James Setouchi
2025.3.1
国会議員も頑張っている 日曜討論会、予算委員会
(長文になった。脱線もかなりある。)
ごく最近(R7年2月)の、NHK日曜討論や国会中継を見て、少しだけコメントをする。すべて私見ですので、賢明なる有権者のみなさんは、ご自分の目でご判断下さい。
なお、私は「支持政党なし」のいわゆる無党派層である。あらかじめお断りしておきます。
1 2月27日の予算委員会で馬場さん(維新)が石破さん(首相)に対して、「自民党はもう保守ではないのではないかという声がある」と質問した。石破さんは一瞬考えて「自民党は保守ではないのではないかというご議論は、保守とは何だ、という話に畢竟帰着をするものでございまして、そこはいろんな考え方があろうかと思っております。私は、保守の本質は、寛容だと思っておりますものですから、そこについてはいろんなご批判があれば承ります」と言われた(文言は正確ではないが大略この通り。)・・・これは、馬場さんは政治的な意図があってあえて言ったのかもしれないが、石破さんの答えが立派だった。これは、自分の頭でじっくりとものを考えてきた人でないと出てこない答えだ。「保守とは何か? 私は、保守の本質は、寛容だと思っております」これは、名言である。各種国会答弁の中でも、名言集に入れるべき言葉だと思うが、いかがか。
こういう発言がおできになるので、石破さんはエライのだ。賢い方なんだろうなと思う。官僚の書いた答案にあるかどうか知らない。多分ないだろう。あれはとっさのやりとりではないか? 日頃からそういう議論をし、ものを考えてこられたから、とっさにお答えになれたのではないか?
少し脱線するが(石破さんのお考えがどうかは厳密には存じあげないが)、不寛容に対して、寛容をモットーとする側は、どう対応すればよいのか? は人類史上ずっと考えられてきた。宗教戦争で相手を異端・悪魔崇拝と決めつけ火あぶりにするときは、互いに不寛容になっているのだ。キリストが見たら嘆くだろう。パスカルは「人間は天使になろうとして豚になる存在だ」と警鐘を鳴らした。渡辺一夫は「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」を考えた。ナチスに対してフランスの自由思想家たちは、あるいはヨーロッパの政治家たちは、どうすればよいか? 考えた。内田樹はカミュの『ペスト』に触れ「ためらいの倫理学」を語る。アマルティア・センは「西洋が寛容で東洋が不寛容というわけでもない、東洋にも寛容の思想はある」と言う(『貧困の克服』など)。あるカトリックの神父が書いていた、「私はあなたのやることがきらいだ、だが、あなたのやることを認める」と。曽野綾子だったかが書いていたが、イスラム教はムハンマドからまだ1400年しか経っていない、若い宗教だ、キリスト教は2000年経っている、と。キリスト誕生から1400年と言えばまだこれから宗教改革や宗教戦争ですか、というほどだ。キリスト教は(ローマ・カトリックは、またギリシア正教は)その過程で過ちもしたが修正もして、多様な考え方を包摂しながら続いてきて今日がある。あの仏教でも、釈尊から500年以内に大分裂があって、南アジア・東南アジアや東アジアに多様な形で広がって今日に至っているのだ。人間は(自分は)過ちを犯しやすい、そのことの自覚を持って生きた方がベターだろう。自分が絶対に正義だ、などということはない。中谷さん(自民)も「保守党の本質は多様性と寛容の精神を大事にすることだ」とどこかで言っている。大変立派な見識だ。
