるのかも。)

 

4 旧日本軍の戦場と比べてしまう。ベトナム戦争のアメリカ兵は、食糧・弾薬などが豊富にある。医療の手当もある。歯医者が来る。負傷すれば後方に下がる。これらは旧日本軍と全く違う。敗走する日本軍は、食糧も武器も医薬品も衣服や靴もなく病になり最後はバンザイ突撃で全滅、など悲惨な死に追いやられた。対して本作では、アメリカの普通の若者のメンタルな苦しみが前面に出ている。ベトナムの戦場はアメリカの若者を狂わせる。武器弾薬食糧などが豊富にあっても、戦場で人は心身共に傷つく、とわかる。旧日本兵も戦争神経症など精神的な病に冒された例があったが、今まで私が読んだ本などでは食糧や武器弾薬の欠乏が前面に出ていて、その分戦争神経症の話は陰に隠れていたかも知れない。(吉田裕『日本軍兵士』中公新書、2017年を御覧下さい。)

 

5 ノーマン・メイラー『裸者と死者』は太平洋の孤島でのアメリカ兵の戦いを描く。将軍が出世のために理不尽(りふじん)な命令を下す。それとの軋轢(あつれき)がある。兵隊同士の軋轢もある。ティム・オブライエン『本当の戦争の話をしよう』には、将軍は出てこない。兵隊同士の軋轢もなくはないが、それよりも、誰もがベトナムの闇の中で脅(おび)える姿が前面に出ている。『裸者と死者』はメルヴィルの『白鯨(はくげい)』に刺激を受けラストにカタストロフ(大破局)を設定する、劇的な構造を持つ。『本当の戦争の話をしよう』はひとつの作品にしようして一応構造らしきものはあるが、見えにくい。むしろ構造化できないところから出発し構造化できないものとして提示しようとしている印象がある。

 

6 それにしても・・・! アメリカは、対英独立戦争、対先住民(「インディアン」)戦争、南北戦争、第1次大戦、第2次大戦、ベトナム戦争、さらには湾岸戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争などなどと、随分戦争をしている国だなあ(ほかにもある。対スペイン戦争など)と改めて感じる。

 日本も明治から昭和20年までは戦争ばかりしていたが、昭和20年以降はピタッとやめた。日本は、戦後80年間とにもかくにも戦争をせず平和を維持してきた、世界でも最も素晴らしい国の一つだと言える。国民も指導者も偉かったのだ。「平和ボケ」ではない。リアルポリティックスの中で、きわめて現実的で賢明な選択をしてきたのだ。

 アメリカは戦争をしてきたが、戦争はダメだという言論や良心的兵役拒否の制度を許容している。あの国やその国はどうかな? 

 戦前の日本は反戦・非戦を唱える者を弾圧し投獄し前線に送った。今は大きな声で平和を言える。政府が(政府を動かす利権集団が=軍産複合体が)国民を兵として使い捨てるのはダメだ。日本やドイツにはその反省がある。

 ・・・どこかの国で軍事予算に膨大なカネを投入し巨大なミサイルを作りおおげさな軍事パレードを行うのは、大国化の幻想に囚われているのだろう。それが愚かなことで国民生活を圧迫することだと、早く気付くべきだ。ミサイルより食糧。第1次大戦ではドイツでもロシアでも国民=兵士が腹が減った、戦争はもういやだ、と怒って革命が起きた。

 

*なお、今ざっと思いつくだけでも1945年以降の世界では(私はこの分野の専門ではない。思い出すままに書くと)

アメリカ:冷戦の当事者。朝鮮戦争(国連安保理決議にもとづく国連軍)、ベトナム戦争(国連軍ではない)、湾岸戦争(国連安保理決議によるが国連軍ではなく多国籍軍)、アフガニスタン戦争(国連安保理決議は9.11テロを避難したが、国連軍でなく有志連合)、イラク戦争(国連安保理決議に基づかない有志連合。国連決議に照らして違法とされる)などなど

ロシア:冷戦の当事者。ウクライナ侵攻。 ソ連もアフガニスタンに侵攻して約10年後敗退、他にもハンガリーに戦車を送ったなどなど

中国:朝鮮戦争、ベトナムに攻め込んで敗退、国境紛争は多数(対ソ連、対インド、南シナ海などなど)

