James Setouchi

2025.3.9

  今 東光『お吟さま』  千利休の娘の悲恋

        

1 今 東光(1898~1977):明治31年横浜市生まれ。先祖は津軽の人。父は日本郵船の外国航路の船員。そのため東光は転居・転校を繰り返した。関西学院中等部に学ぶが中退。兵庫県立豊岡中学校に転校するが退校処分。上京し画塾に通う。大正3年の暮れ、父から勘当された。川端康成と知り合い第6次『新思潮』や『文藝春秋』『文芸時代』同人となり『痩せた花嫁』などの作品を発表。菊池寛と対立し文壇を追放される。一時プロレタリア文学にも接近。昭和5年浅草伝法院で出家剃髪、京都比叡山に籠る。昭和9年比叡山を下り茨城県の住職となる。『僧兵』『順徳天皇』などを書く。昭和26年大阪府八尾市の天台院の住職となる。昭和31年『お吟さま』で直木賞。『闘鶏』『夜の客』『一絃琴』。昭和33年帝塚山学院などの講師となる。昭和35年大阪文化協会設立。『河内の顔』。昭和36年貝塚市の天台宗水間寺住職となる。昭和40年『河内奴』『河内気質』など。平泉の中尊寺の住職となる。昭和43年参議院議員全国区から当選。昭和44年天台宗の「一隅を照らす運動」昭代会長となり辻説法。昭和45年『河内まんざい』『河内後家』『河内女』など。昭和52年没。著作多数。「昭和の怪人」と呼ばれる。(集英社日本文学全集の解説他を参考にした。)

*「一隅を照らす」:伝教大師最澄の言葉。『山家学生式』にある。

 

2 『お吟さま』昭和31(1956)年『淡交』連載

 『淡交』は、裏千家の機関誌。これに連載した。

 千利休の義理の娘、お吟さまの悲劇を語る。語り手はお吟さまのそば近くに仕えた女性。扱う時代は主に豊臣政権の時代。但し語りの時点は、豊臣家が滅亡し大御所徳川家康の時代。冒頭の人間関係が、知らない人には分かりにくいが、そこを越えればわかるようになる。かなり面白い。茶道の道具が多出するので関心のある人はワクワクしながら読めるだろう。どこまでが史実かは知らない。

 

(登場人物)(ややネタバレ)

わたくし(語り手):河内の田舎の出身。お吟さまのそば近く仕え、その悲劇を目撃する。

お吟さま:松永弾正久秀と千宗恩の娘。千利休の義理の娘。髙山右近と愛し合うが、秀吉に目をつけられ自害。

千少庵宗淳:お吟の兄弟。千利休の婿養子・後継者となった。

千宗恩:千利休の後妻。お吟さまと少庵宗淳の母。

千利休:千宗易(そうえき)。茶の湯の大成者。大宗匠。秀吉とも近かった。のち秀吉との確執により死を賜る。

万代屋宗安:お吟の夫となる。夫婦仲が悪く。あるとき離縁。石田三成、淀君に近い。

髙山ジュスト右近:彦五郎。等伯。キリシタン武士。茶人でもある。お吟と愛し合う。妻子は別にある。

千道安(紹安):千利休の長男。先妻の子。利休、少庵とは折り合いが悪くなった。

三好長慶:細川晴元の有力家臣だったが実力を持ち三好政権と言うほどの権力を握る。その妹が千利休と結婚し生まれたのが千道安。

三好義興:三好長慶の子。若くして病死。

松永弾正(だんじょう)久秀:三好長慶の武将だったが実力を振るった。信長に信貴山敗死。お吟の実父。

織田信長:右大臣。

豊臣秀吉:太閤。本作では最高権力者、独裁者。千利休をとりたて大茶会を催す。お吟をわがものにしようとする。

大政所(おおまんどころ):秀吉の母親。

北政所(きたのまんどころ):ねね。秀吉の妻。

淀君:秀吉の若い妻。信長の妹・お市と浅井長政の子。豊臣秀頼の母。大坂城で自害。

豊臣秀長:大和大納言。秀吉の異父弟。千利休やお吟の庇護者となるが・・

細川三斎:武将。細川忠興(ただおき)。茶人としての名が三斎。利休七哲の一人。その妻がガラシア夫人(キリシタン)。

石田三成:治部。秀吉の家臣。五奉行の一人。頭の回転が早く、嫌われている。淀君の味方。

前田玄以:宮内卿。武将。秀吉の五奉行の一人。

施薬院全宗:医者。秀吉の側近。バテレン追放令を書いた。

津田宗及:天王寺屋助五郎。堺の商人。茶人。津田宗及、今井宗久、千利休が「天下三宗匠」。

今井宗久:納屋彦右衛門。堺の商人。茶人。

南坊宗啓:茶人。利休の弟子。堺の集雲庵にいた。清貧の人。

 

