James Setouchi
2025.5.1
ヘミングウェイ 『河を渡って木立の中へ』 ヴェネツィアにて。彼なりの反戦文学
Ernest Hemingway “Across The River And Into The Trees”
1 アーネスト・ヘミングウェイErnest Hemingway
1899~1961 アメリカの作家。代表作『日はまた昇る』『キリマンジャロの雪』『武器よさらば』『誰がために鐘は鳴る』『老人と海』他。ノーベル文学賞。イリノイ州生まれ、ハイスクール卒業後アメリカ赤十字社の一員として第1次大戦のイタリア戦線で傷病兵搬送に携わるが、迫撃砲で重傷。ミラノで7歳年上の看護師アグネスに出会い恋するが失恋。1921年ハドリー・リチャードストンと結婚し大戦後のパリに住みガートルード・スタイン、エズラ・パウンドに師事。1923年はじめてスペイン旅行、闘牛を見る。1925年フィッツジェラルドと知り合う。『われらの時代』。1926年ポーリーン・ファイファーと出会う。『日はまた昇る』で作家としての地位を確立。1927年『男だけの世界』。1928年フロリダ半島のキーウエストに住む。父クレランス死去(自死)。1929年『武器よさらば』刊行。この年から大恐慌。1936年スペイン内戦が勃発すると共和国政府軍に資金援助するなど積極的に行動した。1940年マーサ・ゲルホーンと結婚、キューバのハバナ近郊に住む。この年『誰がために鐘は鳴る』刊行。1944年従軍記者としてヨーロッパに渡り兵士たちから「パパ・ヘミングウェイ」と親しまれる。1946年マーサ・ウェルシュと結婚。1950年『河を渡って木立の中へ』刊行。1952年『老人と海』「ライフ」誌に掲載。1954年ノーベル文学賞。また、アフリカで飛行機事故に遭う。1961年死去(猟銃で自死)。遺作『海流のなかの島々』は1950年に脱稿していたと言われる。(新潮文庫の高見浩、集英社世界文学事典の武藤脩二の解説ほかを参照した。)
2 『河を渡って木立の中へ』〝Across The River And Into The Trees 〟
新潮文庫 高見浩訳
1950年9月刊行。作者51歳。『老人と海』の2年前の作品。解説の高見浩によると「ヘミングウェイの意気込みに反して不評だった。」そうだが・・
ヘミングウェイは意気込みを持ってこれを書いた、というので買って読んだ。この当時『海流のなかの島々』を書いており、これは面白かった。海の香りが満載の作品だ。そのため若い頃の作品(『武器よさらば』など)と違って中年に達したヘミングウェイの作も面白い、という思いも私にはあった。読んでみると、本作は、私にとってはすごくおもしろい作品というわけではなかった(後述)が、ヘミングウェイの世界ではあった。マッチョに振る舞っているが、実は傷つきやすい。高名な将軍たちへの批評を拾ってみると面白くなった。(注2を御覧下さい。)一種の反戦文学ではある。
舞台設定は第2次世界大戦後数年のヴェネチア。
(登場人物)(あまりネタバレしないように)
リチャード・キャントウェル(ディック):アメリカ軍の大佐。アメリカ人。50歳。第1次大戦ではイタリアで戦い、第2次大戦ではノルマンディー上陸、ヒュルトゲンの森の戦いに参加、負傷。准将(じゅんしょう)まで出世していたが大佐に降格されている。妻と離婚の裁判中。ヴェネチアで18歳のレナータと恋に落ちる。肉体の衰えを感じ、死を意識している。水兵二人をたたきのめす体力はある。
レナータ:ヴェネチアの名門の家柄の娘。伯爵令嬢。18歳。大変な金持ち。ディックを愛する。
船頭:鴨撃ちの猟場の船頭。なぜかディックに反感を持っている。
ジャクスン:ディックの運転手。
ダンドーロ伯爵夫人:80歳以上の老婦人。
アルヴェリート男爵:ディックの友人。若い男爵。
給仕頭:<グリッティ・ホテル>の給仕頭。ディックのかつての部下。第1次大戦時軍曹だった。長年の付き合いで、架空の「ブルサデッリ騎士団」の「団長(グラン・マエストロ)」。
アルナルド:<グリッティ・ホテル>の給仕。
エットーレ:社交場<ハリーズ・バー>の店の者。
アンドレア:<ハリーズ・バー>の客。ディックの旧友。長身。
