James Setouchi

2025.8.5掲示     R7.7.27(日)読書会資料 サリンジャー

 

J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』村上春樹訳 白水社(再論)他

 

* Jerome David Salinger 1919~2010

 アメリカの作家。ユダヤ系の父とアイルランド人の母の間にニューヨークで生まれた。名門私立校マクバーニー高校中退、ペンシルバニア州の陸軍幼年学校に学ぶ。第二次大戦に志願、ノルマンディー上陸作戦にも参加。ドイツに行きユダヤ人虐殺の跡に接し衝撃を受けたと言われる。戦後『ニューヨーカー』誌にデビュー1951年の『ライ麦畑でつかまえて』は世界的ベストセラーとなる。のちハンプシャー州に転居し引きこもる。後半生は禅を中心とする東洋思想に傾倒したと言われる。代表作『バナナフィッシュに最良の日』『ライ麦畑でつかまえて』『フラニー』『シーモア・序章』など。寡作である。(集英社世界文学事典などを参照。)

 なお、フィッツジェラルド1986~1940(第1次大戦時内地勤務)、ヘミングウェイ1899~1961(第1次大戦、スペイン内戦に参加、第2次大戦にも関わる)、サリンジャー1919~2010(第2次大戦に参加)である。

 

[1] The Catcher in the Rye〟 『キャッチャー・イン・ザ・ライ』村上春樹訳

 

(主な登場人物)(かなりネタバレ)

ホールデン・コールフィールド:語り手「僕」。17歳でハリウッドの近くの病院にいる。去年のクリスマスに起きたことを語っている。パンシルヴァニア州のペンシーというエリート学校にいたが怠学と学業不振で退学になった。退学は4回目。周囲の同級生や大人たちのインチキが嫌いで悪口を言い続ける。NYに実家がある。英語(文学読書と作文など)が得意。日本で言えば国語(文学読書と作文)のようなものか。

父親:企業の顧問弁護士。金持ち。NY在住。アイルランド系カトリックだったが改宗した。

母親:神経質で感情的になる。

DB:ホールデンの兄。作家。今はハリウッドで映画脚本を書いている。ホールデンは兄を尊敬しているが、ハリウッドに「身売り」したのはよくないと考えている。

アニー:3年前に白血病で死んだ弟。

フィービー:妹。9歳くらい。妙に大人びている。ホールデンは妹が大好きだ。妹も兄が大好きだ。

 

スペンサー先生:ペンシー校の世界史の先生。老人。

ロバート・アックリー:ペンシー校の寮の隣人。巨人でニキビ面。友人がいない。ホールデンのことは気に入っていていつもやってくる。

ストラドレイダー:寮の同室の男。バスケの選手で女たらし。ホールデンにKOパンチを食らわせる。

サーマー校長:ペンシー校の校長。インチキな校長(だとホールデンには見える)。

ミスタ・ヴィンソン:ペンシー校の口述表現の教師。「単一化しろ、簡略化しろ」と生徒に迫る。

 

アーネスト・モロウの母親:列車で乗り合わせた。アーネストはペンシー校の生徒。ホールデンは適当に話を合わせる。恐らく、名門進学校に息子を通わせる俗悪な母親の代表として登場している。

ホーウィッツ:NYのタクシー運転手。

バーニス:ホテルのロビーにいたブロンドの子。田舎から来ているが踊りがうまい。

リリアン・シモンズ:兄DBの昔のGF。海軍士官とデートしていて遭遇。

サニー:娼婦。

モーリス:ホテルのエレベーター係。サニーとぐるで、ホールデンから金を巻き上げる。

尼さん二人:慎ましい修道女。ホールデンは思わず多額の寄付をしてしまう。

 

サリー・ヘイズ:幼なじみ。GF。昔よくデートした。メアリ・A・ウッドラフ校に行っている。ホールデンは家出をしてサリーを呼び出すが・・

ジェーン・ギャラガー:ホールデンの近所だったことのある女の子。ストラドレイターのデートの相手がジェーンだと知ったホールデンは気になって仕方がない。

 

ディック・スレイグル:エルクトン・ヒルズ校にいたときの同室の生徒。金持ちでないが見栄っ張り。

アーサー・チャイルズ:ウートン・スクール時代の友人。クエーカー教徒。

ハリス・マックリン:エルクトン・ヒルズ校にいたときの同室の生徒。退屈な男だが口笛だけはうまかった。

カール・ルース:ウートン・スクール校での先輩。今はコロンビア大学に行っている。東洋の哲学に惹かれ、年上の中国人女性と交際している。その父は精神分析医。

ジェームズ・キャッスル:エルクトン・ヒルズ校にいたときの生徒。暴力的な連中にいじめられて自死。ホールデンは彼のことを好いている。

 

ミスター・アントリーニ:エルクトン:ヒルズ校の英語の先生。高級住宅街サットン・プレイスの高層アパートメントに住んでいる。ホールデンに親切にしてくれるが・・

 

アリス・ホームボーグ:フィービーの友だち。(ヨーガのチャクラを教えてくれているようだ。(23))

 

(コメント)(かなりネタバレ→完全ネタバレ)

 1951年に発表した。アメリカ国内だけでなく世界各国で翻訳され読まれている。日本でも野崎孝訳『ライ麦畑でつかまえて』が出てベストセラーとなっていたが、2006年に村上春樹訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』が出て、これもよく読まれている。後者は特に「やれやれ。」など村上春樹らしい文体の訳になっている。私見だが、主人公のホールデンは、ニューヨークに家がありしかもかなりの金持ちのシティー・ボーイでかつエリート学校の生徒、上品なふりのできる少年であるから、村上春樹訳のちょっと澄ました感じが似合っているのではないか。(幼い妹のフィービーが兄のことを「あなた」と言うのはおかしい、と書いている人がいて、それはそうではあるのだが。)

