James Setouchi

2025.2.24

 

読書会 清少納言『枕草子』 R7.4.19土 予定 その7

木の花は  加えて、西洋への紹介

 

(6)37「木の花は」(類聚的章段)

 いわゆる「ものづくし」。

 

 ここでは、木ではなく木の花に注目した。それぞれ深い含意があるのか、ただ列挙しただけなのか。

 

 宮崎洋子「枕草子の自然描写に関する一考察」(『名古屋大学国語国文学 第二十四号』昭和44年7月21日)によれば、梅桜藤橘など伝統的なものはもちろん、漢文から来る梨、紫の桐と楝(おうち=せんだん)を取り上げ、橘梨桐が特に叙述が多い。梅桜藤は他の箇所でも取り上げている。梅は紅梅(勅撰集(ちょくせんしゅう)の梅は香)、桜はフォーカスして、藤は高貴なものとして記す。和歌的観点とは違う作者独自の観点で述べている。このように宮崎氏は指摘する。

 

 藤本宗利の博士学位論文「枕草子研究」(2003)では、「三「類聚的(るいじゅうてき)章段の特質-「木の花は」をめぐって」では、それまで当時の貴族趣味や伝統的美意識の枠組を、一歩も超えるものではないと評されてきた花木群について、同時代までの文学作品中の用例を細かに検討することで、梨と桐とが文学的素材としていかに逸脱(いつだつ)したものであったかを実証した。そのうえで伝統的な花木である梅〜橘が、和歌的な表現を踏みはずすような描かれ方をしている点を、特に橘の条を例に詳述し、この章段がいかに当時の読みの通念をはぐらかすものであったかを説く。」(本人の要旨)

 

(個々の木の花について)

・紅梅:*初めて出仕したとき見た中宮(ちゅうぐう)定子は、血色が良く紅梅色だった。紅梅色の色襲(かさね)を定子は好んだ。実はウメは奈良期までに大陸から渡来していたが、紅梅(コウバイ)は平安時代の新規輸入(新潮集成)。菅原道真(すがわらみちざね)は「東風(こち)吹かば匂いおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」と言った。凡河内躬恒(おほしかふちのみつね)は 「春の夜の闇(やみ)はあやなし 梅の花 色こそ見えね 香(か)やはかくるる」(古今集)と歌った。梅は匂い・香りを賞美するものが多かった。「濃きも薄きも紅梅」と新規輸入の紅梅の色彩を讃えたのは清少納言の感覚。

・桜:*葉桜。ソメイヨシノではない。散る桜ではない。咲く桜がよいとする。古今集にも梅の歌もあるが、桜の歌の方が多い。本居宣長(もとおりのりなが)は「しきしまの大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」と言った。

・藤:*藤原氏の連想で「めでたし」と讃えているのだろう。

・橘:*夫の一族。実が黄金のようだ(和漢朗詠集の具平親王の漢詩)。ホトトギスのよすがでもある。*万葉集にある。大伴宿禰書持(おほとものすくねふみもち)「我がやどの花橘に ほととぎす今こそ鳴かめ 友に逢へる時」(万葉集、巻8-1481)など。古今集「さつき待つ花たちばなの香をかげば 昔の人の袖の香ぞする」は有名。

・梨:日本では興(きょう)ざめとされるが、中国では高貴な木だ。漢詩文にもある。よく見ると確かに花の端に色合いが付いている。白楽天は楊貴妃(ようきひ)の泣き顔を梨の花にたとえた。*父親の清原元輔(もとすけ)梨壺(なしつぼ)の五人だったので、梨にこだわったかも? 梨壺、というのは内庭に梨が植えてあるのだろう。*唐の宮廷音楽家養成所を梨園(りえん)という。ここから歌舞伎(かぶき)俳優の世界を梨園という。Wikiには差別的な言い方だとあったが、普通にマスコミで「梨園」と言うので、差別的とは言えないのでは?

・桐:紫の花は趣があるが、葉の広がりざまはいやだ。でも中国では鳳凰(ほうおう)が桐にとまる。琴や琵琶(びわ)の材料にもする。すばらしい。*聖天子が出現すると鳳凰が出現する。鳳凰は桐にとまる。なお、北原白秋は歌集の名を『桐の花』とした。

・楝(あふち):枯れたように様々に咲いて5月5日の節句にあうのも面白い。*5月5日=端午(たんご)の節句(せっく)は陰暦(いんれき)では梅雨。邪気を払うために楝を軒先につるした。

 

*なぜ山茶花(さざんか)も椿(つばき)も杏(あんず)も桃(もも)もないのか? 辛夷(こぶし)も木蓮(もくれん)も山吹(やまぶき)もない。中国趣味なら椿と桃くらい必須では? 椿は永遠の生命を象徴し『荘子』にも出てくる。椿は海沿いに伝播したと柳田国男が書いていた。室生犀星(むろうさいせい)は「杏よ、花つけ」と性急に歌った。桃は陶淵明(とうえんめい)「桃花源記」で有名。モモタロウにもある。千昌夫の「北国の春」では辛夷が出てくる。山吹は古今集にも出てくる。

 

