James Setouchi
2025.6.30
ドストエフスキー『ドストエフスキイ前期短編集』から
Фёдор Миха́йлович Достое́вский
1 作者ドストエフスキー(1821~1881):19世紀ロシア文学を代表する世界的巨匠。父はモスクワの慈善病院の医師。1846年の処女作『貧しき人びと』が絶賛を受けるが、’48年、空想的社会主義に関係して逮捕され、シベリアに流刑。この時持病の癲癇が悪化した。出獄すると『死の家の記録』等で復帰。’61年の農奴解放前後の過渡的矛盾の只中にあって、鋭い直観で時代状況の本質を捉え、『地下室の手記』を皮切りに『罪と罰』『白痴』『悪霊』『未成年』『カラマーゾフの兄弟』等、「現代の預言書」とまで呼ばれた文学を創造した。 (新潮文庫の作者紹介から。)
2 ドストエフスキー略年譜 (NHKブックス 亀山郁夫『ドストエフスキー父殺しの文学』の年表他を参考にした。)
1821( 0歳)帝政ロシア時代の地主の家に次男として生まれる。
1839(18歳)父ミハイルが農奴によって殺される。
1848(27歳)『弱い心』『ボルズンコフ』『クリスマスと結婚式』発表。
1849(28歳)『初恋』執筆。このころペトラシェフスキーの会のメンバーとともに逮捕。死刑宣告ののち恩赦でシベリア流刑。
1854(33歳)刑期満了。シベリア守備大隊に配属。
1858~59(37~38歳)『ステパンチコヴォ村とその住人たち』執筆
1859(38歳)ペテルブルグに帰還。
1861 農奴解放
1866(45歳)『罪と罰』連載開始。
1868(47歳)『白痴』
1869(48歳)『永遠の夫』
1871(50歳)『悪霊』
1880(59歳)『カラマーゾフの兄弟』
1881(60歳)1月死去。
3 『弱い心』:1848年2月『祖国雑記』に発表。
(登場人物)(ネタバレあり)
アルカージイ・イヴァーノヴィチ・ネフェーデヴィチ:ヴァーシャの親友。同居している。
ヴァーシャ・シュムコフ(ヴァシーリイ・ペトローヴィチ・シュムコフ):下級官吏。能書家。善良で感激屋。ユリアン・マスターコヴィチという上司に仕事と特別の俸給を貰っている。リザベータと恋に落ち婚約するが、仕事が手につかず、上司の命じた仕事ができなくなり、軍隊に取られるという妄想に取り付かれ、狂気に陥る。
リザベータ・ミハイロヴナ:ヴァーシャの婚約者。貧しい。母親と弟(ペーチャ、ペーチンカ)がいる。
ユリアン・マスターコヴィチ:ヴァーシャの上司。
マダム・レルー:帽子屋のフランス人女性。
マヴラ:家政婦。
(コメント)
舞台はペテルブルグ。貧しい官吏のヴァーシャは、親友のアルカージイと同居している。婚約したのが嬉しくてアルカージイに知らせ、二人は喜び合う。早速二人して婚約者の宅を訪問し歓談するなど、幸福を分け合った。が、ヴァーシャは上司のユリアンに与えられた仕事が忌日までにできず、このままでは軍隊にやられてしまう、婚約者をも幸せに出来ない、と恐慌に駆られ、狂気に陥ってしまう。親友のアルカージイがあとで聞いたのでは、上司のユリアンはその仕事を必ずしも期日までにしなくてもいいと考えていたようなのだ。では、ヴァーシャの独り相撲だったのか? そういうことになる。解説の江川卓によれば、「管理体制が人間関係としても現前する社会においてはつねに存在しうる、すぐれて現代的なテーマの作品」だ。確かに。権力者の意向を忖度(そんたく)して潰れるサラリーマンや官僚が今でもあちこちにいる。それは本人の自己責任にされてしまっているが、それはいけないのではないか? まじめにやっている人が不当に潰れなくていい社会(組織)にするには? とイックしてみるべきだろう。
なお、その後リザベータは他の金持ちの男性と結婚した。女はしたたかだ・・と言いたい人もいるかもしれないが、そうではなく、彼女の目は悲しみのため涙で一杯だった。この書き方が、ドストエフスキーの心優しいところだ。
また、江川卓は、アルカージイがネヴァ河のほとりで見たペテルブルグの風景に注目する。『罪と罰』のラスコーリニコフが見た風景と同様の「都市の原風景」そのものであったのだろう、と江川卓は述べる。本文ではアルカージイがこの風景を見ながら何かに気付き変容する。それはどういうことか? は読解の解釈が分かれるところかも知れない。親友を失い、巨大な都市(国家権力のシステム)の持つ怖ろしい力に脅えた、ということだろうか? ペトラシェフスキー事件で逮捕されるよりも前の作品だということから逆算してそう考えてみたが・・?