 

 主人公ホールデン・コールフィールドの独白で話は進んでいく。時代設定は戦後のある時期、計算すると弟のアリーの死が1946年、その時ホールデンは13歳(5)、すると一連の出来事は1949年、ホールデンが16歳の時のこと。場所はアメリカ東部、季節は冬のクリスマス前。主人公のホールデンは16歳、ニューヨークに家があり父親が顧問弁護士でかなりの金持ちでペンシルバニア州のペンシー・プレップスクールの生徒だが、怠学と学業不振でいままさに退学しようとするその時を描いている。その後1950年、17歳の彼はハリウッドに近い場所、恐らくはカリフォルニア州のどこかの病院か施設に入院し精神分析医の治療を受けつつこの語りを行っている。なお、朝鮮戦争が1950年6月に勃発。書いていないが。

 

 プレップスクールとは名門大学への入学準備をする私立学校のことで、アメリカでは全寮制の私立中学・高校を言う。(イギリスでは名門パブリック・スクールに入るための私立小学校。)ペンシー・プレップスクールは架空の学校だろうが、全寮制男子校で、寮の仲間や教師の描写などにリアリティがあり、あるいはサリンジャー自身の経験を踏まえているのではないかという印象がある。

 

 同室のストラドレーターはスポーツマン(バスケットボール)で自分大好き人間で女たらしでいやな奴(だとホールデンは思っている)。昔ホールデンのGFだったジェーンとストラドレーターがデートをしたのでホールデンが怒り、ストラドレーターが強烈なKOパンチを浴びせホールデンは倒れる。(書いていないが、その後のホールデンの頭痛や吐き気は、悩みのせいもあるだろうが、このパンチのせいではないか?)

隣室のアックリーは長身でにぎびだらけで友人のいない男。ホールデンのことを気に入っているのかいつも部屋に入って来るがホールデンは彼のことを好いていない。先生も好意的に接してくれようとする人もあるのだがホールデンは迷惑に思っている。

ホールデンはペンシー・プレップスクールのことが好きではない。彼は周囲の大人や友人のやっているインチキに我慢がならない。彼は怠学と学業不振で退学になる。彼は一見不良に見えるが多分そう悪人ではなくちょっと生きるのが不器用なだけのいいやつなんだろう。でもこれで退学は4つ目だ。

 

 退学となった彼は寮を出てニューヨークの街をさまよう。映画館、スケート場、サットンプレイスの高級住宅街、夜のセントラル・パーク、博物館、動物園、小学校などで、彼は昔の彼女や先輩や先生を呼び出し話そうとするが、彼は理解されず、あるいは自ら暴言を吐いて別れる。列車内で見知らぬおばさんに適当なことを言って会話し、ホテルのダンス・ホールで見知らぬ女性と踊り、エレベーター係との一件では殴られ金をとられ、タクシー運転手に話しかけても喧嘩。一見悪態ばかりついているように見えるが、金と欲望のうごめくニューヨークの街で、自分の居場所を求めさまようが居場所を見つけられないか弱く純情な16歳の少年の姿がそこに見える気がする。彼は折角名門学校にいるのだからまじめに努力して進学し社会人となれば父親と同じようなエリート階層に所属できたかもしれないのに、今やそこから離れ(ドロップ・アウトし)、金もなく、ニューヨークの人の海の中に消えていってしまいそうだ。親や教師からはそう見えるだろう。本人も強がっているが同時につらいから何度も泣き出す。彼はインチキな大人社会の中で親から貰った小遣いを使って街をさ迷い悪態をつくことしかできない、無力な16歳なのだ。そう考えるとこの話は現代の日本の話でもある。(注1)

 

 ホールデンの家族関係は。父親は顧問弁護士。家はニューヨークにある。母親は子どもをある形で愛しており神経質。親はホールデンに東部アイビー・リーグのエリート大学に進学してほしいと考えている。兄(DB)は作家でハリウッドにいる。ホールデンは兄を尊敬しているが、ハリウッドの映画産業に「身売り」したのは厭だと思っている。弟のアニーは白血病で死んだ。ホールデンはしばしばアニーと対話する。妹のフィービーは9歳か10歳くらい。ホールデンは妹フィービーと会って…(以下は読んでのお楽しみ)

 

 周囲のやっていることがすべてホールデンにはインチキに見える。十代の反抗期の人には共感しやすい内容も多いはずだ。各種書評を見ると「共感できる」「自分もそうだった」などの感想も多いが他方「何でも人のせいにするのはおかしい」という感想もある。彼が純粋無垢=絶対善というわけでもない。GFとデートし思い通りにならず悪態をつくなど、彼も矛盾を抱えている。(彼の欺瞞について、持留浩二「ホールデン・コールフィールドの語りにおける欺瞞」佛教大学文学部論集第98号(2014年3月)に心理学の観点から論考がある。)改めて彼の言い分を仔細に見ると案外正鵠(せいこく)を得たことを言っている部分もある。だが、彼の見方は、一面的に過ぎるようでもある。例えば、「学校を出て会社に入って金を稼いでもつまらない」という趣旨をホールデンが女友達に宣言するところがある(17)。たしかに十代の頃は大人社会=管理社会がそう見えて自由がないような気がして憂鬱になることがある。だが、学校で学びあるいは社会人になって仕事をすることは実は結構楽しいしやりがいもある、ということがあるのも事実なのだ。ホールデンは今病んでいるのでそこは見えない。

 

 彼は悪態をつき続けるが、彼が比較的肯定し共感しているものは何か? つつましい修道女たち。昔の同級生で、うぬぼれた男を批判し大勢に囲まれ圧力を掛けられたが撤回せず悲劇的最期を遂げたジェームズ・キャッスル(22)。それから妹フィービー。彼は虚飾・偽りが嫌いで嘘偽りのない愛や正義を求める。彼は一見病んでいるように見えるが、実はしごくまっとうな感性の持ち主なのかもしれない。だが、今の彼はそれを実行してはいない。悪態をつくだけだ。