イギリス:中東戦争、NATOとしてユーゴ空爆、フォークランド紛争(対アルゼンチン)

フランス:インドシナ戦争、アルジェリア戦争、中東戦争、NATOとしてユーゴ空爆

イスラエル:何度も中東戦争、今回はガザに攻め込んだ

・・と、あちこちで戦争をやっているように見える。

 

 が、戦争をやっていない国もある。悲惨な戦争から抜け出して今は平和主義になった国もある。例えば

ドイツ:戦争への参加は少ない。基本的に専守防衛。90年代にカンボジア、ソマリア、旧ユーゴに派兵。21世紀にはアフガニスタンに派兵。が、イラクには派兵せず。(浅井春夫「戦争をする国・しない国の分岐点」『立教大学コミュニティ福祉研究所紀要』第3号(2015)による。)

日本:もちろん戦争をしていない。1990年代以降PKOでカンボジアやイラクなどに行ったが・・?

 

 第2次大戦後直接の戦争・軍事行動をしていない国は・・日本、北欧の国々(フィンランド、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、アイスランド)、ブータン、スイス(浅井春夫「戦争をする国・しない国の分岐点」『立教大学コミュニティ福祉研究所紀要』第3号(2015)を参照した。)

 

 オーストリア(武装しているが永世中立)、コスタリカ(1949年憲法で恒常的制度としての軍隊を禁止、1983年永世・非武装中立を宣言)、パナマ(1994年憲法で軍隊を廃止)、アイルランド、リヒテンシュタイン(1867年から中立)、バチカン市国(軍隊を持たない。スイスの傭兵が警備をしている)、マルタなどはどうかな? 

カンボジアは悲惨な内戦を経て、今や1992年憲法で永世中立を宣言。ラオス(1963年宣言)、モルドバ(1994年憲法)、トルクメニスタン(1995年永世中立国として国連で認められた)も永世中立

 

 アメリカと友好的な国だが、アメリカと必ず行動を一にするわけではない国もある。カナダはNATOの一員だがベトナム戦争ではピアソン首相がアメリカのジョンソン大統領を相対化し批判したので有名。

 

*参考までに、

西修「世界の現行憲法と平和主義条項」(『駒沢大学法学部研究紀要』2002)によれば、平和主義条項を憲法に入れている国は多数ある。かつ、平和主義条項のありかたも、多様である。以下はあくまで一例だが、

非同盟政策を憲法に謳っているのは、アンゴラ、ナミビア、モザンビーク、ネパール、ウガンダなど10カ国。

・オーストリア、マルタ、カンボジア、モルドバ、カザフスタン、スイスは「中立」を憲法に明記。特にカンボジアとモルドバは「永世中立国」。(JS:言うまでもなく、スイスとオーストリアも永世中立国。ロシアのウクライナ侵攻でゆらいでいるが。コスタリカも1983年に永世中立を宣言。)

国際紛争の平和的解決を憲法に謳っているのは、カタール、ガイアナ協同、ウズベキスタン、キルギス、中央アフリカなど29カ国。

国際紛争を放棄する手段としての戦争を放棄することを憲法に謳っているのは、日本、イタリア、ハンガリー、アゼルバイジャン、エクアドル。

国家政策を遂行する手段としての戦争を放棄することを憲法に謳っているのは、フィリピン。

自衛以外の軍隊の非設置を憲法に謳っているのは、コスタリカ、パナマ。(JS:日本も憲法で戦力不所持。)

戦争の先導や準備を禁止しているのは、ドイツ、ルーマニア、スロベニア、トルクメンスタン、ベネズエラ・ボリバルなど12カ国。

(これは2002の論文で、その後世界は変化している。)

(この項 まだ途中)

 

 

7 ティム・オブライエンはマカレスタ・カレッジ(ミネソタ州の名門リベラル・アーツ・カレッジ。アナン国連事務総長もここに学んだと言う)を優秀な成績で卒業しハーバード大で政治学を学んでいた知的エリートだが中途で軍隊へ。サリンジャーは名門ハイスクール中退で陸軍幼年学校のようなところに学んだ。その後大学へも。ヘミングウェイは高卒。フィッツジェラルドはプリンストン大中退で軍隊へ。

 