*ペテルブルグ:Петербургは、「ペテルブルク」とも書かれる。本書では「グ」になっている。ネヴァ河河口デルタにある帝都。ピョートル大帝が1703年に要塞を建設したのがはじまり。モスクワ(こちらは古い都)と並ぶ帝都、ロシアにとって「西欧への窓」として繁栄。ナポレオン侵攻では戦火を免れた。ソ連時代はペトログラード、レニングラード。ナチスとの悲惨な攻防戦を経験。ソ連崩壊以後は再びサンクトペテルブルグとなる。軍事都市でもあるが、同時に「聖ペテロの町」という名の通りロシア正教の教会がそびえ立つ宗教都市でもある。
4 『ボルズンコフ(ご機嫌取り)』1848年3月『絵入り文集』に発表。(『絵入り文集』は検閲で禁止。作家の死後公開。
(登場人物)(かなりネタバレ)
わたし:語り手。登場人物を批評する。
ボルズンコフ(オシップ・ミハイロヴィチ):下級官吏。善良だが道化者を演じ上官の機嫌を取るタイプ。だが、フェドセイ・ニコラーイチの不正を暴く文書を作成し、しかしそれをフェドセイ・ニコラーイチに1100ルーブリで買収されてもみ消してしまう。
フェドセイ・ニコラーイチ:ボルズンコフの上司。実は収賄官吏。
マリヤ・フェドセエヴナ:フェドセイ・ニコラーイチのの娘。ボルズンコフと結婚しそうな状況にある。
マリヤ・フェミーニシナ:フェドセイ・ニコラーイチの妻。
マトヴェフ:フェドセイ・ニコラーイチの部下の官吏。国庫に7000ルーブリの穴を開けてしまう。フェドセイ・ニコラーイチが事態を収拾しないといけない。
(コメント)
ややわかりにくかったが、江川卓の解説で分かった、と思う。道化者でご機嫌取りの下級官吏ボルズンコフは上司のフェドセイ・ニコラーイチの不正をもみ消し、かつその娘のマリヤと結婚する状況にある。が、4月1日(エイプリルフールだろう。「笑いの日」と言うそうだ)に「私はもう退職します、お嬢さんとも別れます、あなたのことは密告します」と冗談の手紙を出す。・・その後フェドセイ・ニコラーイチから、「自分は病気でもう死ぬ、部下のマトヴェフの失態もある、助けて欲しい」などと泣きつかれ、ブルズンコフは金を返し批判を撤回することにした。・・ところが、蓋を開けてみると、ボルズンコフだけが失職、フェドセイ・ニコラーイチはボルズンコフをトカゲの尻尾のように切り捨てて、自分はのうのうと逃げのびていた。ボルズンコフは破滅を覚悟した・・と、ここまで読んで、悪辣な上司にしてやられた善良な人の話かと思ったが、江川卓の解説では、フェドセイ・ニコラーイチの最後の手紙の末尾には「4月1日」の記載がある。つまり、フェドセイ・ニコラーイチの最後の手紙自体が、エイプリルフールの嘘だった、ということになる。ボルズンコフは破滅しないですんだ。先の4月1日のブルズンコフのいたずらに対する仕返しだった、ということなのだろう。
ただの笑い話と読むべきか。それにしても、下級官僚たちが不正と縁戚(えんせき)関係でつながっていることを前提として成り立つ話だ。ドストエフスキーは笑い話仕立てに偽装して、帝政ツアーの官僚たちの暗部を暴いて見せたのだろうか?