 

 16歳のホールデンを17歳の語り手・ホールデンが批評するところがある。例えば、(17)の末尾、「真実を言えばだね、サリーを相手になんでそんな話をし始めてしまったのか、自分でもよくわからないんだ。・・僕は混じり気なしに本気だったんだよ。そいつが困っちゃうところなんだ。実にまじめな話、僕は頭がほんとにどうかしてると思うな。」の一節がそうだ。ほかにもある。新田玲子氏は、<語り手>ホールデンと<行為者>ホールデンとを分けて考察している。(「サリンジャーなんかこわくない : クラフツマン・サリンジャーの挑戦 : テキストの重層化とポストモダン的試み」第3章。2004年2月発行の大阪教育図書の本を、2012年1月に改訂した著者原稿。ネットで読める。)

 

 ホールデンはヘミングウェイの『武器よさらば』を否定し、フィッツジェラルドの『偉大なギャツビー』を称賛する。ヘミングウェイのマッチョに見える在り方にホールデンは(サリンジャーは)嫌悪を抱いていたのか。『ライ麦畑』は強烈な反軍・反戦思想を持っていると言われる。実は『武器よさらば』は主人公が軍の規則に反し恋人と戦線離脱する話で、戦争はいやだ、という話なのだが、16歳の未熟なホールデンにはそこまではおそらく理解できなかった、朝鮮戦争もあり、近々徴兵にとられるであろう状況の下でホールデンは毒舌を吐いている、などの点について、野間正二氏に論考がある。(「サリンジャーはなぜホールデンに『武器よさらば』はフォニーだと言わせたのか?」『佛教大学文学部論集』第38号、2014年3月)確かに、「戦争に行かなくちゃならないなんてことになったら、きっと僕は耐えられないと思う。」何より「軍隊」の生活に耐えられない、と彼は語っている。(18)本作の発表は1951年で、朝鮮戦争が1950年に始まっている。作者も読者も実感を持って読んだはずだ。その後はベトナム戦争などなど。

 

 ラスト。完全ネタバレ。フィービーの必死の努力でホールデンは家出せず家に帰ることを選択する。結果として兄DBのいるハリウッドの近くの精神病院または療養所のようなところに住み、精神分析医からカウンセリングを受けている。家族の保護の元に戻った、とも言えるし、実社会から隔離された、とも言える。ホールディングのこれからの人生はどうなるのだろうか。 

 

 未読だが、これから読めば勉強になるかも知れない本:

竹内康治『ライ麦畑のミステリー』せりか書房2005年

竹内康治・朴舜紀『謎ときサリンジャー 「自殺」したのは誰なのか』新潮選書2021年                   

 

 なお、庄司薫『赤ずきんちゃん気をつけて』(昭和44年=1969年)との比較も面白いかも知れない。

 

(注1)『羅生門』で途方に暮れていた下人。『こころ』でエリート社会から脱落していくK。『舞姫』でドロップ・アウトしていく豊太郎。『檸檬』の「私」。あるいは、安吾や太宰。ドロップ・アウト者列伝をつなげて見ると共通の何かが見えるかもしれない。

 

 

(補足1 ニューヨークに関係の深い作家

①ハーマン・メルヴィル NY生まれ。『白鯨』(1851年)。

②ウォルター・ホイットマン NY州のロングアイランドで生まれブルックリンなどで働いた。アメリカ最初の民主主義詩人などと言われる。詩集『草の葉』(1855年)。

③オー・ヘンリー 1902年からNYに住む。『最後の一葉』(1905年)。

④スコット・フィッツジェラルド 『華麗なるギャツビー』(1925年)は傑作。ギャツビーと同様、フィッツジェラルドはNYで派手なパーティーをして遊んだと言われる。

⑤ヘンリー・ミラー NY生まれ。パリでボヘミアン的な生活を送る。『北回帰線』(1934年)。

⑥J.D.サリンジャー NY生まれ。『ライ麦畑でつかまえて』(1951年)。主人公のホールデン君は大人の世界のいんちきが嫌いだ。

⑦トルーマン・カポーティ 『ティファニーで朝食を』(1958年)で有名。ティファニーはニューヨーク五番街にある宝石店。

⑧ジョン・アップダイク NY生まれ。『ニューヨーカー誌』のライターをしていた。『同じ一つのドア』(1959年)『走れウサギ』(1960年)など。

⑨村上春樹 『海辺のカフカ』(2002年)の英訳『Kafka on the Shore』は『ニューヨーク・タイムス』で2005年にベスト10に選ばれた。

⑩なお、ロバート・キャンベル先生(東大名誉教授、日本文学)もお生まれはNYのブロンクスで、ヤンキーススタジアムの近くである。亀井俊介『ニューヨーク』(岩波新書2002年)も読んでみよう。

 

(補足2 アメリカ文学)ポー、エマソン、ソロー、ストウ、ホーソン、メルヴィル、ホイットマン、M・トゥエイン、オー・ヘンリー、エリオット、フィッツジェラルド、ヘミングウェイ、バック、フォークナー、スタインベック、カポーティ、ミラー、サリンジャー、メイラー、アップダイク、フィリップ・ロス、レイモンド・カーヴァー、ティム・オブライエンなどなどがある。

 

 

[2] 『ナイン・ストーリーズ』(ネタバレします)1953年刊行。それまでに発表した短編から九編を選んだ。

 

