James Setouchi

2025.1.28

 

ブログ 国会代表質問から(私的感想)その2 2025.1.28

 

・まず、私は「支持政党なし」のいわゆる「浮動層」だとお断りしておく。ここでは「中立」とかではなく私的感想を書く。だがまだ「意見」というほどまで練り上げたものではない。

・まだ途中。論戦はまだ続くので期待しよう。

 

2025.1.28(火曜)午後の「国会中継」を少し見た。面白かった。昨日首相が包括的にいろいろ政策を開陳し、野党も切り込んだり補足したりと感心したが、今日のはまた強烈で、感心した(と言うべきか)。いくつかコメントする。

 

大石さん(れいわ)は強烈だった。とても頭のいい人なんだろうな。話し方が山本太郎さんと(大阪弁も含め)同じなのはなぜかな。

 

・いきなり石破さんの「楽しい日本」に注文をつけ、「辞めてもらっていいですか」ということだった。インパクトを持たせ聴衆の関心を引きつける戦術かも知れないが、ちょっと失礼では? 石破さんは、今までは「楽しい日本」と言えない状態だったから、これからは「楽しい日本」にしよう、と言っておられるのであって、「楽しい日本にしよう」と言ったら「やめろ」、では、楽しい日本にする人がいなくなってしまいます。それに、現状を考えると、石破さんがもしやめたら、次また例のあの人たちのグループの誰かが出てきたりしたら、世の中は悪くなります。石破さんは苦しい人の声に耳を傾ける姿勢を持ち、話が通じる方なので(私はそう思っているんですが)、石破さんはやめなくていいです。いえ、もっとずっとおやりになってください。(私見です。)

 

・「生産性の向上が直ちに賃金アップになるとは限らない」の指摘はその通りです。「強きを助け、弱きをくじく」方針で弱い人を排除して「生産性」を上げても、全体の賃金は上がらない。多くの労働者を切り捨ててITに代替させれば「生産性」は上がるが失業者が増えるばかりで、全体の賃金は上がらない。こうして貧富の差が大きくなってきたことは事実。一部のIT業者(しかも外国資本と繋がっている?)がもうけて、エッセンシャル・ワーカー(田舎のスーパーで働いている人とか保育士とか看護師とか介護職員とか、ITに代替できない、人間相手の一番大事な人)の賃金は上がらない。確かに。

 

・「成長志向の企業は大事にするがそうでないところは切り捨てる、というのは、あやまりだ」というのは、正しい。「成長志向」の企業の皆さんの生活は、ほかの(ほぼ無償で)支えてくれているいろんな人たちのお蔭で成り立っている。消防も警官も自衛隊も学校も本来「成長企業」ではない。それらを「民営化」したら大変なことに。保育園も学童保育も介護も子ども食堂もそうだ。必要なところに頑張って出張っているのだ。零細農家が集まって近隣の環境の維持管理をしている。神主もお坊さんも町内会長もPTA会長も民生委員も「成長」自体志向していない。だが、そこは、田舎を地盤とする石破さんはわかっておられるはずだ(と思うのですが)。大阪のような都会では、田舎とは別の問題があるのかもしれない。町工場とか。

 

・「労働分配率を上げよう」というのは、だから、正しい。これは石破さんもそのおつもりのはず。下請け孫請けの会社の労賃を上げるには? という問題意識は共有している。だが具体的な手段として今の政策案以外にも、もっと別の方法もあるかも。株主が取り過ぎる形にあのA政権の時にルール変更したように記憶している。海外から来た有名な社長が法外なサラリーを持って海外に出ていく(例のあの人とか)ようになったのも最近の特徴だ。一番末端の人が歯を食いしばって働いても時給1000円程度で、それらから吸い上げた利益を株主や「会長」や「社長」が億単位で持っていくのでは、貧富の差は広がるばかり。確かに。

 

・「教員定数を見直し教員を増やそう」も正論。阿部俊子文部大臣はまじめに聞いておられたので、少しは変わるかも? フィンランドでは1学級に子供が25人もいれば「多すぎる」と言うとか。日本も、昔の粗製乱造・大量生産教育と違って、今は、一人一人の探究力を育てる、高度な、質の高い授業をしているので、大人数学級ではダメなのだ。山間や離島の「へき地」の少人数をもってきて全国平均を出しても、それは数字のまやかしで、都市部でも一学級25人以下くらいにはすべきでは? (学校に行けていない人のこともお忘れなく。真面目な子で不登校、というのもあり、外国人労働者の子、というのもありますよ。)

 若者が詐欺など闇バイトに手を出さなければならない仕組みはおかしい。本人らの不見識の問題だけではあるまい。

 

