James Setouchi

2025.7.27(日)

読書会記録 

サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて(キャッチャー・イン・ザ・ライ)』

 

1        今後の計画

8月30日(土)ヘミングウェイ『武器よさらば』担当N 高見訳が新潮文庫にある。

9月20日(土)オブライエン『本当の戦争の話をしよう』担当I 村上訳が文春文庫にある。

10月18日(土)フォークナー『孫むすめ(ワッシ)』(短篇)担当Y 滝口訳が新潮文庫『フォークナー短編集』にある。

11月15日(土)スタインベック『怒りの葡萄』(上・下)担当N ハヤカワepi文庫が読みやすそう。

12月20日(土)カポーティ『ティファニーで朝食を』担当O 村上春樹訳・新潮文庫

1月24日(土)オー・ヘンリー『オー・ヘンリー短篇集』から「最後の一葉」とそれ以外のどれか(未定。近日決定)担当I 大久保康雄・新潮文庫 ほかにもいろいろ訳がある。

2月11日(水)(祝)ジャック・ロンドン『野性の呼び声(荒野の呼び声)』担当K 大石真訳・新潮文庫 他にも訳がある。

3月某日(未定。春分の頃か?)ドストエフスキー『罪と罰』担当Y 工藤精一郎訳・新潮文庫 他にも多くの訳が出ている。

 

Q 他にアメリカ文学と言えば? マーク・トゥエイン、ホーソーン、マーガレット・ミッチェル、パール・バック、メルヴィル、ポー、ノーマン・メイラー、ドライサー、エマソン、ソーロー、ホイットマンなどなど。

 

2 サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』(野崎孝訳)白水uブックス1984年

  サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(村上春樹訳)白水社2003年

 

出た意見・感想

・ホールデンはデヴィッド・コパフィールド式に自身の過去を自伝的に語ることはしたくない。

・ペンシーという学校は、すぐばれるウソをPRのため雑誌に掲載する学校だ。

・ホールデンは年の割に子どもっぽいことをやる。大人の社会に対して退屈と不満を覚えている。

・スペンサー先生のベッドが硬いとは? 先生のいる部屋の居心地の悪さ、ホールデンの退屈、先生のお堅い性格を示すか。

・アヒルの喩え:アヒルは動物園に拾って貰えるのか? それともどこかへ飛んでいくのか? 

・スペンサー先生の「幸運を祈るよ」は、子どもでも言える言葉だ。少しも気持ちが伝わらない。

・赤いハンチング帽を後ろ向きにかぶることで、ばつの悪い自体にも屈しない態度を示したと言えるのではないか。

・ハンチング帽のひさしを前に回してふざけるのは、どういう意味か。

・アクリーがホールデンを訪ねるのは、孤独で心細いからか。母親に構って貰うためにおどける幼い子どものようだ。

・ストラドレイターは愛想よくふるまう。エレクトン・ヒルズの校長とは違う。だがそれは自己陶酔によるものかも?

・ストラドレイターはホールデンの作文能力にケチをつける。アクリーはバスケのコイル選手にケチをつける。二人は他人の長所を素直に認められない。

・ホールデンにとって映画の真似とは? 嫌いな映画の真似をして、自分自身に対してバカバカしさを覚えるなど、シニカルな冷笑か。

・運転手はホールデンの雪玉を外に捨てさせる。大人は面倒なことに発展することをいつも恐れている。

・ストラドレイターは低能と言われたくないといつも思っている。

・アクリーは気まぐれな面がある。

・アクリーはカトリックをバカにするのは許さないと言っている。

・ホールデンは強がり。実際は傷だらけ。

・寮から出たあとのホールデンは?

・アヒルの含意は? 冬に凍る池は冷たい社会の含意、アヒルは自分たちの含意、アヒルは救われないのか、自分たちも救われないのか、自分も救ってほしい、の含意。

・「救われたい」と「救い手になりたい」は、始めから両方あるのか、そうではなく、「救われたい」が「救い手になりたい」に変容するのか。どすればきっかけは何か

フィービーか。

・フィービーは大人のような口を利く。ホールデンにとってフィービーは大人社会への、いやあるべき人間社会への通路のような存在。それが「お兄ちゃんと一緒に行く」と言ってしまうと、フィービーはホールデンサイドに落ち込むことになる。それはまずいとホールデンは奮起したのか。

・作者サリンジャー自身は最後は隠者になる。キャッチャーも何もないのでは。

・隠者になってからのサリンジャーが何をしていたかは不明。長生きした。東洋思想に耽っていたかも?