(1)『バナナフィッシュにうってつけの日』“A Perfect Day for Bananafish ”1948年

  フロリダの海岸。1948年。ホテルに宿泊しているミュリエルにNYの母親から電話が入る。母親は娘のことを心配している。娘の夫・シーモアが奇矯な人物であるらしいからだ。精神分析の医師がどう言ったかを母は聞きたがる。娘はそれほど心配していないように見える。当のシーモアは、海岸で幼い少女シビルを相手にしている。「海にはバナナフィッシュというものがいる、バナナ穴の中に入ってバナナを食べるのに夢中になり、太って、外に出られなくなる。」そうシーモアは幼い少女シビルにでたらめを教える。シビルは「バナナフィッシュが見えた」と言う。シーモアは部屋に戻り、妻のミュリエルが眠っている横で、突然の拳銃自殺をする。

 シーモアがなぜ突然自殺したかの理由は、描かれていない。陸軍病院にいたらしいことが書かれているので、軍隊時代のトラウマがあったのかもしれない。シーモアは「足の入れ墨を見られたくない」とビーチでもバスローブを脱がない。入れ墨とは戦傷の比喩と解釈できる。エレベーターで乗り合わせた見知らぬ女に「僕の足を盗み見するな」「僕の足は二つともまともなんだ」と言うのは、戦傷があるからか。この女のつけている亜鉛華軟膏が戦場で火傷につける薬で、シーモアに戦場を想起させたとの見方がある。反戦作家・サリンジャーという概念で読めば、軍隊時代のトラウマがサリンジャーの心身を病ませている、となる。あるいは、バナナフィッシュのでたらめな話に何かしらのシーモアの真実の叫びが隠されているのかもしれない。それは、市場経済の虚栄と欺瞞に飲み込まれて暮らすアメリカの人々(その代表は妻やその母だ)への違和感であるのかもしれない。幼いシビルでさえも周囲のでたらめな言い草に付き合って嘘を言う。しかもその嘘はシーモア自身が提供したものだ。それらすべてが許せなかったのか。だが、きわめて優秀で常人を超えていた(はずの)シーモアは、ともかくも自殺した。そのトラウマを、弟や妹たち、また読者は、抱え込んで生きることになる。(参考:今井夏彦「J.D.Salingerについてーシーモアは価値かー」梅光女学院大学英米文学会『英米文学研究』1974年11月は、この短編はエリオットの「“荒地”の「真摯な」パロディ」)だと考察している。)

 

(2)『コネティカットのひょこひょこおじさん』“Uncle Wiggily in Connecticut”1948年

メアリー・ジェーンとエロイーズは大学時代以来の友人だ。しかも同じく大学中退だ。メアリー・ジェーンは職業婦人、エロイーズは夫を持つ妻であり娘を持つ母だ。二人はエロイーズの家で昔の話に花が咲いている。だが、エロイーズは幸せではない。エロイーズの娘・ラモーナは夢想家だ。想像上のBF、ジミーについて語り母親を怒らせる。エロイーズには昔恋人がいた。ウォルト・グラスだ。そう、グラス家の双子の片割れだ。ウォルトは戦争で日本に駐屯中、事故で死んだ。彼はおもしろく、優しい人だった。昔エロイーズが足をくじいたとき、ウォルトは「かわいそうなひょこひょこおじさん」だな、と言った。だが、甘美な青春は失われ、二度と戻ってこない。今の夫の帰りは遅い。語られていないが、夫は浮気をしているのか? あるいは、「隊長風」をふかせたがる、軍人風の男なのか。エロイーズはみじめだ。エロイーズは泣く。エロイーズに救いは、安息の日は来るのか?

 

(3)『対エスキモー戦争の前夜』“Just Before the War with the Eskimos”1948年

 15才のジーナは級友のセリーナのことを嫌っている。金持ちの子のくせにケチで、タクシー代をいつも払わされるからだ。今日こそはお金を返してもらおうとセリーナの家に乗り込むが、そこで見たものは…セリーナの兄・フランクリンが出てくる。どうやらいい奴なのだが、まだ24才で、心臓を患い、大学は中退、軍ではなく飛行機工場(「ひどい所」)で3年以上働き、今は家でぶらぶらしている。窓の外では老人たちが徴兵され、対エスキモー戦争に行かされている、とフランクリンは嫌悪をあらわにする。フランクリンの友人も出てくる。同じ「ひどい」工場で働いていた。ジーナはセリーナに対し少し優しくなる。対エスキモー戦争というのは、フランクリンのでまかせなのか、架空の戦争であるのか、朝鮮戦争を予見しているのかわからないが、戦争への嫌悪は伝わる。善きサマリア人のたとえ話(新約聖書)が出てくるが、異文化理解の困難さの暗喩か?  

                          

(4)『笑い男』“The Laughing Man”1949年

 1928年、「私」は9才で、コマンチ団という少年団体に入っていた。そこでスポーツをしたり博物館や美術館に行ったりした。団長は二十過ぎの青年ジョン・ゲザツキーで、行き帰りのバスの中で「笑い男」についての話をしてくれた。「笑い男」とは、子どもの頃中国の山賊に誘拐され恐ろしい顔になった盗賊である。「笑い男」は自身は寡欲で、また動物と話ができる。この「笑い男」がフランスにやってきて、探偵デュファルジュと対決する。この作り話は非常に面白く、子どもたちは夢中になる。他方、現実の団長には美しいGFメアリ・ハドソンがいて、時々スポーツに参加したりした。やがて(子どもに事情は見えないながら)彼女と団長は喧嘩別れをしたらしい。そして…結末は印象的だ。話中話の「笑い男」が壮絶な死を遂げるシーンは、あるいは戦争中に作家が見たシーンかもしれない。(団長ジョンの体型はアメリカ先住民のもので、ジョンの語る「笑い男」の悲劇はアメリカ先住民の悲劇を象徴しているとする解釈がある。)

 

