James Setouchi

2025.8.12

 

ジャック・ロンドン『白い牙』白石佑光・訳 新潮文庫 昭和33年

 

1        ジャック・ロンドン Jack London1876~1916

 新潮文庫『野性の呼び声』解説(大石真)によれば、1876年サンフランシスコに生まれた。父は旅回りの星占師、生まれる前に母が離婚し私生児として育てられた。母親はジョン・ロンドンと再婚。ジョンはカリフォルニアの農場を渡り歩く移住労働者。やがてオークランドに住む。ジャックは小学校時代から新聞を街頭で売り、小学校を出ると直ぐ働く一方、図書館に通い多くの書物を読んだ。十代後半で失業者の群れに加わりアメリカ・カナダを放浪。マルクス・エンゲルスの『共産党宣言』を読み影響を受けた。オークランドに戻り高等学校や大学に学ぶがすぐ退学し洗濯屋で働きながら作品を出版社に送り込むも採用されなかった。ゴールド・ラッシュで極地に旅立つが壊血病になり帰郷。『野性の呼び声』は6番目の著作で、非常に人気となった。他に『狼の子』『雪の娘たち』『どん底の人びと』『海の狼』『白い牙』『鉄の踵(かかと)』『マーティン・イーデン』などがある。1916年に狂気の恐怖に駆られて自死した。

 集英社世界文学事典の折島正司によれば、「彼の中には、アメリカ的個人主義や社会進化論的弱肉強食思想などが、社会主義思想と同居している。」

 

2        『白い牙』 White Fang

 1906年出版。作者30歳の時の作品。『荒野の呼び声(野性の呼び声)』に続く有名な傑作。『荒野の呼び声』はカリフォルニアで人間に飼われていたイヌが野性の本能に覚醒し北方の原野のオオカミの群れに投じるものだが、この『白い牙』はその反対で、北方の原野のオオカミの血4分の3、イヌの血4分の1という「白い牙」が、やがて人間に飼われてカリフォルニアで過ごすようになる、という物語だ。主人公は「白い牙(White Fang)」

 

(登場人物及び犬、オオカミ)(かなりネタバレ)

ヘンリー、ベン:極地の運送屋。オオカミの群れに襲われる。酷寒の大自然の中では人間は無力だ。

ホワイト・ファング(白い牙):4分の3オオカミ、4分の1イヌ。灰色で獰猛。カナダ北西部の極地に育ち、種々の冒険を経て、最後はカルフォルニアで人間に飼われる。

キチー:白い牙の母親。2分の1オオカミ、2分の1イヌ。

片目:白い牙の父親。オオカミのリーダー。

オオヤマネコ:片目を殺す。キチーたちにとって恐るべき敵。

グレー・ビーヴァ:北米先住民(インディアン)。白い牙を飼い犬ぞりを引かせる。

ミト・サア:グレー・ビーヴァの子。

リプ・リプ;グレー・ビーヴァのイヌ。白い牙をいじめるが・・

ウリー・イーグル:キチーを連れて歩く人間。

ビューティー・スミス:白人。ユーコン市場にいる。白い牙を闘犬にして金を稼ぐ。

ティム・キーナン:白人。闘犬のブルドッグ「チェロキー」の飼い主。

チェロキー:ブルドッグ。はじめて白い牙を倒す。

ウィードン・スコット:白人。白い牙を救う。

マット:ウィードン・スコットのそりの馭者。

スコット判事:ウィードンの父親。カリフォルニア在住。

スコットの家族:ウィードンには妻、娘たち、妹たち、召使いたちがいる。

ディック:スコット家のディーア・ハウンド犬。オス。

コリー:スコット家の牧羊犬。メス。

ジム・ホール:脱獄囚。もと冤罪だったが、脱獄後凶悪犯となり、スコット判事を狙う。

 

 

(感想や疑問)

1 本文中の記述で、(私の無知もあって)動物学的に正しいのか? 素朴な疑問のあったことがら

 

オオカミのオスはメスを襲うことはないとあるが、本当か? 人間の男は女をひどいめにあわせる、オオカミでもしないことだ、と『ザ・ロード』にもある。なおカマキリはメスがオスを捕食するので有名だ。

 

オオカミの父親が仔のために餌を取ってくる記述があるが、本当か? ペアで子育てをするのか?・・原則としてオオカミは群れで過ごし、その群れは夫婦と子供たちというのが基本形。親や兄姉は子に餌を運ぶ。(「アニラボ」というサイトから。)ここは本作の記述は正しかった。

 

オオカミとイヌは殺し合うまで戦い、相手を食べてしまう記述があるが、本当か?・・同属で殺し合う、食べ合う例は動物界の普遍的なあり方ではないが、いくつか存在する。人間は人間同士で戦争をする。オオカミとイヌについては知らない。

 

イタチは血を吸うとあるが、本当か?・・イタチが血を吸っているように見えるのでイタチは血を吸うと言われたこともあるが、実際にはイタチは血を吸わない。吸血動物ではない。(「イノホイ」という業者さんのサイトによる。)ここは本作が間違った記述をしている。イタチの野性の怖さを強調するためだろう。

 

