James Setouchi

2025.6.21

 

 6月の視角

 

6月4日 

ムシ(虫)の日。虫と言っても①害虫を予防しようね、という意味と、②カブトムシなど昆虫採集が好きで、昆虫の慰霊もしよう、という意味とがある。後者の意味での昆虫採集の好きな人と言えば、養老孟司(解剖学)、池田清彦(生物学)、北杜夫(作家、精神科医)など、面白くて尊敬できる人が多い。私は昆虫採集はしないのだが、昆虫採集はアウトドアのサバイバル要素も含み、ネイチャー(特に生態系や生命の神秘)のワンダーに触れる営みだから、結構いいかもしれないな、という気がする。私が昆虫採集をしないのは、それは殺生だからだ。虫を標本箱にピンで留めるなんて残酷なことはできない。(魚肉を食べているから、矛盾しているんだけど。)食糧難を解決する道は、昆虫食かも知れない。さあ、どうする? 

 

・なお、6月4日は虫歯予防の日でもある。森昭『歯は磨いてはいけない』という本は有益だった。最近はTVなどでも正しい磨き方の啓発が進んでいるようだ。

 

・また、6月4日は比叡山延暦寺の伝教大師最澄の忌日でもある。天台宗のお寺では山家会という法会を行う。最澄は「一隅を照らす、これ則ち国宝なり」(『天台法華宗年分学生式』)と言った。自分が世界の帝王にならなくていいが、一隅を照らす生き方をする、そういう人がこの世には沢山おられる、そういう方こそ国の宝だ(今なら社会の宝、人類の宝、世の中でもっとも尊い存在だ、とでも言おうか)、金銀財宝有価証券の類いが国の宝ではないぞ、という程の意味であろうか。最近はマネーを偶像崇拝する人が多く、カネのために詐欺や戦争まで始める始末だが、伝教大師最澄さまが御覧になれば何と言われるだろうか。

 

6月16日 ブルームの日(ブルームズ・デイ)

・アイルランドで、ジョイス『ユリシーズ』の主人公ブルームを記念してお祝いをする日。『ユリシーズ』はダブリンの市民ブルームの6月16日一日の出来事を扱った小説で、世界文学中屈指の傑作の一つと言われる。ブルームは決して聖人君子ではない。古代ギリシア的英雄でもない。政治的・経済的に成功した者でもない。むしろ欠点も多く酒飲みで妻を寝取られる情けないやつだ。教養もあるがその知識はいささか怪しい。それでも彼は忍耐強く、人を許すことを知っている。彼には理解してくれる隣人がほんの少しいる。彼自身がいい隣人、よきダブリン市民なのだ。大英帝国の圧力の下でダブリンの市民たちは必ずしも明るい気分で暮らしているわけではないが、それでも仲間がおり、家族がおり、何とか生きている。ダブリンの市民たちはみんなブルームのことが好きで、6月16日を「ブルームの日」として記念して祝っているのだ。

 

6月第3日曜日 父の日(2025年は6月15日)

・聞くところによれば、アメリカで、母の日が先にあって、ならば父の日もあるべきだとして、ソノラ・スマート・ドットという人が嘆願し、1910年に始まったそうだ。1966年にジョンソン大統領が6月の第3日曜日を「父の日」と定めた。父親に感謝する日だ。日本では戦後に知られて少しずつ定着しつつある。

 

 TVを見ていたら町を歩いている若者に「あなたのお父さんは100点満点で何点くらいですか」と質問していた。若者たちはかなりの割合で「100点」と答えていた。どういうことだろうか? 世間のお父さんは立派にお父さんらしいことをしている、または今の若い子は父(や母)が好きで仲が良い? 悪く言うと子は父に反発して自立しようとしていない? かつては怖いものといえば「地震、雷、火事、親父」と言われた。その後「親父は最近すっかり怖くなくなったよね」と言われた。今ではそんな科白も消えてしまったくらい、父親は弱くなった、という言い方もある。フェミニズム的にいえば家父長制が崩壊して結構だ、ということになるのだろうか。現状は、父親は依然仕事ばかりで家にいない、という場合もある。父親が家にいて子育てをしている場合もある。先日公園で若いお父さんが小さい子と遊んでいるのを見て(幸せになって欲しい、と思って)涙が出た。今は子どもの数は少なく、親はその少ない子どもに愛情と時間とお金を投入できるので、子は親の愛情を(煩わしいなと感じつつも)ありがたいとは感じているということか? だが、父親がいない場合もある。父親がいてもありがたい存在とは限らない。