8 補足 

 新田玲子は次のように言う。(『サリンジャーなんかこわくない : クラフツマン・サリンジャーの挑戦 : テキストの重層化とポストモダン的試み』(大阪教育図書2004年2月発行の同書を、2012年1月に改訂した著者原稿)(第6章「サリンジャーと戦争」から)(ネットで見ることができる))

(1)サリンジャーは志願したがオブライエンは徴兵。サリンジャーはヨーロッパ戦線だがオブライエンはアジア。(アメリカ人にとってヨーロッパ人は近いがベトナム人は理解できない)。

(2)サリンジャーにとって家族や故郷は心の拠り所、オブライエンの場合は絆が深い分心の重荷になる。

(3)サリンジャーは戦闘場面を描かない。徹底的な反戦。敵にも味方にも共通する野蛮を見る。オブライエンは、侵略戦争であるベトナム戦争の徴兵に応じた自分の苦悩にこだわるが反戦・平和主義者ではない。第2次大戦や朝鮮戦争は肯定している。

(4)サリンジャーもオブライエンも戦争を個人の問題として捉えていて、戦争それ自体が抱える本質的な問題(ノーマン・メイラー『裸者と死者』にあるような)は捉えていない。アジア人の立場に立って戦争を捉えていない。

・・・どうだろうか?

 

 なお、『カチヤートを追跡して』が傑作なのでぜひ読むとよい、と尊敬する人に言われたが、本が入手できず未読。

 

(アメリカの作家)ポー、エマソン、ソロー、ストウ、ホーソン、メルヴィル、ホイットマン、M・トゥエイン、オー・ヘンリー、ドライサー、ジャック・ロンドン、エリオット、フランシス・スコット・フィッツジェラルド、アーネスト・ヘミングウェイ、パール・バック、ウィリアム・フォークナー、ジョン・スタインベック、トルーマン・カポーティ、ヘンリー・ミラー、ジェローム・デーヴィッド・サリンジャー、ノーマン・メイラー、ジョン・アップダイク、フィリップ・ロス、レイモンド・カーヴァー、ティム・オブライエンなどなど。

 

 

 

参考1  『ニュークリア・エイジ』村上春樹訳 文春文庫

 核時代をいかに生きるか? を問うた小説。時代背景はキューバ危機、ベトナム戦争など1960年代を中心に、1958年ころから1995年までを扱う。本作が発表されたのは1985年なので、1995年についての記述は、1985年の読者から見れば、言わば近未来SF小説ということになる。

 語り手はウィリアム。1995年に妻子と暮らしているが、強い強迫観念を持って穴を掘っている。穴が命じる、「掘れ!」と。ウィリアムにはカンザスが炎上するのが見える。すでに世界最終核戦争は行われている。それはリアルな感覚だ。核ミサイルは次々と発射され、あたりは炎上している。シェルターを掘るしかない。妻と子を守るために。その行為は、他の人からは狂気に見える。だが、ウィリアムだけが正気なのかもしれない。この核の恐怖の時代には。

 同時進行で、ウィリアムの過去が語られる。モンタナ州の田舎町に生まれた。スイートハート山脈が見える。感じやすい子だった。核の恐怖に囚われ、地下室にピンポン台で手製のシェルターを作る。父親と母親は子どもの行動を心配し、医師やカウンセラーに見せる。だが、大人たちは見誤っていた。ウィリアムの感覚が正しいのだ。(この話を、感受性の強い平和主義の少年の物語と読むこともできる。集団の熱狂を嫌い静かに暮らすことを愛好する少年。)

 ウィリアムはハイスクール、また大学でも感じやすい変わり者として周囲から見られつつ、現に起きている戦争や核爆弾の脅威をリアルに感じて過ごす。ある時ウィリアムは「爆弾は実在する」と書いたポスターを掲げカフェテリアの正面に立つ。周囲の冷笑。しかし、彼は忍耐強く立ち続ける。やがて彼の周りにわずかな仲間ができる。爆弾魔のオリー。過食症のティナ。美人チアリーダーのサラ。そして筋肉男のネッド。

 ここから先はネタバレ。

 サラはチアリーダーとして過度の情熱を持ち、人々を扇動する能力を持っていた。やがてサラの主導で仲間たちは特殊な反軍グループに育っていく。ベトナム戦争の従軍の命令書がウィリアムに下る。これを機に事態は急展開。仲間たちはアメリカの表面から姿を消し、地下へもぐって反戦運動を行う。キューバで戦闘訓練を受ける。(戦争反対のはずなのに戦闘訓練とは?) 彼らはフロリダを拠点にベトナム反戦運動を行う。折しも全米で(また大学内でも)ベトナム反戦運動の燃え上がった時期であった。