*宮中にも木が多く植えてあった。「左近(さこん)の桜、右近(うこん)の橘」以外にも、梅壺(うめつぼ)には梅、藤壺には藤、梨壺には梨。京都近郊にも木が多い。日本は木の文化だ。雨が降り、太陽が照る。木が育つ。家も木で作る。木へんの字が多いと聞いたことがある。(さんずいも多いとか。)中国はくさかんむりが多いかも。(言べんも多いとか。)

 

 

(参考)西洋への紹介

 H29(2017)4月刊行ちくま学芸文庫、清少納言『枕草子』訳者・島内裕子氏による「解説(H29.2.15)から:

 

 日本文学の全体像が西欧に知られるようになったのは、明治時代後期になってからである。先に若き日の上田敏に言及した際に触れた、三上参次・高津鍬三郎合著『日本文学史』を参看して、西欧人による『日本文学史』が著されたことが、その端緒であった。すなわち、明治32年に、まずウィリアム・ジョージ・アストン(1841~1911)の『日本文学史』(英語、1899年)が刊行された。その後、カール・フローレンツ(1865~1939)の『日本文学史』(ドイツ語、1909年)、ミシェル・ルヴォン(1867~1947)の『日本文学選』(フランス語、1910年)が続いた。これらの英独仏3か国語によって、古代から時代の流れに沿って日本文学が解説され、翻訳された原文も同時に掲載された。この時点の『枕草子』は、作品紹介や原文の翻訳の分量で、『源氏物語』に関する記述を凌駕するほどだった。

 とりわけルヴォンによるアンソロジーは、豊富な原文の翻訳を収めており、30頁にわたる仏訳『枕草子』は壮観である。その翻訳が拠っている原文は、『春曙抄(しゅんしょしょう)』12巻のうち、巻4までのものである。ちなみに、ルヴォンは、北村季吟の『春曙抄』を1893年版で読んだことを注記しているので、この年に刊行された『訂正増補枕草子春曙抄』によったのであろう。ただし、ルヴォンが手にしたのは、1899年の第8版とのことである。また注にはフローレンツのことも出てくる。ルヴォンの『日本文学詞華集』は、詩人・劇作家のポール・クローデル(1868~1955)の日本文学観にも大きな影響を与えた。駐日フランス大使でもあった詩人のポール・クローデルは「日本文学小史」という講演録(『朝日の中の黒い鳥』所収)で、『源氏物語』には触れずに、『枕草子』、『方丈記』、『徒然草』などを中心とする系譜で日本文学を把握しており、その注で、ルヴォンのアンソロジーによって日本文学の原文を引用したと明記している。

 上記の英独仏語による、3種類の日本文学書が出揃った後に、アーサー・ウエーリ(1889~1966)による英訳『源氏物語』(1925~33年)と『枕草子』(1928年)が刊行された。以上の5種類の本によって、日本文学は世界に飛び立ったと言えよう。

 

→『枕』や『源氏』で紹介される日本は、高級貴族の平和で雅びやかな世界だ。 『枕』は明るく、『源氏』には深い悲しみがある。

 また『方丈記』『徒然草』のどこを紹介したのか知らないが、それらには仏教(信仰的生活)と美意識を重んじる姿勢が描かれている。

 これらから日本文化が紹介されたのは、日本のためによかったかもしれない。武力で殺し合い裏切り合う世界を紹介するのと比べて、どうであろうか? 

 ルヴォンやクローデルがなぜ日本文化のそこに注目したかは、フランス文化論の課題となろう。ウエイリーの『源氏』を読んだドナルド・キーンが、戦争ばかりしている西洋に対して、日本には平和な世界がある、ゲンジは悲しみを知っている、と捉えたことは有名だ。

 これはまた、私たちは日本文化のどこを、自ら後世に伝えるべきものとして継承し、また広く海外に伝えていくべきか、を考えるヒントにもなる。マンガ・アニメか? ポケモンとニンテンドーか? 和食か? お茶・お花か? 能と狂言と歌舞伎(かぶき)か? ゲイシャとマイコの世界か? 儒教と仏教か? 神社神道か? 武術・武道か? 武士道か? では武士道とは何か? ニンジャとショーグンか? あるいは古民家か? オモテナシか? 「和」の心か。 では、「和」の心とは何か? 散る桜(軍歌)か、咲く桜(本居宣長)か。 TOKYOサイコー! の世界か。 川端と三島か? 漱石と大江か? 「美しい日本の私」か、「あいまいな日本の私」か。 内村鑑三か? 芭蕉か? 和歌か? 長明(ちょうめい)や兼好(けんこう)の隠者の思想か? 制服と清掃タイムと日直か? あくどい金儲(かねもう)け主義か? 信長秀吉の金ピカ趣味か? 谷崎的「陰翳(いんえい)」か? 勝利至上主義の部活動か? 平和憲法か(平和憲法だ)。 平和を愛し心優しい若者たちか(そうだ)。 国民皆保険制度か(そうだ)。 丸腰で(銃刀を身に帯びずに)暮らせる、安全で安心な社会か(そうだ)。 異質な他者の悲しみに共感できる心か(そうだ)。

 反対に、日本文化のどこが弱いから、海外の何を受け入れ、新たなものをどう創造するか? のヒントにもなる。(異文化を取り入れる柔軟性・謙虚さは、日本文化の強み。)

 そもそも「日本」というくくりでいいのか? も問うことに。