読書会記録 『竹取物語』  R7.3.15(土)9時半~実施。

 

参加者が多く、楽しい同窓会になった。

持ち込みで高度なレポートも入って、勉強になった。

 

1 『竹取物語』あれこれ(担当:N)

*テキストは、角川ビギナーズクラシックスが入手しやすい。全文ある。新潮の古典集成の解説が詳しい。

*現存最古の作り物語。「物語のいできはじめのおや」と言われる。

『伊勢物語』など歌物語の系譜と、『竹取物語』など作り物語(輝く姫)の系譜を、総合したのが『源氏物語』(光る君)と言われる。

*『竹取物語』は作者不詳。だが、菅原道真かとの説もある。糸井通治『かぐや姫と菅原道真』(和泉選書、2019)はその立場。

*神話・伝説などの「こと語り」と、「物語」はどう違うか? 後者は、「精神的に何か心の奥深くにあるものを自由に語るもの」?・・・旧来の共同体の「こと語り」に対して、知的な操作を加えて段階が上がっているのが「物語」ということか。対して、神話・伝説・昔話・物語はすべて同根で、截然(せつぜん)とした区別はない、との立場もありうる。

*当時は漢詩文や和歌が上位であったので、物語は低いものとみなされ、作者不明となったのでは。

*菅原道真は、讃岐守だった。菅原氏の先祖は土師(はじ)氏で、垂仁天皇に関係がある。『古事記』のかぐやひめのみことも垂仁天皇に関係がある。また土師氏は丹後に存在し、丹後には羽衣伝説がある。姫は伊勢の斎宮と同様男との結婚を拒否。斎宮は竹の都に住む。伊勢に多気郡(たけのこおり)がある。「いつきのみや」と「つきのみや」は通用? 道真は中国の月の伝承や文学に詳しい。竹をうたう漢詩も多い。文章博士となり漢籍や歴史にも詳しい。和歌にも才能を発揮。「菅家廊下」や勘解由曹局の長官もし、文化活動をする仲間の中心にあった。→作者の可能性大きい。

*成立時代は875~890前後。文体などから分かる。道真(845~903)に合う。

*舞台は帝が大和にいた頃。但し平安の官職も出てくる。

*さぬき、さかき、さるき・・略。

*忌部氏(斎部氏)は伊勢の外宮、中臣氏は伊勢の内宮だったが、中臣・藤原氏の勢力に押された。姫の名づけ親は忌部。帝の使いは中臣房子。ここに忌部対中臣の図式が書き込んである。

*「月を見てはいけない」というタブーの由来は? 民間信仰か、白居易の漢詩。月見の風習はいつから? 杜甫や道真に漢詩がある。

*平安初期には文人の間で神仙思想が流行した。

*海難のシーンは具体的。道真の親族で遣唐使で海難に遭った人あり。

*四川省の「斑竹姑娘」は、日本兵が持ち込んだ話か? 『竹取』の原型では男は3人。

*結局『竹取』をどう読むのか? ①五人の貴公子の失敗談から、政治的風刺を読みとるか。あるいは、②地上界と天上界の断絶、別離の絶対性を読み取るか。・・①天武系(五人の貴公子)対天智系を見る向きもあるが、壬申の乱から200年経っているので、リアルな同時代性はなかったと見るべきだろう。忌部対中臣の風刺性は高かったろう。②生と死の断絶は仏教。天人の空中浮遊は阿弥陀来迎図。道真の子、阿満(あまろ)の死も関係?・・「今はとて天の羽衣着る折ぞ 君をあはれと思ひいでける」(「ぬる」ではなかった)には、別れの瞬間に愛の深さに気付いたがもう取り返しが付かない、と歌う。別れの絶対性と愛の尊さを共に歌う。

*結論:「説話」から「物語」に飛翔。虚構の語りという新しい文学。読者の予想を裏切るゲキアツ展開。

 

(感想)「ラノベもそうか。月に人がいるなど」「ただの言葉遊び(しゃれ)ではなく、文学として何を語っているか?」「太陽や月を天体としては知らなかったはず」「700年代初期に『古事記』『日本書紀』で天皇は日神アマテラスの子孫というイデオロギーが成立していた。月の尊貴性はそれを相対化する」「不老不死か? ただの不死か? 厳密には、老い続けて不死だと、大変なことになる。『ガリヴァー旅行記』に書いてある」「罪とは?」「現代の方の罪と同じか」「姫自身は罪だと言っていない。罪だと思っていないかも」「地上で禁欲生活をしているので、天上では欲望にまみれたのか?」「姫や天人は、あれが完成形で、但し完成形になるまでに何か足りないので地上で学んでこいと?」「地上はキタナイとしているのに、そのキタナイ地上で何を学ぶことがあるのか?」「天上世界はキヨシ、地上世界はキタナシ、とする価値判断を天人は持っている」「本当に感情がないのなら、キヨシ、キタナシもなくなるのでは」「AIロボットのようになるのか」「キヨシ、キタナシは、事実判断か、価値判断か」「価値判断だとして、文化によって人によって何がキタナイかの感覚は違う。ガンジス川はどうですか」「富士山で薬を焼いたのは、人間世界を侵犯する邪気・オニを国家的祭祀によって追放し共同体を守ったのか」「すると姫や天人は人間世界を脅かすラスボスのようなもの?」「人間だけが人を愛し死者との別れを悲しむ。これが人間だ、そういう世界を引き受けて生きる覚悟(諦念)を述べつつ、永遠の世界への願望はもうもうと立ち上り続けている、と書いているのでは?」  

