James Setouchi

2025.4.15

 

大田昌秀『沖縄 戦争と平和』朝日文庫1996年(もとは1982年)

     有益。良書である。

 

1 大田昌秀(1925年~2017年)

 沖縄県生まれ。沖縄師範学校在学中に鉄血勤皇隊の一員として沖縄戦に動員される。戦後、早稲田大学卒業後、米国シラキュース大学大学院修了、琉球大学法文学部教授、学部長などを歴任する傍ら、ハワイ大学、アリゾナ州立大学などで教授・研究。専攻は広報学・社会学。1990年~98年沖縄県知事。2001年~07年参議院議員(社会民主党、比例区)。2013年沖縄国際平和研究所を設立。著書『沖縄の民衆意識』『醜い日本人』『近代沖縄の政治構造』『沖縄のこころ』『総史 沖縄戦』『鉄血勤皇隊』など多数。

 

2 大田昌秀『沖縄 戦争と平和』朝日文庫1996年(もとは1982年)

 琉球王国の平和な時代から説き起こしている。未来をも展望する。良書。もとは1982(昭和57)年に出たが朝日文庫版で1996(平成8)年に出た。西澤潤一の解説が付いている。正しくはお読みいただくとして、いくつかのみコメントする。

 

・ユネスコ憲章全文では、政府間の取り決めのみに基づく平和だけでは不十分だ、平和は、人類の知的及び精神的連帯の上に築かれねばならない、とする。(17頁)

 

・日本国憲法前文でも、政府の行為によって戦争の惨禍が起らないように、平和を愛する諸国民の公正と信義とに信頼するのだ、と書いてある。(18頁)

 

・ところが防衛白書では、国家の危急に際し身を挺(てい)してを守る・・などと書いてあるとは。(18頁)

 

・スウエーデンでは3カ年分の食糧が常時貯蔵されていると言われる。800万人口の半分が収容できる水爆防空壕が作られている。人口20万人以上の都市で一戸に二世帯以上居住する場合には家庭防空壕設置の義務も法律で義務づけていると言われる。平壌にも100万市民が1時間以内に対比で気宇防空壕があるそうだ。(19頁)日本の軍備増強論を声高に説く政府や一部財界人の防衛構想では、国家の防衛のみを考え、国民の防衛については論外にしている。(20頁)

 

・日本は島国で、国内が戦場となると、住民をどう誘導し安全を確保するかが大事だが、陸自幹部学校の校長や与党の議員の一人はそんなことは視野に入っていなかった。(21頁)

 

・・・国家国民は違う。軍隊は果たして国民生活を守るのか? 戦前の日本軍は、沖縄の住民をいかに避難させるかについてあまり考えていなかった。かえって、軍官民共生共死思想をとなえ、その実、住民を食糧の供給源として収奪したり住民をスパイとみなして殺害したりした。国民生活を守るどころか国民をひどい目に遭わせたのが事実だ。満州でも関東軍が民衆(満蒙開拓団の人など)をほったらかして逃げたのは有名だ。残されたは大変な辛酸(しんさん)を舐(な)めた。戦前の日本軍は「国体」なるものを守ると称して、国民生活を大いに破壊した。軍隊(戦争)は、政体と、国民生活と、どちらを守るためにあるのだろうか? いや、軍隊は軍隊自身しか守らない(かもしれない)。食糧を国民(住民)から収奪して飢餓に追い込んだ例が本書にも書いてあるが、フィリピンなど南方戦線や日本列島全体でもそれはあった。これでは「国民を守る」どころではない。軍隊が不人気なのはこれにもよる。自衛隊が災害対策で貢献して感謝されているのとは別問題。戦争になり食糧を収奪しあるいは防衛拠点にするからと家や土地を取ってしまうなら、それは人気がなくなるだろう。(それに旧軍隊内部のいじめ・シゴキは記憶に生々しい。ああ、若い人は知らないか。上級兵が初年兵を深夜に整列させて長靴の底で殴るんだよ。軍隊内部ってのは非人間的なものなんだ。ノーマン・メイラーの『裸者と死者』ではアメリカ軍の将校がヒラの兵隊を憎んで冷酷な命令を下す話が出ている。上官は権力を使って無謀な命令を下し下の者を殺すこともできる。恐ろしい組織だ。)(JS)

 

・琉球は、統一王朝時代には、平和な島だった。武器を持たなかった。「さつりく」にあたる言葉が『おもろそうし』にはない。イギリスのバジル・ホール大佐が1816年に琉球を訪れ、その航海記を1818年に出版。そこには、琉球には武器がない、と書いてある。バジル・ホール大佐は、セント・ヘレナ島のナポレオンにこのことを伝え、驚かせた。やがて薩摩が、琉球人が外国人と接触するのを禁じた。それよりあとに琉球を訪れたアメリカのペリー提督やイギリス人宣教師ベッテルハイムは、バジル・ホールとは違った認識を持った。(27~30頁)