痘痕面(あばたづら)の男:<ハリーズ・バー>の客。作家らしい。謎の人物。
(コメント)(ネタバレします)
ヒュルトゲンの森の戦いは、第2次大戦でアメリカ軍がノルマンディーに上陸(1944年6月)、パリ解放(8月)のあと、9月にベルギー・ドイツ国境で戦い、敗れた戦い。ドイツ軍の仕掛けた罠(わな)にはまり、悲惨な敗北を喫(きっ)した。ドイツ軍の死傷者は2万8千人、アメリカ軍の死傷者は3万3千人。ヘミングウェイは従軍記者としてこれを目撃していた。(高見浩の解説による。)(注1)
主人公ディックは、ヒュルトゲンの森の戦いで、上層部の命令に従い部隊を動かし、ほとんど壊滅させられた過去を持つ。「あの大隊を失ったこと、失われた個々の兵士の顔を思い浮かべると、いまでも絶望的な気分に襲われる。」「他者の命令に盲従した結果おれが全滅させてしまったんだ」「おれたちの軍隊では、上官の命令には犬のように従わなきゃならん決まりでね」とディックは語る。ディックにとって部下を多く死なせたことがトラウマになっている。かつ、現場(戦場)を知らず自分は後方の安全なところにいる分からず屋の上層部たちに対して、ディックは怒っている。
戦争の悲惨さは次の具体的な描写でも描かれる。
・GIの死体が味方のトラックに次々と轢かれ、ぺしゃんこになっていた。
・空軍が大量の白燐弾(はくりんだん)を投下し、死んでいったドイツ兵の死体を、ドイツの犬や猫が食べている。
戦争終結から数年だが、イタリアの庶民にもいまだ戦争が深く爪痕(つめあと)を残していることが描かれる。冒頭の鴨(かも)撃ち場でディック担当になったイタリア人の船頭は、なぜかディックに反発している。その謎はラスト近くで説き起こされる。連合軍のモロッコ兵部隊がイタリアに攻め込んだとき、この船頭の妻と娘に乱暴をしていたのだ。そうであるが故に船頭はディックの着ているアメリカ軍の大佐の服に憎悪(ぞうお)を感じていたのだ・・・
またダヌンツィオについては、前の方(6章)で、演説をして国民を扇動(せんどう)するがその実は「英雄的なジェスチャーを」してみせるだけの存在でしかない、と批判的に描いている。
ロンメル将軍やカスター将軍、ネイ将軍、パットン将軍、モンゴメリ将軍らへの言及もある。高名だが実際にはダメだ、といった厳しい批評もある。(注2)
これらから、本作は戦争の悲惨さ、軍隊の理不尽さ(現場を知らない上層部の間違った命令に従い人が大勢死んでいく理不尽さ)を描いた作品だと言える。これについてはよくわかるし、共感できる。
これに、ディックとレナータの恋を重ねる。ディックは50歳、レナータは18歳で、ディックはレナータを「ドーター(娘)」と呼ぶ。二人は、結婚してアメリカに住み子どもを五人持とう、などと架空の話をしながら、結婚できないことを知っている。ディックは戦傷のほかに老いを感じ心臓の病を抱えており余命が短いことを知っている。別れ(恐らくは死別)を前提とした交際をしているのだ。なれそめなどは詳しくは書いていない。レナータがディックを好きになったのは、「彼が生涯を通じて、敵の攻撃の有無にかかわらず、朝に目覚めたとき決して悲哀を覚えることがない男だから」と書いてある。レナータは父を亡くしており、感じやすく泣き虫だから、ディックのタフさを必要としたのか? が、年の差の大きすぎる交際は現代でもあるとはいえ、やはり不自然ではある。レナータは、ディックの過去の戦争体験を聞きたがる。ディックはなかなか語らないが、末尾近くで語り始める。高見浩によれば、レナータとは、ラテン語renatus(再生)を連想させる言葉で、ディックの戦争のトラウマを祓い清める「巫女(みこ)」のような役割を担わされている。本作末尾で実際にディックは死ぬ。
ディックは配下のジャクスンに、南北戦争の南軍のジャクスン将軍の最後の言葉「本隊は河を渡って木陰で休息することにしよう」という言葉を知らせる。ジャクスン将軍は(高見浩の注によると)穏やかな笑みを浮かべてこれを言ったそうだ。ディックも同じように、(高見浩が示唆(しさ)するように、)戦争のトラウマから解放され、穏やかな心境になって死んだと考えてよいのか?
