James Setouchi
2025.5.8
アーネスト・ヘミングウェイ『ヘミングウェイ全短編2』
髙見浩 訳 新潮文庫 (再)
Ernest Hemingway “The Complete Short Stories of Ernest Hemingway vol.Ⅱ”
1 ヘミングウェイ1899-1961 アメリカの作家。1954年ノーベル文学賞。第1次大戦に赤十字の運転兵として従軍し負傷。パリに住み『日はまた昇る』などを刊行。第1次大戦で負傷した体験をもとに『武器よさらば』を書く。スペイン内戦で共和国政府軍を支持し『誰がために鐘は鳴る』を書く。第2次大戦にも個人的に、また従軍記者として参加。大戦後『老人と海』を書く。「ロスト・ジェネレーション」の作家の一人であるとともに、20世紀前半を代表する作家と言える。(1899~アメリカ北部イリノイ州生まれ、1918第1次大戦で赤十字輸送部隊に、1920アメリカ、1921フランス、1928~フロリダのキー・ウエストに住む、1937スペイン内戦に、1939~キューバに住む、1944第2次大戦に、1954ノーベル文学賞、1961死亡)
2 『ヘミングウェイ全短編2』 新潮文庫解説(髙見浩)ほかを参照した。
新潮文庫から、『全短編』1~3が出ている。1(『われらの時代』を含め若い頃の作品集)は平成7年、2(『キリマンジャロの雪』など)は平成8年、3『蝶々と戦車』など。生前未発表の短編・中編を含む)は平成9年発行。
ここでは2から、何本か紹介する。
(1)『最前線』“A Way You’ll Never Be”
1932年執筆。18歳の頃第1次大戦に参加し砲弾で負傷した経験をもとにしている。主人公ニック・アダムズは、第1次大戦のイタリアに、アメリカ軍の軍服を着て参加している。頭に負傷しており、PTSDのせいもあって頭の中は混乱している。自分が砲撃を受けた時のことが頭の中で蘇る。「あの顎ひげをはやした男、そいつは小銃の照準越しにごく冷静にこちらを見て引金を引き、次の瞬間、白い閃光がひらめくと同時に、棍棒で一撃されたような衝撃が膝を襲い、喉が甘美にも熱く詰まりそうになって、石の上に息を吐き出し、そのかたわらをみんなが突撃していったのだが、…」
(2)『ワイオミングのワイン』“Wine of Wyoming”
1928年ころに執筆か。1930年発表(新潮文庫巻末の年譜による)。1928年末にヘミングウェイの父親が拳銃で自死し、1929年にはウォール街の株の大暴落(世界恐慌のはじまり)があるなど、個人的にも世界的にも大きな出来事のあった時期ではある。当時アメリカは禁酒法時代(1920~1933)だった、主人公は妻とバカンスでワイオミング(アメリカ西部の山岳地帯)に来ている。その田舎でビールやワインを作っていたフランス人移民のフォンタン夫妻と交流する。二人は悪辣ではない、いい人たちで、主人公たちに親切にするが、生活に疲れている。警察に捕まり罰金も沢山払った、自分たちはカトリックだが、アメリカではカトリックは肩身が狭い、息子は勤勉ないい子だが太ったインディアン女と結婚し苦労している(注意:これは差別的表現であるが、本文のままとする)、などと愚痴っている。主人公はなんとなくフォンタン夫妻に共感する。禁酒法を作ったのは、理想主義的なプロテスタントたち(旧移民の白人)で、カトリックの移民(新移民)は脇に押しのけられた、ということだろう。ヘミングウェイ自身は出自はプロテスタントでありつつカトリックに改宗、しかしフォンタン夫妻に共感しつつも微妙に立場が違う。(本庄忠大「ヘミングウェイと禁酒法」H22年7月31日札幌市立大学における日本アメリカ文学会北海道支部の第145回研究談話会の発表に論考がある。)