 

・琉球は、三国の抗争の時代には戦争をしていたが、1400年代初めに統一王朝ができてからは、平和な島となった。尚真王(1465~1526)は国内からあらゆる武器を撤廃して平和を旨とした政治を行った(31頁)。殉死も禁止した(36頁)。オナリ神を神女の最高の地位の「聞得大君」に任命して神女組織を確立した(36頁)。・・・沖縄の人が平和な民として暮らしたのがよくわかる。(JS)

 

・五代目の尚泰久王は1458年の「万国津梁(しんりょう)の鐘銘」には「舟楫(しゅうしゅう)をもって万国の津梁となし、異産至宝は十方刹(じっぽうせつ)に充満す」云々とあり、舟で交易して万国と交易して富み栄える、という大らかで闊達(かったつ)な気概が見られる(37頁)。

 

・1609年に薩摩の侵攻を受け、以来支配下に置かれる。明治以降は沖縄県になり、日本軍が常駐することになってしまった。琉球・沖縄のサイドの人たちは、反論し、「琉球ハ南海ニ僻在シタル僅(わず)カニ周囲百余里ノ小島ニテ従来兵ヲ備ヘズ礼儀ヲ以テ維持ノ道ヲ立・・」(46頁)、「夫(そ)レ琉球ハ南海ノ一孤島ニシテ如何(いか)ナル兵備ヲナシ如何ナル方策ヲ設クルトモ以テ他ノ敵国外患ニ当ルベキ力ナシ」「此(こ)ノ小国ニシテ兵アリ力アル形ヲ示サバ却テ求メテ敵国外患ヲ招クノ基トナリ国遂ニ危シ」「寧(むし)ロ兵ナク力ナク惟(ただ)礼儀従順ヲ以テ外ニ対シ所謂(いわゆる)柔能制剛ヲ以テ国ヲ保ツニ如(し)カズ」(48頁)などと反論した。(読みやすいように一部濁点をつけるなどした。)

 

・明治以降の皇民化教育徴兵令(1898)、「方言撲滅運動」などもあった。(55~59頁)・・・方言撲滅運動では東北弁などもターゲットにされた。九州弁や関西弁に対してはどうだったのだろうか? 鹿児島弁や長崎弁も聞きにくい。東京の山の手言葉をベースとするいわゆる「標準語」を基本とするならば、大阪弁も奈良弁も京都弁も「方言」にほかならないはずだが・・?(JS)

 

各市町村に神社を建立させ各家々に「神宮大麻」を普及させた(65頁)。若者を満州やサイパンへ送り出した(移住や出稼ぎ)結果沖縄の労働力が減少した(66、70頁)。

 

・与那国出身の大舛(おおます)中尉がガダルカナル島で戦死すると「軍神」とされ「軍神大舛大尉(戦死して昇進)に続け」と喧伝された。(69頁)

 

沖縄戦は本土決戦を遅らせるための「捨て石」作戦でしかなかった。(73頁)

 

最精鋭の「武部隊」が台湾に引き抜かれた(75頁)。

 

・渡辺正夫司令官は、もし敵が来襲したら「地元住民は軍と共に玉砕するのだ」などと講演などで広言した(83頁)。

 

・守備軍首脳は、米軍が来たら、農民も、ナタでもクワでも竹槍でも持ち夜間斬り込みからゲリラ攻撃にいたるまであらゆる手段を尽くして敵軍を撃滅せよ、と指示を出すようになった(88頁)。

 

・米軍は延べ54万8千人の兵力で沖縄に来た。日本軍は現地動員の防衛隊員や学徒隊員も合せて11万6千人あった。なお当時の沖縄の人口は45万人だった。(90頁)

 

・慶良間諸島では「集団自決」があった。これについて某作家は「集団発狂」だと言ったが、そうした論理化や見方だけではこの以上事件は解明されない。本土でも起こりうるが、さらに沖縄の歴史的背景や政治的要素が加味されているように思う(101頁)。絶望的状況は半ば人為的なものだった(102頁)。この作家は「軍の意識の中には、民の存在は極めて希薄であったろう」とするが、この指摘は、今流行の自衛隊の論理、防衛力増強の論理を批判し否定する上で有効性を持ちうる限り的を得ている(104頁)。が、この作家が「最も残忍なのは米軍であろう」と説くとき、これは疑問だ。実は米軍は、非戦闘員の安全保護について、周到な準備をしていた。軍政要員、語学兵を養成し、沖縄の方言ができる者には老人たちの世話を見させる配慮までしていた。生活必需物資や医薬品を配備し戦場へ持ち込んだ。米軍が沖縄本島へ上陸してから1ヶ月間で、12万6千人の地元住民が保護・管理された。沖縄戦では、現地守備軍ではなく、逆に敵兵に命を助けられた住民の数が非常に多かった。(104~106頁)