ディックとレナータのデートは、ヴェネツィアのホテルや路上や運河のゴンドラで行われる。ホテルの食べ物や飲み物の描写が延々と続く。ここは、食い道楽の人には嬉しい描写かも知れないが、私には退屈だった。ヴェネツィアの町が水浸しになる、絵画の話題が多い、ヨーロッパの貴族が出てくる、などは、アメリカ人読者にとって、エキゾチックな興味を喚起すべく書き込まれているのかもしれない。
気になった点。ディックは、いつも上下関係の中にいる。中年の大佐だから大概は相手が格下で、ディックは命令口調だ。命令されるのは嫌いだ、と言いながら、相手が敬意を払ってくるのが当然だと思っている節がある。原文(英語)ではどうなっているか知らない。あえてそう訳したのかも知れない。が、ディックは上下関係の人間関係を生きる人であって、対等なヨコ関係が乏しいと感じる。この点ジョイス『ダブリンの市民』『ユリシーズ』やヘンリー・ミラー『ネクサス』などの市民同士の対等なヨコ関係とは異なる。ヘミングウェイは、軍隊生活の長かったディックの傾向として意図的にそう書き込んでいるのか。ディックは、戦争が終わってなお、軍隊用語でものを言う。「騎士団」という架空の団体を仲間と作って上下関係・命令系統を楽しんでいる。それを作ったのは「戦争で私腹を肥やす連中を心底憎むが故に」と7章にあるが、それなら「騎士団」にせず「友愛会」のような名称にしてもいいはずだ。軍隊の気質が染みついているのだ。
<ハリーズ・バー>に出てくる痘痕面(あばたづら)の男が何ものなのか、最後までわからなかった。もしかしたらヘミングウェイ自身をそこに登場させたのか?
注1 従軍記者と言えば正岡子規は日清戦争で従軍記者となり、病を得て早世した。もし彼が病に倒れていなかったら、日露戦争や第1次大戦でも従軍記者をして、戦記文学を書いていただろうか? それはどこまで反戦的たり得ただろうか?
注2 モンゴメリー将軍:イギリスの軍人。第2次大戦時北アフリカでロンメル将軍を破る。ヨーロッパ戦線でも連合軍を率いる。ディックは、圧倒的に戦力差があれば勝つのは当然、と批評する。
パットン将軍:アメリカの軍人。第2次大戦時勇猛果敢で有名。ディックは、パットンを嘘つきだと批評する。
ロンメル将軍:ドイツの軍人。ディックは、第1次大戦時ロンメル(当時大尉)と戦い、戦後交遊した。実にいい奴だった、と言っている。ディックはドイツの軍人は敵ではあるが、すべて絶対悪とは見ていない。
アイゼンハワー将軍:第2次大戦の連合国遠征軍最高司令官。のち大統領。ディックは、彼を「エプワース・リーグを地でいってる男だよ。そう言っては少々酷かもしれんが。・・優れた政略家でもある。政治的な将軍と言っていいだろう。その限りにおいては、とても有能な人物だ」と批評する。ここで「エプワース・リーグ」とは、メソジストのグループで、18~35歳で構成される。エプワースとは、ジョン&チャールズ・ウェスレー兄弟の生誕の地であるイギリスのリンカンシャーにある村の名前。メソジストはイギリス国教会から分かれた、プロテスタントの一派。そのメソジストの、若者の団体がエプワース・リーグだ。(だが、ここでディックがどういうつもりでこれを言っているのかは、さらに一考を要しそうだ。ディックはラスト辺りでキリスト教徒になろうか、と言っており、この段階ではキリスト教信仰を持っていないことが分かる。また、12章で戦争の最高司令部(SHAEF)・政治的軍人どもに対する不信を口にしている。)
ルクレール:フランスの軍人。パリ入城を果たす。ディックは、「第三級か四級の阿呆者」「このルクレールはパリ解放に際して、いかにも大作戦を遂行しているかのように見せかけるため、大量の弾丸をぶっ放したもんだ。・・しかし、あれは大作戦なんてもんじゃなかったよ」と批評する。
