James Setouchi
2025.2.4 日本文学
永井荷風 『腕くらべ』
1 永井荷風(ながいかふう)
明治12年(1879年)東京の小石川区金富(かなとみ)町(現・文京区。今の竹早高校の近くで、坂の上)に生まれる。本名壮吉。父はプリンストン大学留学の高級官僚、のち日本郵船の上海や横浜の支店長になった人物。母は儒学者・鷲津毅堂の娘。一時下谷区竹町(たけちょう)(現・台東区。御徒町の近く。つまり下町)の鷲津家に預けられる。幼稚園(当時珍しい)、黒田小学校、師範学校付属小学校高等科を経て高等師範学校付属中学校に学ぶ。この間永田町や麹町(現・千代田区)にも住んだ。一時上海旅行。東京高等商業学校付属外国語学校(今の東京外大)清語科に学ぶが怠学し除籍。荷風は広津柳浪(作家)や朝寝坊むらく(6代目)(落語家)に入門して寄席に出たりしていた。明治32年厳谷小波(いわやさざなみ。作家)の木曜会会員となる。このころから懸賞小説に当選。福地桜痴(おうち、劇作家)の門人となる。フランス語を学びゾラの翻訳を出す。明治36年(1903年)森鴎外を知る。渡米。タコマ(ワシントン州)、カラマズー(ミシガン州)、NYなどに滞在。明治40年(1907年)フランスへ。リヨンで銀行に勤務するも続かず、明治41年(1908年)パリ、ロンドン、香港を経て帰国。『あめりか物語』。明治42年『ふらんす物語』、訳詞『悪の華』(ボードレール)、『すみだ川』。明治43年明応義塾の文科教授となる。『三田文学』発刊。この年幸徳事件(大逆事件)発生、証拠不十分のまま44年に24名死刑判決。明治45年ヨネと結婚。大正2年父が逝去、ヨネと離婚。翻訳詩集『珊瑚集』。大正3年かねて交際していた新橋の芸妓の八重次(ヤイ)と結婚。『日和下駄』。大正4年ヤイと離婚。大正5年浅草の芸妓・米田みよと一時同棲。慶応の教授を辞す。『腕くらべ』連載。神楽坂の芸妓・中村ふさを知る。大正7年『おかめ笹』。大正8年『花火』。大正9年麻布市兵衛町に偏奇館を建てる。大正10年『雨瀟瀟(あめしょうしょう)』。大正12年関東大震災。昭和6年『つゆのあとさき』。昭和12年『濹東綺譚(ぼくとうきたん)』。浅草に通いオペラ館などに出入り。昭和20年空襲で偏奇館焼失。昭和21年『問わず語り』。昭和22年から市川市に住む。昭和24年『断腸亭日乗』連載。また浅草ロック座に通い踊り子と交わる。昭和27年文化勲章。昭和34年3月浅草の洋食屋アリゾナで歩行困難に。4月自宅で逝去。(集英社日本文学全集の小田切進の年譜を参照した。)
2 『腕くらべ』
大正5~6年(1916~17年)に『文明』(籾山書店。永井荷風らが創刊した雑誌)に連載。荷風は37才。世界は第1次世界大戦中。日本は大正デモクラシーの時代。かつ対華二十一カ条要求の時期である。荷風はそんなこととは無関係に新橋あたりの芸者の世界を本作で書いた。(「四 むかい火」に「銀座草市(陰暦7月12夜~13日朝)」の翌日の夕暮れに「号外号外と叫んで売児の馳けだす・・」とある。この夏に何か社会的事件が起きたことをチラリと見せるが、何が起きたかは言及しない。)
本作は芸者と客の世界の、男と女の(女同士もある)「腕くらべ」の世界だ。なんでそんなものに付き合わされなけりゃならないんだ!? と最初は思った。人生はそうたっぷりと時間があるわけではない。何を読むか、ということは、何を読まずに済ますか、ということとセットだ。