最近SNSなどで誰かを短絡的に集団で攻撃して社会的に葬ってしまうのが流行っているが、いい風潮ではない。もちろん是は是、非は非であるが、誰かを排除して「あんな人たちに負けるわけにいかない」などと言い捨ててしまうのは、不寛容であり対話を否定するものであり相手を抹殺してしまうものである。「話せばわかる」(犬養毅)が正しい態度であって、「問答無用」(海軍青年将校)(五・一五事件)は不可。この点、最近日曜討論を見ても国会質疑を見ても、ちゃんと話し合おうとしている。これはよい。
それにしても首相は大変だ。あらゆるテーマから質問が繰り出され、すべてに答えないといけない。知力体力ともにある人でないと務まらない。大した仕事だと思います、ハイ。
2 井上信治さん(自民)が予算委員会でいつも映っておられる。井上さんは質問者の隣に座席があるので、TV画面の右隅に、質問者が映れば必ず映る。10人の質問者がいれば首相も10人分は映るのだが、井上さんも質問者と同じ回数10人分映っておられる。(他の何人かの方も映っておられる。あれは特等席だ。)井上さんは、あるとき(2月2日だったか)のNHK日曜討論会で自民の代表として出席された。その時の態度が非常に誠実であった(ように見えた)ので、予算委員会でも、「ああ、あの井上さんがおられるな」と思った次第だ。井上さんはお茶の水の井上眼科の子どもさんだ。井上眼科というのは、明治時代からお茶の水にある、有名な眼科だ。漱石読みなら誰でも知っている。漱石は若い頃井上眼科で見かけた少女に淡い恋心を覚えた。「銀杏返しにたけなわ(髪飾り)」をかけた少女だ。また、井上眼科は、NHKの福祉番組で紹介していたが、目の不自由な患者さんのために待合室の作りや模様にいたるまで安全に配意して作っているという。私は日曜討論を見ながらこれらのことを思い出していた。医者が患者の便宜を図るのは当然かも知れないが、その当然のことをきちんとやっておられる。だから患者の信頼を得て明治から今日まで続いている。そういう眼科のご出身であるから、井上さんご自身もあのように誠実な態度でいらっしゃるのかな、と勝手ながら思った次第だ。実は井上さんは開成・東大法学部・官僚・ケンブリッジ留学という超秀才なのに、そんなことはおくびにも出さず(当たり前だが)、討論会では相手の言い分を真剣に聞いておられた。その姿勢に誠実さを私は感じました。選挙区は東京25区で、青梅や奥多摩などのエリアだから、東京都心部とは違う、田舎の苦しみを選挙民から聞いておられることでしょう。私のエリアも田舎なので、分かって貰える部分があるのではないかな、という感じがします。
3 尚、同じNHKの日曜討論に出ておられた、井上さん(自民)以外の、山井さん(立憲)、赤羽さん(公明)、田村さん(共産)、櫛渕さん(れいわ)、浅野さん(国民)、三木さん(維新)も、それぞれに真面目に話し合おうとする姿勢があって、よいと(私はそのときは)思った。特に山井さんの「メンツを捨てる」、赤羽さんの「話し合うことが大事」、櫛渕さんの「すべての人が救われる政策を」などは、私はいいと思った。