(コメント)(ネタバレ)

・独裁者の機嫌一つで人の命が奪われる。独裁政治という者はダメだな、と感じた。おや、今あそこの国やどこやらの国ではそういうことが・・

・独裁者のファミリーのメンバーのメンツのぶつかり合い(例えば北政所と淀君とか)でも政治が動き合戦になり人が死ぬ。独裁政治はやっぱりだめだ。

 

・キリシタンは武装して戦争に参加してよかったのか? ここはひっかかる。

・キリシタンは不可、としたのはなぜか? は本作では触れていない。ここでも触れないが、日本精神史上の大問題ではある。

 

・お吟は死ぬしかなかったのか。姿を変えて生き延びる方法はなかったのか。

・お吟は死ぬくらいなら、秀吉の女になってしたたかに生き延びる道もあったのではないか。坂口安吾は『堕落論』で「処女のまま死ねというのは間違いだ。米兵の女になってでも生き延びよ、生きていることが一番大事なのだ」と言った。

 

・戦国時代は下克上や主君替えは当たり前だったが、一人の主君に忠義を尽して死ぬのが美徳とされるようになったのは、儒学(ある種の儒学)の影響もあるが、キリシタンの宣教師の生き方(神のみに忠実に生き、殉教を恐れない)の影響があるとの説を読んだことがある。「武士道」と言ってもいろいろだ。

 

・千利休の周辺には髙山右近などキリシタンが沢山いた。堺という町は西洋に開かれた国際都市だった。キリスト教徒が礼拝でワインを回し飲みするのと、茶人が茶道で茶を回し飲みするのは、似ている。茶道はキリスト教の影響で成立したと言う人もある。もしかしたら千利休はキリシタンだったのか? 「センノリキュウ」は「セント・ルカ(聖ルカ)」に似ている、茶室のにじり口は「狭き門から入れ」の含意だ、と刀剣ワールドに書いてあった。どうかな?

 

・茶道をしたい人はすればいい。戦争や武術よりは平和だ。でもお茶は自分で飲みたいように飲めばいいし、夏場などペットボトルでグビグビ飲めばいいのでは? あっちの方が趣味がいいとか悪いとか、主観の問題でしかないものを、何か非常に根拠があるかのようにしかめつらしい顔をして語られても、信用できない。しかもその好みの違いでメンツが立ったり立たなかったりして個人的に恨みを持ち続けるのは、狭い世界の住人のやることだ。まして一個一千両の茶道具(!)など言外。でもお茶は抹茶も煎茶も紅茶も体にいいようなのでおおいに飲むとよい。一点ものの茶道具を並べ最高級の茶を飲むというのは、現代なら、超高級ホテルの特別室で高いコーヒーをのむようなものなのだろうか? 「侘(わ)び茶」を名乗っている割には・・?

 

・茶道は日本の伝統文化だ、と安易に言う人がいるが、千利休からでもわずか500年も経っていない。光源氏も平清盛も利休以降の茶道に触れたことなどない。何が伝統文化か? は、そう簡単ではない。それでも茶道は利休以来500年近くは経っているので、その限りでは伝統文化と言ってもよい。明治維新以降の帝国主義・軍国主義や靖国に比べればよほど息が長いものだ。

 

・髙山右近はお吟から離れるべきだった。キリシタンなのに不倫している!? 本作中に、西洋人は結婚後は複数の異性と交際するという認識が書かれているが、当時そう認識されていたのか、今東光の創作なのか、知らない。

 私の認識では、フランスの小説などでは姦通小説が結構あるが、それはまず姦通不可の倫理があってそれが近現代に揺らいで小説になっているのだろう。中世の騎士は憧れの姫に忠誠を誓うが基本は精神的なものだろう。本来は不倫・姦通はダメで一夫一婦制度堅持、というのが基本的な倫理だったはず。モーセの十戒は「汝姦淫するなかれ」と言っている。パウロも結婚相手を大事にせよと言っている。十字軍時代は故郷に残した妻に貞操帯をつけた話は有名だ。

