James Setouchi
2025.4.25
吉田裕『日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実』中公新書2017年
1 吉田裕 1954~東京教育大文学部卒。一橋大学大学院を経て社会学部教授、大学院社会学研究科教授。専攻は日本近現代軍事史、日本近現代政治史。著書『昭和天皇の終戦史』『日本人の戦争観』『アジア・太平洋戦争』『兵士たちの戦後史』『現代歴史学と軍事史研究』など。
2 『日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実』中公新書2017年
必読。アジア・太平洋戦争(太平洋戦線だけでなく中国大陸・東南アジア戦線も視野に入れた呼び方)における日本軍兵士の現実を描いている。少し前までは実際に戦地にいた旧日本軍兵士が、それぞれの体験談を語ってくれたが、今やそういう方々も鬼籍に入り、生き残って語って下さる方々は少なくなった。この書は、実際に兵隊たちの生活が戦場でどうであったかを書き置いている。しかも一地域・一部隊だけでなく、全体を視野に収めて描いている。これが戦争の(旧日本軍の軍隊生活の)実態だ、ということを知るためには、必読。高校生くらいから読める。関心のある人なら中学生でも読めるだろう。
目次は次の通り。
はじめに
序章 アジア・太平洋戦争の長期化
第1章 死にゆく兵士たちー絶望的抗戦期の実態Ⅰ
第2章 身体から見た戦争―絶望的抗戦期の実態Ⅱ
第3章 無残な死、その歴史的背景
終章 深く刻まれた「戦争の傷跡」
あとがき
こうなっている。是非全文を読んで頂きたいが、いくつか紹介しよう。
・全戦没者310万人の中で、1944年以降の戦没者が閉める割合は91%。政府、軍部、昭和天皇を中心とした宮中グループの戦争終結決意が遅れたため、このような悲劇がもたらされた。(26頁)
・米軍の戦死者は10万人弱、ソ連軍の戦死者は張鼓峰事件、ノモンハン事件、対日参戦以降の戦死者が2.6万人、英軍が3万人、オランダ軍が民間人も含めて2.8万人。アジアは正確な統計がなく推定だが、中国軍と中国民衆の死者が1000万人以上、朝鮮の死者が20万人、フィリピンが111万人、台湾が3万人、マレーシア・シンガポールが10万人、その他ベトナム。インドネシアなどを合わせて、アジアの死者は1900万人以上。日本軍が戦った戦争の最大の犠牲者はアジアの民衆だった。(24頁)
・日本軍兵士たちは、実は戦病死者が異常に多い。1941年の時点で、戦死者(戦闘による死者)は1万2498人、戦病死者は1万2713人。戦病死が50%超。(29頁)
・何しろ餓死が多い。藤原彰の研究によれば餓死と栄養失調によるマラリア感染による広義の餓死者の合計は140万人で全体の61%。秦郁彦の推定では37%。(31頁)
・それは、深刻な食糧不足のためだ。(32頁)
・食糧不足、心身の疲労、ストレス、不安、緊張、恐怖などによりホメオスタシスが変調をきたし、食欲機能が失われ摂食障害を起こす。つまり戦争栄養失調について、実は拒食症になっていた。(41頁)
・大量の海没死もある。陸海軍の軍人・軍属を合わせて35万8千人。(42頁)米軍の潜水艦に魚雷で待ち伏せされたのだ。(43頁)漂流中に取りすがるボートや筏を奪い合い、将校が兵の腕を斬り落とす例も。(47頁)海上漂流中、爆発に遭遇、肛門からの水圧で内部から腸壁が数カ所で破れ(水中爆傷)、激痛を訴えて号泣しながら死んだ例も多数。(49頁)
・自殺(自決)は非常に多い。1938年の論説では、軍人・軍属(ぐんぞく)10万人に対し自殺30人強の割合。古参兵による私的制裁によるものも多かった。(59頁)自殺の原因を本人のせいにしてしまい、軍隊生活の改善をはかる発想は乏しかった。(60頁)