お座敷での男女の関係も出てくる。健全な青少年諸君にはお勧めできない。シニア向けの作品だ。もっとも、出てくる用語(芸者やお座敷や芸能の世界に関する語彙)が、その世界では当たり前でも、今の若い人にはほとんどわからないだろうから、読み始めてもすぐ投げ出すだろう。PTAの皆様はあまり心配なさらなくともよいかもしれない。
「髪はつぶしに結い銀棟(ぎんむね)すかし彫(ぼり)の櫛に翡翠(ひすい)の簪(かんざし)。唐桟柄(とうざんから)のお召(めし)の単衣(ひとえ)。・・帯は古代の加賀友禅に黒繻子(しゅす)の腹合(はらあわせ)、・・帯留は大粒な真珠に紐は青磁色の濃いのをしめている。」と主人公・駒代を描写する。これが好きな人にはたまらない魅力なのだろうが、私には全く理解できないし興味もない。
文体は独特で、美文調でネバネバと描写する。一文が長い。時々助詞を省略してある。コアなファンにはこの文体が最高だ(音読、語りに向いているかも)と感じられるかもしれないが、現代の多くの人には鼻につくのではないか。
だが、読み進むうち、案外面白いと思った。荷風はゾラ(注1)を訳出するほどの人だ。事態を見つめ細かく描写している点は、ゾラに近いものがあるかもしれない。中味については後述。
駒代という芸者(注2)を中心に、芸者の世界の人間模様を描く。
注1 ゾラ:フランスの作家。『居酒屋』『ナナ』など。日本の文学にも強い影響を与えた。是非一読を勧める。
注2 芸者:芸妓(げいぎ、げいこ)とほぼ同意味だそうだ。酒席で客の前で踊り、歌、楽器演奏などを披露する。現代で言えばパブなどの客の前でライブをするダンサー兼シンガー兼ギタリストのような存在(と言うべきか?)。娼婦ではない。但し本作を見ると事実上娼婦と同様のことをしているケースがあり、同業者は顔をしかめている。またステディな「旦那」がつき肉体関係を持つことも。身請けされて金持ちの妻妾になれば引退。なお「半玉」「お酌」は半人前の芸者。(関東の「芸者」「半玉」に近いのが京都の「芸妓」「舞妓」であろうか? 厳密には知らない。)(
永井荷風が大正時代の芸者の世界をどこまで正しく描写しているのか、それとも創作が大いに入っているのかは、知らない。)
(登場人物)(なるべくネタバレしないように)
駒代:芸者。25才くらい。十代で芸者になり、一時秋田の金持ちに身請けされるが、夫が死に、七年ぶりに東京に戻ってきた。金春通り(今の銀座8丁目にある)(注3)の尾花家にいる。「やり手」と噂されるが・・
吉岡:エリート会社員。金持ち。32才。妻あり。7年前に駒代を捨てて海外留学した過去がある。芸者遊びをよくし通人を自認している。駒代と再会、関係を持つが・・留学帰りのサラリーマンであるなど、幾分か荷風自身の面影がある。
江田:吉岡のたいこもちのような存在。
十吉:尾花家のおかみさん。自身も芸者。
呉山老人:本名木谷長次郎。旗本の子孫だが没落し講釈師となる。今は尾花家の主人に収まっている。
木谷滝次郎:呉山老人の次男。素行不良になり、浅草でお歳(さい)という女と住んでいる。
花助:尾花家の芸者。
菊千代:尾花家の芸者。駒代のライバル。
花子:尾花家の半玉。
湊家の力次:芸者。もと吉岡を旦那にしていたが駒代に取られた。
倉山南巣:文学者。演劇評論などをする。40才。
瀬川一糸:女形(おやま)の俳優。駒代と恋に落ちるが・・・女たらし。
瀬川菊如:一糸の父親。
お半:菊如の後妻で、一糸の義母。
潮門堂の主人:客の一人。海坊主のような男。金持ちのサディスト(?)
