James Setouchi

2025.1.24

 

円地文子『女面』

 

1        円地文子 明治38年(1905年)~昭和61年(1986年)

 明治38年、東京市浅草区向柳原町に生まれる。本名富美。父は上田万年(東京帝大文科大学国語学教授、のち文科大学長)で、家はまず裕福だった。父は尾張徳川の家臣の系列で江戸っ子。周囲には馬琴などがあった。家は松浦伯爵家の借家。麹町、下谷などに転居。東京高等師範学校(東京教育大学、筑波大学の前身)の付属小学校、日本女子大付属高等女学校に学ぶ。オスカー・ワイルド、ポー、泉鏡花、荷風、谷崎などを読む、4年で退学。英語、漢文、フランス語を個人教授で学ぶ。新劇に関心。演劇雑誌『歌舞伎』の顕彰脚本に応募し入選。プロレタリア文学の影響を受けたことも。昭和5年(1930年)東京日日新聞記者の円地与四松と結婚。鎌倉、小石川句、中野区に住む。戯曲をいくつか発表。同人雑誌『日暦』同人となり高見順、矢田津世子、田宮虎彦らと知る。武田泰淳らの『人民文庫』に合流。小説を多く書くようになる。昭和14年『女の冬』。昭和16年昭和16年海軍文芸慰問団の一員として華南、海南島へ。昭和20年(1945年)空襲で家財・蔵書のすべてを失う。軽井沢の別荘で終戦。昭和21年から谷中の母の家に住む。子宮癌で入院。戦後療養しながら小説を書く。昭和24年『紫陽花』(『女坂』の一部)。その後小説、戯曲脚本などを多く手がける。作品『女の冬』『女坂』(野間文芸賞)、『女面』『なまみこ物語』(女流文学賞)、三部作『朱を奪うもの』『傷ある翼』『虹と修羅』(谷崎潤一郎賞)、『遊魂』(新潮の日本文学大賞)など。『源氏物語』の現代語訳は昭和42年夏頃~昭和47年。昭和61年没。(集英社日本文学全集巻末の吉田精一の年譜ほかを参照した。)

 

2 『女面』

 昭和33年(1958年)発表。作者53才。

 

 舞台は東京と京都。時代設定は戦後平和になり社会が落ち着いてから新幹線開通(昭和39年=1964年)以前のある時期。執筆当時の昭和30年代初頭か。(京都から東京へ特急で行っている。戦争に行った人の子が三十代くらいになっている。「精神的ストリップ」といっった語彙が会話でなされる。)

 

 栂尾三重子という歌の師匠、その嫁の泰子、その友人の伊吹恒夫と三瓶豊喜らをめぐる物語。彼らは物の怪や憑霊について研究しており、物語中にお能の面(注1)や『源氏物語』の六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ)(注2)らが出てくる。国文学の色が濃厚で、この方面に関心のある人には楽しめる。(それらの知見がある程度あった方が読みやすいだろう。)但しそこで扱われるのは、女の情念であり怨恨である。女は果たして弱い存在であるのか、それとも・・・?

 

注1         お能の面:お能は室町期の世阿弥が芸術として大成した舞台芸術。謡曲はその脚本。舞台に役者が上がりお面をつけて舞う。衣装も美しい。お面は、老人の「翁(おきな)」、女性の「増女(ぞうおんな)」、少年の「童子」、鬼の「般若(はんにゃ)」などが有名だが、実は多様な面がある。本作では女性を表す「小面(こおもて)」、「孫次郎」、「増女(ぞうのおんな)」(品位のある女神の面)、「痩女(やせおんな)」(老女の亡霊)、「霊女(りょうのおんな)」(女の死霊)、「泥眼(でいがん)」(嫉妬の生霊)、「十寸髪(ますがみ)」(若い狂女の面、と本文にある。辞書的には、神霊が乗り移った巫女、苦悩する女性の亡霊などに使うそうだ)、「深井(ふかい)」(妻や母の生活体験を経て情の深い女性の面)などが出てくる。なお和辻哲郎は『面とペルソナ』(昭和10年)で、能面は「人らしい表情を抜き去っ」ている(「急死した人の顔面にきわめてよく似ている」)から「不思議な感じ」を与える、とする。