(3)『キリマンジャロの雪』“The Snow of Kilimanjaro”
1936年発表。ヘミングウェイは何度かアフリカにサファリに出かけている。1934年1月にはアメーバ赤痢にかかりナイロビの病院に入院。主人公ハリーは作家。妻のヘレンとアフリカを車で走っていたが、車が壊れ、救援を待っている。ハリーは死にかけている。看病するヘレンの傍らで、ハリーは、第1次大戦に従軍しヨーロッパにいたことや、パリで別の女性と過ごしていたことを想起している。作家として語るべきことがもっとあるのに、語り得ていない。資産家である今の妻ヘレンに適当なことを言って付き合ってきた。自分は人生の残滓を売り渡した。もっともっと書くべきことはあるのに。自分は今確実に死のうとしている。現実のしがらみの中で、自分が本当になしたいことと、なしえなかったこととが、頭の中を走りめぐる。そして… ヘミングウェイ自身はのちアフリカで飛行機事故で死にかける。それを予言するかのような小説でもある。また、作中で金持ちへの批判を行う。ヘミングウェイ自身は、ポーリーンという大変な金持ちで美貌の女性と2回目の結婚をし、そのおかげで贅沢な暮らしを出来た。1930年代のアメリカは不況にあえぎ失業者にあふれていたが、妻の資産のおかげでヘミングウェイはフロリダのキー・ウエストに悠々と暮らし、アフリカにサファリにでかけたりもしたのだ。が、次第に金持ち連中に対して違和感を持つようになったようだ。
(アメリカ文学)ポー、エマソン、ソロー、ストウ、ホーソン、メルヴィル、ホイットマン、エリオット、M・トゥエイン、オー・ヘンリー、ジャク・ロンドン、エリオット、チャンドラー、パール・バック、フィッツジェラルド、ヘミングウェイ、フォークナー、スタインベック、カポーティ、ミラー、サリンジャー、メイラー、アップダイク、リチャード・バック、オブライエン、カーヴァーなどなどがある。アメリカ文学に影響を受けた人は、北村透谷、内村鑑三、江戸川乱歩、大岡昇平、石川達三、安岡章太郎、安部公房、小田実、庄司薫、高橋源一郎、大江健三郎、大藪春彦、平井和正、村上春樹、大沢在昌、吉本ばなな、江國香織など多数。
(3)-2『キリマンジャロの雪』の補足
短篇だが、地名などが多く出てきて、丁寧に読むにはややハードルが高かった。
執筆時期は、1936年発表、ヘミングウェイ36歳。二度目の妻ポーリーンは大金持ち(叔父ガス・ファーファーが大金持ち持ち。靴を買う感覚で会社を買ったと言われる)で、ポーリーンも贅沢三昧。その金でヘミングウェイもぜいたくが出来るとことに対し、後ろ暗い思いも持っていた。フロリダのキーウエストに別荘を買い、アフリカにサファリに出かけ、クルーザー「ピラール号」を建造。当時アメリカは大恐慌で、多くの人が困窮していた時代だった。本作にも、妻が金持ちで・・という述懐が出てくる。
1933年、アフリカのサファリに行く(ケニア)。1934年アメーバ赤痢にかかりナイロビの病院に入院。その時の体験が本作に生かされている。
注釈をつける。数字は新潮文庫のページ。まだ分かっていないこともたくさんある。下線部は読書会で話し合ったら面白いかも知れないポイント。
321キリマンジャロ:アフリカの山。標高6007メートル。頂上付近に冠雪。麓の人は雪を知らず、塩だと思っていたという。山頂に豹の屍があるというのが事実か、伝説として語られているのか、知らない。読んだ印象はどうか? 神聖な「神の家」と呼ばれる山に、ありえない奇跡を目指し登って死んだ豹。その姿に、奇跡のような英雄的な人生を求めてもがき続けて死んでいく主人公の夢想を重ねているのでは?