・この本は東西冷戦下、ベトナム戦争下での、西洋近代の科学技術の文化・文明に対するカウンター・カルチャーの一つとしても読まれた。ヒッピー文化の先駆とも言えるかも。

リチャード・ブローティガン『西瓜糖の日々』(1968)の世界はヒッピー文化のコミューンに近いと言われている

・『ライ麦畑』を読んだ人がジョン・レノンを撃ったとも。

・父は世俗の成功者。それへの反発はある。母に対しては?(後述)

・大人は皆インチキだ。先生も運転手も売春婦もモーリスも。

・尼さんだけはいいように書いているのでは?

・母への手紙の形をとる。母に伝えたいことは?

・ホールデンは「これは本当なんだぜ」「正直言うと」などと繰返す。成功者の家族の中で自分が劣等生で信用されていないとの引け目がある。

・16歳の行動者ホールデンと17歳の語り手ホールデンは違う。17歳の語り手はウソも言っているかも知れない。

・ヘッセの『車輪の下』を連想した。ハンスは悲劇に終わる。ハイルナーという先達がいる。ホールデンにも兄DBがいる。似ているがどう違うか。

・都会への憧れとしっとがある。ハリウッドへの批判もそう。本人にも商業主義的な繁栄の憧れがあるのかも。晩年には引きこもったというが?

・サリーと駆け落ちして山中に住むといっている。

・ホールデンはケンカが弱い。ストラドレイターはマッチョでパンチで解決する。ホールデンは戦争が嫌い。サリンジャーも。

・カミュの『異邦人』を連想した。自分に正直であろうとして周囲との齟齬が生まれる。ムルソ-もホールデンも。

・ムルソーの方が大人で確信犯では? ホールデンはまだ未熟だ。

・ホールデンは「ぼくほど嘘をつく人間はいない」と言う。どういうことか?

・ムルソーやホールデンにおいて「友だち」のありかたは?

・『異邦人』については内田樹を読んでみよう。

・アクリーはカトリック。礼拝に行く。父はカトリックからプロテスタントに改宗。出世(階層の上昇)のためだろう。なぜ出てくるのか?

・アクリーはニーチェのいわゆる弱者の宗教ではないか。ニーチェはキリスト教道徳は奴隷道徳だと言った。

・いや、普通のカトリック信者の例として出しているように思う。

ペンシーという学校は学校つきの牧師(神父と書いていない)がいるのでプロテスタントだろう。エリートになる要件がこれだ。父親は出世のためにカトリックを捨ててプロテスタント(母のセクト)になった。これは厭だ。「カトリックの人は相手がカトリックか聞きたがるからいやだ」というのは、セクトにかかわらず生身の人間として付き合いたいということだろうか。同時に、カトリックがアメリカ社会では劣位にあるので、劣位同士で同病相憐れむような話しぶりは厭だ、と感じているとも考えられる。つまり「プロテスタントWASPだから支配者層」といった大人社会のインチキへの違和感の表明と読めるのではないか? サリンジャー自身は父はユダヤ系、母はアイルランド系カトリックだ。

・クエーカーのチャイルズをホールデンが批判しているところをどう読むか?

・イエスはユダを地獄に送らない、とホールデンは主張する。ユダが救われるかどうかはキリスト教の教義における一種の「躓(つまづ)きの石」あるいは「鬼門」とも言うべき大問題だ。アルゼンチンのボルヘスは短篇『ユダについての三つ解釈』(1944)を書いている。なお他力浄土門においても最悪のことを行った者も救われるのか? が問われている。

・クエーカーはウイリアム・ペンがペンシルバニアを作って以来の名門だが最初は差別された。今は人数は少なくてもアメリカでの発言力は大きい。かれらは非戦論者だ。

・新渡戸稲造(国際結婚)も北村透谷(日本平和会)もクエーカーの影響を受けている。

「パウロの信仰は罪の意識が強く、ヨハネの信仰は聖霊重視だ、ピューリタンは前者だ、クエーカーは後者だ」という金沢常雄(内村鑑三の弟子)の指摘がある。(「北村透谷と有島武郎 : クエーカーにおける生命主義の考察」(尾西 康充)『三重大学日本語学文学』巻14,ページ75-83、2003-06-22)に紹介されている。)