(5)『小舟のほとりで』“Down at the Dinghy”1949年

 グラス家の長女、シーモアの妹であるブーブーが出てくる。ブーブーは25才で、4才の息子ライオネルがいる。ライオネルはなぜか2才の頃から家出の常習犯だ。今日も湖の小舟に乗り、家に戻ろうとしない。メードのサンドラとミセス・スネルが心配してくれる。…ブーブーは息子に話しに行く。息子はなかなか心を開いてくれない。だが、息子はついに言った。「サンドラがねースネルさんにねーパパのことをーでかくて、だらしない、ユダ公だってーそう言ったの」…ブーブーは一瞬ひるむが、「坊や、ユダ公って何のことだか知っているの?」「ユダコってのはね、空に上げるタコの一種だよ」。ここでユダ公(kike)とタコ(kite)を4才のライオネルは区別できず、わからないまま、父親が侮辱されたらしいことを悲しんでいる。ブーブーは息子を優しく抱き寄せる。ブーブーはユダヤ人のライオネルと結婚した。ブーブー自身が(つまりグラス家の兄弟は)(作者サリンジャー自身も)ユダヤ人とアイルランド人の混血だ。この作品の発表された1949年という状況では、イスラエルはやっと1948年に建国したばかり、第1次中東戦争(1948~)も発生、という状況だった。作者がユダヤ人という当時差別された側の人間として抱いていた悲しみをこの作品に書きこんだとわかる。同時に優しい母親の愛を。(今日では、パレスティナ難民に対してイスラエルは何をしているのか、も問わねばならないが、当時はヒトラーが死んでまだ数年でありアメリカでもユダヤ人への差別があったのだ。)

 

(6)『エズミに捧ぐ』“For Esmé―with Love and Squalor”1950年

 一つの解釈を示す。①1950年、「私」はイギリスで行われる結婚式の招待状を受け取った。6年前に知り合った彼女の名は、明記されていないが、後で出てくるエズミだろう。彼女についての秘話を紹介する、として以下②③は示された、と考えられる。

②1944年、ノルマンディー上陸作戦直前、アメリカ兵である「私」はイギリスのデヴォン州にいた。そこでエズミという少女と知り合う。エズミは13才だが知的で心優しい少女だった。近い将来戦争で死ぬかもしれない「私」にエズミは、小説を書いてほしい、と依頼し、文通をしましょう、と誘う。

③1945年、見習曹長Xは、過酷なノルマンディー上陸とドイツに対する勝利を経て、精神に深い傷を負っている。そんなとき偶然、Xは、何度も転送されてきた一通の手紙を発見する。それは、X曹長の無事を祈るエズミからの手紙だった。エズミの手紙を読み、Xは、深い安心を覚えた。

 「エズミ、本当の眠気を覚える人間はだね、いいか、元のような、…無傷のままの人間に戻る可能性を必ず持っているからね」が結語だ。

 ここで紹介した③1945年以下の部分は、おそらく、「私」が書いた短編小説であろう。作中で語られていないが、その後も「私」とエズミの文通は続き、冒頭のエズミの結婚式の招待状へとつながるのだろう。最後の2行は1950年時点でのエズミへのメッセージかもしれない。これはバッドエンドではない。人間は深い傷を負っても回復できるという期待と祈りを込めた作品だ。(参考:冒頭を丁寧に読むと、1950年現在語り手「私」は妻や義母との生活で必ずしも幸福ではなく戦争のPTSDを引きずっている、との見方もある。)

 

(7)『愛らしき目もと目は緑』“Pretty Mouth and Green My Eyes”1951年

 深夜、白髪交じりの男リーは女と一緒に室内にいる。そこに弁護士事務所の同僚のアーサーから電話がかかってくる。「妻のジョーニーが帰ってこない、浮気している」との訴えだ。実はジョーニーは(明言されていないが)リーの横にいる、と思われる。アーサーはホテルの南京虫事件をめぐる裁判でも敗訴し解雇されそうだ。アーサーは「軍隊に戻ろうか」「妻と別れればよかった」と錯乱する。が語るうち昔妻と出会った頃のことを思い出し愛の告白をしたりもする。電話はいったん切れる。ジョーニーはへこんでいる。そこに再び電話が入り、アーサーは「妻が帰ってきた、NYを出て一緒に暮らす、NYの連中はみんなノイローゼみたいなもんだ、裁判についても何とか対応する」と言う。今度はリーがへこむ番だった。:ジョーニーはリーの隣にいるのにアーサーが「妻は帰ってきた」と言ったとしたら、リーは錯乱している、または嘘をついている。(ジョーニーが本当にアーサーの所に帰ったのだとしたら、リーのそばにいるのは他の女ということになるが、ここはジョーニーだと考えたい。)アーサーは軍隊でPTSDを受け妻に浮気され裁判で敗れ会社も解雇されそうだが、それでもなお妻を愛し仕事と人生に再び立ち向かおうとしてあえて2回目の電話をかけた(もしかしたらジョーニーがリーのそばにいることも察知した上で)、それに対し、勝ち組人生で余裕がありそうに見えたリーの方がかえって脆弱で壊れそうな人生を送っている、という話であろうか? 