4 2月28日(金)の予算委員会の浅野さん(国民)には反対。「金融資産(ビットコインなど)に対する相続税・所得税を55%は高いから株並みに20%に下げよ」という提案をしておられたが、それは富裕層優遇政策だと私は感じた。加藤勝信財務大臣が、基礎控除など諸々を差し引いて、相続税は最高税率55%、所得税は最高税率45%、住民税10%の税率をかける、などなどのルールの説明をした上で、「ご指摘のような、所得税・相続税を支払えばマイナスになるケースというのは、10億円で取得した暗号資産が65億円になったケース、あるいは、2000万円で取得した暗号資産が20億円になったケースなどに限られる」という旨反論された。最初に2000万投入できる人は相当の金持ちだ。しかもそれが100倍になるとは、私らの感覚から言えば、「濡れ手に粟」的なカネ儲けであって、まじめに働く(敢えて言えば)本来の日本人(清貧と勤倹節約をモットーとする)のあり方ではない。超富裕層や投機的カネ儲けをしている人の資産を守るために浅野さんは論をはってしまったようだ。浅野さんは加藤さんほど詳しくなかっただけなのか、それとも、国民民主は「103万円の壁」を言って貧しい人の味方なのかと思えば、実は超富裕層の味方だったのか? 株についても税金を20%でなく55%かけてもいいし、超富裕層は所得税75%くらいかけてもいいのだ。もともと戦後ある時期はかけていたのだ。80年代以降に累進課税の段階を縮小して富裕層をますます富裕にし中間層を没落させてしまったのだ。私は覚えている。浅野さんはまだ子どもだったからご存じないかもしれないが。累進課税(応能負担)は社会正義として当たり前ではないか。国民民主は富裕層・超富裕層の味方だったのか??? また、「10人に1人」のデータもどう調べたのか? これが正しいとして「10人に9人」は暗号資産など持っていないことになる。浅野さんの周囲にはどういう人がいるのだろうか? 暗合資産に手が出せるのは、ITに強く自宅にPCがあり・・と金儲け・財テクに強い人たちではないか? かつ暗号資産に手を出すのは、投機的に一発カネ儲けをしてやろうとしている人たちではないか? あえて強く言うが、投機的に稼いで恥じない人びと。清貧・廉恥・節倹の徳を捨てた人びと。もしかして外資系? まじめに額に汗して働く人、敢えて言えば本来の日本人は、そんなのとは無縁だ。仮に挙げれば二宮尊徳や上杉鷹山以来(厳密にはもっと説明が要るが)真面目に勤勉に節約しながら努力するのが本来の大多数の日本人だったはずだ。投機的IT長者のための政策? 浅野さん、どうですか?
先日民放を見ていたら、街角で年金生活者の高齢女性らから年金額を聞いていた。70代、80代で年金収入は月額7万円(年額84万円になる)という方が結構おられた。それでどうやって生活せよというのか? 貯金を取り崩すしかない、健康もお金も住宅も不安だ、と言っておられた。(家族の有無や貯金額についてはTVでは聞いていなかった。高齢女性だから夫は既になく単身というケースが多いように見受けられた。)歯も治せないから細かく刻んで食べるしかない、などと言っておられた。持ち家の場合お金が無いから家の補修もできない。例えば水回りが壊れたらどうする。借家の場合当然家賃が大変だ。・・・今まで何十年も戦中戦後の激動の時代を真面目に努力して世の中を縁の下で支えてきて、現状70代80代になって生活に困っている人が沢山おられる。今75才の人は団塊の世代なので理念としては男女平等だったはずだが実際には男性上位の社会で女性は下積み・下請け・縁の下に回ってきたのだ。・・今議論されているので明かなとおり、あちこち傷んだ国民の生活を守るために政府が支出すべきものは多い。その財源(税収)はどこから? 富裕層・超富裕層からとるしかないよ。貧しい方からは取れないのだから。しかも暗号資産はどこかの国が秘密裏に盗み取っているという話もあるではないか? あぶないあぶない。浅野さん、頼みますよ。
孟子は「鰥寡孤独を大切にせよ」と言った。「鰥寡孤独」が読めるであろうか・・?
