James Setouchi
2025.1.25
円地文子『小町変相』
1 円地文子 明治38年(1905年)~昭和61年(1986年)
明治38年、東京市浅草区向柳原町に生まれる。本名富美。父は上田万年(東京帝大文科大学国語学教授、のち文科大学長)で、家はまず裕福だった。父は尾張徳川の家臣の系列で江戸っ子。周囲には馬琴などがあった。家は松浦伯爵家の借家。麹町、下谷などに転居。東京高等師範学校(東京教育大学、筑波大学の前身)の付属小学校、日本女子大付属高等女学校に学ぶ。オスカー・ワイルド、ポー、泉鏡花、荷風、谷崎などを読む、4年で退学。英語、漢文、フランス語を個人教授で学ぶ。新劇に関心。演劇雑誌『歌舞伎』の顕彰脚本に応募し入選。プロレタリア文学の影響を受けたことも。昭和5年(1930年)東京日日新聞記者の円地与四松と結婚。鎌倉、小石川句、中野区に住む。戯曲をいくつか発表。同人雑誌『日暦』同人となり高見順、矢田津世子、田宮虎彦らと知る。武田泰淳らの『人民文庫』に合流。小説を多く書くようになる。昭和14年『女の冬』。昭和16年昭和16年海軍文芸慰問団の一員として華南、海南島へ。昭和20年(1945年)空襲で家財・蔵書のすべてを失う。軽井沢の別荘で終戦。昭和21年から谷中の母の家に住む。子宮癌で入院。戦後療養しながら小説を書く。昭和24年『紫陽花』(『女坂』の一部)。その後小説、戯曲脚本などを多く手がける。作品『女の冬』『女坂』(野間文芸賞)、『女面』『なまみこ物語』(女流文学賞)、三部作『朱を奪うもの』『傷ある翼』『虹と修羅』(谷崎潤一郎賞)、『遊魂』(新潮の日本文学大賞)など。『源氏物語』の現代語訳は昭和42年夏頃~昭和47年。昭和61年没。(集英社日本文学全集巻末の吉田精一の年譜ほかを参照した。)
2 『小町変相』
昭和40年(1965年)発表。作者60才。
舞台はほぼ東京。時代設定は昭和40年頃か。空襲時20才だった主人公が今60才過ぎとある。隅田川は公害で汚れている。
年老いた(注1)舞台女優が、老いや病と闘いながら『小町変相』(注2)という舞台に情熱を傾ける話。そこに男女の関係、女性同士の確執がからむ。小野小町伝説を折り込んでいる。かなり濃厚なテイストの作品。はまる人ははまるだろう。面白くはある。若い人にはピンとこないかもしれない。
円地文子は若い頃から芝居が好きで戯曲の脚本も多く手がけている。あの小山内薫が、円地文子の若い頃円地文子作の劇の千秋楽の日、宴会中に急逝した、というエピソードもあるほどだ。それほど円地は芝居に打ち込んでいた。本作も芝居(舞台)に情熱をかける女優の物語である。(注3)
注1 今(2025年)は60才と言えばまだ「現役」の人が多いが、昭和40年頃には60才は高齢の部類だった。(昭和31=1956年に65才から高齢者と定義。)
注2 小野小町は『古今集』に載る歌人で、六歌仙の一人だが、小町についての各種の伝承を集めると、あるストーリーができあがる。若いころは絶世の美女で教養人。男たちに言い寄られるが身を許すことはなかった。やがて年老い老醜の身をさらす。野に野垂れ死にし、髑髏(どくろ)になってもなお歌を詠んでいる。このテーマはお能などでも語られる。ここで注釈などを参照して復習すると、『通小町』は小町の化身と深草少将の怨霊を僧が弔う。『卒塔婆小町』は老衰し古事記のようになった小町がそれでも驕慢と矜持を捨てず高僧と問答をする。『関寺小町』は百才の老女・小町が近江の関寺で昔の栄華を思って舞う。「あなめ伝説」とは、小町が死んで野ざらしの髑髏となりその空洞の眼窩(がんか)から薄が生え、「あなめ、あなめ(ああ、眼が痛い、眼が痛い)」と呻き続けた、という伝説だ。『玉造小町壮衰書』は平安後期の漢文で老衰の貧女と僧の問答を記す。
注3 演劇をやる人はアカだ、と言われて弾圧されたことがある。しかも戦後にだ。これは偏見だ、として鴻上尚史らは戦った。そもそも「演劇をやる人=アカ」ではない。ゲーテもシェイクスピアもホメロスも歌舞伎もお能も小山内薫も「アカ」ではない。それに「アカ=悪」でもない。プロレタリア演劇などの運動もあったが、それが直ちに「悪」というわけではないのは当然のことだ。ファシズムが左翼劇場を弾圧した。
(登場人物)(なるべくネタバレしないように)
後宮麗子(うしろぐれいこ):美しい舞台女優。60才過ぎ。独身。多くの男に言い寄られたが、舞台一筋に生きてきた。今改めて『小町変相』に挑戦しようとする。
勝間つね:麗子のマネージャー。麗子より10才下。もと教師のインテリだが、麗子を舞台に立たせ夢を描くことに情熱を注いでいる。麗子とは長年二人三脚でやってきた。
出雲路梅乃:柳橋の料亭の女将。麗子と同年輩。もと女優で努力家だったが、料亭の跡取りである出雲路正吾と結婚し女優を引退、料亭「出雲」を切り盛りして成功してきた。夫は死亡。子供二人は立派に育っている。
出雲路正吾:料亭「出雲」の跡取り。本人は病理学の研究者。梅乃と結婚し、戦後に病死した。