・日本軍兵士が傷病兵を殺害したケースも多い。(65頁)1939年のノモンハン事件で陸軍は、捕虜になった者について、自決すれば戦死と見なす、自決しない者は軍法会議で敵前逃亡罪を適用した。(66頁)1940年改定の「作戦要務令第三部」では傷病兵に自殺を促すか殺害することを暗示。1941年の「戦陣訓」では生きて捕虜になることを禁じた。(67~68頁)ガダルカナル島では動けない傷病兵を殺害した。(69頁)アッツ島でもインパール作戦でも(71~72頁)。(→JS:日本軍兵士が日本軍兵士を殺す! これが皇軍の実態だった。内実を知らずに観念論で理想化して語ってはならない。)
・戦意を失い自傷する者も増えたが厳重注意して前線に送り返した。追い詰められた兵士たちの精神的ケアという発想は全くなかった。(76~77頁)
・食糧その他が不足し餓死しそうであるので、兵士たちは強盗となり味方を襲った。(78頁)人肉食もあった(79頁)
・食糧を求めて離隊した兵士を逃亡兵として扱い、軍法会議にかけず射殺したケースも少なくない。(80頁)
・根こそぎ動員によって、年長者、体格の小さい者、病気の者、知的しょう害のある者なども動員。体力の劣る者は結核になった。(93頁)
・歯磨きもできないので口腔(こうくう)衛生は非常に悪く、虫歯だらけ。(95頁)(→JS:今日では、口腔衛生と全身の健康との因果関係が言われている。口腔衛生が悪かったことで全身も弱ったのではないか?)
・昼は戦闘、夜は古参兵による私的制裁があり、身心の休まる暇がなかった。本当は軍隊生活の欠陥を根本的に改善すべきだったが、軍は着手しなかった。結核患者にたいする方針は結局は「排除」だった。(100~101頁)
・軍需工場でも熟練労働者を兵に取られたくなかったので、召集解除を目指し入営時のレントゲン検査でごまかしをした。(103頁)
・俘虜(ふりょ)を刺突(しとつ)する訓練をした。貧血で倒れる者、吐く者もあった。非人間的な訓練や戦闘を通じて「戦場馴れ」させられていった。(110頁)(→JS:そのへんの気のいいおじさんが殺人マシンに変容させられるのだから恐ろしい。)
・戦争神経症になる者が増えた。還送戦病患者中に占める精神疾患患者の割合は、1944年には22%以上。(112頁)発症の原因は、戦闘行動での恐怖・不安、戦闘行動での疲労、軍隊生活への不適応、軍隊生活での私的制裁、軍事行動に対する自責感、加害行為に対する罪責感などなど。(113頁)
・しかし軍は神経症を直視せず、「疲労問題」として見た。「疲労回復」のために覚醒剤ヒロポンを多用した。副作用もあるのに。(117頁)
・休暇制度も整備されていなかった。欧米諸国では、前線で戦闘に従事した兵士たちを、後方に下げて休養を取らせる休暇制度が整備されていたが、日本軍は戦地の動員部隊兵員には陸軍軍人休暇令による休暇すら認められなかった。(124~125頁)(→JS:レマルク『西部戦線異状なし』を読むと、第1次大戦時のドイツ軍兵士は、前線で戦闘する→後方で休憩する→再び前線で戦闘する→再び後方へ、と交替で前線に行く様子が書いてある。)
・被服や靴も劣悪だった。皇軍とは言えないありさまだった。靴は直(す)ぐ壊れ、裸足の者も多かった。(125~130、196頁)(→大岡昇平『靴の話』読むべし。靴がないとジャングルや石ゴロゴロの所は行軍できない。当たり前だ。)
・飯盒(はんごう)や水筒は大事だがそれも不足した。盗難事件が多発。(132頁)(→JS:物資も窮乏(きゅうぼう)した。輸送船団が沈められたからでもあるが、内地でも物資がなかった。家庭の金属類は供出(きょうしゅつ)。ピアノ線やお寺の釣り鐘まで供出した。誰でも知っていることだ。)
・日本陸海軍の軍事思想の特徴は
⑴短期決戦主義で、長期にわたる消耗戦(しょうもうせん)を戦い抜く思想に乏しかった。(138頁)
⑵作戦至上主義で、補給、情報、衛星、防禦、海上護衛などが軽視された。そのため現地徴発(ちょうはつ)、実際には民衆からの略奪が横行(おうこう)した。(139頁)