大きな鳥:ケニアにいる肉食鳥は、ゴマバラワシ(1.8m)、オオノガン(1m?)か? 死にゆくハリーを狙っている不気味さがある。
322雄羊、シマウマ:遠方に見える、野生動物の楽園。
325ブワナ:スワヒリ語で「旦那様」
「こうして人生をまっとうに全うする機会は永遠に失われるわけだ」:ハリーは自分なりに納得のいく人生を全うしたいと思っているが、不完全なまま、妻とつまらぬ言い争いをしているうちに人生は終わってしまう、これが人生だ、と言っている。
「いい作品に仕上げるつもりで、・・」:ハリーは作家。作品の題材をいくつも持っているが、書けないまま死んでいくのか。
326「パリにいれば、・・」「お前の、ろくでもない金を使ってな」:アメリカ人だが、第1次大戦後のパリで豪遊していた。妻は金持ち。ヘミングウェイ自身の境遇でもある。
327キクユ族:ケニア奥地にいる。独特の化粧で有名。
オールド・ウェストベリー:NYのロングアイランドにある。
サラトガ:NY州にある。
パーム・ビーチ:フロリダにある。以上三つの場所は、妻が他の遊び人たちと遊んだ場所か。
328イタリック体の字:回想シーン。
カラガッチ:クリミア半島にある。
シンプソン・オリエント急行:オリエント急行は、パリ・ベネチア・イスタンブールを結ぶ。いろんな路線があるようだ。高級豪華客車で社交の場。
トラキア:国会の西南部。ギリシア、トルコ、ブルガリアにまたがる。
ナンセン:有名な探検家。
ガウアータール:オーストリア西部、リヒテンシュタイン近くの渓谷。さいしょわからなかったが、私の尊敬する友人が教えてくれた。ありがとう。
シュルンツ:シュルンス。ボーデン湖より東南、オーストリアの西部にある。
329マドレーナー・ハウス:シュルンツのあるモンタフォンの谷にある山小屋の固有名詞か? ヘミングウエイは1920年代にそこを訪れた。
レント氏:ヴァルター・レント。アルプス・スキー学校の経営者。1920年代にヘミングウエイは彼と交遊したようだ。当時彼は最初の妻ハドリーと一緒で、貧しかった。杉本 香織の博士学位論文「ヘミングウェイの死後出版作品研究 ―」(早稲田大学大学院教育学研究科教科教育専攻)(2006年単位取得退学)で見た。
パーカー:第1次大戦連合軍の飛行機乗りか。オーストリア兵を殺戮。
330チロル:オーストリア西部。
パスービオ:北イタリアにある地名。
ペルティカーラ、アサローネ、モンテ・コロナ、セッテ・コムーニ(北イタリア)、アルシエーロ(北イタリア)、フォーラールベルク(フォアアールベルク、オーストリア西部)、アールベルク、ブルーデンツ(オーストリア西部):よく分からなかった。北イタリアからオーストリアにかけての地名で、第1次大戦及びその後の生活で関わった場所か。戦場と、スキーの思い出。オーストリア人だから敵というわけではない、一緒にスキーをして遊んだ、という記述を、どう読むか?
キルシュ:サクランボで作るブランデーの一種。
ハイ!ホー!とロリーは言った:不明。「ハイホー」はディズニーの「白雪姫」の七人のこびとで有名だが、その映画は1937年で、1936年の『キリマンジャロの雪』よりあと。なぜこの言葉が入っているのか? スキーで滑走する興奮状態を読み取ればいいのかも。
331サン・ジェルマン:パリの高級住宅街。
パヴィヨン・アンリ・カトル:パリの有名なホテル。
スイフト、アーマー:アメリカの富豪。
おなじみの嘘:ハリーにとって妻に対して「愛している」は嘘だと分かる。
333小さな獣ども:何か? 不明
メンサヒブ:奥様。植民地時代のインドの言葉のようだが? この少年はインド人?
334一度は彼もひたむきに生きていたのだが:いつころであろうか?