・ホールデンは、イエスは好きだが、十二使徒や牧師がきらいだと言っている。

・イエスへの批判者は、ニーチェだけでなく、同時代から存在し、今も存在している。その中で、教会や聖伝はイエスを歪めたが、イエス自身は偉大だったという立場もある。(『カラマーゾフの兄弟』の中でもさかんに議論している。

だが、イエスが十字架でもっとも惨めな死を死んで、そこから復活した、それを受け入れて弟子達が強く生き始めた、という立場もある。

・パウロがこれをギリシアで説くと、死者の復活(よみがえり)を否定された、一部の人は信じた、と『使徒行伝』17-32にある。キリスト教信仰に対する批判者も、当時からあった、というわけだ。暴君ネロもキリスト教徒を迫害した。

・ニーチェにはニーチェのお考えがあろうが、サリンジャーにおいてどう書いているか、を読み取らねばならない。それはそう簡単ではない。なおニーチェの超人思想の先駆はドストエフスキー『罪と罰』のラスコーリニコフにある、としばしば言われる。またマルクスは宗教はアヘンだと言った。宗教に逃げず革命(社会構造の改革)を、というわけだろう。是か非か。

・ホールデン少年は尼さんには進んでお金を寄付する。娼婦には殴られてお金を払う。どちらも10ドルだ。その意味は? →対照しているわけだが、わざわざ書き込んだのはなぜか? もしかしたら、聖なる世界と俗なる欲望の世界との双方にホールデンは足をかけている、ということでは? つまり俗なる世界にのみ溺れてはいない、ということだ。

・『フラニーとズーイ』を参照すれば、狂信的な宗教はだめだが、具体的に苦しんでいるそのへんのおばさんへの愛は大切だ、としている。

・池が凍ってもアヒルは飛んでいけるが魚は池に残るとは?

・魚はキリストのイメージがあるのか? ・・ある。聖書では結構魚を食べるシーンがあるし、初期にはキリストを象徴した。「ΗΣΟΥΣ Χ ΡΙΣΤΟΣ Θ ΕΟΥ Υ ΙΟΣ Σ ΩΤΗΡ (ギリシャ語で 「イエス・キリスト、神の子、救世主」)の頭文字を並べるとイクトゥスとなり、これは ギリシャ語で「魚」を意味」する、とどこかの教会のサイトにあった。ヨナも魚の腹の中にいた。

・ホールデンは脱出できるがアクリーやストラドレイターは寄宿舎(この窮屈な社会)に残るということか? →誰かが、家鴨は野鳥ではなく家畜化していて飛べない、魚は水面下で暮らせる、と書いていた。すると社会(寄宿舎や軍隊)で躾けられて家畜化した人間は生きていけない、の含意かも?

・若い女性といるときはホールデンは乱れる。年配の女性といるときは乱れず余裕を持って接する。列車で会う女性、尼さんの年齢は? ホールデンは母の愛を求めたのかも。

・インディアンやエジプトのミイラが出てくるのはなぜ? アメリカ先住民への関心は『ナイン・ストーリーズ』にも出てくる。エジプトのミイラについては、西洋近代の科学技術ではないところの文化・文明に注目しているのか? →ヒュルトリンゲンの森でアメリカ軍が大敗し多くの米兵の死体がうち捨てられたままになっていたことを、「古代のエジプト人の方がまし」と風刺したのではないか、という見方を野依昭子(関西学院大学)が言っている。(「J. D. サリンジャーの『ライ麦畑のキャッチャー』と「秘密の金魚」」(『英米文学』巻 59, 号 1, p. 117-136, 発行日 2015-03-15)

・ヘミングウェイについてはどうか? 『武器よさらば』は本当は反戦小説だが、ホールデンにはまだ理解できないのか。いや、ヘミングウェイの暴力的な面をやはりサリンジャーは嫌いというわけか。

・フィッツジェラルドについてはどうか? 東部にいて、西部への憧れを語る。アメリカ人には根強いのか。

・金持ちの子だからできることで、自分で生活し働き出したらこうは言えなくなる。逆に若者の特権かも。

・「働いて税金を納めよ」の大合唱だが、日本列島で勤労者は6000万人台(総人口の半数強)総人口ののこり(総人口の半数近く)は、高齢者、子ども、病気の人、引きこもりの人などで、働いていない。働くとは何か? 働いてGDPに貢献するだけが人間の生き方なのか? 達磨大師は坐禅を9年間実践し、この間のGDPへの貢献は0円。光源氏はいろんな儀式をして女性と関係するのが彼の主な「仕事」だった? それも「働く」と言えるのか? 

