James Setouchi
2025.8.11
ジャック・ロンドン『ザ・ロード アメリカ放浪記』
川本三郎・訳 筑摩文庫 2024年
1 ジャック・ロンドン Jack London1876~1916
新潮文庫『野性の呼び声』解説(大石真)によれば、1876年サンフランシスコに生まれた。父は旅回りの星占師、生まれる前に母が離婚し私生児として育てられた。母親はジョン・ロンドンと再婚。ジョンはカリフォルニアの農場を渡り歩く移住労働者。やがてオークランドに住む。ジャックは小学校時代から新聞を街頭で売り、小学校を出ると直ぐ働く一方、図書館に通い多くの書物を読んだ。十代後半で失業者の群れに加わりアメリカ・カナダを放浪。マルクス・エンゲルスの『共産党宣言』を読み影響を受けた。オークランドに戻り高等学校や大学に学ぶがすぐ退学し洗濯屋で働きながら作品を出版社に送り込むも採用されなかった。ゴールド・ラッシュで極地に旅立つが壊血病になり帰郷。『野性の呼び声』は6番目の著作で、非常に人気となった。他に『狼の子』『雪の娘たち』『どん底の人びと』『海の狼』『白い牙』『鉄の踵(かかと)』『マーティン・イーデン』などがある。1916年に狂気の恐怖に駆られて自死した。
集英社世界文学事典の折島正司によれば、「彼の中には、アメリカ的個人主義や社会進化論的弱肉強食思想などが、社会主義思想と同居している。」
2 『ザ・ロード アメリカ放浪記』The Road1907
1907年出版。作者31歳の時の作品。作家として有名になった作者が、若い頃の放浪体験を解雇して語る、という体裁を取っている。どこまで虚構か事実かわからない。「語り手の父親は警官」という設定になっているので、基本的には虚構だろう。但し若い頃に貧しく放浪した体験はあるので、それを多く取り込んでいると思われる。各地の風物を描く紀行文ではなく、鉄道にただで乗り込み、乗務員に追いかけられ、いかに逃げたか、警官に追われ、いかに逃げたか、などのアクションの話が多い。それでも同じ放浪者との交流、物乞いに行った家の女性のやさしさ、金持ちの欺瞞、刑務所の中の微妙な人間関係などの中に、人間観察とやさしいいたわりと感謝の気持ち、社会的義憤などが各所に描き込まれている。
本書では放浪者を「ホーボー」と呼んでいる。注釈によると、働きながら移動するホーボー(渡りの労働者のことだろう)、社会からドロップアウトして移動するトランプ、移動も労働もしないバムなどのタイプがあり、ジャック・ロンドンの場合は、トランプに属する。
少しだけ紹介すると、
「1 貨車のすきまに」では、ネバダ州などで適当なウソを語っては物乞いをする。
「2 食卓の幸運」では、カナダ太平洋鉄道で列車にただ乗りしては乗務員と攻防する。
「3 鞭打ちの光景」では、ボルチモアでいわゆるジプシー(ロマ人)の激しい鞭打ちを見る。女性や子どもへの虐待はアメリカの市民社会にもある、と社会批判をする。
「4 刑務所の生活」では、ナイアガラ近くバッファロー辺りで放浪罪で捉えられ刑務所へ。そこはまともな市民的権利の保障されないところだった。
「5 作業所の囚人たち」では、刑務所内のインチキと搾取が描かれる。それは文明社会の不正と同じだ、と語り手は言う。
「6 最高の放浪者」では、「スカイスルー・ジャック」と呼ばれた凄腕の放浪者ほか様々なホーボーを紹介。ロッキー山脈辺りが出てくる。
「7 ロードキッドの社会学」では、少年時代にどのようにして放浪者の一員になったかを語る。路上で暮らす悪い子供たちの仲間だった。強盗もやった。
「8 二千人の放浪者の行進」では、「ケリーの軍隊」という労働者の大行進に参加した。汽車に乗り、アイオワ州の町で止まり、船を仕立ててミシシッピ川を下る。そこでずるをして食料を余分にせしめる。
「9 デカの追跡」では、ニューハンプシャー州(東部)やワイオミング州(西北部)で何かと警察と遭遇しては逃げる。
ユーモアもあっておもしろい。但し子供たちが集団で酔っ払いから強盗する話などは、これは犯罪であって、楽しく読むことはできなかった。刑務所の中の人間関係は、刑務所の外のアメリカの文明社会の縮図であって、強い者が弱い者から搾取する構図だ、とアメリカ社会を批判している。力がすべてだ、強い方に服従し弱い方から搾り取るのだ、といった表現は、『野性の呼び声』『白い牙』で展開された野性の世界と同じだ。ジャック・ロンドンが世界をどう見ていたのか、本当のところは知らないが、彼の作品には、弱肉強食が世界の実相だという認識がよく現われる。弱肉強食が社会の実相だと認識するとしても、だからこそそれを改めるべく改革しようとするのか、だからこそ強者の側に立って自分だけが生き延びようとするのか、は人によって分かれる。ジャック・ロンドンはどうだったか? それは次の課題だろう。子どもや貧しい人が犯罪に走るのは、彼らを救済する社会システムが脆弱だからで、為すべきはまずは教育や福祉であるはずだが、ジャック・ロンドンはどこまで考えていたか? 当時のアメリカ社会にどれほどの議論があったか? では、現代ではどうか?
訳者の川本三郎は、『ハックルベリイ・フィンの冒険』につながる、アメリカ社会の「セルフヘルプ」(自助)の精神を継承していると書いている。これはそうかもしれない。また、「セルフヘルプ」では限界もある、と私は言い添えておこう。
また川本三郎は、「荒々しい征服欲」はなく「流れるような漂泊の旅」だと書いている。松尾芭蕉の漂泊の旅とどう違うだろうか? 芭蕉は本当は弟子の資金を頼る旅だったが、ロンドンは貧しい路上生活者・国内難民の旅だ。芭蕉は故人も旅した歌枕を旅し美的表現を行うが、ロンドンにはそれは一切ない。芭蕉には社会批判はないが、ロンドンには社会批判がある。
なおジャック・ロンドンはアザラシ猟の船で日本に来た。また日露戦争時にも来日して官憲に逮捕されたりしている。