James Setouchi

2025.3.19   3月の視角 3月は考えることが多い。

 

3月と言えば卒業式

 卒業式は何のためにやるのだろう? PTA会長さんのスピーチなどでよく、「卒業式はアメリカではコメンスメントと言いまして、始まり、という意味だそうです」などとある。業を卒(お)えるのではなく、ここからが新しい始まり。だから、過去を惜しむのではなく、未来を夢見て語るべきだということになる。フランスでは入学式も卒業式もないとか。昔東大は全共闘が卒業式を「フンサーイ」した。今はホグワーツのように総長がマントを着てやっている。

 

 日本では業を卒(お)える、というイメージになるのは、日本の学校教育が「虎の穴」や武術の修行における免許皆伝のようなものになっているからだろうか?

 

 私が自動車学校で運転免許講習を受けたときも「修了式」があった。簡単だけど。 

 

 アメリカ映画などを見ていると、華やかなパーティーだったりする。プロムといって着飾ってダンスパーティーもある。GFやBFを連れてこなきゃいけない。ホグワーツでもやっていた。あれは困る。GFなどいない(当時)。

 

 日本では厳粛にやる場合が多い。埼玉県立所沢高校ではもともと「自由な校風」をモットーとし生徒手作りの記念パーティーが主体だったが、文部科学省の指示で君が代・日の丸を伴う儀式にしなきゃいけないというので、もめた結果、午前に儀式、午後に伝統の記念行事、とやるようにしたと聞いている。

  君が代・日の丸は、議論が多いが、ここでは略。日の丸が幕府の艦船の旗=朝敵の旗だったことを書いておこう。君が代は「我が君は・・」で古今集詠み人知らずの歌がもともと。「君」は主君、天皇以外に「私の恋人」の意味もある。江戸時代の使われ方を知っていますか?(略。)

 「蛍の光」には3番と4番もある。「一つに尽くせ、国のため」とか「千島の奥も樺太も、八洲(やしま)の内の、護(まも)りなり」とか、帝国主義時代の歌詞だ。今は歌わない。

 「仰げば尊し」は「身を立て名を挙げやよ励めよ」が立身出世主義だから歌わない学校もある。「書(ふみ)読む月日重ねつつ」と言うが、今の若者は読む人と読まない人に二層分解している。

 最近はアンジェラ・アキやいきものがかり他を歌う学校も多いようだ。

 コロナで時間短縮しないといけないのに何曲も歌ってどうする? どこで短縮するか、だ。長時間だと保護者も疲れる。

 答辞は、模範的な生徒が作文するのだろうが、クラス対抗でトーナメントをして選抜された最優秀生徒が担当する学校があると聞いたことがある。

 皆勤賞は、頑張ってエライことになっているが、実は差別賞だ。腎臓透析のため休む人は解禁は貰えない。昔はインフルエンザ「出席停止」でも皆勤を飛ばした。大会参加も今は「公欠」扱いにしているが昔は皆勤を飛ばした。どう考えるか。

 対外試合で入賞したものは、すでに現場で表彰され、さらに全校集会で顕彰されているのに、また卒業式で褒賞するのはなぜ? あれで式の時間が長くなる。やめればいいのに。そもそも賞のために大会に参加しているのですか。そういうことだから、敵チームの弱点をしらべてそこを突くようなプレイばかりする子に成り下がるのだ。いま、「作戦を練るのは当たり前」と思ったあなた。市場経済の結果至上主義と、昔の戦場の武士(武士がマフィアだったころの)の卑怯な殺し合い・だましあい主義の、再生産だ。人間はそんなつまらんことのために生きているのではない。「勝てば官軍」はつまらない思想だ。(やっている人はその自覚がない。恐ろしいことだ。)みんな(来賓や保護者)の前で「ウチの生徒はこんなにすごいんです」と見せてイイカッコしたいのだろう。目立つ奴がほめられ、縁の下の力持ちは無視される。学校が結果至上主義に汚染されている! そういうことをやってきた挙げ句に、「損だわ」「トクかも」みたいな大人が育ってしまったのだ。つまらんことだ。中江藤樹や宮沢賢治が聞いたら「あ~あ」と言うのでは? いや、彼らはその程度ではめげないか。賢さんなら恥ずかしそうにうつむき、お題目を唱えるかも・・ 

 

