James Setouchi
2025.2.19
学校教育?
私も言ってみようか・・高校授業料無償化、部活動、小中学校給食費
1 高校の授業料無償化について
親が高学歴で高収入の家庭の子どもさんが、開成や慶応など私立高校に進学し、そうではない家庭の子どもさんが都立(今の日比谷などは別として)に進学している、と東京の人は思っているかもしれない。神奈川や大阪や京都の人も。
でも、地方では(少なくとも私の知る近隣県では)、親が高学歴で高収入の家庭の子どもさんが、城下町の県立高校に進み、そうでない家庭の子どもさんが私立に進学する、ということも多い。なぜか。城下町の県立高校は、戦前の旧制中学、さらには江戸期の藩校以来の歴史と伝統があって、地元では大変人気があるからだ。進学も強化しT大やK大にもそこから合格する。つまり、家庭の収入の多い方が授業料の安い県立に行きまた高学歴になり、家庭の収入の少ない方が仕方なく授業料の高い私立に行って高学歴にはなれない(T大やK大や医学部には行けない)、ということが普通に起こっている。
最近の報道を見ていると、「私立の方が設備も良く・・」などと書いているのをよく見るが、違和感がある。それは都会の、保護者がお金持ちの私立学校の場合では? 私らの田舎では、県立高校の方が県の予算が付いているので何かと強い印象がある。県立の方が1学級の人数も少なく行き届いた授業ができる。私立高校の方が授業料収入でやってくしかないので、1学級に大勢生徒がいることになる(よほどのスポンサー、寄付金があれば別だが)。小中学で塾に行くお金がないので県立高校に通らないので私立高校に行って高い授業料を払う。兄弟が3人居ると大変だ・・・
私立高校は宣伝と生徒集めのために特定の部活動を強化するなど無理をすると、当然他にしわ寄せが行く。噂では教員のボーナスを取り上げて部活動の寮を作ったとか・・? 日本の中核になるべき大多数の普通の子の教育はどうなる?
このへんは石破さんは田舎のご出身なので地元から聞いておられるはずだ。阿倍俊子文部科学大臣のご出身も今のご住所も田舎なのでおわかりのはずだ。
もちろん私たちの田舎にもそうではない場合もある。立地がすごい田舎にあって人気の出ない県立高校は沢山ある。それでもその場所では大切な役割を果たしている。地方の私立進学校で人気があって進学実績の高い(T大やK大や医学部にどんどん進学する)学校もある。県立に通らなかった子を私立高校が受け入れてそれぞれにいい学びができているケースも多々ある。彼や彼女は地元で元気で働いて社会を支えている。仏教やキリスト教の私立も大事だ。日本の中に多様な思想信条を存在させ、世界に開かれた自由な日本を築くためにも。(国家神道・軍国主義一色に染めあげた戦前のシステムは間違い。)
小中学校の授業料はタダ。高校もやるなら公立だけでなく私立・国立も同じようにタダにするのは当然。地域差など細部はテクニカルにつめないといけないが、官僚は優秀なので、できるだろう。(いや、これは少し間違っていた。私立・国立・公立は一律同額支給が正解かも知れない。理由は、月謝100万円の富裕層狙いの悪徳私立高校業者(その正体は外資とか)にいたるまで国民の血税で払ってあげるべきか? と言うと、そうではないからだ。すみません。2025.2.20に補足しました。だが、文部官僚はそのへんは先刻ご承知なので適切な答えを出すだろう。)
就学支援金は、民主党のときに私立も含めて全員に支給の形で始めて、自民党の時に「所得の高い家庭は除外」としてきたが、所得の書類審査で学校事務員が多忙化。また前年の所得で判断するので、家計維持者が急死した場合などは対応できなかった。所得にかかわらず公立は一律タダ、私立もそれと同額にしてしまえば(ここ一部修正しました。2025.2.20)そこは簡単になり、事務員も、不慮の事態の家庭の生徒も、助かる。但し、富裕層優遇を狙ってあの党やこの党が言っているとすればそれはけしからん。人権の観点から私は言っている。富裕層には応分の納税をしていただくべき。払えない人からは取れないのだから!!
なお、高校に行っていない(中退も含め)(真面目な子でいじめられて中退したとか・・)子らへのケアをお忘れなく。三原じゅん子・子ども政策担当大臣のお仕事でもあるのだろうか?