山井要:新時代を泳ぐ、ペテン的文学者。31才。
宝家さん:成り上がりの置屋(おきや)(注4)。芸者にあくどく売春をさせている。
欄花:女優志望の芸者。外国風に裸体を見せる。
君竜:芸者。見受けしてくれた老人が亡くなり、かなりの財産を譲られた。瀬川一糸に恋をした。
注3 新橋と銀座8丁目は近い。新橋芸者は江戸末期に始まる、と東京新橋組合のサイトにあった。本作では呉山老人など江戸以来の旧モラルの人士と、宝家さんや吉川(洋行帰り)や山井(新時代の流行を追うジャーナリスト)、潮門堂主人など新時代の人士との、交錯する場所として描かれている。
注4 置屋:芸者や遊女を抱えている家。そこから客のいる料亭・待合などに女性を差し向ける。
(コメント)(ネタバレ)
芸者と男が出逢い恋に落ちる。(今の恋愛ドラマに近いのか。)芸者を美形の俳優がとりこにする。(女に貢がせるホストのようなものか。)芸者がライバルを出し抜き男を取り合う。恨みを忘れず復讐する。(ホステスもののドラマにあるやつ。)その中で25才の駒代は自分の生き方を考える。秋田の金持ちに身請けされたときは、他の家族が理解してくれず孤立して辛かった。だから逃亡してまた東京の芸者になった。吉岡が身請けする(妾に)と言ってくれるが踏ん切れないのは、男が死んだら(飽きられたら)終わりだと思っているから。また東京で芸者として(職業婦人として)独り立ちしたいと思うから。そのなかでも瀬川という美形に恋し、美枝もあって尽くす(現代の「推し活」に近いのか。)が、裏切られる。なじみの吉岡にも捨てられた。好きでもない客の横暴に苦しむ。(ここは事実上娼婦だ。)(注5)世間の悪意ある噂に苦しむ。駒代は涙を流し泣くシーンが多い。「やり手」と噂されたが実際には純情で世渡り下手に見える。駒代は家族もなくし天涯孤独だ。駒代はどうやって生きていけばいいのだろう? これは現代の孤立した若い女性が抱える問題と同じだ。
注5 フランスの小説には娼婦が沢山出てくる。政治家や貴族をターゲットにする高級娼婦もある(ゾラの『ナナ』など)。貧しい客を相手にする娼婦もある。永井荷風はアメリカやパリで西洋の娼婦の存在を知っていた。
階層格差社会が明白だ。金持ちがカネで芸者を好きにする。芸者は持たざる者ゆえ芸を見せあるいは肉体を提供する。男尊女卑社会でもある。男や女の欲望や悪意や復讐心に取り囲まれ駒代はさんざんな目に遭う。男たちには捨てられ、借金が膨らむ。駒代という犠牲者を通して、芸者の世界の、その背後にある東京の、いや大正日本の、悪を描いた作品だ、とも言えよう。(そう言えば『鬼滅の刃(きめつのやいば)』は大正時代が舞台だった。遊郭編の雰囲気は本作にやや近いか。)
だが、荷風は、「女性の人権を大事にしよう、貧富の差をなくそう」などとは一切書かない。幸徳事件で恐怖し沈黙しているのか。それもあろうが、それ以上に、そもそも下町の芸者や芸人の世界が好きで書いている感じがする。好きな人にはよいだろうが、私にはピンと来ない。
駒代は大ピンチだが、最後に救いがある。尾花家の呉山老人が、駒代の孤独に同情し、尾花家を譲ってくれるというのだ。駒代は男たちには捨てられたけれど、芸者としてまた経営者としてやっていくことになった。呉山老人の人情が際立つ作品になっている。欲とカネの支配しがちなこの世界だが、どっこい、人間の情は生きている、と作者・荷風は言いたい。おや、これは現代にも通ずるような・・・?