・・・「ある作家」とは曽野綾子だ。私は曽野綾子を少し読んだ。ここは大田昌秀の言うとおりだろう。日本軍は住民を守らなかったが、アメリカ軍は住民を助けた。(JS)

 

戦場を経験した住民の言葉を多く採録してあるが、ここでは略。ナマの声をお読みください。なお、「集団自決」や「ひめゆり」について殉国を美化するのは不可。「戦場に死なれた方のお蔭で今の平和がある」という言い方も誤解を招く。「だから若いお前らも戦場で死ね」となってしまうからだ。「戦場で死なれた方」は誤った国策の犠牲になった、と見るべきだ。「国家の方が国民一人一人より重い、国民国家のために死ぬべきだ」という思想が悲劇を生むのだ。戦争に勝利者も敗者もない。むしろ全員が敗者なのだ。(JS)

 

「友軍」による住民虐殺も多くあった。久米島では米軍に捕らえられ「日本兵の命を救う勇気のあるものはいないか」との呼びかけに応え勇気を持って立ち上がったAさん(郵便局員)は、日本兵によって殺害された。8月15日以降もNさん一家やTさん一家が日本兵によって惨殺された。(123~129頁)

 

・石垣島ではアメリカの爆撃機が不時着、乗組員を警備隊が処刑した。これが1947年以降関係者の一斉逮捕につながり、第一審では被告46人中死刑41人などとなった。対して、沖縄で急遽入隊させられた現地召集兵たちについて、沖縄連盟会長の中原善忠が嘆願書を出した。結果多くが減刑された。その嘆願書では、「沖縄人は古来平和的な民族」「可憐な青年たちは自分の意志に反し脅迫に近い命令で行動した」「東京裁判の被告たちは自己防衛に努める機会と時間があろうが、この可憐な被告たちはそれもできない」などなどと書いた。・(133~144頁)・・・すばらしい嘆願書なのでぜひお読みください。(JS)

 

・やはり軍国主義教育に非常な問題があった(144~146頁)・・・「本土」でも戦時は旧制中学生も高等女学校の生徒も勤労動員で工場の寄宿舎に寝泊まりして武器弾薬を作っていた。英語や中国の歴史など習わなかった。イザナギ・イザナミ二神から歴史を説き起こし、石器時代があったことを教えなかった。エリートには石器時代を教えた。大学研究の最前線と末端の教育とが分裂していた。一般国民と兵隊はモノを知らなくていいという発想だ。愚民化政策だ。対して陸軍士官学校や海軍兵学校では給料が出て英語も学べた。敗戦を見越していたということだ。敗戦で退職金が出たという。それを聞いた或る旧制中学出身者は怒っていた。(JS)

 

沖縄戦の教訓として、(1)対住民政策の欠落(2)守備軍の住民に対する不信感(3)「国士隊」(地元で、軍部や官憲にすすんで忠義立てした人びと。住民を反戦的だなどとして摘発した)の恐るべき実態(4)戦闘の足手まといにされた子どもたち(5)沖縄語をつかうとスパイ扱い(6)軍備は民衆を守りうるか(「戦友の看護付き添いをせず戦え」「敵が住民婦女子を楯として進んできたら躊躇せず撃て」(「国土決戦戦闘守則」183頁)など、軍隊は民衆を守らない。)かつ、「次の戦争」を想定して沖縄戦の教訓を逆用しようと思える人たちがいるのは、疑問だ。(163~184頁)

 

・沖縄が本土に「復帰」して、インフラは大いに充実したが、所得は本土の7割だ。海洋博の工事なども大幅な財政援助があっても本土の大手企業が取ってしまうので沖縄には残らない。(189~196頁)

 

・基地問題は依然としてあるし、自衛隊も増えた。(189~212頁)・・・詳細な数字データで示しているが、略。今(2025年)のデータと違うからだ。(JS)

 

沖縄で平和を問う意味とは。中江兆民の『三酔人経綸(けいりん)問答』の洋学紳士君の言う「小国主義」が参考になる。フランスのアベ・ド・サン・ピエールは、「民主制は、戦争をやめ平和を盛んにして、地球上のすべての国を合わせて一つの家族とするための不可欠の条件」と言った。カントは、『永久平和論』を書いた。エミール・アコラスは「君主国は有形の腕力によって隣国に勝とうとし、民主国は無形の思想によって隣国に勝とうとする」と言った。モンテーニュは「あらゆる防備は戦争の相貌(そうぼう)を帯(お)びる」と述べた。ラッセルは非武装論をさらに徹底させた。日本の文部省は『あたらしい憲法のはなし』で、戦力の放棄について、「日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです」と述べた。キューバ危機に際しケネディ大統領は「将来の責任を負えない世代の人びとが、未来を築く若い人びとを殺傷することはできない」と述べた。(212~225頁)