 それから? ウィリアムは兵士には向いていなかった。偶然出会った美しいフライトアテンダントのボビに恋をする。仲間たちとの隠密行動があり、ボビを恋い慕う夢想がある。サラにはサラの苦しみがあり、サラはウィリアムを求める。ネッドはサラを求めている。過激化する仲間たち。ウィリアムは身心を壊し故郷に戻り長い長い療養生活に入る。サラたちとはともにやっていけない…

 ウィリアムは岩石学の専門家だ。ある時ウラニウムの鉱山を見つけ、仲間たちと巨万の富を得る。(核兵器を憎むはずなのにウラニウム鉱山を兵器産業に売って巨利を得るとは、矛盾ではないか?)富豪となったウィリアムは恋するボビを探し求め、ついに探し当てる。ウィリアムはボビに求愛する。ウィリアムはボビと静かに暮らし娘メリンダを育てる。そこには幸せがあるかに見えたが…

 ウィリアムを求めていたサラは苦しみ、病で死ぬ。他の仲間たちはテロリストとして警官隊に襲撃され炎の中で死ぬ。ボビの浮気性が再発、ウィリアムはボビを失いそうになる。既に両親と仲間を失い妻子をも失いそうになるウィリアムを、再び核戦争の恐怖が襲う。自らの財産もウラニウム鉱山で築いた。そのウラニウムで作った核ミサイルが今まさに地上を滅ぼし尽くそうとしている。ウィリアムは狂気に囚われたかのように穴を掘り続ける。そして…

 ここから先は読者ご自身がお読みになるほかはない。

 核の恐怖からシェルターとして穴を掘るわけだが、いつしか穴が命令し始めている。「掘れ!」と。これは逆に言えば、人間が作り出したものに人間が支配され命令される恐怖を描いているとも言える。核兵器がまさにそれだ。「抑止力」「防衛」のために核武装し、気が付くと益々核兵器を増やし続けなければならない脅迫観念に捉えられてしまう人びと。人間はそこから自由になれるのか。真に大切にすべきものは、何であるのか。本作はそう問いかけている。

 各種書評では、村上春樹の訳でさらに傑作になっている、と言う人が結構いた。 

 

(原爆・核兵器関係で言えば)

星新一『午後の恐竜』:1968年発表。ショート・ショートだが・・東西冷戦下の核戦争の恐怖を描く。(第五福竜丸事件は1954年、キューバ危機は1962年。)

大江健三郎『ヒロシマ・ノート』『ヒロシマの「生命の木」』

原民喜『夏の花』:原は広島出身。慶応の『三田文学』で活動していたが妻を亡くし疎開中新盆の準備中に被曝。

井伏鱒二『黒い雨』:実際の被爆体験者の手記をもとにしている。

峠三吉『原爆詩集』:「にんげんをかえせ」で有名。

永井隆『長崎の鐘』:永井は放射線科の医師で、自身被爆しながら被爆者の治療に当たり科学者として記録を取った。

池澤夏樹『カデナ』:小説。ベトナム戦争時の沖縄の嘉手納(かでな)基地が舞台。

マンガ 中沢啓治『はだしのゲン』

アニメ映画 『この世界の片隅に』:呉が舞台。呉(軍港)は空襲で破壊された。そのあと広島に原爆が落ちた。

絵本 『ひろしまのピカ』

映画 『オッペンハイマー』:核兵器をつくったオッペンハイマーが主人公。

東京新聞社会部『兵器を買わされる日本』文春新書、2019年

 

 

 

参考2 あの戦争関連の本(小説を含む)(以下、ほぼ再掲)

 

半藤一利「ノモンハンの夏」1939年(昭和14年)のノモンハン事件を扱う。

半藤一利「ソ連が満洲に侵攻した夏」文春文庫・・1945年8月8,9日以降・・!

