James Setouchi

2025.3.11

  今 東光『闘鶏』  河内で闘鶏に熱中する男たち

        

1 今 東光(1898~1977):明治31年横浜市生まれ。先祖は津軽の人。父は日本郵船の外国航路の船員。そのため東光は転居・転校を繰り返した。関西学院中等部に学ぶが中退。兵庫県立豊岡中学校に転校するが退校処分。上京し画塾に通う。大正3年の暮れ、父から勘当された。川端康成と知り合い第6次『新思潮』や『文藝春秋』『文芸時代』同人となり『痩せた花嫁』などの作品を発表。菊池寛と対立し文壇を追放される。一時プロレタリア文学にも接近。昭和5年浅草伝法院で出家剃髪、京都比叡山に籠る。昭和9年比叡山を下り茨城県の住職となる。『僧兵』『順徳天皇』などを書く。昭和26年大阪府八尾市の天台院の住職となる。昭和31年『お吟さま』で直木賞。『闘鶏』『夜の客』『一絃琴』。昭和33年帝塚山学院などの講師となる。昭和35年大阪文化協会設立。『河内の顔』。昭和36年貝塚市の天台宗水間寺住職となる。昭和40年『河内奴』『河内気質』など。平泉の中尊寺の住職となる。昭和43年参議院議員全国区から当選。昭和44年天台宗の「一隅を照らす運動」昭代会長となり辻説法。昭和45年『河内まんざい』『河内後家』『河内女』など。昭和52年没。著作多数。「昭和の怪人」と呼ばれる。(集英社日本文学全集の解説他を参考にした。)

*「一隅を照らす」:伝教大師最澄の言葉。『山家学生式』にある。

 

2 『闘鶏』昭和32(1957)年『中央公論』に発表

 大阪の河内エリアに題材を取った小説。今東光は戦後大阪の八尾や貝塚の寺の住職となり、河内に材を取った小説を次々と発表した。

 『闘鶏』は、河内地方に伝わる闘鶏と、闘鶏に情熱を燃やす男たちの物語。時代は戦後。

 

(登場人物)(ややネタバレ)

仁吉:闘鶏に命を燃やす少年。軍鶏(しゃも)が好きで軍鶏と暮らしている。新生中学生だが学校は行っていない。友人からは「シャモ吉」と呼ばれている。

久兵衛:仁吉の親父。酒飲み。仁吉に闘鶏を仕込む。

お芳しゃん:仁吉の継母。

倉平爺さん:闘鶏の行司役のベテラン。大工。七十才。

高安亭:飲み屋の親父。闘鶏に夢中で、強力な軍鶏「鬼高安」を飼っている。

「鬼高安」:高安亭の自慢の軍鶏。

「兵助」:仁吉が育てた最初の軍鶏。親父が無断で闘鶏に出し敗れてシャモ鍋にされる。

「竜騎兵」:仁吉が育てた二番目の軍鶏。「鬼高安」と熱戦を繰り広げる。

伊之助親分:地元のやくざ。闘鶏で賭博をして稼ぐ。

和尚:近所の寺の和尚。生臭坊主で、闘鶏の賭けに参加する。

 

(コメント)(ネタバレ)

 面白い。が、私の好きな世界ではない。軍鶏の戦い、人間同士の戦い、バクチの世界だ。私は穏やかに暮らしたい。勝負事が嫌いだ。スポーツも将棋も。

 

 軍鶏は誇りを持って戦い、敗れれば直ちにシャモ鍋にされる。強い軍鶏に自信をつけさせるために突つかれて負ける係の鶏(下ッ鶏)もいる。「軍鶏にとって戦うということは運命であり、業である。人間もまた業を背負っており、運命から逃れることはできない。それを切り開くのは一つに努力だけだ。」と語り手(今東光らしい人物)は解説する。

 

 ここは気に入らない。軍鶏は戦うために育てられ、敗れれば食われる。突つかれるだけの「下ッ鶏」もいる。これらの点も残酷だが、そこから「人間もまた・・」と記すと、人間もまた戦うしかない、敗れれば終わりだ、さもなくば下積みの弱者としてうつむきながら一生暮らすしかない、と粗忽(そこつ)な人なら読んでしまうだろう。他の箇所にも、そう読ませるかのごとき箇所がある。だが、上記の記述は、丁寧に読むと、鶏と人間は区別している人間は(仏教の思想で言う)「業」を背負っており、そこから逃れることはできないから、正面から「八正道」を実践するしかない、という、仏教・天台宗の至極まっとうな教えを語っていると読める。今東光は天台宗の僧だからそうなるはずだ。もしかしたら、だが、比叡山からとがめられたら「比叡山の教えからは逸脱していません」と釈明できるように、しかし多くの人が粗忽にも「人間も戦う存在だ・・戦うしかない」と読むように、わざと書いているのかもしれない。