出雲路夏彦:梅乃の息子。城北大学文学部で国文学の助手をしている。26才。
出雲路豊美:梅乃の娘。TV女優。
須坂:老け役の役者。
紅車:歌舞伎役者の市川紅車のことか。
松山:新劇の役者。
風早:演出者。
三宅:第一劇場の主。
信楽高見(しがらきたかみ):国文学者。妻は亡くなった。王朝文学に詳しい。文化史的な手法を用いる、学会の異端児。夏彦は信楽の学問と人物に興味を持つ。
倭文子(しずこ):信楽高見の妹。夫を亡くし兄と住んでいる。
横井:信楽高見の学問上の敵。
(コメント)(ネタバレします)
麗子と出雲路梅乃の関係は、因縁のように粘り付く関係だ。
麗子と梅乃は若い日女優としてライバルだった。麗子は天性の美貌があり、梅乃は努力でそれをカバーした。だが遂にかなわないと思ったのか、梅乃は、麗子の恋人・出雲路正吾を略奪するようにして奪い、梅乃は料亭の女将に収まる。(料亭経営を重視する正吾の母の意向があった。)麗子は梅乃を泥棒猫と思うが、舞台一筋に生きることになる。歳月が流れ、梅乃は子にも恵まれ才覚を生かし財産もあり幸福であるように見える。麗子は大女優であり続けたが、近年容色・肉体が衰え、気がつくと何もない。その焦りと不安が、麗子に最後の大勝負『小町変相』の舞台への挑戦を決意させる。
梅乃は麗子の舞台の世話をするふりをしてじわじわと麗子にリベンジしているのかもしれないが、梅乃の息子・夏彦が麗子と肉体関係を結ぶ事態となり、衝撃を受ける。
では、麗子が勝ったのか? いや、夏彦との関係で無理が来たためか、麗子の癌が再発し、麗子はこの舞台を最後に死ぬであろう。それでも麗子は最後の舞台に挑む。ここは悲劇的で感動的だ。(男に置き換えれば、氏を悟りつつ命がけのミッションに挑む話で、よくあると言えばよくある。命を賭けるほどのミッションがこのようにそうそうあるものか? と問う立場から言えば、癌なのだから静かに療養すべきだ、という言い方もできる。反対に、本人にとってのQOLを考えると舞台の完遂が大事だ、ともなる。)
マネージャーのつねも面白い。女優の麗子を使って夢の世界を現出させようとするが、思惑以上に結果が暴走する。麗子亡き後、つねはどう生きるのだろうか?
信楽高見の麗子への思いも偏執狂的で独特だ。いわゆる醜男で、大女優に横恋慕するとはおかしくて堪らない、とゴシップの種にされ、北海道に左遷される。(しかもそのゴシップを流したのは、麗子をマスコミに乗せるために麗子のマネージャーの勝間つねが仕組んだことだった。)信楽高見は酷寒の北海道で妻子を失うなど辛酸をなめる。その後畸人の学者として片隅に暮らしていたが、突如『小町変相』の脚本を書いて欲しいという申し出を受ける。信楽高見は自分だけの観念の世界で愛し続けた麗子と年を取ってしまった現実の麗子とのギャップに苦しみながら、それでも脚本を書こうとする。信楽高見はあるとき日光の滝をめぐる旅に出る。滝は性的だ、滝を見れば再び観念の世界で麗子への憧憬を取り戻し脚本を書くことができる。信楽はそう考え、夏彦を誘って日光へ行った。日光では滝を見る過程で転倒し入院するほどの怪我を負うが、『小町変相』執筆への意欲を俄然回復した。信楽は懸命に脚本を書いていく。
ここで、滝を見て性的な連想をする、というのは、私にはピンとこなかった。日光には様々な滝があるそうだ。私は華厳の滝しか見たことがないが、本作には多くの滝が描かれる。信楽も同行の夏彦も、滝を見て性的なものを連想する。
さて、信楽が書いたかと思われる論文「小野小町についての私見」は、実はかつて信楽の妻(故人)が書き、信楽が手を入れたものだった。妻は夫を憎みながら死亡した。その妻の書いた論文を、信楽はなぜ麗子に読ませようとしたのか? ここは謎だ。
「私見」は、日光での信楽の夏彦への説明によれば、信楽と妻の合作だ。妻は小町を凡庸化し、麗子に夢中になった夫を断罪している。対して夫は、ラストに「自分は小町の如く子を持てない不毛を自分の内に持つ女だ」と付記することで、小町に、引いては麗子に、同情する立場を表明している。妻とは心が離れてしまった。信楽は夏彦にそう説明する。
だが、それは、信楽が夏彦に対して取ったポーズであって、信楽の本音はそうではない、とは読めまいか。「私見」を文字通り読むと、小町は「宿業」によってあのような人生を生きざるを得なかった。では、男も同様だろう。麗子も信楽も、何か「宿業」のようなものに引きずられるようにしてこのように生き、このように滅んでいく。しかも信楽の妻の子は死んだ。信楽の妻もまた子のない女だ。子をなさなかった、という点からすれば、麗子も信楽の妻も、同じなのだ。何か「宿業」のようなものにより、彼らはそれぞれに、そうあるべくしてそうあらしめられた。このことを菩薩の慈眼で見れば、誰が誰を断罪することもない。いやおうなくそういう人生を引き受けて生きていくしかなかったのだ。もしかしたら信楽は、夏彦への自身の説明とは裏腹に、このような境地に既に立っていて、麗子にこの「私見」を読んで貰いたかったのではなかろうか?