5 大石さん(れいわ)はいつも4時半過ぎに登場される。れいわは人数が少ないためか? 大石さんが何度も出てきて、顔を覚えました。他の党が言わないことを言うので、私は面白いと思って聞いています。2月28日(金)は時間いっぱいになっても壇から去りがたく、委員長から「時間を守ってください。ルールですから」と叱られていた。時間がなくなるのは、イイタイコトが沢山あるのでしょうけど、もう少しうまく時間配分してやるしかないのかもしれませんが、野党の発言時間をもっと延ばしてもいいかもしれませんね。大石さん、めげないでお励み下さい。大丈夫です。あなたはこれからの方です。
発言内容では、維新への批判が炸裂していました。
第1点で、高校無償化は「無償化」ではない、入学金もあれば他の各種の出費もあるよ、というのはその通りです。本来は教育も医療も全部タダにすべきなのかも。キューバはそうだとか。フィンランドも医学部卒業するまで教育はタダと聞いている。しかし日本の現状において、悪徳業者が法外な値段でふっかけているものまで全部税金で担保すべきか? (全寮制で月謝100万円にするとか! しかもその正体は外資!?)というと、それは違うでしょうから、とりあえず公立は授業料タダ、私立もそれに準ずる、でいくのは妥当な「落としどころ」なのかも? その上で、貧富の差なく学べる方向に努力するのは当然。現物支給できるものは現物支給に。小中学校の教科書はタダ。これは人権・同和教育の運動の成果と聞いている。他にも努力できることはあるはず。為政者としては、「富裕層の子は十分な学びを、貧しい人の子は我慢して」とは言えない。それは社会正義ではない。だが現実には、富裕層の子は私立大学に行けたり海外留学できたりする。高額な習い事もできる。対して貧しい人の子は、上級学校に行けなかったり、海外留学なんて絶対無理で、高額な習い事もできなかったりする。保護者・生徒の立場としては、生活防衛上工夫してやっていくしかない。安くあげられるものは安く。制服やランドセルなどは使い回す。ブレイディみかこの本を読むとイギリスのブライトンでは先輩のお古を古着バザーで手に入れるとか。日本でもちょっと前まではそうしていました。部活動も安上がりに。見栄のためにカネをかける大会など参加しなくてよろしい。真の学びはそんなところにはない。部活動をしたいなら、値打ちのある部活動で、部費・大会参加料なし、ユニフォームなし(体操服や制服で活動できる)の部を、学校はいくつも作っておくべきだ。でも、カネをかけて華やかな舞台でイイカッコしたいですか? そんなものを煽るマスコミや一般人の世論にも問題がある。一部のヒーローをしたてて国民を騙すのは愚民化政策の一環なのだ。賢いリーダーは、民に「賢くなれ」と言う。もとに戻って、私は本も随分古本屋で買った。(近年はコロナなどあって古本も気持ちが悪いのですが。辞書は舐めるように読むので新品の方がいいな。)各種グッズなど、何でも業者に儲けさせることはありません。学校行事で、劇場体験や修学旅行は近場でいいところを? でも貧しい家庭ほど、家庭では劇場体験も旅行体験も得にくいだろうから、そこは考えた方がいいですね。中学で京都奈良に行き高校で東京に行かないと一生行かないかもしれない? いや、一生行きそうもない黒部アルペンルート(都会の消費文化にあまり汚染されていない)や日本人として一度は行くべきヒロシマ・ナガサキ・オキナワこそ、学校時代に行くべき場所かも? その方が東京のシティホテルに泊まるより安上がりだし、学ぶところが多いかも。ううむ・・・いや、また脱線しました。とにかくカネをかけずに真に価値ある学びをするには? 知恵を出すしかない。でもやっぱり東京のKO大とかに行ける人が羨ましいような気がしますよね。どうしたらいいですかね。(なお、フィンランドには部活動も修学旅行もない。部活動、運動会、修学旅行は日本の独自のもので、諸外国では聞かない。英米の課外活動は日本の部活動とは随分、いや全く違う。)