 働くと言っても、大地(自然)と人間(共同体)に囲まれ農地を耕すのと、それらから切断されてベルトコンベアーの部品のようになって労働を時間で切り売りする(労働疎外の中で)のとでは、働き方が随分違う。高齢者や障がい者の世話をして収入は0円という人も沢山いる。過労やパワハラや介護のため退職して鬱の人もいる。高齢者には過酷な職場は無理である。それらをすべて考えに入れれば、「働いて税金を納めよ」の単純な言い方では全く事態に適応できていないとよくわかる。「はたらく」とは何か? なお、栗原康『サボる哲学 労働の未来から逃散せよ』(NHK生活人新書)も面白い。

・ホールデンはキャラクターとしては面白いが、自分のそばにはいてほしくない。自分本位な人だ。

・ホールデンの語りは、まるで本当にそこに彼がいるかのように感じる。

・野崎訳はヤンキーの言葉のようだが、村上訳は金持ちの進学校の生徒らしい。

・読者の青少年はホールデンに感情移入しがち。青年期(思春期)の子を主人公にした小説はアメリカでは最初だとのことだ。

・そう言えばヤングアダルトという言い方を21世紀初め頃から言い出した。その先鞭をつけた作品かも。

・ホールデンは社会批判を貫くから強い人かも知れない。

・ホールデンは(サリンジャーも)コミュニケーションに障がいのある、いいやつだけど生きにくさを感じるタイプかも。発達障がいかも。カント、ニュートン、アインシュタイン、エジソン、野口英世などなど、そういう個性を持った人は沢山いる。要はそういう個性を排除せず生かしていける社会であるべきだ。それがノーマライゼイションでありユニバーサル・デザインだ。画一的な価値観で統制すると多くの人を排除することになる。

・メリー・ゴーランドにフィービーは乗るが、ホールデンは乗らない。あそこが子どもと大人の分かれ道かも。

・兄はなぜ出てくるのか? ハリウッドの商業主義に身売りしたとはいえ、ホールデンのよき先輩ではある。ハリウッドで近くにもいる。ホールデンにも生きていける未来がある、ということかも?

・兄はなぜDBという名前で出てくるのか?・・・わからない。→JDサリンジャーのイニシャルに近いものを使ったか。『A Perfect Day for Bananafish』から取っているのか。

・なぜ小麦や大麦でなく「ライ麦畑」なのか? 背が高く、その中で大人達が何をしているかワカラナイ、という含意だと誰かが言っていたが? この歌はもともとはスコットランドの戯れの歌? 明治に『故郷の空』のメロディーに使ったが歌詞は全く違う。昭和(戦後)にドリフターズがコミックソングで使って有名になった。

・尾崎豊は大人社会に反抗しようとしたが、大人はそう不自由で惨めな存在だろうか? 財務官僚は日本全体の経済を支える。巨大商社の人はシベリアからパイプラインで水を運ぶ。市役所の公務員は生活している人のために日々尽力する。彼らはバイクを盗んで走ったりしない。背広を着て髪を整えルールを守りつつ自由でクリエイティヴな仕事をし人々のためになる。ホールデンは文句を言うだけで何もしていない(ように見える)。

・東西冷戦、朝鮮戦争の状況下で、ホールデン17歳は近々兵役に取られるかも知れない。この閉塞(へいそく)した状況を批判している、反戦文学かも知れない。サリンジャー自身は第2次大戦でPTSDを負った。『ナイン・ストーリーズ』にも出てくる。

・サリンジャーは東洋思想に傾倒したかもしれない。古代インドの哲学とか。

・終末論的ユートピア思想は危険。大本教はどうかな。秋山真之はどうかな。日本の近代には底流に神がかりが流れているかも。「海軍は合理的、陸軍は狂信的」と単純に言えないかも。

・桜庭一樹の評をどう読むか? 本文最後の一文をどう読むか? ペンシーの同級生として描いているストラドレイターもアクリーも、実はみな、第2次大戦の戦友で、軍にいるうちに死んでしまった、自分だけが軍を離れ生き延びてしまった、と読めるかもしれない。

・有益だった。各自かなり細部まで読んできていて感心した。