James Setouchi
2025.1.22
円地文子『女坂』 宗教小説・政治小説でもある
1 円地文子 明治38年(1905年)~昭和61年(1986年)
明治38年、東京市浅草区向柳原町に生まれる。本名富美。父は上田万年(東京帝大文科大学国語学教授、のち文科大学長)で、家はまず裕福だった。父は尾張徳川の家臣の系列で江戸っ子。周囲には馬琴などがあった。家は松浦伯爵家の借家。麹町、下谷などに転居。東京高等師範学校(東京教育大学、筑波大学の前身)の付属小学校、日本女子大付属高等女学校に学ぶ。オスカー・ワイルド、ポー、泉鏡花、荷風、谷崎などを読む、4年で退学。英語、漢文、フランス語を個人教授で学ぶ。新劇に関心。演劇雑誌『歌舞伎』の顕彰脚本に応募し入選。プロレタリア文学の影響を受けたことも。昭和5年(1930年)東京日日新聞記者の円地与四松と結婚。鎌倉、小石川句、中野区に住む。戯曲をいくつか発表。同人雑誌『日暦』同人となり高見順、矢田津世子、田宮虎彦らと知る。武田泰淳らの『人民文庫』に合流。小説を多く書くようになる。昭和14年『女の冬』。昭和16年昭和16年海軍文芸慰問団の一員として華南、海南島へ。昭和20年(1945年)空襲で家財・蔵書のすべてを失う。軽井沢の別荘で終戦。昭和21年から谷中の母の家に住む。子宮癌で入院。戦後療養しながら小説を書く。昭和24年『紫陽花』(『女坂』の一部)。その後小説、戯曲脚本などを多く手がける。作品『女の冬』『女坂』(野間文芸賞)、『女面』『なまみこ物語』(女流文学賞)、三部作『朱を奪うもの』『傷ある翼』『虹と修羅』(谷崎潤一郎賞)、『遊魂』(新潮の日本文学大賞)など。『源氏物語』の現代語訳は昭和42年夏頃~昭和47年。昭和61年没。(集英社日本文学全集巻末の吉田精一の年譜ほかを参照した。)
2 『女坂』
昭和24年から32年にかけて書き継いだ、連作短篇小説群。作者44才から52才。
白川行友という男の妻になった倫(とも)という女性の家庭内での奮闘を描く。時代は明治憲法発布(1889年)以前から20世紀初め(1915年ころか)。本作は家庭内小説であると同時に、読み方によっては宗教小説、政治(社会批判)小説、倫理を問う小説でもあり、総合的に人間と社会を問う全体小説、と言ってもよい。(後述)
(登場人物)(ややネタバレしてしまいます)
白川倫(とも):白川行友の妻。熊本の下級士族出身。エリートの夫のために若い妾を探し、娘のような年齢の妾の世話をし、家の財産の管理をし、孫たちの世話もする。夫の好き放題のやり方に苦しむが、古風な道徳を離れられず、忍耐して夫に仕える。
白川行友:倫の夫。熊本の士族出身で高級官僚。自由民権を弾圧する川島(後の警視総監)の右腕で、福島のち東京で勤務。漁色家で様々な女性に手を出す。家庭内でも絶対的独裁者。
須賀:倫が東京で見つけた、行友の若い妾。戸籍上は行友の養子となる。美しい。子はない。
由美:行友の二人目の妾。美しく男性のよう。やがて倫の甥の岩本に嫁し、子をなす。
岩本:由美の夫となる。倫の甥。九州出身。
道雅:行友と倫の息子。熊本で育つ。対人関係が不得手で他からは悪く言われている。綱町に家を建てて住む。
悦子:行友と倫の娘。倫が大事に育て、法学士に嫁し、子をなす。
篠原:悦子の夫。のち出世して弁護士会会長になる。
鷹夫:道雅と最初の妻の子。最初の妻は鷹夫を生んで死亡。鷹夫は皆にかわいがれれ育つ。のち東京帝大へ。
美夜:道雅の二番目の妻。下町出身で感じがいいが、・・鷹夫と美夜の間に(?)8人の子をなす。