第2点で、私立が勝ち残って公立が潰れるのは不可、定数を是正して少人数学級の実現を! というのは、その通りです。私立もそれぞれあっていいと思いますが、値段の安い公立が充実することは大事です。(特に、一部私立でスポーツで活躍する一握りの生徒だけにコストを投入し、私立の大多数の生徒や公立の大多数の生徒の学びがおるすになるのはダメです。普通の大多数の子を大事に。)フィンランド(学力世界一と評判)などでは1学級に25人も生徒がいれば「多すぎる」と教師が言い出すとか。実際質の高い学び(日本でも探究的学習を大々的に始めた。文部科学省ははりきっている)のためには少人数でないと教師の目が行き届かないと思います。教育予算でIT会社を儲けさせて生徒にタブレットを配っても授業中あちこちネットサーフィンしているだけでは値打ちのある学びにはなりません。どこかの国では子供たちにスマホ・SNS禁止令が出ているとか。個別に助言できる少人数クラス、チーム・ティーチングなどが有効です。(ベビーブーマー世代の時は1学級50人もいてしかも1学年12クラスでめちゃくちゃな詰め込み教育をしていました。学校は規格大量生産の工場と同様だったわけです。それでも日本全体が右肩上がりだったから若者は希望を持って過ごしましたが、それはあくまでも低賃金で大量生産をしていた時代の話。それでは現代の高度な学び(解決不能と見える課題に何とか挑む。食糧問題、資源・エネルギー問題、貧困・難民問題などなどにどうすれば最適解を出せるのか?)には対応できないでしょう。)「子どもの数が減ったので教師の数も減らしました」ではなく、子どもの数が減ったときに教師の数を減らさずキープしていれば、今ごろは25人学級にたやすくなっていたはず。
なお、学校に行っていない子についてもご配慮下さい。真面目な子で休んでいる子については特に。
6 2月28日(金)の予算委員会の夕方5時ころ、田村貴昭さん(共産)の時、周囲がざわつき、委員長が静粛を求めました。どうしてざわつくのか? 人が発言しているときは静粛に傾聴すべきでは? だが、よく見てみて、理由が分かりました。多分こういうことでしょう。田村さんが時間がないので焦って言葉足らずに陥ったのだと思います。ご発言の意図は、恐らく次の通り。(私はその西日本新聞を見ていないので正確なことは分かりませんが)
A(私の想像する真意)「福岡県のある建設業者は、自民党議員支部への月1万円の献金をやめた。もともと口利きを期待して後援会に入った。それで公共事業を請け負い追加発注も受けるつもりだった。しかし、自民党県連への献金をやめたのち、追加発注は破談になった。この事例こそまさに、献金が見返りのためだということを示す、証言ではありませんか。」
田村さんは恐らくそう言われたかったのではないでしょうか。しかし、時間を意識して焦られたためか、言葉足らずになって、次のようなご発言になった。
B(実際のご発言)「福岡県のある建設業者は、自民党議員支部への月1万円の献金をやめた。口利きを期待して後援会に入ったけれども、公共事業を請け負い、追加発注が破談になった。まさに、見返りとしての証言ではありませんか。」
これは確かに理解しづらい文章だ。Bをきいた周辺の議員たちの何人か(井上さんではない、念のため)はザワザワとなった。田村さんがまだ話しておられるのに、ニヤニヤ笑い、ブツブツとヤジ気味の発言をし、近い人と私語を交わし、頬肘をついて笑っている人、腕組みをしている人もあった。委員長が「ご静粛に」と注意喚起した。このシーンは残念だった。もとは田村さんの言い方が言葉足らずだったのだろうが、それでも静かに傾聴すべきである。言葉の足りないところは補って理解してあげようと努力するのが人間のコミュニケーションである。丁寧に聞けば、田村さんは本当はAが言いたかった、と、賢い国会議員の皆さんならお分かりになるのでは? 仮にも選挙民から尊敬されて選出された国会議員の先生がたである。丁寧に聞こうとしないのは、「どうせ共産党の言うことだから」という失礼な気持ちがどこかになかったか? 夕方5時前になって皆さんお疲れではあったとは思うが? 共産党もれいわも至って真面目にやっている民主主義の議会内の公党であり、他の党の言わないことに気付いて言ってくれているのであるから、意見は意見として、議論は議論として、まずは聞いてみるべきである。