5 『クリスマスと結婚式―無名氏の手記よりー(樅の木と結婚式)』1848年『祖国雑記』に発表。
(登場人物)
背の高い痩せぎすの田舎紳士:パーティ客。田舎出身。
フィリップ・アレクセーイチ:この家の主人。男の子が5人いる。大晦日の晩、子どもの舞踏会を主催。
ユリアン・マスターコヴィッチ:名士のような紳士。太っている。
黒い目の男の子。富裕な商人夫妻の子。
その姉:11歳。美しい少女。すでに30万ルーブリを所有している。
赤毛の男の子:貧しい。母親は家庭教師。
人びと:ユリアンに話を合わせる。
わたし:語り手。ユリアンの正体を見抜く。
(コメント)(ネタバレ)
美しい11才の少女は富裕な商人の子ですでに30万ルーブリを所有している。だが子どもなので貧しい赤毛の男の子と遊びたい。太った紳士ユリアン・マスタコーヴィチは少女の美しさと持参金に目をつけ、少女が結婚できる5年後には30万ルーブリが50万ルーブリに膨れ上がると計算、男の子を邪険に追い払い、少女の両親にも接近する。・・5年後、果たしてユリアン・マスタコーヴィッチは16才になったその少女と教会で結婚式を挙げていた。「わたし」は「それにしても、胸算用が鮮やかにいったもんだな!」と考える。
このユリアン・マスタコーヴィチという「紳士」は恐らく好色でかつ持参金目当てにこの少女と結婚した。この少女がその後幸せになるかどうかは書いていない。江川卓は「幻想都市ペテルブルグの幻想の権力を代表する象徴的な役どころを担わせられているのかもしれない」「『貧しき人びと』のブイコフ、・・『罪と罰』のスヴィドリガイロフ・・」らと共通するある種のタイプである、「ロリータ的少女趣味の源泉を見ようとする見解もある」と記す。ユリアン・マスタコーヴィチという固有名詞は本作の中で唯一繰り返し記される。「ユリアン」はローマのカエサル・ユリウス(ジュリアス・シーザー)から取られている、と江川卓は言う。「マスター」も名人、匠、熟練工、長という意味であろうか? 金と権力に興味があり少女趣味の紳士! そういう奴が世俗社会で大きな顔をしている。これに対置されているのは赤毛の男の子であり、無邪気な子どもの世界だ。「わたし」はユリアンの企みを見抜いてここに書き記している。ドストエフスキーの作品の原型がここには確かにある。「背の高い痩せぎすの紳士」はなぜ出てくるのだろうか? 太ったユリアンとの対比だろう。背の高い痩せぎすの紳士が持ち込んだ田舎のトラブルは、この舞踏会の主人のフィリップ・アレクセーイチからは相手にされない。この家の主人も、自分の豊かな生活を享受することが優先なのだ。美しい少女の親である富裕な商人夫妻も同じ。彼らはロシアの支配階級を構成している。すると、彼らの主宰している子ども舞踏会で無邪気に遊ぶ子供たちも、本人たちにその気はなくとも、ロシアの支配体制の中で泳いでいるに過ぎない。美しい少女はその支配体制に、結婚によって直接組み込まれる。花嫁は「いろあおざめて、愁わしげな風情」だ。赤毛の貧しい少年は、その貧しい母親と共に、この支配体制の中では異物だ。子どもであるかぎり富裕な家の子とも遊べたが、ロシアの支配体制が力を持って現われるとき赤毛の男の子の居場所はない。彼はこの後どうするだろうか? 江川卓は、『カラマーゾフの兄弟』のイリューシャ少年に通ずる、と記す。後生畏るべしと言う。一部の特権階級が利権を独占し享楽的な生活を続けているとき、そこから排除された者が地下で力を蓄え、やがて革命へ・・というのは、後年ロシアで実際に起こったことだ。それがよかったかどうかは別として・・・
6 『初恋(小英雄、幼いヒーロー)』1849年の執筆か。発表は1857年の『祖国雑記』。江川卓の解説によると、ペトラシェフスキイ事件に連座してペテルブルグのペトロ・パウロ要塞監獄に収監されていた時期に執筆。死刑執行の芝居より前の時期だそうだ。
(登場人物)
わたし:語り手。11才になる直前の少年。モスクワの親戚宅に来ている。
T:「わたし」の親戚。モスクワの富裕層。邸に大勢の親戚知人を集めて毎日パーティをして散財している。