 

注2         六条御息所:『源氏物語』に出てくる女性。先の皇太子の妻で、源氏の恋人の一人。源氏より年上。高貴な女性で、嫉妬し、生霊になって源氏の恋人の夕顔や妻の葵上を取り殺す。その娘は嵯峨の野々宮神社での潔斎を経て伊勢の斎宮となる。六条御息所も同行。娘はのち源氏の支援を受け秋好中宮(冷泉帝の妻)となる。六条御息所は死後もさらに死霊となって多くの女を脅かす。お能にも取り上げられる(世阿弥・作『葵上』)。

 

(登場人物・1)(なるべくネタバレしないように)

栂尾三重子:東京在住の歌の師匠。短歌雑誌を主宰。名家・栂尾家の嫁。目黒に邸宅がある。実家は北陸で浄土真宗(注3)の寺も親戚にある。息子の秋生は富士山の雪崩で死亡した。美しい人。

栂尾正継:三重子の夫。銀行員。故人。栂尾家は名家。最上流ではないが中流の上くらいか。

栂尾秋生(あきお):三重子の息子。泰子の夫。専攻は王朝文学。4年前に富士山の雪崩で死亡。

栂尾泰子:三重子の嫁。その夫・秋生は死亡。今は三重子のそばで短歌雑誌・歌会の世話などをしている。物の怪の研究をしている。伊吹の大学に国文学の聴講に来る。美しい人。

伊吹恒夫:大学の国文学の助教授。専門は王朝文学。栂尾秋生とは友人。妻子があるが栂尾泰子に惹かれている。

伊吹貞子:恒夫の妻。

三瓶豊喜:精神科医。民俗学の鬼憑(つき)や王朝文学の生霊や死霊の憑依(ひょうい)の研究をしている。独身。栂尾泰子に惹かれている。

薬師寺頼方:京都の能楽師。古いお能のお面や衣装を所有している。

薬師寺登枝:頼方の妹。

佐伯教授:応用化学の教授。交霊術(注4)に関心を持ち実験をする。

槇野教授:国文学の教授。伊吹恒夫の師。酔うと栂尾泰子にちょっかいをかける。

ゆう:栂尾三重子を幼少時から長年育ててきた腹心の女中。

 

注3         浄土真宗:阿弥陀如来にすがり念仏によって極楽浄土に往生するとする、仏教の一派。親鸞聖人を開祖とし、本願寺の蓮如が盛んにし、中部・北陸・北関東などでは極めて盛ん。漱石『こころ』の「K」の実家も新潟の浄土真宗の寺。明治以降も清沢満之(きよざわまんし)や暁烏敏(あけがらすはや)、また倉田百三や亀井勝一郎らが出て、盛んだった。円地文子の『女坂』にも築地本願寺と念仏が出てくる。実は親鸞聖人は法然上人の門下であって、法然上人と別の流派を立てる意識は無かった。

 

注4         交霊術:降霊術とも。霊媒などを通じて霊と交流するなど、霊的な世界と交流する方法。19世紀ヨーロッパでも流行、実は20世紀初頭コナン・ドイルなども降霊術に夢中になった。古代・中世には死者の霊を呼び出す方法で、古い宗教では各地に存在した。

 

(登場人物・2)(ここから先はかなりネタバレ)

あぐり:栂尾正継(三重子の夫)の恋人。三重子が正継と結婚する前から正継と関係があった。

栂尾春女:栂尾秋生の双子の妹。「畜生腹」と嫌われ栂尾三重子の実家の北陸の寺で育つ。何年か前に東京で栂尾三重子と同居。色の白い美女。「精神薄弱」と本文にある。つまり「知的障がい」がある。(注6)

