James Setouchi

2025.8.3

 

 NHKの番組を見て

 

 地方版だが「四国らしんばん シコクディグ 軍神と記者~特攻 封じられた本心」2025年8月1日(金)夜7時半から8時13分

 

 これはいい番組だった。再放送や見逃し配信で見て欲しい。全国放送にしてほしい。NHKは頑張っている。

 

 カミカゼの第1号の隊長・関行男と、新聞記者・小野田政(まさし)についての、ドキュメンタリー+ドラマ(資料に基づいた再現ドラマ)である。

 

 内容を簡単に紹介する。

 

・カミカゼ特攻第1号の関行男大尉(昭和19年10月25日レイテ沖で突入。二階級特進で中佐)は、愛媛県西条市の出身。軍神と讃えられた。だが、報道されなかった人間・関行男の本心があった

 

・突入の3ヶ月前に母校(旧制西条中学)のグランドで訓話をした。後輩達に「後に続くと信ず」と言った。後輩のY氏は「りりしい」「格好がよい」と憧れた。全員敬礼したと思う。

 

・フィリピンで同僚(整備員)だったT氏は、「関はニコニコしていた、人間業ではない、神の権化だと思った」と言う。同僚同士でも内面を深く語り合うことはなかった。

 

猪口力平(第一航空艦隊の参謀)(注1)は、関は「ぜひ私にやらせてください」と言った、と言う。関は軍神として讃えられるようになった。この見方が流通している。

 

・しかし、小野田政(海軍報道班員)は、特攻が決まった晩に関に会い、関の肉声を聞いている。関は「俺のような優秀な工場員が体当たりで死ななければならないとは、日本もいよいよ終わりだ」「死にたくはない。死ななければならないなら、それは天皇陛下のためでもなく国家のためでもなく、最愛の妻のためだ」などと語った。・・関は志願したのではなく、名指しの命令だったと受け止めていた、と再現ドラマの小野田は言う。

 

・小野田は「人間 関大尉の横顔」を記事にしようとしたが、軍部の検閲が入った。上官が激怒したのだ。「神様であって人間ではない」「未練を残すような男ではない」などと。結果、美辞麗句を連ねた骨抜き記事を書いてしまった。

 

・突入前夜、10月24日、関が小野田を呼び出した。妻のために遺影を撮影してくれと。小野田は撮影した。(これが有名な写真だ。)10月25日突入。写真は、11月2日、全国紙の一面に飾られた。「率先志願した」「神々しいまでに神様のやうになって・・」といった美辞麗句と共に。これ以来、関を軍神として讃える記事が全国で書かれた

 

母サカエは「軍神の母堂」と呼ばれ訪問客が絶えなかった。地元の人は軍神・関を讃える歌「関中佐の歌」を作った。

 

・以来特攻は繰返され、航空機による特攻で四国だけで275人の若者が命を落とした。徳島では飛行機が足りないので翼が木製の練習機で突入した。

 

・小野田は帰国後関の妻(結婚したばかりで夫を見送った)と母を訪問し関の肉声を打ち明けた。関の妻は泣き崩れた。

 

・兄が予科練から突入したKさん(90歳)は、周囲の「おめでとう」が辛くて下宿に帰って泣いていた、と言っている。

 

・敗戦後近所の兵士が復員して家族に会うのを見て、妻は、「戦死者はつまらない」と思った。

 

地元・西条では関の軍神としての評価が、掌を返したように一変した。「犬死にだ」「生きて押し入れに隠れているのではないか」など。石も投げられたとか。このように地元のY氏は言う。

 

・母サカエは、山間の小学校の住み込み用務員となり、息子の墓まで60キロの道のりを歩いて通った。

 

・戦後、小野田政は、『敗戦記者懺悔録』で真実を書き続けた。「ペンは剣よりも強い」と思って記者になったがそのペンが折られてしまった。ペンを折っていなければその後の展開が変わっていたかも知れない。そのことへの懺悔があったのでは、と小野田の子息は言う。そんな状況にしてはならない。

 

・関の墓には遺骨すらない。

 

 

・・・不十分なまとめで恐縮ですが、いかがですか。この番組はぜひ御覧下さい。(NHKを批判する人がいるようだが、これだけいい番組を他の民放が作れるか、というと難しいだろう。NHKならではのいい作品が沢山ある。NHKを批判する人は、こおういう作品を作らせないために批判しているのではないか。と疑いたくなる。)

 

 関は内面のつらさ、納得できなさを押し隠して「やらせてください」と言わされた、というのは、十分ありうる話だろう。それを「本人が志願したのだから自己責任だ」「上官や軍や国家には責任はない」などと言い張るのは、大間違いだ。ましてや軍神として祭り上げ、「他の若者も後に続け」とやるなどというのは、野蛮な行為以外の何ものでもない。国民を兵士として死なせて平気な国家は、間違っている。現代のどこの国家でもそうだよ。国民の生命や生活をまずは守るのが国家の仕事だ。

