James Setouchi
2025.2.25
読書会 清少納言『枕草子』 R7.4.19(土)(予定)
その3
内容(2) 299「雪のいと高う降りたるを」(日記的章段)
・登場人物:
中宮定子(ちゅうぐう ていし):サロンの中心。19才くらい? 一条天皇の后。
清少納言:漢詩文に詳しい。28才くらい?
他の女房たち:中宮定子にお仕えする。
・いつあったことか?:西暦994年頃か?997年か? の説あり。知らない。宮中の登華殿(とうかでん)に中宮定子と清少納言と人びとがいて、雪の振った朝。清少納言は宮中の務めに馴れている。997年なら職(しき)の御曹司(みぞうし)という部屋での出来事かも知れない。(津島知明『枕草子』「「香炉峰の雪」と「三月ばかり」の段を読み直す」國學院雜誌 第118 巻第3 号(2017年))
・何があった? 雪が降った。朝開けるはずの格子(こうし)を降ろしたまま皆で話をしていた。定子様が「少納言よ、香炉峰(こうろほう)の雪はどうであろう」と聞いた。私(清少納言)は格子を高く上げさせ、さらに御簾(みす)を高く巻き上げて外が見えるようにした。定子様は(満足なさって)お笑いになった。人びとも、「そういう古典の詩句は知ってはいたが、あの場でああするとは思いも付かなかった。清少納言は定子様にふさわしい」と感心してくれた。
・定子様は何を言ったのか?:白居易(白楽天)の「遺愛寺の鐘は枕を欹(そばだて)て聞き、香炉峰の雪は簾(すだれ)を撥(かが)げて看(み)る」という詩句(『和漢朗詠集』にある)を踏まえて、「香炉峰の雪はどうだろう」と言った。格子窓を開け御簾も開けて外の雪を見ようよ、との含意だ。
・清少納言はどうしたか?:定子が白楽天の詩句を踏まえて言っていると直ちに理解し、格子窓を上げてさらに御簾を高く巻き上げた。(中島和歌子「枕草子『香炉峰』の段の解釈をめぐって:白詩受容の一端」(神戸大学レポジトリー、国文学研究ノート25、1991-3)は「巻き上げた」と理解している。)それで戸外の雪が見える。清少納言は、白楽天の詩句を暗誦(あんしょう)してみせることもできたが、それ程間抜けではなく(新潮集成)、黙ってこの行為をした。
・定子は自分の謎かけを清少納言がすぐ理解して行動したので、満足して笑った。
・他の女房たちも感心してくれた。女房たちも一定以上の教養はあるので、白楽天くらい知ってはいたし歌うこともできたのだが、その場ですぐ動けたのは清少納言だった。
・清少納言と定子の息がぴったりの様子が描けている。清少納言は定子に褒められるのが嬉しくてならなかったように読める。周囲も祝福していたと。
・中宮定子は文化的・知的な明るいサロンを目指していたに違いない。自分が宮廷の文化を担う自負があったに違いない。清少納言は「この宮には・・」とあるので定子を讃えている。
・だが、周囲は嫉妬していなかっただろうか? 「この宮の人には、さんべきなんめり」は嫉妬かも知れない? でも『枕草子』は、嫉妬として描かず、祝福として描いている、ように見える。
・「人びとも・・よらざりつれ。」を地の文ととれば、ここは清少納言の自慢話になってしまう。だが、本当か?
・白楽天(はくらくてん)(白居易=はくきょい)は中唐の詩人。『白氏文集』は平安貴族に読まれた。白楽天は出世街道から外れて江西省九山の廬山(ろざん)(隠遁者の集まるところ)のあたりに小さな草堂を建てた。その時に作った詩(『草堂記』)の一部がこれ。白楽天は出世から外れ自然の中で閑居(かんきょ)することを楽しむ姿勢でこの詩を書いている。定子と清少納言はそこまで踏まえてやりとりをしているのか? そこまで深く考えていないのか? 997年のことなら、すでに栄光を失い職の御曹司に移された自分たちの不遇(ふぐう)を含意(がんい)したとも読める。今井久代「『枕草子』「雪のいと高う降りたるを」段を読む」(『日本文学』 65(1) 2016年1月。今井氏は東京女子大)に言及(げんきゅう)がある。今井氏はそう取ると「切実すぎる」と言っておられる。私も、彼らは深く考えていないで、ただ機知のやりとりをしているだけのように思う。だが、「雪でも見て心を落ち着かせましょう」という点では、李白も定子も共通している。
・「例ならず」とあるが、定子は格子窓をわざと閉めておいて清少納言を試したとする説がある。そこまでとりたくない。
・「例ならず」格子窓を閉めていた。寒いから、という解釈でいいと私は思うが、すごくうがった見方をあえてすれば、定子は異常事態で何か辛いことがあり朝寝過ごし、格子窓を開けていなかったのかも? しかし定子はそれを振り切り頭を切り替えるつもりで「清少納言よ・・」と呼びかけたのかも。そうだとするとこのエピソードは、中宮定子サロンの人びとにとって重要な転機となる時を描きこんでいるのかも? そうすると自画自賛のつまらない章段どころではない、ということになる。うがち過ぎだとは思うが・・
・それにしても定子はなぜ戸外が雪だと知っていたのか? 雪だと知らなくても成り立つ話ではあるが。昨日降って皆で庭に雪山を作って遊んだのを翌朝見ようとしたのだろうか?
・女房たちが一つの部屋に集まって格子窓を閉め切って、火鉢(ひばち=炭に火をつけて暖を取る。周囲には灰を入れてあるので火事にはならない。灰で火力を調節する)に火をおこして、夜中お話をしていたら、部屋の空気はこもっていただろう。格子窓を開けると朝の新鮮な空気が入って気持ちが良かっただろう。明るい感じのする話だとすれば、その新鮮な空気の効果もあって明るい感じがするのかも?
・宮廷の女房たちはこのような振る舞い方をするのがよい、という、振る舞い方マニュアルのようなものとしても読める? そのつもりで書こうとしたとしたら?
・色々変遷(へんせん)を経てなお清少納言は中宮定子のサロンのキラキラした所を描く。
*「皆の者、格子窓を開けなさい」と命じ、「ハイ」と言って窓を開けてもいいはずだが、わざわざこのような手の込んだことをするのはなぜか? ウィットをきかせて会話を楽しんでいるわけだが、ここでは自分たちの日常生活に白楽天の生活のイメージをかぶせて楽しむ態度でもある。だと言える。宮沢賢治は岩手をイーハトーブと呼んだ。特別な名前を与えることで特別な存在になり、日常は特別なものとして輝き始める。演出しているのだ。自分の恋人の真理子さんを「プリンセス・メアリー」と呼ぶようなものだ。おや、へんだって? あなた方もやっていますよ、化粧やファッションや言葉遣いで。「推し」の誰とかさんになったつもりで。