 

 孔子の父親(叔梁紇=しゅくりょうこつ)は孔子が3歳の時に亡くなった。孔子は無力で父親の葬儀も満足に出せなかった。しかし儒学では「孝」(先祖祀りも含めて)を重視している。孟子もモーレツ教育ママの話はあるが父(孟激)の話は聞かない。妻子を残して機会を求めて遠い宋の国に行ったが客死・早世したという話がある。帝舜の父親はDV親で舜(しゅん)を殺そうとしたがそれでも舜は親孝行を貫いたので徳の高い人との人望が高まったとか。伝説だから真偽の程は定かではない。それでも伝説として語られ意味を持たされてきたことに注目する。是か非か。

 

 イエス・キリストの父親は「神」だが人間イエスの父親(聖母マリアの夫)は大工のヨセフだった。ヨセフはマリアとイエスを大事に育てた。イエスは神信仰優先と言われるが同時に律法を否定するのでなく完成するのだと言っている。律法の中には「父母を敬え」という教え(モーセ十戒の一つ)もある。キリスト教倫理は家族を分断する思想だ、と批判したい人があるが、実は一面非常に封建的なほど家庭を重視する面がある。アメリカの福音主義保守派を見よ。アブラハムは神の命令で自分の子を生贄(いけにえ)に捧げようとした、という驚くべき記述がある。だが神はその命令を撤回した。これは、神は息子を生贄に捧げる野蛮な風習を禁止した、とも読める。

 

 ムハンマドの父親はムハンマドが生まれる前に亡くなったとか。よく知らない。(ごめんなさい。)

 

 ドストエフスキーの父親は農奴に殺された。『カラマーゾフの兄弟』などに反映されている。ヘミングウェイの父親は病気と借金で自死。フィッツジェラルドの父親は失職して妻の実家のお世話で暮らす。夏目漱石は、幼い頃養子に出され、成人後は養父がカネをせびりに来るのでいやだった、という小説を書いている。漱石の子の夏目伸六は幼い頃父親にひどく殴られたと書いている。内村鑑三の父親は陽明学者で家は日蓮宗だった。息子の影響でクリスチャンになった。なお内村鑑三の息子は内村祐之(ゆうし)と言って精神科医で東大教授だが父のことをあまりよく言っていない印象がある。漱石も内村も弟子にはいいが子どもにはよくなかったのか。志賀直哉有島武郎永井荷風は父親がエライ(世俗的に)ので反発して文学の世界に理想を求めた。父親が偉すぎるのも大変ですな。北村透谷の父親の快蔵(1843~1904)は小田原(譜代)の出身だが明治維新の没落士族で、幼い透谷を祖父に預け自分は東京で遊学・仕官した。今で言う東大出の大蔵官僚だが薩長ではないので出世できないはず。息子が25歳で死んだ(1894年)とき父親はどう思っただろうか。谷崎潤一郎の父親は婿養子だが身代が傾いた。谷崎は貧しい家庭の事情が辛かったようだ。丹羽文雄の場合は父親に恐るべき秘密があったので苦しんでいる。父親がややこしい事情を持っているのも大変です。太宰治の父親は地方の政治家で、太宰治はそれがコンプレッックスになっていた。坂口安吾の父親も地方の政治家。安吾はそれへの反発はあったでしょうね。太宰と安吾は生育環境が似ています。宮沢賢治の父親は地方で商売をして裕福だったが浄土真宗に熱心で、賢治は反発して日蓮宗・『法華経』の行者になった。中島敦の父親は中島敦が2歳の時に離婚し中島敦は父の実家に引き取られた。父親は二人の継母を迎えた。敦は継母に虐待されたとも。(ちなみに小説『プウルの傍らで』は結構面白い。アオゾラ文庫で読めます。中島敦の教師時代の生徒に大女優・原節子がいると誰かが書いていたが、本当なのか?)森鴎外の父はいるが母親の方が目立つ。『舞姫』では太田豊太郎の父は早く死んでいる。森鴎外自身は子供たちにとってはいい父親だったようだ。(だが、もし実在のエリスとの間に子どもがあったら!?)幸田文(あや)の父親は幸田露伴で、幸田文に言わせれば手厳しいが愛情のあるいい父親のようだ。幸田文はファザコン気味かもしれない。川端康成の父親は川端康成が2歳の時に病死、「要耐忍」「保身」と息子のために書き残したという。大江健三郎の父親は戦争中に急死。大江の小説『水死』などに扱われている。大江自身は父親としては息子や娘を大事に育てているという印象がある。(奥さん=ゆかりさんがエライのかもしれないが。)