巴(藤江):美夜の没後、道雅の三番目の妻。硬い女性。
和也、朋也、吉彦、瑠璃子ほか:道雅と美夜の子。
(コメント)(完全ネタバレ)
面白い。白川行友の好色が諸悪の原因だが、正妻の倫がそれに耐え、正妻の立場でありつつ娘のような年齢の妾たちにも同情し懸命に世話をする姿が、立派でありつつ痛ましい。妻の夫に対する確執が重要なテーマの一つになっていて、ラストでは病を得た倫が「自分は長生きして夫に勝ちたかったが、結局夫に勝てなかった」と述懐し、しかし「葬式は出してくれるな」と強く遺言する。その遺言ではじめて暴君・白川行友も妻の苦しみを知り、自我に亀裂が走る。(夫は体面上盛大な葬儀を出そうとするのだが。)作者はここで妻が夫に一矢報いるように書いている。それにしても何という忍従の生活。15才くらいで嫁し長男を産むところから亡くなるまで一貫して忍従の、しかし慈母のごとき生き方をした。求めるのはただただ家庭の平和。良妻賢母、と言うのであろうか?
途中で念仏が出てくる。倫の熊本の実家の母が「阿弥陀如来にすがれ」と遺言する。倫は当初そうでもなかったが、自分の生涯の苦労を思うにつけ、自力ではどうしようもない業のようなものを感じ、念仏をするようになる。『観無量寿経』のイダイケー夫人の話なども詳しく紹介され、他力浄土門の信仰に触れている。阿弥陀三尊のお姿が月に見えるか、というところの記述はすばらしかった。同時に、作者はそこに二つの蝶を舞わせ不安の兆しを示すのだが。(蝶は後半の鷹夫と瑠璃子の件(くだり)でも出てくる。)本作は宗教小説でもある。
ラストでぼろぼろになった倫が自宅への坂道を必死になって上るところがある。彼女の人生そのもののようだ。乗せてもらえる人力車はなかった。他力にすがれなかった、自力で行くしかない、ということを象徴しているのか? 深読みに過ぎるか? 倫は遺言状でも夫を批判せず、しかし葬式は出さず死骸は海に捨てるよう言い残す。親鸞聖人は自分の葬儀を出さず死骸は鴨川に捨てよと言われたとか。倫は絶対他力の親鸞聖人にならったということか? とすれば、儒教倫理とは別に、他力本願の仏教の救済の論理を、作者はここで俎上に上げ、肯定しているのか、否定しているのか? 夫の自我を崩壊させたのがこの一言なら、親鸞聖人以来の他力浄土門の信仰の力が夫(大日本帝国)(後述)に勝ったのだ。
惜しいのは息子の道雅の造形だ。対人関係が困難で、周囲から(家族や女中からも)ダメ人間とレッテル貼りを張られている。道雅がなぜそうなったか、どのような苦悩を抱いていたか、は描かれない。現代人ならこの説明を聞いただけでピンとくるものがあるはずだ。円地文子の時代にはまだその知見が無かったのかもしれない。今なら医師の診断で適切な処方がある。
白川行友は、昔の家父長制の暴君を地で行く男だ。行政官としてもパワーエリートで、自由民権派を暴力で抑圧する。殺害もした。気に入らぬ部下を粛清する。(これはひどい。究極のパワハラだ。)家庭内では次々と妾をつくり、あろうことか息子の妻に手を出す。当然妻は苦しむ。妾たちも。息子の道雅はこの父親の暴君のせいで苦しんでいるのかもしれないが、作者はそこまで踏み込んでは書かない。行友は女性に即物的暴力を振るうことはない。女性をよく見ており、扱いがうまい。だがそれを私は肯定することはできない。諸悪の根源はやはりこの人の好色・多淫にある。(梁石日(ヤンソギル)の『血と骨』のあの暴力的な父親と表裏一体の人格だ、と言ってみたい。こちらは大日本帝国に抑圧された側の暴君だ。)