 

2 発展(レポート:W)

 レヴィ・ストロース『野生の思考』にヒントを得ると、『竹取』は、羽衣伝説、求婚難題譚、中国の伝説などのプリコラージュ(ありあわせの)素材を集めて再構成した物語だと言える。が、ただのパッチワーク以上のものになっており、「人間の世」という新たな世界像を創造した。対立構造を見ると、人間世界対天人世界、天上の清浄さ対地上の情念、貧しさ対豊かさ、卑小と高貴、求婚者の試練対不可能性(ことごとく失敗)、愛と別れ、不死(永遠)よりも無常、理想(愛)と現実(別れ)などの対立構造をうまく組み合わせている。物語の構造は①異常な出生②求婚の難題と失敗③月への帰還(別れと昇天)の三部構成。

   人物を見ると、は奇跡に戸惑い喜ぶ普通の人間。弱い人間。滑稽でもある。は仙薬を焼く。高貴なる悲劇の担い手。貴公子たちの愚かさは姫の超俗性を引き立てる。姫は贖罪の旅人。

 時代背景を考え合わせると、宮廷社会への批判、仏教的無常観、道教的仙界思想も見られる。天皇観・国家観を考えると、天皇であっても絶対ではない。天皇は人としての倫理を選んだが、無力でもある。皇権さえも及ばない領域の世界を描いた。

 

(感想)「中村雄二郎の記号論が流行った。大江健三郎もその手法を使っている」「神話、伝説、昔話、物語も同根で、時代のニーズによって共同体・世界を説明するべくリライトし続けている。その一つの形と言えるし、現代のオーケンらの小説もその一つの形とも言える」「人はなぜ詩や物語を書くのか?」「発想が天から降りてくる」「やむにやまれず内面から発動するものがある」「それが人類の精神文化にどう関わるのか」「戦争文学などは、自分の中でやむにやまれず書きたい思いと、それが未来のためという思いと、両方があるのでは」「安易な大東亜共栄圏のようなモノガタリではこまる。あえて個人的なモノガタリを語る人もある」「姫が地上にとどまったらどうなる」「面白い」「帝と愛しあうかたちに?」「美しい女性が最高位を極めると、最後は落魄(らくはく)して惨めになる、という語りのパターンがある」「斎宮や竹の考察が面白かった」「伊勢の斎宮といえば六条御息所の娘。野の宮神社の周囲にも竹が」「賀茂の斎院はどうですか」「貴種流離譚(たん)ではある。ゲンジやイセも同じ」「ラノベと同様と考えると面白い。新しいキャラクターで、新しいパワーを持ったヒロインを造形した」「新たな人間の生き方を示唆(しさ)する文学だ」「好意的に読まれていたか。受容のあり方はどうか」 

 

3 その他出た話

*社会学とはどのようなものか。有名な社会学者は。・・デュルケーム(『自殺論)』マックス・ウェーバー(『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』)見田宗介(『現代社会の理論』)宮台真司吉見俊哉はどうですか。フェミニストの上野千鶴子もいる。人間は個人として生きているわけではなく人が集まって社会というものができると、そこに独特のメカニズムが生まれる。政治、経済、文化などあらゆるものが関係してくる。それを対象として学問をする。フィールドもあれば高度な理論もある。

 

ニーチェ『ツアラツストラ』をどう見るか。・・略。イエス主義とパウロ福音主義とキリスト教カトリックやプロテスタント、ニーチェ(やショーペンハウエルやヘルマン・ヘッセ『デミアン』など。彼らは西洋キリスト教世界を相対化するに東方・インドを見た)と初期仏教についても考察されたし。

 