藤原てい「流れる星は生きている」偕成社文庫・・敗戦後朝鮮半島を、子ども3人を連れて逃避行で南下。

夫(新田次郎)は気象台に勤務していたが捕まった。次男が藤原正彦(お茶大教授)。

高杉一郎「極光のかげで」岩波文庫・・シベリア抑留の経験。ソ連にも人間的な人と教条主義的な人がいる、という記述が印象的だった。

共同通信社社会部「沈黙のファイル」新潮文庫・・瀬島龍三について。瀬島は陸軍の参謀。

森村誠一「悪魔の飽食」全3巻 角川文庫(カッパブックスではない)・・731部隊! 石井中将は細菌戦の研究を極秘裏に行い、人体実験もしたという。東条英機が激怒したとか。だがそのデータをアメリカが欲し、石井中将は戦犯として処刑されなかったとか。カッパブックスで一度写真の誤用があり、その後調べ直して角川文庫から出した。

常石敬一「医学者たちの組織犯罪」朝日文庫1999年・・こんなのもありますよ。

安岡章太郎「遁走」・・小説。満州で兵役につくが、兵隊としては不合格だった。大病で入院する羽目に。その直後舞台は南方へ送られ全滅。安岡は奇跡的に助かったのだ。

宇佐美まこと「羊は安らかに草を食み」・・小説。満蒙エリアから敗戦後南下して帰国。

 

「南京大虐殺否定論13のウソ」柏書房・・「南京大虐殺はなかった、と言うのはウソだ」という本。

偕行社「南京戦史」・・皆行社は陸軍ほかの親睦会。  

本多勝一「南京への道」朝日文庫

石川達三「生きている兵隊」・・小説。伏せ字だらけ。あの「南京事件」直後に石川達三は南京に行った。

竹山道雄「ビルマの竪琴」新潮文庫・・小説。敗戦後ビルマで。水島は、日本の軍隊の効率・成果至上主義を批判し、ビルマの仏教僧たちの魂を大事にする生き方に共感する。大江健三郎の「魂のことをする」という言葉が想起される。なお奥泉光は本作からは「戦争の主体である国家の姿と植民地支配の歴史」が抹消され「慰安とイノセンスに満ちた結末となって」いると批判する。(朝日新聞2025.8.13(水)11面インタビュー)それはそうかもしれない。イギリス人が日本人をも慰霊してくれているとの記述はあるが、水島はビルマに残って日本人だけでなくイギリス人・ビルマ人すべての慰霊をしてもいいはずだがその要素は弱い。同胞というナショナルな気分が勝っている。ただし、戦後の再建にあたって、効率・成果至上主義ではダメで「魂のことをする」ことが大切だと示した点は素晴らしいと私は考える。

 

ノーマン・メイラー「裸者と死者」・・アメリカ軍側から見た太平洋戦争。

大岡昇平「野火(のび)」新潮文庫・・小説。

大岡昇平「レイテ戦記」・・高名な将軍の戦史ではなく、日本軍無名戦士の記録。アメリカの資料なども駆使して書いている。

大岡昇平「俘虜記」新潮文庫・・小説。フィリピンのミンドロ島でアメリカ兵と遭遇したとき、なぜ自分は撃たなかったのか? から始まる。敗戦後収容所で。

今日出海『山中放浪』・・小説。敗走する日本軍兵とともにフィリピンの山中を放浪し猛烈な空襲の下餓えて彷徨う。奇跡的に脱出して辛うじて日本へ。

 

吉田満「戦艦大和ノ最期」講談社文芸文庫・・戦艦大和の壮絶な最期。三千人中9割が死に、生き残った者にも監視がついた。

早坂暁(はやさかあきら)「戦艦大和日記」勉誠出版

 

「きけわだつみのこえ」岩波文庫・・学徒出陣した大学生の手記。

城山三郎「指揮官たちの特攻」・・カミカゼ1号・関行男と、最後の特攻・中都留達雄。中都留はただ命令を受けて動くだけの機械ではなく、自分の判断でアメリカキャンプへの突入を回避した、と城山は評価する。

鴻上尚史「不死身の特攻兵」・・特攻という作戦のでたらめさがよくわかる。特に陸軍の特攻はお粗末だ。

裴淵弘「朝鮮人特攻隊」集英社新書2009年

島尾敏雄「魚雷艇学生」・・小説。魚雷艇という特攻もあった。他にも様々な特攻がある。お粗末なやつも。九死に一生どころか十死零生の作戦が特攻だ。人間を兵器の一部にしてしまうのだ。人間は単なる手段として扱うべきではなく、それ自体尊厳なる人格とて尊重すべき(カント)であるのに。大日本帝国の問題点はここだ。帝国自体が自己目的化しており、国民(人間)はそれ自体目的として尊重されない。単なる手段として使い捨てられる。(今の憲法は基本的人権が神聖不可侵ですよ。)