妾の須賀は、15才で白川にカネで買われ妾にされ、恐らくはそのせいで体調を崩し、子は無く、戸籍上は行友の養子として縛られ、実質は逃げられない妾だ。正妻の倫に大事にされつつも、自立する生活スキルも無く、つまりは行友の性の相手でしかない。結局は日陰者であることに苦しむ。須賀こそ第二の主人公で、この家の最大の被害者かもしれない。それは第二の妾の由美との比較で際立つ。須賀は感じやすくものを考えるタイプの女性だ。
由美は美しく、男性のような顔立ちだ。しかしあるとき白川行友に飽きられ、(立場上は行儀見習の奉公だったので)暇を出され岩本と結婚し「奥様」の立場となり子ももうける。由美は深くものを考えないが巧みに行動する。須賀はそういうことをできないまま年老いておく自分に寂しさを感じる。
美夜は下町の明るい娘で、倫も当初好感を持つが、実は夫・道雅を裏切って舅の白川行友と情事を重ねる。8人いる子も、道雅の子か行友の子かわからない。
女性たちは、最初は若く美しい少女として登場しても、歳月を経て苦労を重ね、それぞれに老い、病を得る。美夜も病で死ぬ。須賀も病でやつれる。倫でさえも。
少女たちの描写が、衣装なども含めて美しく、美しいものを好む女性(や男性)にも好まれる作品だと感じた。(私は衣装などに興味がないのだが。)
家庭内の人間関係がもつれ、最後は残虐な事件に発展するのかも、とハラハラしたが、そうはならなかった。その分苦悩は内面に折り重なって溜まっていった。これも一種のホラーか。
行友はなぜこのように次々と女に手を出すのか? 日本の昔の金と地位のある者には当たり前だった、という風潮(権力者に甘い倫理観)以外に、もうひとつ何かあるかどうか? 誰かが「性依存症」と言われたが、そうかもしれない。歪んだ権力の中にあって人格も病んでしまったのか?
本作を政治小説(社会批判の書)として読んでみよう。儒教倫理は、間違うとこのように「上に甘く、下に厳しい」形で運用される。戦後はそれを「封建的!」と批判した。その頃にこれは書かれた。但し孔子がこの家庭を御覧になったら、当然行友を批判なさる。孔子はまず上に立つ者に自省・自戒を求められる。「修己」してしかるのちに「治人」は可能になるからだ。特に息子の妻を取るなどは完全に禽獣(きんじゅう)の行いである。このような者がリーダー(しかも警察権力の中枢)になっていたとすれば、明治政府は全くダメだ、と孔子なら言われるだろう。(ま、本作は小説であって、明治の警察官僚が本当はどうだったかは別だが。(注1))自由民権運動で弾圧され死亡したはずの男が、復活し、板垣退助らとともに行友の前に現われ、「これからは私たちの時代だ、あなたがたは駆逐される」と行友を脅かす記述がある。これは、明治の民権運動の人びとの姿として書いているが、円地文子が昭和の初めに出逢ったプロレタリア文学の人びとの姿が投影されていると私は思う。また、戦後に民主的な変革を行ってきた人びとの姿も。つまりこの小説は、自由民権運動を弾圧した明治政府の官憲の横暴を「白川行友」の姿に凝縮し、民権運動、大正デモクラシー(→昭和のはじめのプロレタリア作家たち)の運動、戦後民主主義の運動を受けて描いた、時代社会批判、として読むこともできる。倫の葬儀を盛大に出す行友。体面のためだ。外面だけ立派で、中味は人間が弱り果て苦悩ばかりの大日本帝国の社会の非人間性を象徴しているようだ。もしかしたら戦後経済的に豊かになりつつある日本への批判も?(注2)