 

(8)『ド・ドーミエ=スミスの青の時代』“De Daumier-Smith’s Blue Period”1952年

 語りの現在は1952年で、語り手「わたし」は32才。13年前の1939年、「わたし」はモントリオールの小さな美術学校の講師をしていた。両親が離婚し、継父ボブと母とともにフランスで過ごすが、母も死亡、継父とともにNYに戻ったのが19才。(その継父ボブも1947年に死亡。ボブの思い出にこの物語を捧げる、と冒頭に書いてある。)19才の「わたし」は「フランスの画家オノレ・ドミエの親族、29才、ピカソとも知人」と偽って、モントリオールの通信制美術学校に就職した。経営者はヨショト夫妻といい日本人だが長老派クリスチャンだ。「わたし」は世界の宗教思想に関する本を読み、仏教にも関心がある。何人かの受講生の絵を見るうち、トロントの修道女の絵が気に入る。いや、まだ見ぬその修道女に恋をする。火曜の朝、指導の体裁をとった熱烈な恋文を出す。木曜の夜、不気味な夜であった。どこか外出先(書いていない)から帰り、近所の医療器具店のショーウインドーを覗き、自分は世界に居場所のない人間だと痛感する。金曜日、神父から拒否の手紙が来る。「わたし」はやけを起こす。その夜、再び通りかかった医療器具店のショーウインドーの前で、「異常な」経験をする。太陽が突然現われて「わたし」の鼻柱めがけて飛来した。「わたし」は一時視力を失う。「わたし」は世界と和解する。やがて美術学校は閉校となり、「わたし」はロード・アイランドで継父ボブと合流した。:「青の時代」とはピカソが若い頃青を基調とした人物画を書いていたことを連想させる言葉だ。「わたし」の青春時代、というほどの意味か。今はそれを通り抜けて大人になっている。その通過儀礼のような転機が、このモントリオールの美術学校時代で、修道女への失恋と医療器具店での「異常な」経験、という位置づけだろう。この「異常な」経験で、強烈な光が飛来し一時的に視力を失うのは、新約聖書のパウロの回心体験と同じ。もっとも、「わたし」はこのあとロード・アイランドで若い女の子を追いかけ回すのだから、宗教的に真正な回心を遂げたわけでもない。ただこの世界で生きていていいという感覚をつかんだ、というほどのことであろうか。

 

(9)『テディ』“Teddy”1953年

 グラス家という名称は出てこないが、主人公のテディ(10才)は明らかに天才少年・シーモアと同じキャラクターだ。親はNYのラジオ番組の声優。テディが天才だと有名になり、イギリスの大学での討論会に参加した帰りの客船での出来事。テディは船中で話しかけてきたボブ・ニコルソンという青年学者との対話で次のように語る。「やがて死ぬけしきは見えず蝉の声」「この道や行く人なしに秋の暮」(これらは芭蕉の句で、生死は相対的なもので、世界は無常だ、とテディは言おうとしていると思われる)「感情的ということをどうして人はそんなに大事なことだと思うのか」「ぼくは(前世で)霊的にかなり進んだ人間だった」「すべてが神だと知って、髪の毛が逆立ったりしたのは六つのとき」「ときどき有限界から抜けだすことができたのは四つのとき」「有限界から抜け出すときには…真っ先に脱却しなきゃならないのが論理なんだ」「死んだら身体から飛び出せばいい、それだけのことだよ」テディは自分の死をほのめかす。そして、予告通りにテディは、水のないカラのプールに落下して死んだ。:西洋の文化・文明とは異なる東洋思想(仏教やヴェーダンタ哲学など)が注目された時期の作品である。サリンジャーは自分なりに研究したインド・輪廻思想をテディの口を借りて語っていると言える。テディ=シーモアだとすれば、『ナイン・ストーリーズ』第1話『バナナフィッシュ…』でシーモアが自殺した理由のヒントがここにある。つまりこの人生は仮の人生であり、死は次の人生への移行に過ぎないのであるから、テディは自分の死を従容として受け入れる。シーモアも従容として死を選んだ。そう解釈できる。もちろんそれは周囲の人間にとって容易に受け入れられることではない。テディの妹は叫び、父母は嘆くだろう。シーモアの妻ミュリエルは衝撃を受け、グラス家の弟妹たちは「なぜ…?」と問わずにいられないだろう。なおサリンジャー自身は90才以上の長寿だった。若い頃に書いたこれらの作品についてどう考えるか、本人に聞いてみたい気がする。

 

再び『ナイン・ストーリーズ』:全体として俯瞰すれば、1話の謎に対する一つのの解釈(謎解き)が9話、途中にあるのも、戦争の傷跡や消費文明の虚栄の中で本当に大切なものは何か、困難な状況にあっても人を愛し許し人生に立ち向かっていく姿勢だ、とする物語群だと言えるかもしれない。

 短編集ですぐ読めるように見え、個々の作品は人気もあるが、全体を通じてどうか? というのはかなりの知見がないと難しいかもしれない。野依昭子はリルケの『オルフェウスのソネット』との関係を考察している。(「J.D.サリンジャーの『九つの物語』の統一性について」神戸薬科大学研究論集10、2009年)

 

(アメリカ文学)ポー、エマソン、ソロー、ストウ、ホーソン、メルヴィル、ホイットマン、M・トゥエイン、オー・ヘンリー、ドライサー、J・ロンドン、エリオット、フィッツジェラルド、ヘミングウェイ、P・バック、フォークナー、スタインベック、カポーティ、H・ミラー、サリンジャー、メイラー、アップダイク、フィリップ・ロス、カーヴァー、T・オブライエンなどなどがある。

 

*サリンジャーについて補足

 

1 サリンジャーはユダヤ人だった。当時のアメリカではユダヤ人は差別されていた。かつ、サリンジャーは第二次大戦の対独戦で、ユダヤ人虐殺の収容所を見た、と言われる。その衝撃ははかりしれないほどだったろう

 

2 サリンジャーの父親は富裕な商人だったという。グラス家の父親は俳優(芸人)なので、少し違う。ホールデンの父親は富裕な成功者だ。

 

3 サリンジャーは年若い少女と交際した。『ライ麦畑…』のホールデンが幼い妹に慰められる、『バナナフィッシュ…』のシーモアが海辺で幼い少女を相手にする、など、彼の作品にはしばしば少女が出てくる。もっとも、サリンジャーが交際した少女は幼い子どもではなく、十代後半以降だ。作品に出てくるのは、本当に幼い子どもだ。サリンジャーは無垢な存在を求めたのか? だが、…