三重子の昔の恋人:戦争のため中国に行って病死。

 

注5 畜生腹:昔は双子や三つ子などを畜生腹と呼んで忌み嫌う風習があり、一方を里子に出したりする風習があった。もちろん、根拠のない偏見である。反対に、多胎児は縁起がよい、とされる地域もある。

 

注6 精神薄弱:今は誤解を招く差別用語として使用しない。「知的障がい」あるいは「精神遅滞」と言う。前者は福祉用語、後者は医学用語、とあるパンフレットに書いてあった。

 

(コメント)(ネタバレ)(恐ろしい描写があるので、気の弱い人は読まないように。)

 ミステリー風に物語は進む。謎を抱えているのは栂尾三重子と泰子。三重子の不思議な力が憑依するかのように泰子は動かされ、伊吹と三瓶は掌の上で踊らされる。三重子は何のためにそれをするのか?

 

 三重子には誰にも言わない、隠れた秘密があった。名家の栂尾家の正継に嫁したとき、夫にはすでにあぐりという恋人があった。あぐりは妊娠したが栂尾家の方針で中絶。他方正妻の三重子も妊娠するが、あぐりの企みにより転倒して流産。さすがにあぐりは家を出される。やがて三重子は双子を出産するが春女は知的障がいがあった。「畜生腹」と言われ春女は三重子の実家の北陸の寺へ。秋生のみ東京の栂尾家で育てることに。実は秋生と春女は、三重子と正継との子ではなく、三重子の別の恋人との子だった。三重子は夫の裏切りに復讐すべく自分も不倫をし二人をもうけたのだ。昭和13年前後と思われる。その恋人は手紙をよこしたが戦地の中国で病死。さらに夫・正継は死去、息子の秋生は国文学を専攻し泰子と結婚するが登山中に事故で死去。栂尾家の三重子には跡取りがいなくなってしまった。では、どうするか。三重子は春女を手元に呼び寄せ、美しい嫁・泰子の魅力を用いて伊吹三瓶を手玉にとり、トリックによって春女に伊吹の子を妊娠させる。結果、春女は男児を出産するも産後の衰弱で死亡。三重子は深く物思いに沈みつつ「深井」の能面を手にするのだった・・・

 

 ホラー小説と言ってもいい恐ろしさだ。三重子は内面に深く秘めた暗い恨みから一連の企てをする。夫の不実への復讐は自分が恋人と不倫をすることで果たしているが、さらにもう一つ、泰子を使って伊吹に企みをするのはなぜか。実はここは明記していない。三重子は伊吹が気に入ったのではないか、とはある。昔の恋人の面影を宿す子孫(それは春女の子でなければならない。泰子の子ではだめなのだ。)が欲しかったのかもしれない。それらもあるかもしれないが、もう一つは、栂尾家への復讐のためではないか。栂尾春女の産んだ男児は栂尾の子となる。こうして後継者を持ち、嫁としての務めを果たした形にした。同時に栂尾の血筋ではなく昔の恋人の血を引く子を自分の孫として育てることができる。そうすることで栂尾家への復讐を遂げたのだろう。春女の相手が三瓶だったら、独身の三瓶が泰子と結婚しその子となってしまう。妻帯者の伊吹だからこそ伊吹はその子を認知せず、栂尾家の子とすることができる。栂尾家に、その血筋でない者を入れ、裏切る。拡大して言えば、家父長制への復讐とまで言えるかもしれない。そう言えば夫の名は「正継」だった。河村香果という人が言っている。(注7)

 

 名家の栂尾家の体面のために苦しんできた三重子だが、自分はそこの嫁として体面を守りつつ実質的には裏切ることでリベンジしてみせる。だがそのために春女を道具として使い最後は死なせてしまったことについては、平気でいられるわけがない。目黒の栂尾家の邸は売り、三重子は鎌倉に越すことにした。春女が生きていれば、目黒にそのまま住んだのだろうか? 春女が死に、辛い思い出の多い目黒の邸から離れようと思ったのだろうか? 三重子にとって人生の一つのステージが終わったということか?