これは私のまさに私見であって、他の読者は首肯(しゅこう)しないかも知れない。だが、そう考えてみたい気持ちに私はなるのである。国文学科のみなさん、どうですか?
麗子は末期癌を押して女優としての人生を全うし、恐らく舞台に死ぬであろう。信楽は脚本を渾身の力で書き上げたその舞台を見る事もかなわず死んで行くであろう。それでも、そこには彼らなりの人生、他の人とは換えることのできない尊い人生があったと言うべきだろう。
円地文子は長年乳腺炎や子宮癌を患い、女性としての性を喪失したという悲しみを持つがゆえに、女性的なものへの思いを募らせた、という趣旨のことを吉田精一が述べている。(集英社日本文学全集解説、418頁)円地文子は「子をなさぬ」麗子により多く感情移入してこれを書いていると思う。同時に、そうあるべくしてそうあらざるを得なかった人びと(信楽も信楽の妻も含め・・多分梅乃やつねも含め)に対し、断罪するのではなく、菩薩の慈眼で見つめているのではないか、と私は思った。
問題は夏彦だ。若くて常識的な人間に見えたが、麗子の誘惑に負けて肉欲に溺れてしまう。麗子は心中を呟きさえする。母親が気付いて二人を引き離すべく夏彦を海外留学させようとする。・・夏彦はいくら何でも母親と同年の人に誘惑されるとは・・? と私は思ったが、逆に父親と同世代の人と結婚する女性はいくらでもいる。これを逆にし、高齢女性も若い男にモテるのよ、と円地文子は書いてみたかったのかもしれない。夏彦は大丈夫だろうか。最近はさらにそれを逆手に取り、金持ちのマダムを若いホストがむしっている。「頂き女子」の反対で「頂き男子」というわけだ。だが夏彦はホストではない。彼もまた「宿業」の申し子というわけか。
子宮が無くても高齢でも美しい女は美しい。女性として男と愛し合っていい。そう言いたいのかしら。この年齢を20年上げて80才の高齢女性の恋、という形にすれば、現代(2025年)の物語になるのかも。
子宮があって子をなしてこそ女性、「生む」のが女性、といったレッテル貼りは、多くの人が陥りやすいあやまちだ。それがあやまりだと気付いている人はすでに気付いている。結婚しようがするまいが子がおろうがおるまいが、一人の女性であることに変わりはない。本作は美にこだわるが、実は美しく異性にモテようがそうでなかろうが、やっぱり女性であることに変わりはない。もちろんその前に一人の人間であることに変わりはない。これは教科書的なポリティカル・コレクトネスを言っているのではない。人はいやおうなくそれぞれの事情によって、ある場合には結婚して子をなし、ある場合にはそうではない。努力していないわけではないが気がつくと否応なくそういう人生になっていたのだから、どうしようもない部分もあるのだ。そのようなどの人生も、人生として尊重され肯定されて当然だ。それを特定の立場から差別し断罪するのは間違いだ。私はそう思う。それを「宿業」と呼ぶか、「天命」と呼ぶか、「神の意志」と呼ぶかは人それぞれかもしれない。
パウロは、「独身で清らかに暮らすのが一番よいが、人によって生き方が違うので、結婚する人がいてもいい」と言っている(『コリント人への第一の手紙』7章)。「結婚して子を産むのが一番よいが、そうでない人がいてもいい」と言っているのではない。「結婚して子を産むのが常識で当然」と思っている人は、「常識で当然」と思ってきたものが、実は時代社会の中で形成されたものに過ぎず、ある偏りがあった、ということに気付くといい。もちろん結婚して子育てしたって構わない。それはそれで楽しく、反面苦労も多い。育てた子供が期待通りでないことは世の中に山ほどある。本作では出雲路梅乃が結婚して子育てもして仕事も成功。一見「勝ち組」の「輝いている女性」に見える。だがまさかの展開で、自慢の息子・夏彦がおかしな具合になってしまったではないか。梅乃は必ずしも幸福ではない。独身の麗子を見下そうとしてもダメだ。円地文子はちゃんと書いている。何が大切か? 誰もが立ち止まって考えてみるとよい。