⑶極端な精神主義(銃剣突撃主義も含む)で、例えばサブマシンガンの開発を怠ったので、密林で極めて不利だった。(141頁)(→JS:確かに、密林での接近戦では、マシンガンの方が日本刀よりは強いだろう・・)
・軍事思想の教条化は、連合軍の戦力の過小評価に繋(つな)がった。(142頁)陸軍はロシア・ソ連を仮想敵国としており、対中国戦や対英米戦の研究が遅れていた。(114頁)
・戦車同士では米軍にかなわないと知ると、爆薬を抱いた兵士による体当たり攻撃を唱えた。(150頁)「国家自体が体当たりを必要とする時代」と言う者もあった。(151頁)(→JS:日本兵がバンザイ突撃してくるところをマシンガンでバンバン撃って全滅させる、実に簡単だった、と米兵が言っていた。ううむ・・・)
・戦争の終結、という選択肢を陸海軍首脳部は持ち得ず、「肉攻」「特攻」にのめり込んでいく。(156頁)
・明治憲法体制そのものに根本的欠陥があった。(156頁)
⑴「統帥権の独立」。統帥(とうすい)権は大元帥(だいげんすい)としての天皇に属し、内閣や議会の関与を許さないとした。統帥権の行使を補佐するのが陸軍参謀長、海軍軍令部総長だった。(156~157頁)
⑵国家諸機関の分立制。内閣総理大臣は国務各大臣に対して命令する権限を持たなかった。陸海軍も一枚岩ではなかった。陸軍省、海軍省の対立の上に、そこから独立に参謀本部と軍令部があった。内閣に対して枢密院(すうみついん)が、衆議院に対して貴族院があった。さらに内大臣や侍従長(じじゅうちょう)が天皇の側近グループとして影響力を持った。(161~162頁)戦局が絶望的になっても戦争終結を決断できず多くの兵士と民間人が無残な死を遂げていったのは、明治憲法体制そのものの根本的欠陥のためだ。(164頁)(→JS:独裁は不可。司法立法行政の三権分立くらいはしておかないといけない。明治憲法下では、選挙で選んだ内閣を枢密院や貴族院が抑え、さらに軍はそれから独立して暴走、という形になったのだろう。)
・軍内改革は挫折し、「日本精神」がことさらに強調され、上官の命令には絶対服従、そこで私的制裁が横行し、自殺や脱走の大きな原因となった。(166頁)(→JS:どこかの大学運動部や高校運動部で、上級生や監督の命令に絶対服従とか、やっていたな・・・ブラックなパワハラ体質はやめないといけない。)
・果ては逃亡や奔敵(ほんてき=敵への逃亡)も深刻化した。(171頁)
・「浅草興業界の顔役」で前科五犯の古参兵がボスになり幹部を威圧、暴行・傷害・威圧行為を繰返した例も。(173頁)(→JS:要するに、ヤクザの親分のような人がいると軍紀も何もなくなるということだ。まじめにやっている兵隊さんがひどい目に遭うシステムはやっぱりダメだ。)
・農村の労働力、工場の労働力も不足、兵力と競合した。(175頁)兵力不足のため朝鮮人、台湾人を「志願」させやがて徴兵した。(175頁)女性を労働力として動員した(176頁)。戦争未亡人は再婚を勧めず独身を通すよう勧められた。「家」制度に女性を縛り付けておこうとの発想からだ。(176~177頁)英米やソ連では女性部隊があったが、日本では女子通信隊はあったが女性部隊はなかった。(177頁)
・少年兵は沢山使った。海軍特別少年兵では、実戦に参加した第一期3200人中2000人戦死、第二期生3700人中1200人戦死。15~16歳の少年だった。(179頁)少年船員制度ではわずか3ヶ月の教育期間で4万人の少年を養成したが、あまりにもたよりなかった。15歳前後だった。(180頁)
・機械化も立ち後れた。輸送に軍馬を使ったが、馬は暑さに弱い。結局人間が機関銃も大砲も引くことになる。(182頁)国産車は当時性能が悪かった。悪路でたちまち立ち往生した。(183頁)