なお、田村さんご自身で言えば、時間不足で焦って言い間違えないように、原稿を十分な文章にして臨まれるといいかもしれない。もしかしたら原稿は、文章になっておらず、単語が並んでいただけだったのではなかろうか? お忙しいから大変だとは思うが・・田村さん、めげないでお頑張り下さい。
7 多分2月27日か? だと思うが、赤嶺さん(共産、沖縄)が米兵の暴力について発言しておられた。米兵が沖縄県民に暴力を振るっていいはずがない。これは石破さんも同じ考えだと言っておられた(当然だ)。その次、安保と地位協定が今のままでいいのいか、というのも、石破さんも同じ思いのようだった。だが、それを今すぐすべきか、そう簡単ではないとみるべきか? ここで違いが生じる。ここからは難しい。
「米軍がいなければ米兵による事件は起らない」というのは論理的な言明としては正しいかに見えるが、同じことが、「B国軍がいなければB兵による事件は起らない」「C国軍がいなければC兵による事件は起らない」についても言える。理想は、すべての国の軍隊がなくなればいいのだ。武器もいらない。剣を鋤に換えて平和に暮らすのがいいのだ。だがそうもいかないので困っている、というところだろう。「東アジア情勢の緊迫で」が石破さんの現状認識だ。対して「東アジア情勢は緊迫していない。危機を煽るほど緊迫する」という見方もあるあろう。どうだろうか。その認識の出発点が違い、そこから引き出される方法(政策)が違ってくる。
もちろん平和外交・交流はどんどんやることを前提として、だが、日米英豪でスクラムを組んでいることを見せればかの国やあの国が出てこられないと判断するか、かえってかの国やあの国を刺激して危険が増大すると判断するか、ということだろうか。すべての国が平和憲法・小国主義を採用すれば話は早いのだが? そもそもなぜいつも国家単位のゲームのようにのみものを見る? その枠組み、すでに古いかも? 確かに国家は今のところ日本ではかなり有効だ。税金を納め、法律を作る。実際にいいこともたくさんしている。だが、国家の仕組みが機能していない地域が世界には沢山ある。反対に国家が民を統制し独裁権力を維持するための道具になっている国もある。かつ世界を動かしているのは、国家がすべてではない。別の枠組みで世界を解釈しその中に国家の働きも入れながら論じている国際政治学者・国際関係論者は誰がいるか?
武器商人たちに世論を操られて血税をどしどし武器産業に投入し、最後は国民の命まで奪われ日本もあそこもどこそこも焼け野原になる(しかも自ら死地に赴く国民自身が熱狂して戦争を支持する!)、というの(例のやつ)だけは避けないといけない。戦争を煽っている武器商人や武器産業の投資家たち、またそのために発言する政治家やマスコミ人は、自分自身が前線で血を流して体がバラバラになる覚悟があるのだろうか? また自宅を基地として差し出す覚悟があるのだろうか? ないに決まっている。ほかの人に戦争で殺しあいをさせ自分はのうのうとカネ儲けをする、そういう連中を「外道(げどう)」「鬼畜」「非国民」と言う。仏罰・天罰・神罰があたるであろう。しかも外資系だったりして・・くわばらくわばら。
戦争を止める仕組みが大事だ。(たとえば、非常に乱暴な例だが、東京と千葉は戦争をしない。なぜか? 理由がある。千葉と埼玉と神奈川が連合して東京を抑え込んでいるから、ではない。)
(また脱線するが、米が買えないと嘆く人をよそ目に、コメを投機的に買い占めている人たちがいるのか? 彼らを「非国民」と言う。投機的な金儲けをして恥じず、清貧・廉恥・節倹の徳を捨てた人がいる、と先に述べたのはこの例にもあてはまる。これも外資系?)