 

 ケネディの父親、トランプの父親についてはお調べになってみて下さい。驚愕の事実に出会います。

 

 お釈迦様の父親はシュッドーダナ王(浄飯王)と言ってカピラ城の王様だった。息子のゴータマ・シッダールタ(お釈迦様)を溺愛(できあい)しすぎてシッダールタはひ弱で繊細な子になってしまったと言われる。だがシッダールタは一念発起し出家・修行しブッダとなった。父親は心配して秘かに臣下をやってシッダールタを見守らせた(という見方がある)。江戸の儒学の連中は「仏教は家族倫理を踏みにじる教えだ」とレッテル貼りしたが、仏教サイドから言わせると親孝行をしなさいと説くお経は沢山ある。法然上人の父親は平安末の武士階層で戦闘で殺されたが当時の常識に反して息子に「仇討ちをするな。出家して解脱(げだつ)を求め万人が救われる道を探せ」と遺言したという。法然上人(幼名は勢至丸)はその教えを守り偉大な法然上人になられた。親鸞聖人の父親・日野有範も、親鸞が4歳の時に亡くなった。親鸞は『歎異抄(たんにしょう)』が正しければ「父母の孝養(きょうよう)のために念仏を申したことはない(先祖供養など要らない、阿弥陀如来の誓願によってすでに救われてあるのだから)」と言った。丹羽文雄(にわふみお)によれば親鸞は世俗のことについては『論語』の倫理を説いたと言うが? 道元禅師の父親は内大臣久我通親だと言われている。久我通親も道元が3歳の時に亡くなった。道元が父親についてどう言っているか、知らない。

 

 楠木正行(まさつら)は父・楠木正成(まさしげ)と同じように南朝のために尽くして死んだので親孝行だった、というイデオロギーを後期水戸学が唱え、その延長上に、「天皇陛下のために特攻で突入すれば親孝行だ」式のイデオロギーが軍国主義の時代に喧伝された。カミカゼ第1号の関行男は「親孝行な息子さんだ」と近所の人から讃えられた。父はいない。残された母親は嬉しかっただろうか? 何と残酷なことか。孔子が聞いたら激怒するだろう。そんなイデオロギーは、家族を分断し国民を国家のために道具として使い捨てるためのイデオロギーであり、到底承服できない。(その裏では武器産業でもうけてほくそ笑んでいる奴がいるのだ。孔子が聞いたら更に激怒するだろう。孟子が聞いたら・・・ただではすまんよ、これは。)現代世界においては空襲その他で父親(だけではないが)を亡くす幼子も多いだろう。ガザを見よ、ウクライナを見よ、テヘランを見よ。NHK朝ドラ『あんぱん』も2025年6月20日は空襲シーンだった。空襲で家族がばらばらになり焼け跡に探しに行ったが黒焦げになって亡くなっていて衝撃のあまり茫然自失・慟哭号泣したという人も当時は沢山おられただろう。TVであのシーンを見て空襲当時を思い出して泣いた方も大勢おられるのではないか? <父(母も)を亡くして泣く幼子>や<子を亡くして泣く父(母も)>が出ることがないように、いい政治をする、いい社会にする、それこそが「父の日」(「母の日」も)の本当の課題かも知れない。孟子は「鰥寡孤独を大切にせよ」と言ったが、「鰥寡孤独が出ない社会にせよ」と言い直すべきかもしれない。峠三吉は「ちちをかえせ ははをかえせ ・・ にんげんをかえせ」と叫んだ(『原爆詩集』)。