 小学校では、卒業する児童たちがそれぞれ演劇的に科白を担って活躍し、PTAや教育委員会の方が「素晴らしかった」と言う形になっている。が、その練習のために教師がどなりちらし、挙げ句は真面目な子が不登校になる。おかしな話だ。

 

 公立中学校では、今まで同じ地域で育ってきたが、卒業するとそれぞれに進路が違うので、別れの実感が強い。卒業し高校にも合格し天下に敵がいないような顔をして繁華街を闊歩しトラブルに巻き込まれる(またはトラブルを起こす)のはやめてくださいね。

 

 中高一貫校では、ほとんどの子が後期課程(高校)に進学するのであまり感動はないかも。しかし、途中で進路変更した数人がいる。彼らのことを大事に思わなければならない。同じ人間として地上に生を受け、たまたま何かの巡り合わせであなたは上級課程に進級し、彼らは別の所に行くことになった。15才の子にはまだよくわからないかもしれない。でもいつかわかる。誰もがどの子もが尊いかけがえのない人間だということが。あなたにはわからない事情を抱えてそれぞれに悩み考えながら生きているということが。

 

 小中高校と同じ地域で過ごし、高校卒業の18歳ではじめて田舎を離れて都会に出ていく場合は、特に思いが強い。涙、涙の卒業式になる。が、入試で通っていない人、就職が決まっていない人は、それどころではない。勉強勉強だ。

 

 中学・高校とも不登校の子がおり、高校では卒業できなかった・しなかった子も多い。「卒業生。おめでとう、よく頑張ったね」と言っても構わないが、では途中でやめた子はどうなるのか。ろくに勉強もしない本も読まない、いい加減な奴が大きな顔をして卒業して、卒アルでも真ん中に坐っている。生真面目(きまじめ)な子が休んで中退している。そういうダメな学校にしたのは、誰か。そこまで考えて発言しているか。丸谷才一じゃないが、「裏声で歌へ卒業ソング」だ。

 

 中退者も含め、すべての若者に幸せになって貰わないといけない。学校でいい学びができる場合もあるが、学校が絶対でもない。通う学習塾やコンビニを変えるのにためらいはない。同じで、今の学校をやめて別の方法で学んでも十分やっていける、ということを示したい。孫正義は久留米大附設高校を中退してアメリカに行ってあのグレートな孫正義になった。今東光は旧制関西学院中と豊岡中を連続で中退し最後は中尊寺のエライお坊さんになった。三原じゅん子は高校を中退し芸能活動を行い変遷を経て今や大臣閣下である。(頑張って下さい。)伊集院光は高校中退で落語家になり今や「100分de名著」のレギュラーですごく勉強している。星飛雄馬(マンガです)は青雲高校を1年で中退して入団テストを受けて巨人の星になった。千原ジュニアも高校中退。『14才』という本がある。柳美里も横浜の高校を中退して劇作家・小説家になった。西村賢太は中卒で働いて作家になった。北の湖東山紀之も中卒だ。森進一八代亜紀やピンキーとキラーズの今陽子も中卒のはず。アントニオ猪木も中卒でブラジルに行ったはず。昔の歌手は中卒が普通だったかも。スポーツ選手や芸能人は本人の得意なものがある。何も持ってない子に幸せになってもらうには? N高校っていいの? 宣伝はすごいけど。NHK学園も悪くない。(ちなみに放送大学でも超一流の講師陣がレクチャーしている。安価だし、家でかなりの勉強ができる。)通信制は毎日学校に行かずに済む。定時・田舎の分校は、少人数で定員割れしているので、実は大事にしてくれるかも知れない。全日進学校は部活動だ模擬試験だ大会で賞を取ってこいと本当に忙しく、睡眠不足になるよね。高認検広域通信制を経て大卒になれば学歴ロンダリングは十分できる。多様な経験を積んだ人の方が人としては味わいがある。いろんな人がいた方が集団は活性化する。6,3,3,4でトントン拍子にいった人だけだと会社も弱体化するのでは? 会社の人が愚かだと(オープンマインドでないと)(偏狭だと)偏見を持った採用をしているかも知れないが。会社の人、別の言い方をすれば世間一般の人の「常識」に訴えたいところだ。ま、昔の人なら、田中角栄松下幸之助も上級学校には進学していませんわな。エジソンは小学校でクビになり、アンデルセンも子供時分にこの子はダメダと言われ、坂本龍馬も塾や道場を中退している。坂口安吾も新潟中学中退(豊山中学に行った)。中退者列伝を書こうと思えば書ける。とんねるずは高卒の星とか書かれているが、まだ甘い。中退の星が沢山いるのだよ。大隈重信は早稲田を出ていないよ。(早稲田を作った。)福沢諭吉は慶応を出ていないよ。(慶応を作った。)そういえばイエスもソクラテスもムハンマドも孔子もお釈迦様もどこの学校に行きましたかな? 空海さんも一族の期待する出世のための勉強をやめて、お坊さんになった。 