聖なる世界ではない。色恋とカネの絡まる、俗悪な世界だ。しかし、どこかでほっとするのはなぜか? 物欲が剥き出しでカネだ権利だ裁判だという話にはなっていない。がめつい人(宝屋さんなど)も出てくるが、少なくとも駒代姐さんと十吉と呉山老人はそうではない。彼らが追い詰められていくのでつまらない世の中だと文明批評を込めているとも言えるし、最後に救いを荷風は書きたかった、とも言える。文明がどう変わっても人びと(庶民、荷風の言葉で言えば「平民」)の生活感覚の中にある情愛に基づく倫理感覚のようなものは、あまり変わらないのかも知れない(と言ってみたいが、ことはそう簡単ではない)。(注6)
注6:本作で見られる庶民の生活感覚のようなものは、江戸時代の平和と文教政策の中でつちかわれたものかもしれない。だが、それを遙かに超えた世界がある。ヒトはいざとなると助け合いたい本能のようなものが発動する。東日本大震災でたくさんのボランティアが出現したことは誰でも知っている。闘争本能よりも深いところに、助け合いたい本能はある、だからこそヒトは生き延びてきた、競争主義はある時代のバイアスのかかった傾向にすぎない、と私は言ってみたい。
付言だが、倉山南巣という文学者がいる。医者の子孫だが劇作、演劇評論などをしてきた。昔の風俗の考証などをし下町で静かに暮らしている。新時代の流行を巧みに泳ぐ山井要とは違うタイプの文学者だ。永井荷風自身または荷風の母方の祖父(下町の漢学者)を背負わせたような存在だ。私はこの人が気に入った。
話は変わるが、軍国主義や戦国時代のファイターと、女たらしと、どちらが好きですか? と問われたら、どう答えますか? 私はどっちも好きではありません。
補足。2025.2.5
上のコメントでは不足だった。駒代が最後に救われるのは、呉山老人のお蔭である。では、我執と欲望ののうずまくこの世界で、そうではない世界を切り開いて見せた呉山老人とは何者か。彼にはなぜそれが可能だったのか。ここに注目しなければ、読んだことにならない。
呉山老人とは、「四 むかい火」によれば、本名は木谷長次郎。嘉吉元年(1848)年の生まれ。本所錦糸堀辺りの小禄の旗本の嫡子。維新のとき20才で士族の特権を失い、その後士族の商法で失敗し、幼時から好きで覚えた講釈で身を立てるべく一山という軍書読みの弟子になり高座に上がる。弁才と男前で人気が出て、新橋尾花家の十吉(芸者)が見初めて亭主にした。
講釈については、芸人とお客との共通の場所の中でいいものが生まれるのであって、最近の蓄音機や講釈筆記などはダメだ、という芸能観を持っている。この点倉山南巣と話が合う。呉山老人は最近講釈からは遠ざかっている。(「四 むかい火」)
二人の子があるが長子の庄八は市川団州の弟子になり人気も出たが病で急死。次男の滝次郎は「十四 あさくさ」によれば法学博士弁護士の書生部屋に住んで中学に通う(当時はエリート)が、博士一家が奥様の山井の療養のため留守勝ちのところに書生たちが遊び放題の環境となり、滝次郎も道楽者と成り果て近所の女性と逢い引きしようとしたところを、不良少年検挙の網に引っかかり学校を退学となる。実家に戻り一時奉公にも出たがすぐ解雇、家のものを奪って家出してしまった。その後の行方は不明だったが、浅草辺りで娼婦のヒモをしていてすっかりダメな人間になってしまったとの噂。
父親の呉山老人はまじめに暮らしている人間だが、二人のこのことでは苦悩がある。口に念仏を唱えている。
芸者屋の世界では老舗で、妻・十吉のやり方のお蔭で人望もあるが、新しくのし上がってきた宝家さんのような政治的なやり方は気に入らない。