2 先日新聞を読んでいると「部活で活躍できる子を集めたいのは公立も私立も同じ・・私立に生徒が流れる中、公立も特色が求められる。その一つが部活動強化だ。」と或る県立高校の先生が言っておられたが、間違っている。「部活で勝ち上がることが本校の特色」といった考え(思想)がそもそも間違っている。大会の勝ち数などをHPやパンフレットに出して宣伝すべきではない。
勝てない部活の子はどうなる。部活をやる余裕のない子はどうなる。大多数の普通の子の学びはどうなる。有力選手をかり集めて60人の大所帯の部を作ってもレギュラーになるのはほんの一握りだ。一部の子のために多数の子を踏み台にする、多数の子にしわ寄せをもたらすのは不可。日本国民の(若者の)学力低下をどうする。
そもそも「部活で活躍」の意味は? 一部の全国大会、世界大会レベルの有名選手が出ればいいのか?
そうではなく、勝ち負けとは無関係に、仲間を大事にして一緒に汗を流せる子、不登校の子が居れば声をかけて一緒になれる子を「部活で活躍」している子、真に偉大なキャプテン、真に偉大なチームメイトと言うべきではないか? 部活動で人間が育つとすればここをしっかり見なければいけない。年度途中で部員がだんだん増えていく部がいい部だ。勝つための練習で落伍者を生んでいく部は、いい部ではない。
まして勝利至上主義に染まった子を生む部、勝利至上主義に多数の子供たちを染め上げていく今の学校教育の風潮は、弊害がある。(その挙げ句に今の大人を育ててしまったが。)ライバルを蹴落として自分だけが有名になってスポーツ推薦で有名大学に行きさらにプロに入ったりTVに出たりしてカネ儲けをしに行く部活動など、つまらないのである。エゴイストを育てているだけでは? 勝って有名になったから「部活動強化」したなどと考えるべきではない。「三つ勝った四つ買った」など言わなくてよろしい。円谷幸吉(つぶらやこうきち。東京五輪1964のマラソンの選手)を追い詰めたのは、あなたであり、私である。
しかも、賞を取るために、デキル生徒を複数の大会やコンクールやコンテストでこきつかうことになり、その生徒を使い潰すことになる。学校の勝利勝利至上主義の犠牲にその子はなってしまう。駄目な場合曰く「使えない奴だった」。え? 使える使えないで人間を見てはいけません。「有用無用、役に立つ立たない、有能無能、成果を出す出さない」以上の値打ちが人間にはあります。それがあなたにおわかりですか? メダルをとった場合曰く「ウチの子は部活で全国大会でベスト4になり、理科や英語のコンテストでも全国最優秀になり、東大も合格した」。え? 無理をさせてませんか? 無理なくできるならいいんでしょうけど、大丈夫ですか? 十代で使い潰してその先がなくなったらどうするのですか? そもそも多忙すぎて結局『論語』(江戸時代は読んだ)も『聖書』(西洋人は読んだ)もドストエフスキーも漱石すらも(普通読みますよね)読んでないですよね・・? 先生ご自身も・・
それとも、あなたも、例の、反知性主義・愚民化政策の、強者礼讃の、勝ち組思想の、持ち主なのか? 弱肉強食・優勝劣敗の、例の、新自由主義思想の影響を、あなたも受けてしまっているのだ。
我々の美質(藤原正彦に言わせれば「惻隠の心」、伊藤仁斎に言わせれば「仁愛」「忠恕(ちゅうじょ=まごころとおもいやり)」、中江藤樹に言わせれば「敬と愛」、聖徳太子に戻れば「和」の心)は、こうして破壊されていくのか・・・?