 何度でも再挑戦できる、その人を何度でも生かす仕組みを作っておくことは、政治家はじめ大人のすべきことでしょうな。

 

 大学の卒業について言及するのを忘れていた。漱石『こころ』の「先生」と若い「私」は、東京帝大を卒業するが、それが一体何? という位の気持ちでいる。田舎の「父」や「兄」や近所の「作さん」は大卒の学歴にとらわれている。つまり大日本帝国の学歴システムの中にいて、それを相対化できないでいる。「先生」と若い「私」はそこから自由だ。ホリエモンは東大を中退してお金儲けをした。大学は何をするところなのだろう?

 

3月3日 ひな祭り 旧暦で祝う地方では4月3日

 古代中国で3月3日を上巳(じょうし)の節句と言った。(奇数はめでたいので奇数の重なる日は節句になる。)桃の節句とも言う。春の祝で無病息災を祈る日と聞く。

 

 平安貴族が陰陽師を呼びお祓いをして災厄を人形(ひとがた)の紙の人形に移して川に流したとか。流し雛である。

 

 それとは別に、平安貴族の女の子たちは、「ひひな遊び」をした。ひな人形で遊ぶシーンは有名な物語にも出てくる。

 

 それとこれとが合体し、3月3日にひな人形をひな壇に飾るようになったのだろう。江戸時代の豊かな家にはそういう風習があったとされる。

 

 桃の節句、と言う。桃は邪気を払う呪力があるとされた。桃太郎が鬼退治をするのも同根。桃花酒から江戸期に白酒になったとか。ひなあられは女の子たちのピクニックの携行おやつだったとか。「配食のふれ愛」というサイトによる。どこまで本当か、知らない。

 

 子供の時は、5月5日は子供(男女)のお祝いで、3月3日は女子だけのお祝いで、女子の方が1回分トクなような感じがしていたが・・? その後大人になり、男性上位社会で女性が踏みつけにされている実態を知った。それとこれとは、どうつながるのだろうか? 

 

3月11日 東日本大震災・福島原発事故

 2011年。まず、地震があった。次に、津波がきた。そして、原発事故があった。さらに、被災者が避難所で亡くなり、残留放射能の除去に手間取り、転校した子がいじめられ、外国からたたかれた。東京は計画停電になった。

 

 計画停電は、下町(荒川区や足立区)で実施され、都心(港区、千代田区、中央区)などでは実施しなかった。釈然としない。各所で節電をした。ユニクロなども照明を落としていた。それで十分やれた。あとから、計画停電しなくても十分やれた、と聞いた。では、あれは東電のパフォーマンスだったのか。病院などでは停電で困っただろう。原発が全国で止まっているとき、電力供給は水力火力再エネなどを合わせれば十分やれた。原発はイラナイ、と多くの人が確信した。それより再エネの開発だ、と。今はどうですか?

 

 1F(福島第一原発)は「津波で全電源喪失」以前に、地震で壊れた、と主張している論文を読んだことがある。それはどうなったのか。

 

 地震や大津波は怖い。これだけは止められない。だが、人災に拡大することを防ぐことはできる。減災だ。今では誰でも知っている言葉だ。

 

 地震は怖い。津波も原発事故も怖い。沢山の人が亡くなり苦しんでいるとき、石原慎太郎が「天罰」だと言った。とんでもない発言だ。それなのにマスコミは石原慎太郎を(あまり)たたかなかった。他の人のことは総攻撃するのに。納得がいかない。

 

 菅首相はたたかれた。だが、工学部出身の菅さんだからこそ、あれが危ないと見た瞬間分かったのではないか? どうだろうか? 「ベントするのか!?」と菅さんが叫んでいた場面が浮かぶ。「ベント」という言葉を私は知らなかった。

 

 あれでいわゆる原子力ムラの存在が天下に明るみに出た。電通など広告業者がマスコミをまた世論を操ってきたことも。電通にカネを出していたのは原子力利権の人たち。いわゆる産政官学+報道の癒着だ。

 