・「公務員を増やそう」も一理ある。昔、新党日本の田中康夫という方が「公務員の数は日本はアメリカ、フランス、ドイツなどに比べて少ない」と言っておられて、「目からウロコ」の思いをした。今、サイトで調べると、例えば、「雇用者全体に占める一般政府雇用者比率の国際比較(国内雇用、短期雇用者含む)」は「日本は2021年時点で4.5%。雇用者全体のおよそ1/22が公務員との結果になる。これはOECD諸国では最低率。つまり日本はOECDの中では一番公務員の比率が小さいことになる(公務員の人数そのものが少ないことを意味しない)。OECDの平均値は2021年時点で18.6%なので、それと比べると約1/4。」とあった。(ガベージニュース2024.2.7「日本はOECD諸国内で一番公務員比率が低い…公務員数が多いか少ないかの実情(最新)」)今、市役所や県庁の人はすごく大変だ、という印象だ。部署によるのかな? でも田舎では給料はいい方か。給料の問題では無く仕事のキツサの改善が要るかも。

 

・「公債依存率が減った、緊縮財政だ」と批判していたが、公債依存率が減ったこと自体はいいように私は思うのですが・・? 私はよくわかっていないのですが、税収が増えたからそれをあてよう、はわかるが、あまり積極(放漫)財政にしたらあとが怖いような。(戦前に軍拡放漫財政をやって大変なことになったことがありましたよね。)

 

・「子供や若者に手厚くしないと、子供を産む人は一人もいなくなりますよ」は、その通りだと実感する。「子育ては一部富裕層のぜいたく」のようになりつつある? 「令和○年度の全国の子供の数は0人でした」となるのは怖い。田舎の村や町では「今年の出生数は0人」は当たり前になっている。(子供や若者は単なる労働力や税金の対象ではないが!!)

 

法人税・累進課税の再強化でカネを持っているところから取るべき、というのは正しい。年収1億円以上の富裕層、5億円以上の超富裕層には「応分の負担」をしてもらうべきでしょうね・・

 

・大石さんは大阪出身だが「関西万博反対」だそうだ。1964の東京五輪に対し2020東京五輪を招致して喜んでいた人があった。それで1970の大阪万博に対し2025の関西万博を(維新が)誘致したと聞いている。だが、1964や1970とは時代が(社会情勢が)違ってきている。今回どうするかは私は知らないが、今後は、祭りや巨大イベントで大衆の目をくらませるやりかた(例のあの人はこれが好きだった)が正しいわけではないよね、と言っておこう。

 

・石破さんの説明を聞いていて「ああそうだな、でもこのへんはどうかな、よくわからないな」と感じていたとき、大石さん(だけでなく他の野党の人も含めて)が鋭い突っ込みを入れてくれると、「ああ、確かに、ここは足りなかったかな、ここはもう少し補えるかな」と気がつき、論が明確になったり、次の議論の出発点になったりする。論戦で野党のツッコミが必要だ、とはこのことだ。マスコミも同じで、「野党とマスコミは黙れ」はあやまり。「問答無用」は例の青年将校がやったこと。それはダメ。

 

・「辞めて貰って」はやはり言い過ぎ。甲子園の試合なら負けたら終わり。ディベート・ゲームも負けたら終わり。だが政策論争は、勝ち負けではない互いに気付かなかった所を補い合ってよりよい政策に仕上げていくのが政策論争。話し合いはそのためにするのであって、例の「多数決独裁」は大きな間違い。特に今の日本は階層分化・多様化が進んでいて、だからあの選挙結果になった。話し合え、ということだろう。

 

・物価は上がっている。しかし所得は上がらない。高齢世帯や生活保護世帯は「賃金を上げます」と言われてもなあ・・

 

 以下は私だけでなく見聞する近所の人も含めた話だが、

 

 障がい者に働けと言っても、そう簡単ではない。生活保護などで独身なら暮らせるが・・作業所で簡単なものを作っても、稼ぎにはならない。高齢者に働けと言っても、これもそう簡単ではない。ハードな仕事でケガをしたら元も子もない。ITスキルも当然追いつかない。いいものを持っている人でも社会の側で活用できず宝の持ち腐れとなっている。

 近所のスーパーに行ったら(歩いて行ける距離にスーパーがあってよかったけど)、夕方6時半頃に「2割引」「3割引」「半額」の札がつき、そこに高齢者が(手押し車を押して)集まってきて行列をなして買う。定価では買えないから、貧しい高齢者が夕刻の割引を狙って集まってくるのだ。正社員で高給取りの人にはわからないだろう。まして取締役社長の皆さんや大株主の皆さんには。「賢くて元気で働けて高給取り」の国会議員に分かるかな。(分かるべきだが。)

 電気代も高いので冷暖房を節約したり。でも冬は凍死したらいけない。夏は熱中症が怖い。水道代も高いので風呂を節約したり。ガソリンも高いので出かけない。旅行もしないし外食もしないし宴会も参加しない。(もともと宴会は好きではないからそれでいい。旅行と外食は本当はしたいが事実上無理。)