この大金持ちの連中:ハリーは金持ちと交際しているが、自分は彼らとは違うと考えている。
335おれの才能:ハリーは自分に才能があると思いつつ、疑ってもいる。
337彼女は大の読者家で、・・夫に死なれ・・二人の子供・・:実在のポーリーンはジャーナリスト。既婚歴はないはずだが。この辺りの記述は創作か。なぜそうしたか。
338おれはそれを、暮らしの安定のために売り渡したんだ:ハリーは金持ちの妻と結婚して生活の安定を得たが、人生を失った、と考えている。
341ハイエナ:死に行くハリーを狙っていると読める。
343レジャンス:パリのカフェ。
ブルヴァール:ブールヴァール。フランス語で、広い道路。
タキシム:不明。
アルメニア:トルコの東にある国。
MP:憲兵。軍人を取り締まる。
344ルメリ・ヒサル:イスタンブールのボスポラス海峡のギリシア側の要塞跡。
ペラ宮殿:イスタンブールのホテルか。
アナトリア:トルコを含む半島。
トルコ軍:第1次大戦ではドイツ・オーストリア同盟軍に味方した。
345トリスタン・ツァラ:ルーマニアの詩人。ダダイズムの推進者。
347スパー誌:不明。
348タウン・アンド・カントリー誌:当時アメリカの上流階級の女性対象の雑誌だった。
ロンバルディ・ポプラ:イタリアヤマナラシ。大きな木。ここは祖父が出てくるので北米の少年時代の回想か?
349トリーベルク:ドイツの黒い森地方にある。
コントレスカルプ広場:パリのカルチエ・ラタンにある広場。ヘミングウェイはその近くに住んだことがある。パリ時代の回想は、下町のごちゃごちゃしたエリアの回想だ。
350カフェ・デ・ザマトゥール:パリのサン・ミシェル広場(カルチエ・ラタンの玄関口)のカフェ。飲んだくれが集まって悪臭を放っていた。
バル・ミュゼット:バル・ミュゼットは、アコーディオン中心のダンスパーティー。20世紀初頭にパリの下町で流行。
パリ=トゥール間レース:自転車レースの筈だが?
パリ・コミューン:1871年の自治政府あが、ヴェルサイユ政府軍に鎮圧された。その後第三共和政の時代となった。
カルディナール・ルモアーヌ通り:ヘミングウェイが最初の妻ハドリーと新婚で暮らした場所。なぜそこを回想しているのか?
ムフタール通り:パリ5区、カルチェ・ラタンあたりにある、昔からある通り。
パンテオン:パリのパンテオンは、サント・ジュヌヴィエーヴの丘の上にある。フランス革命期の1792年に完成。パリの守護聖人・聖ジュヌヴィエーヴが祀られている。聖ジュヌヴィエーヴはフン族の来襲からパリを救った女性。もとはキリスト教の大聖堂だったが、今はデュマ、ユゴーなどの墓がある。(どこかの観光サイトから)
ポール・ヴェルレーヌ:詩人。
353あの牧場:アメリカ時代の回想か。アメリカは大自然の中だ。
355バックギャモン:二人用ボードゲーム。
ジュリアン:もとはフィッツジェラルドになっていた。抗議を受け修正。金持ちに畏敬の念を持っている、とフィッツジェラルドを批判したくだりとして有名。だが、ヘミングウェイもまた金持ちコンプレックスがあったのでは?
356ウィリアムスン:ドイツ軍の手投げ弾にやられた。ヘミングウェイが第1次大戦で経験した事実そのままかどうかは知らない。
359重みがすうっと消えた:ハリーはここで死んだのだろう。「朝だった」以下はもし生きていれば、のもう一つの現実。
コンプトン:ハリーを助けに来た仲間。旧友。
ヘレン:ハリーの妻の名。
アルシャ:タンザニアのアルーシャのことか。
362夢の中で彼女は・・娘が・・父親も・・無作法な・・:なぜ書いてあるのか? 不明。
(コメント)全体として、過去(第1次大戦やパリ時代やオーストリアでのスキーなど)を回想しながら死んでいく男の内面を描いている。何かを成し遂げようとあがきつつも、ついに成し遂げられないまま死んでいく。それでも夢は飛行機に乗ってキリマンジャロの上を飛ぶ。山頂に豹がいる話と呼応してくる。人間は夢想、念の力で、現実を超えることが出来る、ということか。死に行くハリーが回想する場面がなぜこれらでなければならないか? も一考を要しそうだ。本作では、マッチョに見えて実は繊細で傷つきやすいヘミングウェイの姿を読むことが出来る。