ざっとこういう人物だ。大正新時代の、資本力を生かしてうまく稼いでいくタイプではなく、江戸以来の気質を引きずったタイプだと言える。芸者家をしているがどこかで旧旗本の気質を残している。
彼はなぜラストで駒代を助けたのか。
前提として、妻の十吉が病死したことがある。尾花家を切り盛りしてきたのは十吉なので呉山老人には勝手が分からなかった。そこで自分は高齢でもあり引退する。
講釈師として生きてきた経験があり、イザとなればいつでも一講釈師に戻る、という覚悟があったかもしれぬ。自分はもともと多くを失って一講釈師として生きていた。ではそこに戻ろう。それだけのことだ、と腹をくくっていたかも知れぬ。
尾花家には抱えの芸者や半玉がいる。彼女たちの身の振り方も考えてやらなければならない。ただ廃業したのでは彼女たちが路頭に迷うだけだ。継承者を探した、とも言える。その際、一方的に解雇するとか抱えを続けるとかではなく、一人一人と相談し希望を聞いてやろう、と駒代に言い残している。芸者たちをただの商品とは見ていない。人間として扱おうとしている。(娼婦に近い仕事もあるからそれ自体女性の尊厳を踏みにじっていると言えば言えるのだが、当時の他の店に比べれば情のある扱いと言えよう。)
では、後継者にどうして駒代を選んだか。最終章の「二十一 とりこみ」に書いていることを中心にみておこう。
看板芸者の一人・菊千代はすでに瀬川の妻として片付いた。駒代が尾花家の古株である。
駒代の事情を呉山老人が知ったから、と本文にある。呉山老人は今まで知らなかったが、駒代が家族も失い天涯孤独の身であることを知った。その際、自分の次男の滝次郎が淋しく辛い境涯であることを思い起こし、同じ身の上の駒代に大いに同情した、とある。どこかにいる次男を思い目の前にいる駒代を助けるのは、一種の「恩送り」の思想(感覚)が働いているのかもしれない。「情けは人のためならず」と言う。駒代に情けをかけることは、ぐるっとまわって自分や次男に還ってくる、とは書いていないが、そう考えた人は当時は多かったのではないか。(「恩送り」「情けは人のためならず」の庶民感覚の変遷については別に考察がいるだろう。)
駒代が悪巧みをする女ではなくむしろ純情ゆえこの世では損をするタイプだということも、呉山老人は気付いて同情したかも知れない。
駒代は東京を捨て田舎に行こうかと思っていたが、昔駒代が秋田の田舎で見知らぬ人に囲まれて苦労した事情を知っているので、いままた同じ苦労をすることもない、と声をかける。
自分は若い頃孤独だったが十吉に見初められてここの主人に収まった。駒代は瀬川一糸と結婚すべく準備をしていたが突然捨てられすべてを失った。自分の身と駒代の身を比べ併せたかも知れない。人は誰かを助けてもいい(いつも助けられるわけではないが)し誰かに助けられてもいいのである。
駒代に尾花家を譲ったあと、呉山老人はどうするか。駒代に、「都合のいいだけ家賃を払えばいい、看板代も出世払い」と言う。この言い方は、駒代が払うことをあてにしていない。自分は身一つを抱えて講釈師として生きて行ければそれでよい、と彼は考えている。現在借金はないのかもしれない。多少の蓄えはあるのかも知れない(書いていないが)。だが根底にあるのは、駒代を助けたいという情愛と、自分は身一つどうにでもなるという覚悟だろう。
呉山老人の念仏の徒としての信心もどこかで関係しているかも知れない。弥陀に委ねて暮らすのだ。法然上人は晩年流罪になった先で遊女と語ったという。貴族も賤業もない世界がそこにはある。弥陀の大きな目から見れば文明開化の新橋の男女の面当てなど、小さなことにすぎぬ。但し永井荷風がその境地にここで至っているとは思えない。荷風はよくわからないまま、念仏する呉山老人を造形してしまったに違いない。あまり根拠はない。きっとそうだと私が思うだけだ。