最大多数の最大幸福(ベンサム)をどう考えるか。99人が幸せになってもあとの1人が取り残されたらどうなのか。最後の一人まで幸せにすべきは当然だ。(キリストは失われた1匹を探しに行けと行っている。)社会をどう変えても幸福感は変わりはしないという見方もあるが、実際に衣食住のない人にまずは衣食住を保証することは必要だ。大災害のあとは税金を投入して衣食住をまず確保する。衣食住が保証されてもなお心理的精神的に満たされないものが残るのはもちろんだ(曽野綾子は金持ちだったが家庭内で不幸だったと言っている)が、それは別の問題で別のケアが要る。DV親にはDV親のケアが。戦後日本社会は総体として幸福になったと言えるのか。人によって何が幸福かは違うので、一概には言えない。人間が何に幸福や価値を感じるかは、人によって随分違う。例えば、シュプランガーなどを援用すると、政治権力、金、友人との交わり、聖なるもの、自然科学の法則の探究、善なる道徳性、美、などなど。エニアグラムも参考になる。価値観は文化により人により違うが、それでもリチャード・ローティ(1931~2007)は「残酷さは回避すべき」とする。明日は誰でも残酷な目に遭いうる(危険性が万人にある)。誰も落ちこまないようにするのがノーマライゼーションのユニバーサルデザイン。幸福を幸福感、快楽、満足感などに読み替えて数値化したときに何がこぼれ落ちるか。幸福は計量できるのか。一人一人自分の実存を賭けて生きると言いつつ、すべてを自分ではできない。人間は社会システムの産物でもあるので、社会政策も必要。社会は進歩するか? 社会進化論(スペンサーやハックスレー)をどう考えるか? 中国には厳復(『天演論』)がいる。北村透谷は明治初期に西洋の優勝劣敗思想を打破したいと言っている。当時そういう感覚の人は多くいたろう。素朴な東洋の調和主義など。社会進化とは、富国強兵と同義ではないはず。そもそも社会は進歩するのか? 観点と分析の仕方によるが、学校教育の普及率、出生時の死亡率の低下、長寿化のデータなどなどで、世界は良くなっていると示す見方もある(ロスリングファクトフルネス』など)。人類の努力は無駄ではない、と励ますことにもなる。

 

キリスト教イスラム教で戦争をしているように見えるが、どう考えるか。・・イエスは武器を捨てよと言った。十字軍は誤り。封建諸侯が経済力・軍事力をつけて他に侵攻していった。果てはライン川沿いに富裕なユダヤ人を攻撃した。宗教名目に見えるが政治的・経済的な動機が大きいのでは。イエスが見たら必ず禁止する。イエスと十字軍とトルストイとガンディーの違いは。オスマン帝国では宗教戦争をせず平和共存。近代国民国家(ナショナリズム)の方が戦争を沢山している。国民が熱狂して戦争をする。そこを言わずになぜ「宗教が戦争をする」と言うのか? ムハンマドのメッカ入城をどう考えるか。マルコムXはメッカでどう変わったか。ISの非道に対してイスラム教徒たちは「あいつらはムスリムじゃない」と叫んだ。「ジハド=聖戦で自爆テロ」とばかり強調するのは偏った見方。ジハドは信仰の内面の戦いが大事。本来の教えとは別の理由で(支配者たちの都合やその土地土地の習慣などで)戦争や女性差別をしていたりする。オウムを見て「お釈迦様も仏教もテロをするよね」と断定すると、「それは違うよね」となるだろう。戦後の新宗教や新新宗教の社会学を少し勉強してみてもいい。

 

戦後憲法はGHQの押しつけか。・・帝国憲法も西洋の真似。明治以降10年に1回大きな戦争をして国民を大勢死なせた。テロも続発、最後は日本は焼け野原に。明治が昭和の戦争を生んだ。軍部大臣現役武官制、統帥権だけでなく、明治憲法、教育勅語、軍人勅諭、不在地主制、政商(財閥)の存在、貧富の格差、大国主義などなども明治から昭和前半につながるシステム。「明治は良かった、昭和はダメ」とする司馬史観は誤り。①日露戦争は祖国防衛戦争ではなく、大陸での植民地の取り合いの戦争だった。②日露戦争は不可避ではなく、外交交渉で避けられた。やりたくない人も沢山いた。誰が戦争をしたがったのか? 軍産複合体がいけない。対して戦後80年は戦争もなくテロは例外的にあるだけ、どちらがいいかは明白。そもそも日本人は明治以降も北村透谷、内村鑑三、水野広徳など反戦・非戦論者がおり、戦時中も明石順三、牧口常三郎など抵抗した人がいて、戦後憲法研究会(調査会ではない)案(平和条項あり)を日本人が生んだ。幣原喜重郎も戦争放棄を考えていた。GHQはその方向で原案をつくり、日本人自身が選び取った。江戸期も平和。仏教も殺生を禁じる。老子も戦争をしない。『竹取』では一滴も血が流れない。月の軍隊は不思議な光で天皇の軍隊の戦闘意欲を奪い無力化する。などなど。

 

 次はR7年4月19日(土)『枕草子』。(章段の番号は本によって違うが)以下を扱いたい。

1       春は曙

299 雪のいと・・

102 中納言参り

151 うつくしきもの

184 宮に初めて

27   木の花は

  なお、田辺聖子『むかし、あけぼの』はおもしろい。