・歩兵は悲惨だった。体重の50%以上もの武器装具を背負って歩き、体力を消耗した。(185%)1944年のインパール作戦では40キロ以上を背負って歩いた、擲弾筒手や軽機関銃手は50キロは担いでいたろうとの回想がある。(187頁)行軍により体力・気力・戦意を消耗した。(188頁)
・飛行場や道路の造成も、機械化と物資にまさる米軍は早かったが、日本軍は人力主体で、遅かった(188~189頁)(→JS:その通り。スコップで掘る日本軍は遅い。機械で掘る米軍は早い。米軍が先に飛行場を作り、爆撃をしてくる。制空権がたやすくアメリカに渡るはずだ。つまり戦争は機械力、それを支える産業力、資源、労働力などなど、総合的な力に支えられている。敢闘精神だけではダメだし、兵器だけでもダメだ。)
・無線電話の開発が遅れ、有線を使っていたので、回路が切断されるとたちまち命令系統や情報収集がだめになった。(192頁)
・戦後もマラリアの再発、水虫の重症化、ヒロポン由来の覚醒剤中毒などで苦しむ人が多かった。(200~208頁)(→JS:戦後も久しく「傷痍(しょうい)軍人さん」が「私たちは傷痍軍人です」と旗を立てて駅の近くで寄付を募っていた。また、データ化されていないだろうが、一家の大黒柱を失い十分な栄養と教育を受けられず子、孫やひ孫の世代にまで苦しみが継続した家庭も多かったはずだ。)
・最近の「日本礼讃本」ブームなどで、ペリュリュー島で日本軍は強かった、米軍と互角に戦った、などと語りたい人がいるようだが、ペリュリュー島での日本軍の戦死者は1万人、米軍の戦死者は2000人である。(211頁)
・戦場の悲惨な現実を直視する必要がある。「死の現場」(金子兜太、トラック諸島で従軍)である。
→JS:米軍は兵士へのケアがあった。日本軍は兵士を使い捨てた。ノーマン・メイラー『裸者と死者』を読むと米軍でも上官が私的な好悪で兵を死地に追いやるシーンが出てくるが、日本軍はもっとひどかった。日本軍では死ねと教え、「貴様、まだ生きておるのか」と冷たく言い放ち、実際に自軍の兵を殺害した。私的制裁(いじめ、リンチ)も横行。これは恐ろしい。しかも参謀や高級軍人は戦後も生き延びる。さらに、彼らの背後に、財閥や政治家がいる。戦争や軍隊では「天皇陛下の赤子(せきし)」として国民全員が平等、なのではなかった。使い捨てられる者と、ぬけぬけと生き延び、それどころか私腹を肥やす者とが、いる。これが戦争の実態だし、軍隊の実態だ。
戦後平和になって、江戸家猫八という声帯模写の名人が、兵営ラッパのもの悲しい曲に歌詞をつけて次のように歌っていた。
「兵隊さんは かーわいそうだねー 夜寝て泣くんだね-」
聴衆はしんみりしたものだ。どの聴衆も、身内が兵隊に取られて辛い思いをした記憶がそれぞれに間近にあるからだ・・・
今の自衛隊(厳密には自衛隊であって軍隊ではない)は旧日本軍への反省の上に立っているはずだが、いざとなると分からない。いくら高価な代金を払って最新式の装備を備えても、それを支える国民の経済力(食糧、物資、資源、労働力などなど)がなければどうしようもない。それらが枯渇(こかつ)した場合、どうなることか。軍隊が私的略奪集団(山賊や海賊)に成り果てる例は歴史上多数ある。そこまで見据(みす)えておくべきだ。
しかも日本は食糧もエネルギーも乏しい。若者の数も少ない。「武装至上主義」で軍拡を進め重税となり国民生活を圧迫すればすべてが立ちゆかなくなる。これがリアリズムである。軍拡しさえすればいい、何を措(お)いても軍拡だ、などと声高に言うのは、リアリズムを欠いた、夢想主義・空想主義の単なる観念論である。(理想主義とは言わない。ロマンシチズムという言葉を謹呈するのも惜しいので、夢想主義・空想主義の単なる観念論と言っておこう。)もしくは武器産業と結託(けったく)して一般国民からむしり取ろうとする輩(やから)である。彼らは夢を見ている(空想に耽(ふけ)っている)か、厚顔(こうがん)にも嘘をついているかどちらかである。戦前戦中にあったことを思い出すべきだ。どうですか?