オオカミ(イヌ)は人間に応えて笑うのか?・・イヌは笑う(ように見える)ことがある。(「みんなのブリーダー」というサイトから。)「犬やオオカミの喜びの表現は全身的であって、顔面の筋肉だけをとって観察すれば「笑い」とは断定しがたいものである」という見解を「ChildResarchNet 子どもは未来である」は紹介している。(林 隆博 (西焼津こどもクリニック 院長)2009年1月 9日掲載)イヌは人間と目線を交わすがオオカミはそれはしない、という見解を聞いたこともある。本作の場合「白い牙」はイヌの血が混じっているので人間と目線を交わして微笑んだことにしているのだろう。

 

オオカミ(イヌ)の父は、仔を甘えさせるのか?・・知らない。今のところ分からなかった。

 

2 内容から

 大変面白い。だが、気になる点がいくつもある。

・アメリカ先住民、極地の白人、カリフォルニアの白人とレベル差(後の方ほど上等)がついている。アメリカ社会の現実をリアルに描いて批判しようとしているのか、それともジャック・ロンドンの中に偏見があるのか? 気になるところだ。

 

・動物界は強い者が上位、弱い者は敗れて食われるしかない、同じイヌ同士でも上下関係があり強い者が上、イヌより強いのは人間、という弱肉強食・力の支配の論理が随所に書き込まれている。

 実は動物界は必ずしもそうではない。ボノボ、ゾウ、ウマ、イルカ、イヌなどは高度な知性と感情を持ち、弱い者をいたわり守ろうとする。ゲラダヒヒはオス同士の争いでも戦いを避け地位を守るために逃走(闘争ではない)を行う。逃げ切れば地位を守れるのだ。ゴリラも戦いを避けるためにドラミングを行う。これらの知見をジャック・ロンドンは知らなかったか、意図的に伏せたかどちらかだろう。

 人間はどうか? 人間の歴史は弱肉強食・優勝劣敗だと思い込んでいる人があるが、本当は人間の歴史はそうではない。人間は様々な場面で助け合っていなければ生き延びていない。ハッザの民もヤノマミの民も食事を平等に分ける。(自分だけが「総取り」しようとするのはあの人やあの人たちだけだ。)仮に世界史の授業で「勝利者が征服する」歴史観を学んだとしても、「にもかかわらず人間はそうではない、平和共存の理想を掲げて共に生き延びる努力をすることができる」と言い続けることが大切だ。事実と価値は違う。存在と当為は違う。法則と信念は違う。今まで戦乱が続いたとしても、これからは戦乱をやめて平和を築くことができる。ましてや、今までの歴史は、戦乱の歴史ではなく、平和獲得の歴史と見るべきかも知れないのだから、なおさらだ。どうですか?

 

・動物文学(シートンや戸川幸夫)は、面白いのだが、①動物の生態に対する誤解(不正確な知識)、②動物の擬人化(人間の感情や論理を持ち込んで動物を描く)、③読者が、描かれた動物界の論理を人間界に安易に適用させてしまう、などの危険がある。

 

白い牙を飼う様々な人間の物語でもある。まず、冒頭のヘンリーとベンは、(白い牙はまだ生まれていないが)極北の大自然の中で白い牙の母親(キチー)たちオオカミの群れに襲われ、全く無力だ。次に、北米先住民のグレー・ビーヴァは、自分たちの村で、白い牙を棍棒で躾けて支配し、愛情は与えない。次の白人ビューティ・スミスは、金の動くユーコン市場で闘犬をさせる。白い牙を嘲笑し怒りのパワーを引き出そうとする。白い牙は市場(金儲けの欲望)の道具にされ、ついに死にかける。最後のウィードン・スコットは、白い牙に愛情を注ぐ。白い牙ははじめて愛を知る。彼はカリフォルニアの大きな屋敷に白い牙を連れて帰り、他のイヌよりも優遇する。スコット判事は白い牙に命を助けられたことで白い牙を認める。一家は白い牙を「オオカミ大明神」(原語は何かしら?)と呼ぶようになった。

 (日本ならイヌガミ様、オオカミ様として祭るに至るところかも知れない。西洋にも人狼伝説の類いは沢山ある。そもそもローマを創ったロムルスとレムスはオオカミに育てられたことになっている。が本作ではそんなことは一切書いていない。)

 

・イヌとネコとはどちらが強いか? は子どもには興味のあるところだ。単体ならネコの方が強そうだ。ネコはパンチを繰り出し、木にも登る。本作でもオオヤマネコの圧倒的な強さの前にオオカミたちは苦戦する。イヌやオオカミは群れで狩りをする、長距離を歩けるなどが強みだ。

 

・多くのケモノは黒目しかなく、アイコンタクトを取らない。どこを見ているか分からないようにし、相手を油断させて捕食する。だが、オオカミ、イヌ、人間には白目と黒目がある。オオカミ同士はアイコンタクトを取る。イヌ同士もアイコンタクトを取る。人間同士もアイコンタクトを取る。そして、人間とイヌもアイコンタクトを取る。オオカミの中で、人間と共に暮らし、人間とアイコンタクトを取ることができるよういなったのがイヌだ、と誰かが言っていた。本作の白い牙はオオカミの血とイヌの血を引いていて、人間とアイコンタクトが取れる。