 

4 サリンジャーはヘミングウェイと親交があったが、ヘミングウェイのようなマッチョな暴力好きのことはきらいだったようだ。『ライ麦畑…』で『武器よさらば』への言及が出てくる。

 

5 サリンジャーはNYで暮らし『ライ麦畑…』ほかで人気作家となるが、ニューハンプシャー州の山中に隠遁する。そこでの私生活を暴かれることを望まず、作品に対する各種の注釈などもつけられるのを嫌った、と言われる。つまりこの記事のような、作者自身についてのコメントをつけられるのを嫌がった、ということだ。

 

6 サリンジャーは東洋思想、特にインドのヴェーダンタ哲学などに関心を持った。また日本の俳句などにも思い入れを持っていた。作品に芭蕉の句や輪廻転生思想が出てきたりする。彼は隠遁して超越瞑想(Trans Meditation)でもしていたのだろうか?

 

7 サリンジャーは90年以上長生きして2010年に亡くなる。

 

8 サリンジャーの作品は若者に圧倒的人気を博した。毒舌を吐くホールデン君(『ライ麦畑…』)に、アメリカ社会に違和感を持ち反逆しようとする若者たちは、感情移入しやすかったのか。また反戦作家・サリンジャーという観点からは、朝鮮戦争やベトナム戦争に反対する気運で歓迎されたのか。サリンジャーに傾倒していた読者で奇妙な犯罪に走った人が複数いる。ジョン・レノンを暗殺したマーク・デヴィッド・チャップマンや、レーガン大統領を狙撃したジョン・ヒンクリーはサリンジャーを読んでいた。(「サリンジャーの不思議な隠遁生活とその終わり」というサイトから。)

 

 

[3] 『フラニーとズーイ』“Franny and Zooey”  (ネタバレします)

 1955年『フラニー』、1957年『ズーイ』を発表グラス家の物語の一つである。ここでグラス家とは、サリンジャーが創作した一家。父親はレス、母親はベッシー。作中のバディーの記すところによれば、二人は若い頃国際的に有名な舞台芸人だった。またユダヤ系・アイルランド系である。(つまりWASPではない。NYでWASPではないということは、上流階級に入りにくいということだ。)子供が大勢いる。長兄はシーモア。次兄はバディー。次がブーブー(女)。次がウォルトとウェイカーの双子。次にズーイ。末がフラニー(女)。彼らは幼少時からきわめて優秀でTV番組「なんて賢い子ども」の出演者だった。両親はそのことを誇りにしていた。兄弟姉妹には年齢差があり、年長組のシーモアとバディーが幼いズーイとフラニーを教育した。現代の物質文明を相対化する、古代ギリシアやインドや中国の叡智を用いて。だが、長兄シーモアが1948年31才で自殺ウォルトは大戦で1945年日本占領時に事故で爆死。1955年現在、次兄バディーは文学研究・作家で大学に職を持つ。ブーブーは結婚して他国にいる。ウェイカーはカトリックの司祭になった。ズーイは25才で俳優フラニーは20才で大学生だ。『フラニー』は客観描写だが、『ズーイ』は次兄バディーが語り手、という形になっている。

 フラニーは東部のエリート大学の学生や教授陣のインチキに我慢がならない。批判を繰り返しては自己嫌悪に陥っている。そう、『ライ麦畑』のホールデン君の女子大生版である。今の言葉で言えば「こじらせ女子」のややこしい版である。フラニーはあるとき(長兄シーモアの机で)小さな宗教書を見つけた。イエス・キリストの名を休むことなく唱え続ければ人は変容できる、という本だ。フラニーはそれを実践し、演劇や文学から遠ざかり部屋にこもり食事も摂らないようになってしまった。(柴田元幸によれば『ライ麦畑』でホールデン君を救う幼い妹フィービーが大学生になったのがフラニーだが、フラニーにはそういう逃げは許されない。(新潮社のサイトで、『波』2014年3月号より。))母親のベッシーが心配し、ズーイに、妹を何とか立ち直らせてほしいと頼む。ズーイはひきこもりの妹にどう語りかけるのか。

 

 (ネタバレします。)ズーイは、フラニーの宗教信仰自体を否定しないものの、①君の祈りは利己的だ、と指摘する。フラニーは泣いて「私はシーモアと話がしたい」と言う。ズーイは②父母を心配させているのはどうか。③大学の教授たちの欺瞞のシステムを怒るべきなのに、教授たちの人格を嫌っているのは、正しくない。④イエスを真に理解せずアッシジのフランチェスコやハイジのおじいさんなどと一緒くたにして、お手軽にイエスの名を唱えているだけではないか、とフラニーを批判する。フラニーは泣き出す。さらにズーイは、⑤フラニーは祈りの巡礼の旅に出るのではなく家に帰ってきた。が大切なことを見逃している。家族の中で君には神聖なるチキン・スープが差し出されるではないか。目の前の神聖なチキンスープにも気付かないのに、旅に出て誰か真正のイエスの祈りを教えてくれる人を見分けられるはずはあるまい? さらに、⑥君は歪んだ教育を与えられたのなら、それを逆手にとって活用しなくちゃ。俳優を志したのなら、それをあっさりと放り出すことなどはできない。神の俳優になることを試してはどうか? 他人がどうのなど考えることはない、自分にとっての完璧を求めればいい。さらに、⑦長兄シーモアに学んだこととして、「太ったおばさんのために靴を磨くべきだ」。「太ったおばさん」は、一日中ポーチに座り、蝿をたたきながら、ラジオをつけっぱなしにし、多分癌を抱えている。そして、「太ったおばさん」じゃない人間なんて、誰一人いないんだよ。君のいやなあの教授だってその一人だ。その「太ったおばさん」とは、キリストその人なんだ。…ズーイはこう言った。フラニーはこの話を聞いて得心し心が解放された、と結末を読むことができる。