「ぜいたくは敵だ」「日本人なら、ぜいたくは出来ない筈(はず)だ!」「欲しがりません勝つまでは」「欲しがりません、どこまでも・・勝っても欲しがってはいけないと思います。欲しがるのは米英の思想です」(ある人の投書。三國一朗『戦中用語集』で紹介されている。)「パーマネントはやめましょう」
吉田裕『日本軍兵士』を、是非お読み下さい。続刊も出ています。2025.4.25
(薦める本)(以下の本を全てお読み下さい。ほかにも沢山あります)
半藤一利「ノモンハンの夏」「ソ連が満洲に侵攻した夏」、藤原てい「流れる星は生きている」、高杉一郎「極光のかげで」、共同通信社社会部「沈黙のファイル」、森村誠一「悪魔の飽食」(角川文庫で3冊)、常石敬一「医学者たちの組織犯罪」、安岡章太郎「遁走」、宇佐美まこと「羊は安らかに草を食み」、「南京大虐殺否定論13のウソ」、偕行社「南京戦史」、本多勝一「南京への道」、石川達三「生きている兵隊」、竹山道雄「ビルマの竪琴」、ノーマン・メイラー「裸者と死者」、大岡昇平「野火(のび)」「レイテ戦記」「俘虜記」、今日出海「山中放浪」、吉田満「戦艦大和ノ最期」、早坂暁(はやさかあきら)「戦艦大和日記」、「きけわだつみのこえ」、城山三郎「指揮官たちの特攻」、鴻上尚史「不死身の特攻兵」、裴淵弘「朝鮮人特攻隊」、島尾敏雄「魚雷艇学生」、遠藤周作「海と毒薬」、大江健三郎「沖縄ノート」、沖縄タイムス社「鉄の暴風」、小林照幸「ひめゆり 沖縄からのメッセージ」、曽野綾子「生贄(いけにえ)の島」、謝花直美「証言 沖縄「集団自決」―慶良間諸島で何が起きたか」、大田昌秀「沖縄 戦争と平和」、井伏鱒二(いぶせますじ)「黒い雨」、原民喜(はらたみき)「夏の花」、梯(かけはし)久美子「原民喜」、大江健三郎「ヒロシマ・ノート」、永井隆「長崎の鐘」「原子雲の下に生きて」、坂口安吾(あんご)「白痴」、野坂昭如「火垂るの墓」、高史明(コ・サミョン)「生きることの意味」、帚木蓬生(ははきぎほうせい)「三たびの海峡」、朝日新聞社「朝日新聞への手紙 戦争体験」、吉田裕「アジア・太平洋戦争」「日本軍兵士」、保阪正康「あの戦争は何だったのか」、NHK取材班「太平洋戦争 日本の敗因」シリーズ全6巻、色川大吉編「近代日本の戦争」、田原総一郎「日本の戦争」、大内信也「帝国主義日本にNOと言った軍人 水野広徳」、三國一朗「戦中用語集」