 

 関行男については城山三郎『指揮官たちの特攻』に中都留大尉(「最後の特攻」)と並んで取り上げられている。これも必読。

 

 特攻については鴻上尚史『不死身の特攻兵』も必読。鴻上氏は西条の隣の新居浜のご出身だ。

 

 西条も新居浜も、秋祭りで壮麗なだんじりや太鼓台が出る(秋川さんが県民ショーで出ていた。水樹奈々も近所。)ので有名だが、祭りだ祭りだと騒いで過去を忘れるのではなく、まずは、特攻を出し、軍神として持ち上げ、次には戦犯扱いして攻撃した、その中で例えば母上(サカエさん)が大変辛い思いで過ごされた、そのことへの反省の思いを、深く深く致すべきであろう。

 

 軍神として讃え殉国美談にしてしまうことは、「今の若者も後に続いて特攻して死ね」と教えることにほかならない。そうではなく、純情な若者を過酷な戦場に連れ出しいたましい犠牲としてしまったことに思いを致し、二度と戦争を起こさないためにはどうすればよいか、をしっかり勉強していくことが大切だ。顕彰会の人は、自分の孫を率先して特攻に出すつもりですか? ということだ。

 

 例えば、「忠孝一本思想」(主君・天皇陛下のために突入すれば同時に親孝行でもあるとする思想)は、後期水戸学が言い出したおかしな思想で、孔子が聞いたら激怒するしろものだと知っておくべきだ。また、日清日露戦争頃に軍産複合体ができ、それが昭和の戦争を生んだ(「明治はよかったが昭和がよくない」のではない。明治と昭和の戦争は連続している)(いわゆる司馬史観は間違っている)とも知るべきだ。では、現代の我々はどうすればよいか?

 

 

 なお、2025年8月2日中国地方(広島局)で放送のアニメ映画『この世界の片隅で』も見てよかった。前半はとぼけたユーモアもあって笑うところもあり、しかし後半は空襲、原爆などで家族を失い本当につらい。これも皆さんで是非御覧下さい。

 

 但し、大和の沖縄特攻と轟沈、広島の原爆などなど、具体的に戦争について知っている方が理解しやすいだろう。あえて間接的にしか知らせないという手法をこの映画はとっている。

 また、原爆の悲惨さ、家族を失った悲嘆(例えば隣のおばさんが息子を亡くしたケースの悲嘆)なども、もっと描き込むこともできるはずだが、あえてそこは多くは描きこまず時間が経ったところで淡々と述懐する、という手法がとられている。戦争についてよく知っていて想像力もある人には十分伝わるが、戦争の知識の乏しい若い人や、外国の人が見たとき、十分理解できるかどうか? という問いを持った。『はだしのゲン』と併用するといいかもしれない。

 

 広島の原爆については、原民喜『夏の花』、井伏鱒二『黒い雨』、峠三吉詩集は必読。大江健三郎『広島ノート』も。早坂暁の映画『夏少女』(主演 桃井かおり)もある。

 長崎については永井隆『長崎の鐘』などがある。

 

 8月はこれらの勉強をするべき季節でもある。

 

注1:猪口力平は1903年生まれ、1983年(ほぼ80歳)まで生きた。関行男は23歳で死んだ。・・wikiによれば、猪口は近江一郎なる人物と連絡をとり、特攻兵の遺書を回収して回った。それは慰霊のためだったろうか? それなら、すべて(可能な限りもっと多く)公表して、「申し訳なかった、間違った作戦だった、過ちは二度と繰返しません」と誓うくらいの姿勢を見せてほしかった。「近江は5年間で全国40の道府県、およそ2000の遺族の元をほとんど1人で訪れたはずであるが、本の中で公表された遺書はわずか7通に過ぎない。」(wiki)・・つまり特攻は本人の志願であって強制ではなかったという形にするため、都合の悪い遺書は握り潰した可能性がある。

・・そもそも「志願」という形にしていても、他の選択肢がないように状況で追い詰めていって「志願」させるのであるから、事実上の強制だ、というのはよくわかる道理ではないか。島尾敏雄『魚雷艇学生』(小説)には、魚雷艇の特攻だが、思考停止、半ば放心状態のようになって「志願致シマス」と書いて出した事情が書いてある。

 

*もう一回書いておこう。鎮魂・慰霊はよいが顕彰は不可。

鎮魂・慰霊して「安らかに眠って下さい、過ちは二度と繰返しません」と言うのはよいが、

「特攻で死なれたあなたのお蔭で今の平和があります。これからも平和のためにと称して若者をどんどん死なせていきます。自分の子を死なせ、他人の子も死なせます」などと顕彰するのは絶対に不可。殉国美談にしてはならない。

「純粋な心を持った若いあなたを追い詰めて死なせた私たちに責任があります。申し訳ありませんでした。どうしてそうなったか、懸命に勉強して、二度とこういうことがないように努めます」と言うのはよい。