映画『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』・・国家のために死ぬことが愛する家族のためになるわけではない、国家のために特攻で死ぬことと愛する人(妻子)のために生きることとは違うことだ、という問いかけが入っている。

 

遠藤周作「海と毒薬」新潮文庫・・小説。九州大学での生体実験。

大江健三郎『飼育』・・小説。黒人兵が四国の谷間の村で捕虜に・・

 

大江健三郎「沖縄ノート」岩波新書

沖縄タイムス社「鉄の暴風」1950年初版

小林照幸「ひめゆり 沖縄からのメッセージ」2010年角川文庫・・ひめゆりの生き残りの語りと「1フィート運動」を軸に20世紀後半の沖縄の政治と社会を振り返り米軍基地問題なども考える。「ひめゆり」を殉国美談にしないでほしい、という生存者たちの思いが伝わる。読み応えのある良書。

曽野綾子「生贄(いけにえ)の島」文春文庫・・沖縄戦没女性徒の記録。

謝花直美「証言 沖縄「集団自決」―慶良間諸島で何が起きたか」岩波新書 2008年・・慶良間(けらま)諸島の「集団自決」の証言を集めている。

大田昌秀「沖縄 戦争と平和」朝日文庫1996年(もと1982年)・・琉球時代から説き起こしている。良書。

 

井伏鱒二(いぶせますじ)「黒い雨」新潮文庫・・小説。ヒロシマの原爆です。

原民喜(はらたみき)「夏の花」新潮文庫・・小説。同上。

梯(かけはし)久美子「原民喜」岩波新書・・原民喜その人について。

大江健三郎「ヒロシマ・ノート」岩波新書(青)

永井隆「長崎の鐘」「原子雲の下に生きて」中央出版社・・ナガサキの原爆です。先日(2024年8月9日)平和式典を見ていたら、ピカのあとのドンまでにほんのわずかなタイムラグがあり、その間にオルガンの前に臥せたら、助かった、爆心地から3.6キロメートルのところに自宅があった、ということだった。そういう方もおられるんだなと思った。ご自宅の外に遮蔽物でもあったのだろうか。彼は被爆の語り部として貢献しておられる。なお、イスラエルを招待しないからとあちこちの超大国からクレームがついたが、私見では、ガザの人を大量虐殺しているイスラエルを呼びたくないのは当然ではないか? (あくまで私見です。長崎市長は別の理由を言っておられました。)(ハマスのやったことがいいとは思いませんよ、でも。)あまり長崎市長をいじめないでほしい。(長崎は、少子高齢化が進む、自然災害は多い、米軍はいる、中国資本は入る、で大変な所なのに、頑張って市長を買って出ておられるのだ。政策については存じあげませんよ、でも。)(以下放言気味ですが)むしろ、ロシアも中国もイスラエルもインドもパキスタンも北朝鮮も、核兵器を持っていると言われるところは全てご招待して、核兵器の恐ろしさをわかっていただいた方がいいのでは? 岸田さんは、各国の若い人に学んでいただく、と言っていたが、これは良いアイデアだ。但しロシア語や中国語や朝鮮語やヘブライ語などで発信したらいいのでは。(私はできなくて済みません。)

アニメ映画『この世界の片隅に』・・呉で過ごす人々。ヒロシマに原爆が落ちる。

 

坂口安吾(あんご)「白痴」・・小説。空襲下の東京にて。

野坂昭如「火垂るの墓」・・アニメにもなった。神戸、西宮あたりが舞台。

 

高史明(コ・サミョン)「生きることの意味」ちくま文庫・・「在日」少年の記録。中学生のベストセラーだった。

帚木蓬生(ははきぎほうせい)「三たびの海峡」・・小説。いわゆる「強制連行」を扱う。

 