 

(以下感想)

・さすがは大田昌秀だ。この本はみんなに読んで貰いたい。

 

・琉球王朝時代、交易で平和裡(へいわり)に豊かになったのはわかったが、海賊などに襲われなかったのだろうか。

 

・武装すれば周囲から憎まれ攻撃される危険は増大する。それはそうだ。では、武装しなければ、攻撃される危険は減るのだろうか? 最近の有名な例では、クエートをイラクが攻撃し、アフガニスタンやイラク(大量破壊兵器を持っていない)をアメリカが攻撃し、ウクライナ(核を持っていない)をロシアが攻撃し、ガザ地区住民(圧倒的に戦力で劣る)をイスラエルが虐殺するなどの例を見て、「武装した方が安全」「ウクライナの武器は優秀だ」「アメリカの偵察衛星が役に立つ」などと感じるようになってしまった人が一定数以上いるだろうか。だが、実はそれも戦前と同じ轍(てつ)を踏むことになっているので、危険なのは明白なのだが核武装すれば必ずそこが狙われ大惨事になる。テロで破壊される危険も。だから誰も「自宅に核基地を置きます」とは言わない。あの強硬論者も。ハマスが強硬に侵入しなければイスラエルの攻撃はなかった、ウクライナがNATOに入るそぶりを見せなければロシアの侵攻はなかった、とも言えるだろう。わからない。それにしてもロシアとイスラエルはやりすぎだ。武力を持っていると使いたくなる、ということか? 結局、日頃から仲良くして信頼関係を築くことが大事なのだ。千葉県民と東京都民が互いに軍拡競争をしたりはしていない。仲良くしようとするとスパイ呼ばわりするのはもってのほか。(千葉県にあるTDLに行く東京都民は裏切り者か? というと、そうではない。笑い話みたいだが。)

 

・兵器を揃えれば戦争に勝てる、というわけではない。それを操縦する兵士(高度なスキルを持った)がいるし、それを支えるエネルギーや食糧がいる。つまり兵力を支えるだけの国力が要る。ところが日本は食糧もエネルギーもない。ゆえに日本は戦争はできない。兵力以外の様々な要素を動員して平和裡に外交をしながら生き延びるしかない。ここまではわかる。その上で、どの程度自衛隊にお金をかけるべきなのか、装備を揃えない方が周辺が対抗心を募らせず平和を維持できるのではないか、この辺が悩ましい。「武器産業に奉仕しさえすればいい」とするのは不可。人工衛星から情報を取ってコンピューターシステムで操縦するにしても、ハッキングされコンピューターシステムがダウンすれば一巻の終わり。すでにウイルスが仕込まれているかも? 銀行や高速道路で不具合がしょっちゅう発生しているのに、どうなのか? 

 

・軍事力にお金を入れすぎた国は、国民生活が窮乏し、増税に苦しみ、やがて亡ぶ。これは理の当然で、あそこでもここでも現実に起ってきたことだ。世界中で軍事力など要らない、それより食糧増産だ、みんなでおいしい饅頭でも食べようぜ、というのが一番いいのだが・・

 

・戦前の日本の経済史の専門家ではないので聞きかじりだが、髙橋是清は、昭和金融恐慌や世界恐慌に対して巧みに手を打っていたが、高インフレを予見して軍事予算を抑制しようとしたところ、軍部が怒って二・二六事件で暗殺されてしまった、と聞く。本当の所は知らない。軍産複合体が肥大化すると引き返せなくなる。昭和の戦争では軍部が暴走して結局日本は焼け野原になってしまったことを教訓として何度でも思い出すべきだ。

 

・お互い、平和で安全な日本を(世界を)楽しみたいものだ。流氷も見たいし珊瑚礁も見たい。アンデス山脈もロッキー山脈も行ってみたい。ウクライナも。ペテルブルクも。パリも。バルセロナも。長安(西安)も。皆さんは、どうですか。

 

(参考書)

大江健三郎『沖縄ノート』岩波新書

大田昌秀『沖縄 戦争と平和』朝日文庫1996年(もと1982年)・・琉球時代から説き起こしている。良書。

曽野綾子『生贄(いけにえ)の島』文春文庫

沖縄タイムス社『沖縄戦記 鉄の暴風』ちくま学芸文庫

小林照幸『ひめゆり 沖縄からのメッセージ』角川文庫

髙橋哲哉『沖縄の米軍基地』集英社新書 

田中彰『小国主義』岩波新書           などなど