 

 皆さんはズーイの話を聞いて得心し、フラニーは狭い囚われから解放された、と考えますか? この話は、信仰なき現代の物質文明をどう考えるか?(換言すれば、現代の物質文明において信仰をどう考えるか?)というテーマが問われていて、私には非常に興味深かった。 

 

 

[4] 『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』“Raise High the Roof Beam,Carpenters ”  (ネタバレします)

 『大工よ…』は1955年11月に「ニューヨーカー」誌に発表。『シーモア:序章』は1959年6月に同誌に発表。両者を併せて1963年にリトル・ブラウン社から刊行したことは知られている。

 初期作品『バナナフィッシュにうってつけの日』(1948年発表)で突然自殺したシーモア。グラス家の長兄にして天才だったシーモアはなぜ死んだのか。その謎は明かされていない。『ズーイ』(1957年発表)で末娘フラニーは精神的に混乱し「私、シーモアと話したい」と泣く。ズーイとフラニーは年上のシーモアに精神的影響を受けて育った。18才で博士号を取得し、古代諸語やアジア諸語の文献を読みこなし、兄弟中で最も英知があると畏敬されていたシーモアは、なぜ死んだのか。どういう人だったのか。

 『大工よ…』では、シーモアが1942年婚約者ミュリエルとの結婚式をすっぽかす話だ。語り手は次兄バディで、語りの時点は1955年に設定。バディは数少ない新郎側の人間としてNYでの結婚式に参加していたが、新郎のシーモアが現われない。結婚式はお流れになってしまった。たまたま同席した新婦側の人からシーモアに悪口が語られる。介添夫人(バーウィック夫人)は自称良識ある世間を代表しているかのような毒舌でシーモアの悪口を並べ立てる。その夫は妻に頭が上がらない。シルズバーン夫人は介添夫人を相対化してくれる存在だ。同席した耳の不自由な小柄な老人は、なぜかバディと気心が通じ合う。五人は渋滞に巻き込まれ、休憩しようと思った店も閉店で、仕方なくシーモアとバディの部屋に転がり込むことに。しかしそこで… バディは幼い頃の思い出をたどり直し、またシーモアの日記を読む。この後はネタバレになるので各自お楽しみください。結構面白い。

 なお、題名の『大工よ…』とは、妹のブーブーが長兄シーモアの結婚を祝した言葉の一節。妹はバスルームに兄宛のメッセージを書いていた。

 

 

[5] 『シーモアー序章―』“Seymour an Introduction”

 1959年発表。語り手は40才のバディ。語りの時点は1959年。バディは大学の非常勤講師で、作家でもある。親しい兄であり天才詩人でもあったシーモアはなぜ死んだのか? バディは繰り返し問い詰めているように見える。柴田元幸は「長兄を欠いたグラスきょうだいは、『答えを持ってる奴にさっさと置き去りにされた』人たちであり、その意味では現代人の代表なのだ。』(新潮社のサイトから。『波』2014年3月号)とする。同時に、この『シーモア』は、最も近しい位置にいたバディー(二人の年齢差は2才)が、愛する兄を失い、その面影を追い求める物語である。兄とよく似た自分の生き方を探る物語でもある。ユダヤ人とアイルランド人の混血で、芸人の家系だ。幼いころは一緒にラジオ番組に出た。大きくなると幼い弟や妹を育てた。万巻の書を読み、古典に通じていた。中国や日本の古典詩、特に荘子や禅や一茶に影響を受け、詩を書いた。長兄シーモアこそは凡百の創作家や研究者と異なり「真の芸術家」「見者」と呼べる存在だった。いつもバディのよき理解者、助言者だった。シーモアの体つき、顔つき。集中し始めると睡眠を忘れて研究に没頭した。軍隊にいたときも詩を書いた。その他その他。バディはシーモアを想起し、哀惜し、綴るほどにさらにシーモアへの哀惜は募る。だが、シーモア亡き後11年後の現実を生きるバディは、大学の女子学生たちの待つ教室へと戻らなければならない。かつてシーモアは言った「我々が一生の間にすることは、結局聖なる大地の小さな場所を次から次へとわたっていくことだ」と。

 愛する人を失い、その死の理由と意味を探っても答えは見えない。それでも探り続けざるを得ない。これは愛の書である。同時に、愛する人の死を受け止めて今を生きる書である、と私は読んだ。(イエスを失って生きる者たちの悲嘆を読者は連想してもよい。)  

 

補足 

 新田玲子は次のように言う。(『サリンジャーなんかこわくない : クラフツマン・サリンジャーの挑戦 : テキストの重層化とポストモダン的試み』(大阪教育図書2004年2月発行の同書を、2012年1月に改訂した著者原稿)(第6章「サリンジャーと戦争」から)(ネットで見ることができる))

(1)サリンジャーは志願したがオブライエンは徴兵。サリンジャーはヨーロッパ戦線だがオブライエンはアジア。(アメリカ人にとってヨーロッパ人は近いがベトナム人は理解できない)。

(2)サリンジャーにとって家族や故郷は心の拠り所、オブライエンの場合は絆が深い分心の重荷になる。

(3)サリンジャーは戦闘場面を描かない。徹底的な反戦。敵にも味方にも共通する野蛮を見る。オブライエンは、侵略戦争であるベトナム戦争の徴兵に応じた自分の苦悩にこだわるが反戦・平和主義者ではない。第2次大戦や朝鮮戦争は肯定している。

(4)サリンジャーもオブライエンも戦争を個人の問題として捉えていて、戦争それ自体が抱える本質的な問題(ノーマン・メイラー『裸者と死者』にあるような)は捉えていない。アジア人の立場に立って戦争を捉えていない。

・・・どうだろうか?