朝日新聞社「朝日新聞への手紙 戦争体験」朝日文庫2012年=平成24年。

ここで言っておこう。朝日も読売も戦争はダメと言っているが、朝日の方がよりはっきりしている印象がある。読売は安倍政権ベッタリだった。憲法改正・集団的自衛権などについては、朝日と読売では方向が随分違う。ヒロシマ・サミット(2003年)でG7が並んでいる写真があったが、同じ写真を使っても、朝日と読売では見出しが全く違った。朝日のみ読む人と読売のみ読む人とでは、「常識」が異なってきそうだ。ここで、戦後に朝日が平和・福祉・人権・男女平等などについて熱心に記事を書き、お蔭で国民の良識のレベルが上がり、これらの点で日本社会が少しずつでもよくなってきたことは、否定できない。いくつかの誤報があったので朝日をたたきたがる人がいるが、誤報は誤報として改めるとして(他のマスコミも実は誤報や捏造を結構やらかしている。読売も。)、もし戦後社会に朝日がなかったら、日本社会はもっとおかしなものになっていただろう。逆に、「読売の安保法制に対する世論調査は誘導尋問調査だ、安保法制賛成の新聞は両論を載せないから朝日よりも問題だ」と池上彰が言っている(東洋経済ONLINE,2015年9月6日)。戦前はマスコミが戦争を煽ってしまったので、その反省から、戦後のマスコミは木鐸(ぼくたく)としての自覚を持って頑張っているはずなのだが。

吉田裕「アジア・太平洋戦争」岩波新書2007年

吉田裕「日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実」2017年・・必読。前線での兵隊の実情。

保阪正康「あの戦争は何だったのか」新潮新書2005年

NHK取材班「太平洋戦争 日本の敗因」シリーズ全6巻 角川文庫・・結構面白かった。

色川大吉編「近代日本の戦争」岩波ジュニア新書1998年・・入門書。戦後も押さえている。

田原総一郎「日本の戦争」小学館2000年・・明治維新以降を大きく捉えている。

大内信也「帝国主義日本にNOと言った軍人 水野広徳」雄山閣1997年・・水野広徳(ひろのり)は海軍軍人で、日露戦争に従軍したが、第1次大戦の欧州を視察し、非戦論者に転じた。軍人たちを批判し続けた。特に「打開か破滅か興亡の此一戦」は日米戦の結末を予見したものとして有名。

三國一朗「戦中用語集」岩波新書黄版1985年

坂口安吾『堕落論』『続堕落論』:戦後のエッセイ。戦前の「清潔な帝国」「武士道の国」のウソを暴く。

 

*呼び方:勉強している人には当たり前なのだが、

「太平洋戦争」と言うと、1941年12月の真珠湾攻撃からあとのイメージが強くなる。

「第2次世界大戦」と言うと、ドイツ・イタリアのヨーロッパでの戦争も含む。

「十五年戦争」という言い方は、中国大陸での満州事変からの一連の流れの上に対アメリカの戦争もあると見る見方で、私には妥当とも考えられる。

「日中戦争」と言うと1937(昭和12)年の盧溝橋事件からに限定されてしまう。本当はもっと昔からもめていたのだが。

「アジア・太平洋戦争」とは、戦争を行った地域がアジア・太平洋エリアにわたるので言われる呼称。

「大東亜戦争」という呼称にこだわる人もある。

私は「アジア・太平洋十五年戦争」と言ってみたいが、本当は、明治維新以降、恐らくは日清・日露戦争を通じて、軍産官学政複合体ができあがり戦争へと国民を駆り立てていった(国民の多くも愚かなことに熱狂した)ので、「十五年戦争」でもまだスパンが短すぎると感じる。1868年から1945年まで77年間を一体と見て、「東アジア・太平洋八十年戦争」と言ってみたらどうでしょうか? 長い目で見たら(プランタジネット家とヴァロワ家を中心とする断続的な戦争状態がその後「英仏百年戦争」と要約されているのと同様)日本が戦争をやめて平和国家になる前段階の戦争として「東アジア・太平洋八十年戦争」と呼ばれるようになるかも? 

 

戦争を知らない世代の戦争責任とは? 

1 過去の戦争について深く学ぶ。

2 現在の戦争について深く学ぶ。現在の戦争を止めるにはどうすればいいのか?