但し主人公の倫は、政治活動をするわけではなく、ひたすら忍従し他を慈しむ生き方をする。そう思えば「倫」という名前(当然「倫理」「人倫」を連想させる)にも含意がありそうだ。倫は旧武士の子孫として封建倫理を体得している。下町の商家出身の女たち(武家階級の倫理を持った倫がから見れば、利害打算を優先し人としての倫理に欠ける。カネを倫理より重視する。別の言い方をすれば、倫とは倫理観が異なる)をどこかで軽蔑している。本作は、「倫理的」であることは大事だ、だが果たして本当にそうか? 倫理的であればそれでいいのか? そもそも倫理とは何か? 何か人間の普遍的な倫理か? では、倫理感なき人びとはそれでいいのか? という問いをも問うてくる。
そもそも夫の妾を探しに正妻が行くことなど、一見夫思いの良妻であるようで、実際には人倫として誤っているのではないか? 妻妾同居の理想が江戸時代には語られた。勝海舟も渋沢栄一も妻妾同居(さいしょうどうきょ)だった。妻妾同居で円満な家庭を営む人を「徳の高い立派な人」と讃えた(注2)が、果たして是か非か? (梁石日の『血と骨』のあのアボジも妻妾同居をやってのけた。)
現代のフェミニズムの理論から言えば、地位と財産を夫が独占する男尊女卑の社会自体が不可、となろう。今の人なら誰でも気付くことだ。医学的には倫は「共依存症」だと誰かが言っておられた。なるほど。
・・・私が懐かしく思い出す、昔の人びと。明治、大正、昭和の初めの女性たち(男性も)は、抑制的で(自己主張を控え)、勤勉で(働き者)で、倹約(つつましく)で、かつやさしかった。倫を読んでいて懐かしく思い出し、自分が今あるのはあの人びとのお蔭だと改めて思う。この一行を付け加えておく。(2025.1.24)
注1 三島通庸(みちつね)(1835~1888)という男がいた。薩摩出身、福島県令、警視総監。福島県令時代は北関東を含め一帯に福島事件や加波山事件を引き起こし自由民権運動を暴力的に弾圧した。白川行友の上司の川島のモデル。円地文子は明らかに三島通庸を意識して書いている。読者は想起すべきだ。なお福島事件の河野広中の出身地は三春で、福島の浜通りの原発事故エリアと同じではないが近い。近現代史(自由民権と大正デモクラシーと戦後憲法との関連)で押さえておくべき事実。大日本帝国のどこを見るか? 「軍艦を並べて栄光があった」としか言えない人は、「上から目線(支配者目線)」で見ているのであって、歴史の真実をトータルに見ているとは言えない。円地文子が本作に白川の上司・川島を登場させ、読者に三島通庸を想起させるのは、意図があってのことに違いない。
注2 『女坂』は戦前から構想があったと言われる(倫のモデルは円地文子の母方の祖母。白川行友のモデルはその夫、つまり円地文子の母方の祖父、また、悦子のモデルが円地文子の母、となる。ただしモデルを離れて虚構化していることは言うまでもない)が、戦後の昭和24年から32年にかけて書かれ発表された。戦後この間日本は「逆コース」を辿(たど)る。人びとはカネと力を再び拝むようになる。そのことへの円地文子の批判意識を読み取ろうとすれば、深読みであろうか?
注3 妾制度は法律では明治時代に禁止されていくが、実質的には黙認されていた。本作では養女の形と女中の形を取って実質的には妾にする。そういう例がどれ位多かったかについては、知らない。キリスト教倫理はこの点が厳しい(「姦淫してはならない」)が、日本(の儒教など)ではこの点が弱い、と内村鑑三が指摘している。