 聞いた話だが、対米黒字減らしで武器を買うよりは原発を、と買ったそうだ。日本は資源がないのでその時はベターな選択に見えたのだろう。だが、ポンコツを買わされたとか。この辺が弱いところだ・・

 

 なお、福島のあのエリア(浪江町など)は、厳密には知らないが相馬中村藩だとすれば奥羽越列藩同盟。明治維新以降は福島県浜通り(海岸側)は劣位に置かれた。自由民権運動大正デモクラシーの人びととの行き来もあった。福島事件を想起したい。戦後も貧しかった。否応なく原発を誘致した、と聞いている。原発ではないかたちで豊かになるには? 北米の先住民居住区が核兵器実験場の放射能で汚染されるのがいやで、いわゆる「インディアンカジノ」を作ってカネを稼ぎワシントンに働きかけた、とある本に書いてあった。カジノがいいとも思えないが、もっと別の方策はないであろうか?

 

      小出裕章『原発のウソ』扶桑社新書 2011年

  広瀬隆・明石昇二郎『原発の闇を暴く』集英社新書 2011年

  NHK「東海村臨界事故」取材班 『朽ちていった命』新潮文庫 2006年

  益川敏英『科学者は戦争で何をしたか』集英社新書 2015年

 

 

3月14日 善導忌・ホワイト・デー

 善導大師の忌日。善導大師は600年代(唐の初期)の僧。「一心に弥陀の名号を専念して、行住坐臥に、時節の久近を問はず、念々に捨てざる者は、是を正定の業と名づく、彼の仏願に順ずるが故に。」と弥陀の名号に一心に専念することを説いた。善導大師を法然上人は強く尊敬した。阿弥陀如来より賜りたる念仏の信心は、善導大師を通って法然・親鸞を経て今日の私たちに伝わっている。

 

 ホワイト・デーは、2月14日のバレンタイン・デーのお返しの日。由来などは知らない。白いマシュマロを販売したなどと書いてあるが、根本には春を祝いたい皆の気持ちがあるに違いない。日本初で韓国・台湾などにも広がりつつあるとか。

 

3月20日 地下鉄サリン事件 3月22日上九一色村オウム施設強制捜査

 1995年(平成7)年。東京の地下鉄にオウム真理教の一部の実行犯が猛毒サリンを撒き、死傷者が多数出た。当時はサリンという名を知っている人は軍事・化学に詳しい人たちだけだった。上九一色村という名前もその時全国に有名になった。この事件以来「宗教は怖い」が若い人に刷り込まれた。(世界各地の宗教テロとも相まって。)私は、それらは政治・経済・軍事的動機のある人びとが宗教を使ってやっていることであって、宗教それ自体の罪ではないと思う。まして末端の信者は善良な人が多い。信者の善良さにつけこんで反社会的・非人間的行動に使役するから、ダメなのだ。国家神道の時も同じだった。オウムの幹部13人は一挙に死刑になった(2018年=平成30年)が、LSDや各種兵器の入手経路や動機など未解明のものが残った。既成教団の宗教者たちも、現代社会における宗教について改めて考えざるを得なくなった。理系の高学歴の人があのような団体に絡め取られるのはなぜか、ではどうすればよいか、も問われた。村上春樹『アンダー・グラウンド』『ポスト・アンダーグラウンド』、藤原新也『黄泉の犬』、帚木蓬生『沙林』(これは小説だが一連の事件がまざまざと蘇る。モデルは九州大の井上尚英名誉教授、巻末に国松警察庁長官のコメントも載る)など参照。

 2025年(令和7年)3月20日のNHKスペシャル「オウム真理教 狂気の11月戦争」はすごかった。オウムは1995年11月にクーデターを起こす準備をしていた、というのだ。皇居の回りの物件を購入、ヘリをはじめ各種の兵器をロシアから調達。上九一色村でサリンを製造(原料は1000万人以上を殺害できる量)、オーストラリアでは羊を相手にサリンを撒く練習もした、Xデーには国会や政府機関や警視庁を襲うなど。完全に政治テロだ。宗教を道具に使った政治テロだ、と私は思った。麻原彰晃が選挙に出て落選したとき「票を操作された」と言ったそうだが・・・どこかで聞いた科白だ・・・(この段落は3月24日追加した。)

 

春分 3月22日頃 年によって違う。

 お彼岸(ひがん)は春分を中心とする一週間。その真ん中の日を「彼岸の中日」と言う。彼岸とは、この世(此岸=しがん)とあの世(彼岸)とが通じ合う時期で、春と秋にあり、先祖の墓参りに行くことになっている。日本独自の行事で、インドや中国にはない。ゆえに、仏教伝来以前からの太陽信仰の「日の願い」「日願」が由来だとの説あり。どうかな。太陽信仰と仏教と先祖崇拝との関係は? 