 公共図書館も遠いので車で行くしかないのだが、ガソリン節約のために行く回数を減らして、昔買った家にある本を読む。うちは本があるからまだいいけど、昔の文庫本は字が小さくて読みにくいなあ。近所の人は健脚で自転車で出かけているが若いからできることだ。年を取ったらどうする。かつてあった無料巡回バスが、また復活するかどうか。移動図書館が回ってきてくれるか。

 公共交通機関も値上がりばかり。国鉄・JRは好きだし東海道・山陽新幹線は好きだったが私のエリアには新幹線は要らない。要るのは普通と特急だ。ゆっくり暮らしたい年寄りが多い。新幹線がひかれても高くて乗れない。

 病院は徒歩200歩のところに町医者がいてくれてありがたい。でも廃業されたら・・?ううむ・・・

 空家があり、放置された樹木があり、(蜂の巣ができ、)壊れかけのブロック塀に石垣に「動産」と言われる竹林。どうしたらいいのか?

 大石さんは都会の人のようで、田舎の実情はピンとこないかも。

 

・最後に理事の方々が大石さん(まだ発言中)の前を通って移動しておられたが、あれはどうなのか。大石さんは「近いところを通ればいい」と言われたが、TVで見ていると「近いところ」を通るのはずいぶん失礼に見えた。全員後ろを通るべきでは? どうなのですか?

 でも議員さんもご高齢の方も多いので、遠回りをして転んでもいけませんが・・・

 

・語源の話だが、一説によれば、「楽しい」は「手(た)伸(の)し」、つまり皆が手を伸ばして踊りながら喜ぶイメージだとか。たしか柳田国男で読んだ気がする。

」という字は古代中国では、白川静『字統』によると、「木の柄のある手鈴の形。これを振って神を楽しませる。」「シャーマンの呪具」「もとは神楽に用いたのであろう」などとある。『論語』には「楽に成る」(音楽によって人格を完成し成長させるの意味か? もっと古代的な=呪術・祭礼的な=意味があるかどうか?)とある。

 

 「楽しい日本」は、カネがもうかって楽しいだけではなく、精神的に楽しい、という含意も、石破さんはお込めになっただろうか? 

 

 アベさんは「美しい日本」と言って随分たたかれた。(「あなたの主観の「美」を強制するな、「美」は「醜」を排除する、ヒトラー・ユーゲントは美男を集めたのだろう? 制服を揃えて行進させて閲兵して「美」などと言うな、ナチスは「醜」とレッテル貼りした相手を排除した、差別思想だ」などなど。)

 

 「楽しい日本」は悪くない、と私は思う。「パリピーが正義」と言うわけでもあるまい。静かに楽しむ人もいていい。江戸末期の橘曙覧は「独楽吟」で「たのしみは艸(くさ)のいほりのむしろ敷き ひとりこころを静めをるとき」などなどの連作を示した。鴨長明兼好法師もそれぞれに閑居の楽しみを述べている。橘曙覧は「たのしみは家内五人(いつたり)五(いつ)たりが 風だにひかでありあへる時」とも言っていて、家族が元気で暮らせるのが楽しくて幸せだと言う。これに共感する人も多いだろう。

 

・付言ながら、

 「面白い」はアマテラスが天の岩屋戸から出てきて光を放つと皆の「面(おも)」が白くなったことから来る、という説明の仕方がある。これも柳田で読んだような気がする。

 「面白い」については、出エジプト記34-29~でモーゼが神に会ったとき顔面が光を放っていた、また、新約マタイ伝17-1~で高い山でイエスの顔が輝き服が真っ白になった、とある。

 イスラエルでも日本でも、神に出会ったら真っ白に輝く。別の見方をすれば、真っ白に顔を塗り白い衣を着て神に会う祭りをしたのかもしれない。

 

田村智子さん(共産)も拝聴したが、今日は疲れたのでいったん措く。時間を置いてまた記すかもしれない。一点、「共産党はアカだからダメ」というのだけはやめよう。少なくとも今の共産党は議会内で言論できちんとやっている。他の党が言わない視点で鋭いことも言う。いろんな意見があってしかるべきだ。(今有名な反共のあの人もこの人も若い頃は共産党だったりした。当時は優秀な人は共産党に行った、ということだった。)

 

森永卓郎さんが亡くなられた。ラジオの経済解説などでわかりやすく話をしてくださった。「ガンジーの経済学」というのが印象に残っている。近いところでお金をまわそう(イギリス製品でなくインド製品を買う、同じインドでもなるべく近所で買い物をする)ということだった。(別の人も、スイスではドイツ製自動車を買わずスイス製を買う、それで地元経済を回す、と書いておられた。)なるほど。森永さんは最近は財務省を批判する本(『ザイム真理教』)を出され、売れているそうだが、はたしてどうか。

 

・以上私的感想です。みなさんはもっと勉強なさってください。

                           2025.1.29(水)