3 将来戦争を起こさないためにはどうすればよいか、学び、アイデアを出し、実行する。

 

(例)蘇我物部はなぜ戦争したのか? 壬申の乱はなぜ戦争したのか? 源平の合戦、と言うが、そもそもなぜ彼らは戦争をしたのか? 源義経がカッコイイとか北条義時がブラックだとか言う前に、そもそも何で戦争を? と問うてみたい。武田信玄はなぜ京を目指したのか? 織田信長はなぜ天下布武に乗り出したのか? 戦国大名がカッコイイなどと言うのは、そこで死んでいった沢山の人の目で物事を見ていない証拠だ。薩摩と長州は大政奉還後になぜ東へと攻め上ったのか? お蔭で沢山人が死んだ。やらなくてもいい戦争だった。大政奉還後二院制を作って平和裡に漸進的な改革をすればよかったではないか。イギリスの武器商人に煽られたのでは? 武器を買わされては使わされる。日露戦争も外交交渉で避けられた。やらなくてすんだはず。高田屋嘉兵衛事件のときはうまくやって仲良くできた。誰かの好きな「人間力」という言葉を使うなら、チームを率いて戦闘で勝つのが人間力ではない。敵ともトモダチになり争いを回避するのがより高い人間力だ。みんなに友だちの「輪」を広げるタモリさんのような人格がいいのだ。だが、人間性だけの問題ではない。社会・経済的なシステムの問題がある。軍産複合体を作らないように警戒すべきだ。監視システムを作るとよい。

 秦始皇帝はなぜ中国統一を目指したのか? 「キングダム」は過激な戦闘シーンが売り物の一つで、そもそも戦争をしないためには? の問いが弱い。身内とだけ友情・信義を深めても、敵を作っては攻撃するのだから、死者も出るし泣く人も増える。項羽と劉邦はなぜ天下統一を目指したのか? 三国志の曹操はなぜ南進したのか? 十字軍はなぜ? 宗教的情熱だけではないはず。大モンゴルはなぜユーラシアをまたにかけて戦争をしたのか? 本当は日本を攻める気はなかった? などなど。

それらの戦争は全て、やらずに済ませる方法もあったかも知れない。いや、あったはずだ。この視点から探ってみたら、歴史はどう見えてくるのだろうか。 東京と千葉は戦争をしない。日頃から仲良くしているからだ。文京区と千代田区も戦争をしない。日頃から仲良くしているからだ。日本と韓国とアメリカももはや戦争をしない。日頃から仲良くしているからだ。

 釈尊はマガダ国とコーサラ国の争いに巻き込まれず、かえって両国の王家の婚姻関係を成立させ「釈尊の平和」を実現した(と聞いている)。キリスト教では剣を鋤に替えることを教える(イザヤ書)。それが正解だ。

 

(例)第二次大戦・太平洋戦争は終わった。朝鮮戦争は「休戦」だがこのまま終わらせることもできる。ベトナム戦争は終わった。カンボジア内戦も(あんなにひどかったが)終わった。東西冷戦も終わった。東西ドイツも統一した。ユーゴ内戦も終わった。ルワンダ内戦も終わった。戦争は終わる。終えることができる。始めないこともできる。戦後80年、我々は戦争を回避してきた。国民が賢かったし、リーダーたちも賢かった。そもそも人は戦争ばかりしていられない。腹が減るし人が死ぬ。親が戦死したら子どもはどうしたらいいのか。町や田畑が壊される。何にもいいことがない。もうあんなのはいやだ。やめたほうがいい。やるべきではない。

 

*お金持ちが武器を売って儲けるための戦争に、出かけていって殺したり殺されたりしたくない。若い・貧しい・男性が前線に出て殺される。高齢の・金持ちの・女性は前線で死ぬ確率は低い。戦争というものは(国民みんな平等に、とのうたい文句とは全く違って、)このように不公平・不平等なシステムなのだ。無責任に他国の脅威を煽っている連中は、自分は前線に行かない(行く可能性が低い)人たちなのだ。戦争を推進したい人、戦争に賛成した人について、その本人と家族を、開戦後10時間以内に前線に送り届ければよい。長谷川如是閑(にょぜかん)がこれに近いことを言っていた。「戦争絶滅うけあい法案」で検索してみてください。

 

*武器を増産する暇があったら、食糧を増産した方がいい。すでに小麦も石油も高い。まずはみんなに腹一杯飯を食わせるのがリーダーたちの仕事では?

 

*では、どうすればよいのか?