8 いつか忘れたが伊勢崎賢治さん(れいわ)がNHK日曜討論に出ておられた。さすが、もともと世界の現場で長く頑張っておられた方で、東京外大でも教えておられた方だ。
「資本家目線だけではなく労働者目線で見ることも大事だ。サプライチェーンの変更は、そこで働く末端の労働者の仕事を奪うことになる。それがテロや暴動、内乱を引き起こすこともある。」(大意。文言は正確ではない)といった指摘は、さすがだった。
「安全保障のジレンマというものがある。お互いに疑心暗鬼になり安全保障のためと称して軍拡を続けかえって危険が増すことがある」その通り。
「1979年以降中国は他国を侵略していない。この間アメリカは他国に対し何度も軍を出した」などのご発言もなるほどと思った。(ご発言の文言は正確にこの通りではないが)。
もちろんかの国の言論弾圧や歴史の捏造(ねつぞう)・抹消(まっしょう)や少数民族弾圧、また貧困の実態などは大変恐ろしいし(民が抑圧されている。人民のための国ではなかったか?)、報道によれば何かと大漁船群団があちらやこちらに押し寄せたり人口島を作ったりするのは気持ちが悪いのだが・・
伊勢崎賢治『自衛隊は人を殺しに行くのか』は有益だった。他にも著書多数。(なお、1979年中国はベトナムに大量出兵して敗退。)
9 土曜の午後(3月1日)にある民放の番組を見ていたら、
・「I(都知事)さんだったら尖閣に構造物を作ると言っていたので今の問題は生じなかった、Nさん(民主党)が国有化してその後何もしなかったから今の問題が生じた」と口々に言い、Iさんを持ち上げNさんを批判していたが、偏った、一方的な議論だと思った。Iさんが前に出ると国際問題が大きくなり自衛隊を出すことになって大変な事態になったかもしれない、という可能性を一切言わなかった。そもそもIさんが「都で買う」と言い出して問題が大きくなったのであって、しかもアメリカのワシントンのヘリテージ財団でそれを言った(2012年4月16日)。ヘリテージ財団は有名な右派のシンクタンクだ。Iさんは日中がもめて防衛費にもっとカネを注ぎ込むことをもくろんでそういうことを言い始めたと疑われても仕方がない。石垣市議会は国に購入して欲しいと要望した(4月19日読売新聞)。結果的に寄付金(16.6億円)以上の金(20.5億円)(金額は「e-論壇 百花斉放」の杉浦正章の記事2012.9.6によった)で国が買い取ったので都のふところはいたまず、地権者(山東昭子を通じてIさんと知り合った。4月18日読売新聞)は個人では所有に限界のある島を手放せてお金も入り、日中間はもめる、と、Iさんのもくろみ通りになった、という見方もあるのでは? 尖閣は議論のあるテーマだが、この番組は、何人も論者がいるように見えて実は偏ったことしか言わないので、見るんじゃなかった、時間の無駄だった、と思った。あれは討論・対話ではないな。大勢で同じことを言っているだけだ。
・実は別のコーナーで島田裕巳さん(宗教学者)が出ていたのでその番組を見ていたのだが、そこでも、(島田さんはさすがで、確かな見識でものを言っておられたが、)出演者たちが口々に皮相なことを言うので呆れてしまった。「外国人が入ってきたら外国の宗教が入ってきて日本の文化が失われる」などと奇妙なことを言われるが、その人は和服でなく洋服を着ていた。電気を使いTV(西洋の科学技術の産物)に出ていた。そもそも大陸からコメや漢字が来て、律令制度も入ってきて、・・・一々挙げないが、ポルトガルやイスパニアからも文化が入ってきた、明治以降も西洋のものが入ってきて(言っておくが「近代国家」も「明治憲法」も「軍艦」も西洋からの移入・模倣などなどである)、戦後も・・・と、日本列島に住む者は、海の向こうから来るものを受け入れそれらから学びそれらと調和し或いはそれらを包摂・同化しながら進んできた。クリスマスもバレンタインもある形で定着した。ひな祭り(桃の節句)も! 中国から来た。七夕も! 中国から来た。正月も! 中国から来た。それら以前には? 縄文1万年がある。大陸から学ぶ以前に戻れと言うなら、縄文時代の暮らしをされてはいかがですか。島田さんはさすがに分かっておられてちゃんと話そうとされていたが、出演者たちの頭が凝り固まっているのか、番組の方針で一つの方向しか言えないように決まっているのか、島田先生の言われることをちゃんと受け止めていない印象があった。せっかく来ていただいた島田先生に申し訳ないような番組だった。あの番組を見る時間があったら本でも読んでいた方がよかった。
非常に長くなったので今日はここまで。
ありがとうございました。