 

 釈尊がおられたら闘鶏などやめて「八正道」に立ち戻りなさいと言われるだろう。本作でも闘鶏に夢中の男たちとは少し違った視点を持つ和尚が出てきて、男たちを相対化している。でもその和尚も親しい仁吉に思わず味方して賭けに参加するのだが。それほど闘鶏の熱気が人びとを覆ったということだろう。だが、人間の戦うべき相手は他の人間ではなく、自分自身(の抱える欲望)のはずだ。人間のすべき努力は、闘鶏や賭けに熱狂することではなく、欲望をコントロールし苦しむ人に優しく声をかける(「慈悲」と言うべきか)ことだ。和尚は結果的には賭けに参加しない。いじらしい少年・仁吉にやさしく声をかける。それでこそ和尚だ。それでも闘鶏に取り付かれた人びとは闘鶏から逃れることができない。「業」と言うべきか。そのこともふくめて和尚は、また語り手は、全体を静かに見つめ「慈悲」の眼差しを注いでいるのかもしれない。

 

 易行道他力浄土門では、「努力せよ」が正面には出てこない。そういう弱い存在だからこそ称名念仏を阿弥陀如来のお力で極楽浄土に往生する、となるはず。

 

 河内弁が濃厚だ。Y興業のタレントの使う大阪弁とどれほど同じかどうか知らない。「がしんたれ」「われ、何ちゅうことぬかすんじゃ」「おおけにと言わなんだら、言わしたれ」などなど、河内弁のオンパレードだ。極めて乱暴。男たちの熱気と軍鶏の戦いぶりと河内弁とがあいまって、濃密な空間を形成している。他にはない、世界唯一の場所だ。今もご当地ではそういうことをしているかどうか、知らない。但し語り手は、賭け事に熱中する男たちは世界中にいるとして、普遍的な人間像(の一面)としてこれを提出している。私は、それは一面ではあるが、実際には賭け事に熱中しない男たちも沢山いる、と思う。

 

 闘鶏の技の解説もある。ここは食傷した。今東光はこの地域の文化を書きとめて置こうとしたのだろう。関東では千葉・下総界隈の船で闘鶏をやっている、と書いてある。これも私は知らなかった。

 

 ラスト、血まみれに傷つきながら逆転勝利を収めた「竜騎兵」を仁吉は抱き上げ、傷をなめ回し、傷裂傷を縫合してやる。ここは感動するところだ。少年マンガですな。敗れた「鬼高安」はあっさりシャモ鍋になる。和尚は念仏を唱えてやりたくなる。

 

 

 松井良明『近代スポーツの誕生』(講談社現代新書)は面白い。前近代の西洋には、闘鶏以外にも、相手が完全に倒れるまで素手で殴り合う、牛を剣で刺す、など様々なブラッディ・スポーツがあって、民衆が熱狂して賭けをした。が、そのうち、ルールを明確化し選手の安全に配慮したボクシング(グラブをつける、1ラウンド3分で15ラウンド、ダウンしたら10カウントで敗退)がエリートの種目、五輪種目となり、相手をKOするまで時間無制限でやるピジュリングや、スペインの闘牛などは、そうはならなかった、と書いてある。日本の闘鶏、闘犬、闘牛(スペインの闘牛と違い日本の~屋久島と宇和島の~闘牛は、牛同士で戦わせる)も五輪種目にはならない。

 

 本作の河内弁は、Y興業の新喜劇に出てくるヤクザ、マンガ『じゃりん子チエ』(通天閣辺りが舞台)、『嗚呼花の応援団』(南河内大学の応援団)などの言葉遣いに近い。厳密な違いは私にはわからない。かの楠木正成公も河内の出身だが、「あほんだらめ」「よっしゃ。わいがいたる」「よオ。われ」「何がわれじゃ」などと話していたのだろうか? 

 

 八尾市というのは、奈良と大阪の間にある生駒山などの西にある。生駒山と言えば古典の『大和物語』ほかにも多く出てくる場所だ。