ブロンドの女性:結婚して5年目の美しい女性。皆に人気がある。いつも笑っている。陰で「わたし」をいじめる。
その夫:太っちょで赤ら顔。金持ち。
M夫人(ナタリイ):ブロンドの女性の従姉。純潔で愛情ある人。いつも悲しげにしている。
M氏:その夫。独善的で赤ら顔。太った男。いわゆる「利口な」人。つまり世故にたけ世渡りがたくみで人の悪口を言う男。
R:画家で演出主任。
N:青年。オデッサの事件のためこの邸から去る。
背の高い青白い青年:Nが去ったあと入れ違いに登場。ブロンド夫人の崇拝者。
タンクレード:暴れ馬。
(コメント)(ネタバレ)
モスクワの大富豪が毎晩パーティをしている。そこで10才の「わたし」はブロンドの美しい夫人にいじめられる。但しこれが初恋の相手ではない。その従姉、M夫人が「わたし」の初恋の相手だ。M夫人はいつも悲しそうにしている。それは、夫との仲がどうやら不和で、かつN青年と秘密の恋をしているからだ。「わたし」はその恋を目撃するがM夫人からカムフラージュの道具にされてしまう。N青年からの恋文をM夫人は落としてしまう。探し回るが、見つからない。他の人に拾われたら破滅だ。だが、実は「わたし」がその恋文を拾っていた。「わたし」はその恋文をそっとM夫人に返す。M夫人は感謝し「わたし」に接吻をしてくれた。M夫人は邸を去り、これがM夫人との別れとなった。「わたし」の初恋は終わった。
途中にタンクレードという暴れ馬に「わたし」が乗るはめになり、馬が暴走し「わたし」は死にかかるが、辛うじて生還した、というエピソードが挿入されている。「わたし」はただいじめられるだけの無力な子どもだったが、暴れ馬を何とか乗りこなし、M夫人をかばう、大人への第一歩を踏み出したとも言える。原題は「小英雄」「小さなヒーロー」の意味である(江川卓)。
N青年が「オデッサで厄介なことができた」からモスクワを去る、とあるが、何があったのだろうか? 1848年と言えばフランス2月革命、ウィーン3月革命、ベルリン3月革命、デンマーク、ハンガリーなどなどでも運動があった。オデッサでも自由を求める反体制運動があったのかも知れない。それとも、M氏は妻の不倫を感づいていて、N青年を立ち退かせて、口実にオデッサの件を出しているだけなのだろうか? わからない。
いずれにせよ、10才の少年「わたし」にはいかんともしがたい大人の世界だった。その中でM夫人の美しさ、悲しさに出会っていく。「わたし」は初恋を通して人間が生きていく上でのどうしようもない悲しさにも出会ったと言える。
ブロンド美人はM夫人と対照的で、表面は華やかだが軽薄な女。背の高い青白い青年はN青年と対照的でブロンド夫人に熱を上げるがいざとなると暴れ馬に乗ることを拒否するご都合主義の男。このような、社交界の軽薄で俗物の連中に囲まれて、M夫人の人柄の美しさが際立つしかけになっている。「わたし」はブロンド女の欺瞞を幼くして経験し、M夫人の崇高な人格に憧れた。人間にとって最も美しい大切なものとは何か? ここへの問いと感受性がドストエフスキーの真骨頂だ。
*今回の四作はいずれも1948~49年に書かれた。ドストエフスキーがまだ若手作家で、シベリア流刑になる前の作品だ。シベリア流刑以降にドストエフスキーは真にドストエフスキーになったと言えるが、それ以前の『貧しき人びと』や今回の四作にも、ドストエフスキーの原質のようなものは表されている。特にペテルブルグものは、読んでいてネヴァ河、ネフスキー通りなど、ペテルブルグの町が浮かび上がってくるような感覚になる。19世紀都市小説の代表作家と言える。なお、帝政ツアーはニコライ1世の時代。
*江川卓『謎解き『罪と罰』』『謎解き『白痴』』『謎解き『カラマーゾフの兄弟』』、亀山郁夫『『罪と罰』ノート』『ドストエフスキー謎とちから』などは非常に面白い。
(ロシア文学)プーシキン、ツルゲーネフ、ゴーゴリ、ドストエフスキー、トルストイ、チェーホフ、ゴーリキー、ショーロホフ、ソルジェニーツィンら多数の作家がいる。日本でも二葉亭 四迷、芥川龍之介、小林秀雄、椎名麟三、埴谷雄高、加賀乙彦、大江健三郎、平野啓一郎、金原ひとみ、などなど多くの人がロシア文学から学んでいる。