ネイ将軍:ナポレオンの側近。一時ルイ18世に従うが、再びナポレオンに従いワーテルローで敗れ、ルイ18世に処刑された。レナータのネイ将軍を尊敬する発言に対して、ディックは「たいした戦績を残したわけじゃないさ、ネイは。」「ネイは人の見分けがつかなくなったんだ。」「モスクワから撤退(てったい)する際、後衛戦を一手に引き受けたのがたたったんだな」「知将中の知将でなければな」と批評する。これはレナータに対する強がりとも解釈できるが、退却戦(負け戦)の困難を知るディックならではの発言とも言える。
カスター将軍:南北戦争の北軍の騎兵旅団の軍人。また、スー族などの大軍に対し突撃して戦死した。ディックは「決定的な過ちを犯した」「哀れな騎兵だった」と見ている。
ピート・ケサーダ:アメリカ空軍の軍人。地上戦闘部隊を爆撃機で擁護(ようご)するためにレーダーや無線機の装備を提唱した。ディックは、アメリカ空軍が味方を誤爆したことを残念に思っており、味方への誤爆を防ぐためにピート・ケサーダのような見識が欲しいと評価する。
ジャクスン将軍:南北戦争の南軍の軍人。リー将軍の右腕。瀕死(ひんし)の床(とこ)で最後は穏やかな笑みを浮かべて静かな口調で「河を渡って木陰で休息しよう」と言った、と高見浩は注をつける。これは「撃ち方やめ」「休戦」ということではないか?
・・・ほかにもある。これらから、ディックが、①有名な将軍たちについて、巷間(こうかん)言われていること(レナータは聞きかじりでそれを知っている)とは戦場の実際は違う、②戦場では勇気だけではなく知恵・見識が必要だ、という視点を持っていることがわかる。また本作では有名な将軍ではなく無名の兵士たちや民間人の犠牲についても書き込んでいる。有名な元帥(げんすい)や司令長官の戦いという形で戦記を語りたがる人びとがいるが、とんでもない話で、多くの無名の兵や非戦闘員の大量死について語らなければ戦争の真実とは言えない。日本海海戦でも対馬海峡に沈んだ無数のロシア人たちについて語れなければ真実の戦史とは言えない。大岡昇平の『レイテ戦記』を見よ。無名兵士たちについて調べ上げて書いている。ヘミングウェイの本作は、無名兵士の大量死をもたらした戦争指導部や高名な将軍たちへの批判を多く書きこんでいる。また、ダヌンツイオら戦争を煽る連中への批判を書き込んでいる。(どこかでいつも暴力への志向(嗜好)(喧嘩や鴨撃ちなど)があるとはいえ)、ヘミングウェイなりの反戦文学の一つと言っていいだろう。ヘミングウェイは、完全な(クエーカー教徒のような)非戦・非暴力・平和主義者ではないようだが、自身が参加し見聞した戦争のトラウマから、反戦的な気持ちを持ってはいた、ということだろう。ノーマン・メイラー『裸者と死者』は1948年。ヘミングウェイ『河を渡って木立の中へ』は1950年。
但し、本作には軍産複合体への論及はあまりない。「戦争で私腹を肥やす連中」がいる、とは書いているが、斬り込みが弱い。アメリカではそこはタブーなのだろうか? アイゼンハワーは、軍産複合体を作らせてはいけない、と言ったので有名だが。
また、柳沢 秀郎「Ernest Hemingway and East Asia: Japanese and Chinese Influences on His Writings (アーネスト・ヘミングウェイと東アジア―日本と中国が作家と作品に与えた影響)」は、「ヒロシマ・ナガサキはハードボイルド・スタイルを駆使して彼が好んで描いた人間の死を戦場もろとも奪い、結果的にヘミングウェイを戦争から遠ざけることになる。ヒロシマ・ナガサキは戦後のヘミングウェイが戦場小説ではなく冷戦小説を書かざるを得なかった要因の一つであり、その意味で『河を渡って木立の中へ』はヘミングウェイ自身にとっての「戦場喪失の追悼」の物語なのである。」(名古屋大の博士論文要旨、2016年9月)としており、参考になる。