 「GenderHistory」の三成美保(2014.1.2)は、「婚前交渉が「姦淫罪」として処罰されるようになったのは、ドイツでは17世紀以降である。姦通罪は罪が重く、いわゆる「不倫」には容赦がなかった。こうした性風俗犯罪は、たとえば、17世紀前半のミュンヘンでは、全犯罪の3割にも上った。(三成『ジェンダーの法史学』90頁)」とし、ザクセン選帝侯国ラント法(1666年)の「人妻と肉体関係が生じたときは両名とも斬首、妻帯者が未婚女性と関係すれば、男は斬首、女は笞刑のうえ追放。」「既婚者同士の姦通は両名とも斬首。」((出典)ビルクナー『子殺し』293-294頁))などを紹介する。

 では、なぜ今東光はこのような誤った認識を書きこんだのか? フランスの近現代小説などの影響で誤解したか、あるいは本人が若い頃女たらしだった(弟の今日出海が書いている)ことから逆算しての他者理解をしてしまった(自分の思い込みを他者に投影して誤解した)か、ではあるまいか?

 

・しかし秀吉他のあくどい欲望、戦乱の権謀術数の中で、それでも髙山右近への純愛を貫いて悲劇に終わるお吟の姿が浮き彫りになるように描いている。

 

・ラスト近く、追い詰められた千利休はこれもまた「運命」と観じたのであろうか、という記述がある(その十)。それもまた「運命」と観じ諦念を持ち覚悟を持って従容として死を受け入れる、というとカッコイイようだが、果たしてどうか。最後まで戦うか逃げるかすべきだ、と言ったらどうか? 昔見た映画『ポセイドン・アドベンチャー』『タワーリング・インフェルノ』などで、キリスト教徒が最後の最後まで諦めず戦い続けるのを見て、仏教的諦念は弱い、キリスト教の方が最後まで頑張るのかな? と(図式的なことを)思ったことがある。(それはあまりにも図式的な捉え方で、本当は少し違う、と今は思っている。)旧約のヤコブは神と相撲を取り負けず、イスラエル(神と戦う者)と名乗った。ユダヤ教にもキリスト教にもこのような要素が(すべてではないが)埋め込まれているのか?

 

・今東光は天台宗のお坊さんだ。他力浄土門系だと、明治以降、親鸞が妻帯したことに共感し、自分は煩悩具足であるからお念仏をして阿弥陀様に救って頂くしかない、という論理になるが、今東光の場合はどうなるのだろうか? 

 

(参考)

利休七哲:利休七人衆。前田利長(加賀の肥前)、蒲生氏郷、細川忠興(三斎)、古田織部、牧村兵部、高山南坊(右近)、芝山監物の七人。異論もある。

表千家、裏千家:千利休の孫の千宗旦(そうたん)の子どもの代から、表千家、裏千家、武者小路千家に分かれた。茶道の家元。なお利休の長男の千道安が起こした堺千家もあったが家系が断絶。

淡交:『荘子』山水篇に「君子の交わりは淡きこと水のごとし」とある。

一期一会(いちごいちえ):千利休の言葉とされる。茶会を催す際にはこれが一生にただ一度の茶会だとの覚悟でやりなさい(ここで別れたら二度と会えないから、これを最後だとの覚悟を持ってやりなさい)の意味とされる。

 

売茶翁(ばいさおう):江戸期。煎茶道の祖。黄檗宗(おうばくしゅう)の僧。都で茶を売りつつ仏教の問答をした。還俗して高遊外を名乗る。

岡倉天心『茶の本』(岩波文庫)

栄西『喫茶養生記』(講談社学術文庫)

森下典子『日日是好日』(新潮文庫):平たく書いてあるが、じっくり落ち着いて読むと、いい本。「にちにちこれこうじつ」と読みます。

川端康成『美しい日本の私』(角川ソフィア文庫):ノーベル文学賞受賞時のスピーチ。

 

加賀乙彦『殉教者』(講談社文庫)、遠藤周作『銃と十字架』(小学館P+D BOOKS)はペドロ岐部カスイを扱う。

遠藤周作『沈黙』(新潮文庫)は非常に有名な作品。神は沈黙せず叫んだ、と私は読みました。

井上章一『キリスト教と日本人』(講談社現代新書)は専門家の著作ではないが勉強になる。