 

 三重子は能面「深井」を見ながら思う。「秋生と春女の生命の消えて行った悲しみをこの面は皆知っているようである。同時に自分の中に深く秘めて来た毒々しい女の企みも・・・」赤子の鳴き声が聞こえる。三重子は思わず能面を取り落とすが、再び能面に手を伸ばす。現実が彼女を待っている。この赤子と共に生きていく現実が。淋しげなこの能面のような表情をつけ、三重子は内面の苦しみを秘めたまま、この現実に立ち向かいこれからも生きていこうとするのだろう。生きることは悲しみを伴う。そのことをよく知っている作者の作品だと私は感じた。(注8)

 

 但し三重子の場合は強烈な何かのゆえ歪んだ形で表現されたということか。『源氏物語』の六条御息所の生霊・死霊に関する三重子の独自の見解『野々宮記』は面白い。三重子が若い頃昭和13年に恋人に読ませるために書いた論文で、以来秘して封印してきたものだ。そこでは、六条御息所は「業」の暗い典型というよりも「自我」の根強さが憑霊的なものとなる、と三重子は述べている。それは三重子が泰子や春女に憑依して動かしていくことの自分自身による解説にもなろう。中盤でこの論文が出現することで三重子の秘めた謎が謎として浮かび上がってくる、という小説の展開もうまい。

 

 三重子の兄が京都で真宗の寺の住職をしている。三重子の新潟の実家も真宗だ。本作には仏教(真宗)の要素が少しある。だが、そこから救済へと深く切り込むことはしていない。本文中に「業」という言葉が複数回出てくる。「業」はある、しかし念仏により極楽浄土に往生することが決定しているのであるから、余計な「業」をこれ以上積むことはなかったのではないか? あるいは「自我」への執着を手放すこともできる。このように阿弥陀如来から来る救済の論理を書き込んでもよかったのではないか? だが、本作ではそうしていない。三重子という女性の「業」の深さでなければ「自我」の強さそれ故の悲劇性を強調する作品になっている。それはすべての女性の持つものか? 伊吹の妻の貞子はそうではない。夫・伊吹の不倫を探偵社を使って調べ、即物的に解決に持ち込もうとする。三重子とは違うタイプとして描かれている。(だが、常識的には、大小の違いがあるだけで、誰でも「業」にからめたおられあるいは「自我」に執着するはずだ。) 

 

 本作も結構面白かった。

 

注7 河村香果「円地文子『女面』論考」(比治山女子短期大学国文学会『たまゆら』27号、1997年6月)

 

注8 悲しみを抱えた抑制的な生き方。私は懐かしく思い出す、昔の女性(男性もかもしれないが)にはそのような人が沢山おられた。明治の人、大正の人、昭和のはじめの人。否応なく家制度の下で忍従し、自らを抑え込んできた人。彼らは、抑制的で(自己主張を控え)、勤勉で(働き者)で、倹約(つつましく)で、かつやさしかった。もちろん彼らは三重子のように激しい企てを行ったりしない。だが何かを犠牲にし耐えてきた点では、大なり小なり三重子と共通のものがあったかもしれない。昭和の後半以降は自己主張の時代になった。本作でもすでに昭和30年代の豊かな日本を思わせる記述が出てくる。「精神的ストリップ」は是か非かなど。対して三重子の世界は当時としては古風な雰囲気が濃厚だ。その中で強烈な形で出てくる三重子の隠された「業」あるいは「自我」。

 平成・令和の若者はまた自己抑制的だ(真面目な子ほど)、と私は感じる。そうでもないか? いや、そうでもある。個性の問題であろうか? いや、世代・時代の問題でもある。令和では「自己主張の仕方」を学校で教わってくる。だが、それは・・? ここはとりあえず問いだけにとどめておこう。