 

・原爆の恐ろしさとは比べるべくもないが、モーレツ・サラリーマンで1日24時間働いていたら家族にとっては「ちちをかえせ ははをかえせ・・」ということになりますよね・・・

 

6月19日 桜桃忌(おうとうき)

・太宰治の忌日。墓は三鷹の禅林寺にある。斜め向かいが森鴎外の墓。太宰は『走れメロス』から入り『富獄百景』『女生徒』『お伽草子(おとぎそうし)』が面白いのではまって次々読んでいくと『人間失格』で最悪の状態に落ち込んでしまうので、人には薦めない。周囲に家族や先生や友人がいるときに読むべきで、二浪しているときに下宿で一人で読んではいけないという意見も。太宰に落ち込んだ人には、吉本隆明『悲劇の解読』および坂口安吾と宮沢賢治をどうぞ。

 

6月21日 夏至

・太陽が早く出て遅く沈む、1年間で昼間が最も長い日。日本列島は南北に長く、地軸は傾いているので、北海道だと朝が非常に早く明ける。沖縄だと夕日が非常に遅く沈む。昼間が長いと嬉しくなる。国立天文台によれば。2025年6月21日の根室(北海道)の日の出は朝3時37分。那覇(沖縄)の日の入りは晩7時25分だ。与那国島だともっと日没が遅いだろう。皆さんの地域と比べてどうですか。

 極地では一日中日が沈まない「白夜」になる。ペテルブルクは白夜だ。ドストエフスキーの小説『白夜』は、ペテルブルクの孤独な青年が白夜に出会った少女に恋をする物語だ。1848年、27歳の時の作品。(だが私は、ドストエフスキーは『貧しき人びと』『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』の順番で読むことをお勧めします。『貧しき人びと』も『罪と罰』も首都ペテルブルクが舞台です。)

 

6月23日 沖縄慰霊の日

・1945年(昭和20年)アメリカ軍の圧倒的な攻撃の前に、日本陸軍第32軍が敗退、牛島司令長官が自決し、組織的な戦闘が終結した日。但し牛島司令官の命令もあり、悲惨な状況下、非組織的な形での戦闘や戦死はまだまだ続き、多くの死者を増やした。

・今、沖縄では沖縄戦の全ての死者を(敵味方の区別なく)『平和の礎(いしじ)』に名前を刻み、追悼・鎮魂・慰霊する。それは決して「敢闘精神で最後まで戦って国家に殉じたから立派だった、これからも後に続く人は最後まで戦って死ねよ」などとPRするための行事ではなく、「あの戦争は本当につらかった、もう二度と戦争をするまい、戦争はいやだ、平和に暮らそう」という思いを胸に刻み平和の誓いを新たにするための行事である。大田昌秀『沖縄 戦争と平和』、小林照幸『ひめゆり 沖縄からのメッセージ』などをお読み下さい。「殉国美談」などにしてはならない。

 

6月30日 夏越し(なごし)の祓え(はらえ)

・1年の半分が終わったので神社で茅の輪(ちのわ)くぐりをし穢れを落とし息災を記念する。サイトで見ると「旅の途中に宿を求めた素戔嗚尊(すさのおのみこと)を、貧しいながらも蘇民将来(そみんしょうらい)が厚くもてなし、その後素戔嗚尊の言った通り、茅の輪を腰につけていて疫病を免れたという故事に由来しています」とある(京都観光Navi)。「祓」も中国道教、「茅(ち)の輪」の「茅(ちがや)」は中国南部にある「茅山(ぼうざん)」という道教の聖地と関係がある(福永武彦『道教と古代日本』191頁、人文書院1987年)。「蘇民将来」は不明だそうだが、これも道教の呪文? 思いつきだが、日本列島に中国南部の蘇州(紀元前から町だったが、6世紀隋代に大運河ができ繁栄、蘇州と名づけられたそうだ)あたりから渡ってきた人たちが、故郷が懐かしくて「ふるさとの蘇州の豊かな民がまたやってくる」と祈ったとか? どうですか?