言っておくが、この件に関して、あなたも、戦犯である。円谷幸吉(つぶらやこうきち)(東京五輪1964のマラソン選手)を追い詰めたのは、あなたであり、私であると知るべきだ。「勝てば官軍」など西洋近代の競争主義から移入した奇妙な思想でしかない。松下幸之助が「勝てば官軍という商売はあかんよ」と言った話は有名だ。
ああ、勝つためにあくせくしているその暇に、法華経でも新旧約聖書でも『論語』『孟子』『老子』『荘子』『コーラン』でも、また教育基本法と日本国憲法前文と教育勅語と帝国憲法第1条でも、読んで比較してみられたらどうですか。
今こそ選手も保護者も先生方もマスコミも地元の人びとも教育委員会も文部科学省も腹からわかるべきだ。本当はわかっているはずだ。勝つためにはカネをかけて優秀な監督と素質のある子をスカウトしてきて特別に強化しかなりな無理をしている(もちろん学力はそっちのけ)、その分大多数の普通の生徒の学びにしわ寄せがいっていることを。
かつて柳田国男翁(民俗学)は言われました、「小学校の校長先生が、『田舎のウチの学校からは海軍大将が一人出ております』と威張るなど本当につまらない、海軍大将が一人出ても大多数の子はものも言えていないじゃないか、大多数の普通の国民をきちんと育てなければいい学校教育とは言えないのだ。」と。
自信を持って言って下さい、「ウチの部は勝ち負けを超越した部です、ここでは人間が大事にされますので、年度途中で部員が増えていきます、大会など参加しません、それを超えたもっと値打ちのある活動をし、生徒はみな充実しています。」と。
私の尊敬する或る人は、高校時代キリスト教のボランティアのサークルをずっとやっていた。当然、大会の勝ち負けは、ない。また、私の見聞する或る高校の読書部や生物部や園芸部も、大会などないところで、価値ある充実した部活動をしていた。私が感心したダンス部は、「審査員に認められなくてもいい、優勝しなくてもいいから、自分たちで創意工夫してよりよいダンスを作ります」と言っていた。立派な考え方だ。もちろんそれなりの大会に合わせて賞を取りに行けば行ける。だがそれをする(大会に付き合う)手間・コストがもったいない。それよりももっと充実した活動を日々なすことができる。愛の奉仕も文学も科学も生産も美の創出も、勝って賞を取るためにするのではない。本当はスポーツも、・・・
(参考:アキ・ロバーツ『アメリカの大学の裏側』、永井洋一『スポーツは「良い子」を育てるか』、玉木正之『スポーツとは何か』、今道友信『美について』『愛について』・・・これらはぜひお読みください。)
3 小中学校の給食はタダに。たっぷりと食べさせて。
保護者にお金で渡すとギャンブルで使ってしまう、サラ金が取り立ててしまう、などということがあるかもしれないので、保護者経由でなく、子どもにはタダで給食を実際に食べさせる形で進める。これは死活問題。朝晩食べてこない子も給食でたっぷり食べられる。本当にありがたいことだ。
夏休みに食べられない件については別途対応。
「親ガチャ失敗した、もうどうでもいい」などと子供たちに言わせてはならない。食事と教育くらいは十分に提供する日本でありたい。希望と未来のある日本だと言うことを為政者が率先して見せたい。石破さん(総理大臣)ならわかってくれる、だから石破さんに期待した。苦労人の森山さん(幹事長)ならわかってくれる。仁の心を持つ林さん(官房長官)ならわかってくれる。阿部俊子さん(文部科学大臣)も苦労人だからわかってくれる。三原じゅん子さん(子ども担当大臣)も苦労されたはずだからわかってくれるはずだ。ヒロシマの岸田さんも押してくれる。菅さんも苦労人だからわかってくれる。私はそう思っている。
「給食費減免の申請書一枚を書けばすむ話だ」と思っている人は甘い。申請書が書けない、必要書類を揃えられない保護者は、普通に居る。日本語が読めない(外国人の)保護者も。
クラスの中で「あの子の家は貧乏で給食費払ってないぜ」と言われていじめられたりする危険を防ぐためにも、全員一律でタダにするのが簡単。(授業料についてもだが、担任の先生は誰が減免されているか、人権上他の生徒にばれないように、かなり配慮してやっておられるとか。これも教師の多忙化とストレスの一因ではあるのだ。全員タダにすれば、即!解決。)
小中学校(義務教育)は授業料はタダ。人権・同和教育の運動が実って教科書もタダ。これらはいい政策だった。
但し、これは高校もだが、資料集・副教材、制服・体操服、指定ランドセル、部活動のお金(ユニフォームなどカッコイイものを揃えなくても体操服でやればいいのに、と私は思うが、スポーツ協会とスポーツ用品店が癒着しているのか? と疑いたくなるケースもあるなあ・・)、修学旅行の積立金・学校保険・ヘルメット、漢字検定や英語検定や校外模試の受験料、最近ではPCタブレット、などなどで、大変なものいりだ。これでどうやって子どもを何人も上級学校へやれと? 子育て、子どもを上級学校にやることは、一部の金持ちだけのものになりつつある・・・? おいおい・・・
変な大会で金ばかりかかるのは参加しなければいい。全国大会なんか行けても行かなけりゃいいんだよ。節約節約。それより、もっと値打ちのある部活動をしようぜ。
井上靖『北の海』を見よ。旧制高校(金沢の四高)で柔道をやっているがわざと段位を取りに行かない。全員が白帯だ。それでいて猛者ばかりなのだ。カッコイイではないか。