 

 さて『観無量寿経』では日想観と言って西に沈む夕日を見て西方極楽浄土を思う、という一種の瞑想法がある。彼岸の中日には太陽はまっすぐ西に沈む。四天王寺の西門から西方を見ると、太陽は西方極楽浄土の東門へと沈む謡曲『弱法師(よろぼし)』には、目の不自由な弱法師が「おお、見ゆるぞ見ゆるぞ」と、西方極楽浄土の東門を心眼ではっきりと見る描写がある。大阪の四天王寺の西門には大きな阿弥陀如来の像がある。そこに、排除された人辛い思いをした人が集まり阿弥陀様のもとで休むことができるのだ。私が行ったとき、四天王寺は閉まっていた。だが阿弥陀様はちゃんとそこにおられた。

 

3月26日

 昭和20年(1945年)3月下旬、数日間の猛烈な空襲や艦砲射撃ののち、3月26日アメリカ軍が沖縄の慶良間(けらま)諸島に上陸。やがて始まる沖縄本島への上陸、悲惨な陸上戦のはじまりとなった。「集団自決(強制集団死)」が各地で起こった。

 

 大江健三郎『オキナワ・ノート』岩波新書・・曽野綾子が奇妙なことを言ったが、裁判では大江側の勝利が確定している。「集団自決(強制集団死)」については、明治以降の皇民化教育を背景とし軍官民共生共死思想を広げ浸透させていた、「戦陣訓」(昭和16年、東条英機)を教え込まれていた、「米軍につかまったら女は・・されて殺され、男は殺される」と語られていた、手榴弾を渡したなどの事実がある。「みずから冷静な判断をして覚悟の自決をした、だから自己責任だ」と言うのは誤りで、無責任な言い方だ。そこに明白な命令書は発見できなくても、軍の関与は明らかにあったし、軍によって強制的に集団死に追い込まれた、と言う方が正確な言い方だろう。今日でも、誰でもイザとなったらパニックになって判断が狂うことも多いだろう。平素から軍官民共生共死思想のタネのようなもの(あちこちに埋め込まれている)に気が付いて、取り除いておくべきだろう。日本人は集団でどこかに行ってしまいやすいのが大きな短所になることがあるのだ。

 沖縄タイムス社『鉄の暴風』

 曽野綾子『生贄の島』

 太田昌秀『鉄血勤王隊』『沖縄 戦争と平和』

 謝花直美『証言 沖縄「集団自決」』岩波新書2008・・慶良間諸島の人びとの証言を

集めている。沖縄の人びとの痛みや悲しみが直接伝わってくる。

 小林照幸『ひめゆり 沖縄からのメッセージ』角川文庫2010・・ひめゆり学徒隊の生き残りの証言ほかを中心に、戦後50年の歩みを綴る。必読。 

 

3月27日 芭蕉『奥の細道』の旅立ちの日。

 「弥生も末の七日、曙の空朧々として・・」は有名な文章。「末の七日」とは二十七日。芭蕉は1689年(元禄2年)3月27日に奥の細道の旅に出立した。実際には晩春の新暦5月16日だから「行く春や・・」(「行く春」は晩春の季語)となる。「上野・谷中の桜またいつかは」とは、実際に咲いているのを見たわけではなく、「春に来れば桜を見られるが・・」というほどの意味となる。深川から船に乗り対岸の上野・谷中の桜を幻視しているのだ。だが、それでも、この「弥生も末の七日」は心にしみる。それは、現代の我々において、3月27日がまさに、桜が咲く中での別れと旅立ちの季節であるからだ。若者は田舎を出て都会へと引っ越していく。親は子供が旅立つのを見送る。桜は咲き、鳥は啼き、魚も涙を浮かべているようだ。これは厳密な考証から言えば誤訳だ。だが今の人の気分に合った誤訳だ。

 

 旅立つすべての人の前途に幸いがありますように! ボン・ボヤージュ!

 

 また、彼らを見送り、それぞれの土地に居残って暮らすすべての人にも、幸いがありますように! ゴッド・ブレス・ユー!